第二話 自身の定義 (3) - 魔女殺しの魔女 その名は -
自身を定義することができれば魔なるものとの契約を教える、という筆頭魔女カナデ。
姫でなければ、では貴方は何者なのか。
改めて真面目に答えを求められると少し悩み始める姫はカナデのベットに転がり考えを巡らせる。
では脳内会議を始めよう。
そもそも私は、元々はなんだったんだろう。
小さな国の姫として生まれ、いずれは国を背負っていく定め、だったはず。
そんな実感も責任感も持っていなかった。
だから生誕祭の際に王冠ではなくティアラを望んだ。
幸い顔も知らぬうちに将来を誓った相手もいた。
あちらがどう思っていたのかはわからない。
恋文の返事はいつも13番目、歳の近かったイザベラに代筆を丸投げしていた。
どちらかといえば姫はカナデのような異世界召喚に憧れていた。
この世界に呼ばれた異世界の者は少なくはない。
彼らは自分たちのいた世界の話で本を作り、技術でものを作り、知識で文化を発展させ、力で世界を引っ張っていた。
学習の時間も夜眠る前も、いつだってそんな本を読んでいた。
現実の世界よりも空想の世界を思うほうがいつだって楽しかった。
教師になって学級崩壊を食い止めたり、名医になって多くの人を救ったり、かっこいい男性やかわいい女性とチームを組んでドームでライブをしたり。
なるほど、そんな調子だったから教育係だった魔女達の不評を買っていたのだろう。
今は役に立たないから、将来に必要だと思えなかったから、そう思って今興味のある夢の世界のことだけを見ていた。
結果、こうして困ることになる。
きっとザマアミロとか言われてるだろう。
何も知らないから姫は自分に何ができるのか、どんな選択があるのかがわからない。
どうやって食べるものを得ればいいのか。
服は、靴は、住む場所はどうすれば手に入るのか。
家族や自分に良くしてくれる人はどうすれば手に入るのか。
それらを教えてくれる人はどうすれば見つかるのか。
何もわからなかった。
過ぎたことを悩んでも仕方がない。
そして今更カナデに教えてもらうというのも気が引ける。
それに今はなによりも、この燻るような感情が拳を振り上げずにはいられない衝動をもたらす。
これは脳筋思考というやつだと思った。それと恨み。
いいえ、そもそも13番目は何故私に呪いをかけたのか。
それもわからない。
そして何故呪いを解く方法をカナデ達に教えたのか、それもわからない。
やはりまずは13番目から始めるべきだ。
それと他の魔女達。
寝てる間に息の根を止めようとしたり、毒を投与しようとしたり。
起きていた時もいくつか心当たりがあった。
魔法が顔を掠めたり、抜き打ちテストをされて酷い量の課題を出されたり。
野外に連れ出され1時間くらい一人にされたり。
少なくとも9人の魔女からは悪意を感じていた。
そもそも異世界人がいれば、魔女など必要ないのでは? とも思う。
彼らは特別な力を持つ人は少なくても、一般人と比べられない程度に何らかの力を持っているのだから。
やはり魔女は殺すべきだ。
災厄の名を冠する魔女も含め、魔女が行ったという良い噂はあまり聞かない。
姫の思考は少しづつ己の形をくみ上げていく。
魔女を殺し尽くす、それは何故に?
魔女はそう、不幸を生み出している、ように思えるから。
『世の為人の為にその力と知恵を行使しより善い世界へ共に往くもの。』
それが姫の教育を務めた13人の魔女がみな口にしていた魔女の定義。
『人の為に』の中に自分が含まれていたかといえば、多分入ってなかったのだろう。
少なくともそんな口だけの魔女が13人中9人。3/4。
森を見て木を判断すると、やはり魔女は絶滅させたほうが良いという極論に至る。
で、それは何のために?
それは多分、不幸な人を増やさないで欲しいと思っているため。自分も含めて。
『人は自分の知っている世界のことしか知らないのだよ』
いつだったかカナデの口を借りたダンダリオンが言った言葉。
今の自分ではどんなに考えを巡らせてもこんな極論しか出せない。
カナデが嫌がるわけだ、なんとかして止めようとしているのは感じている。
それでもこのままではいられない、過ぎた刻も戻せない。
なら知るために、まずは進んでみよう。
途中、考えが堂々巡りをしてきたあたりで参考資料にと、本棚から持ってきた本を読みながら過ごしていると寝室にカナデがやってきた。
すでに着替えを終えている。
時計を見せられなかなかすごい時間になっていることにようやく気付く。
「まあベッドは一つしかありませんからね。浮浪者といえど床は可哀想ですし、半分くらいなら使わせて差し上げましょう。」
ニコニコなカナデ。これもカナデ流の優しさだと知っている姫も言い返す。
「掛布、全部持っていかないでよ?」
「おや? これは私のものですから、そんなことを言う権利はありませんよ?」
狭いベッドに入り込み、わざとらしく掛布をひっぱるカナデ。姫も負けじとひっぱり合う。
しばらくはそんなじゃれあいが続いたが、やがて静かになる。
「決めた。カナデ。私、明日行くよ。」
姫は意識が無くなる前にそれだけを伝えた。
カナデはまだ起きているはずだが返事はない。
多分これは悲しませる選択。
聞きたくない言葉。
だから返事は期待していない。
それでももしかしたら肯定してくれるかも知れないと思い言葉を待つ間に、姫は眠りについた。
姫が眠りについたのを感じ、カナデはそっと姫を抱きしめる。
姫がここに残ってくれたら、カナデの残り少ない人生はとても良い刻を過ごせるに違いない。
しかしその後は?
残る時間の全てを費やして姫が独りで生きていけるほどの何かを遺せるだろうか?
姫が今、前に進むというのなら、例え間違っていても行かせてやるべきではなかろうか?
こんなところで立ち止まってしまうよりは、誤った道を進む最中に足を踏み外し転落し善き道へ戻れることに期待するほうが幾分ましかも知れない。
カナデは自分にも選択肢がないことに気づく。
やはりダンダリオンの提案は間違ってはいなかった、とも。
今更になって消えない欲が出てきたことに後悔してしまう。
ずっとこの頭を撫でていたかった。
もっと早くこうしていればよかった。
翌日。
4時……姫がまだ眠っているのを確認し、カナデは顔を洗い外にある菜園の手入れを軽く済ませ、食材を少々調達する。
5時……姫がまだ眠っているのを確認し、契約の儀式の準備を始める。
6時……姫がまだ眠っているのを確認し、朝食を済ませダンダリオンとの打ち合わせを終える。
7時……姫がまだ眠っているのを確認し、不安になって抱きしめる。
<カナデ、キミが早起きすぎるんだよ! 大丈夫さ。そもそも姫は夜更かし大好きでいつも侍女も魔女も父君も母君も困らせていただろう!>
ダンダリオンが珍しくフォローに入るほどにカナデは心配していた、もしかしたらこのまま起きないかも知れない、と。
しかし心の隅で目覚めなかった時のことを考えていると、その思考が止まらず。
目覚めても引き留めたくなってしまう自分がいるのに気付く。
そんな複雑な心境のカナデのことなど知らぬ姫。
8時……ようやく起床。
顔を洗い朝食を摂り終わるのをカナデはずっと待っていた。
これが最後になるからと、ずっと見ていた。
姫は立ち食いの最中、テーブルの代わりにあるチョークで描かれた複雑な魔法陣を見てどうすればいいか理解していた。
「ごちそうさま。カナデ。始めてもらってもいいかな?」
「ではこの魔法陣の真ん中に血を少量落とし、こちらの定義文章をお読みください。」
姫は胸元の薔薇を抜く。
相変わらず痛みはない、しかし茎の先端から赤い血が床に落ち必要以上に大きな染みを創る。
カナデは険しい顔でその一連の動作を見ていた、そして自信も針で指を刺し血を落とし、2人の血を重ねる。
「……これ、本当に言わないとダメ?」
文言の書かれた小さな紙から目を逸らす姫、困ってる。というより明らかに恥ずかしがってる。
「聞いているのは私とダンダリオンだけですから、お気になさらず。」
そう言って血の魔法によって契約の魔法陣を活性化させる。今この魔法陣は異世界。魔なるものの領域と繋がっている。あちらからこちらの声を聴き、姿を見ることができる。
「はぁ……契約を欲する魔なるもの。刮目せよ、心して聞け。私が望むものはこの世界の全ての魔女を排除すること。これ以上、魔女が悲しみを生み出さないために、根絶やしにすること。差し出す血はここに、差し出す肉はこの右目。私は魔女を殺す魔女なるもの。名を『ノゾミ』。」
カエデが引き継ぐ。
「国の守護者たるもの。筆頭魔女 長瀬 奏は魔女ノゾミに契約の継承を望む。叡智の悪魔ダンダリオン。異議はないか。」
<承った。>
カナデの右目、悪魔の魔眼が発動。
黒い瞳は真っ赤に染まり。そしてその赤が剥がれ虚空へ巻き上がり消えていく。
同時にノゾミの瞳に痛みが走る。しかし目を閉じることはできない。
その青い瞳は赤色に染まっていく。
全てが赤く染まった時、事象はなりを潜め、青い瞳に戻った。
<ふふふふふ。これからはいつもずっと一緒だよ姫!!!>
ノゾミの頭に直接、癖のあるよく知るイントネーションの軽薄な声が響く。
「ちょっと!? なんでダンダリオン!?」
ノゾミは絶望的な眼差しでカナデに問いかける。
「魔女を狩るというのですから、必要なのは力ではなく智慧。ぴったりではありませんか?」
すごく良い笑顔のカナデ。ノゾミはようやく2人の策略に嵌められたことに気づく。
「わからないことがあればダンダリオンに聞いてごらんなさい。そんなのでも叡智の悪魔。頼りになりますよ。」
「ダンダリオン。契約の解除の仕方。」
<すまない。それはボクですら知ることが叶わない、世界の理なのだよ。>
絶望的な眼差しその2。
「さあノゾミ。お望み通り、魔なるものとの契約は完了しました。以降ここは好きに使ってもらって構いません。いつでも帰ってきなさい。『まだ』受け取れないものを受け取りに。」
「ダンダリオンちょっと黙って。カナデの声が途切れる。うん。わかった。」
ダンダリオンの念話を遮断するにはそれなりに慣れがいる。
「ただし、その時、私はもういないでしょう。」
ノゾミは今何を言われたのか理解できず停止した。カナデは続ける。
「元々とうに寿命を超えていたのを、契約による魂の力の増加とダンダリオンの薬学知識などで補っていましたから。契約が解除されたことではっきりと死期が近づいたのがわかります。もって数日でしょう。アナタが初めて殺した魔女、記念すべき一人目は私です。」
無表情でぽつりとノゾミが呟く。
「契約を戻して……。」
「嫌です。私も決めたことですから。ノゾミを一針刺しておこうと思いました。冗談は別として私のもっとも信頼するものを貴方に預けたかった。それとこれから間違った道を止まることなく進むであろう貴方を見たくなかった。貴方の望み、魔女殺しは叶いました今どんな気分ですか。」
意地悪だけど、悪意なく穏やかな顔でそんなことを言うカエデ。
ノゾミは俯いて唇を噛むことしかできなかった。
「さあ行きなさい。ここにいても貴方の未来の糧はありません。ノゾミが道の最中に足を踏み外して善き道に辿り着く幸運を祈っています。」
「……そう。それなら……殺した魔女のものを奪わないと、ね。そのローブ……頂戴。」
ようやく顔を上げたノゾミが途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「おや? そうきましたか。お目が高い。このローブは私が自分のために作った世界で1つの品。ノゾミは追い剥ぎに向いているかも知れませんね?」
楽しそうに応じるカナデ。羽織っていたローブを畳まず差し出す。透き通るように薄い羽織。暗い夜空のローブ。
受け取ったノゾミはまた俯く。ローブを抱きしめ顔を隠し無言。
小さく震えるその肩を見て、しかしカナデはノゾミには何もせず、魔法を使って用意しておいた肩掛け鞄を引き寄せる。
日持ちする食料と地図の写し、たったそれだけを詰め込んだ鞄を手に、じっと待つ。
静かに最後の時が過ぎ去った。ノゾミは勢いよくローブを羽織る。
「花開け。薔薇の杖。」
胸元の薔薇に命じ、杖を呼ぶ。
瞬時に小さく開花した杖がその手に収まる。
「追い剥ぎも結構ですが、まずはその日の糧を得ることも考えるのですよ。」
ようやく立ち止まることをやめたノゾミへカナデが鞄を渡し、入口へ向けて歩き出す。
遅れて、魔女殺しの魔女が歩き始める。そして追い抜く。
入口から望むのは雲一つない、眩しい晴れの日。
杖に横乗り。
「ダンダリオン。空を飛ぶ魔法。」
<いきなりは無理だよ! まあ滑空でも距離は稼げるだろう。もう少し右。もう少し、はいその方角。>
最後に一度、振り向く。
「……行ってきます。」
「いってらっしゃい。気を付けて。」
一人と一魂と一輪が空に飛び出す。暗い光の粒が軌跡を残し。東へ。13番目の魔女の元へ向けて。
「終わった。もう何も思い残すことはない。」
カナデはもう命が尽きていた。膝から崩れ落ち、前へ空へ、天へ。進んでいった。