第十話 西の暴風(1) -交差する望み-
一台の馬車が平原を進む。
御者を務めるのは中年の女性。
白いベレー帽をかぶり、黒い長袖のシャツの上に白いチョッキ、そして白い長いスカートから黒いタイツの脚が伸びる、そして白いマントを羽織っている。
白黒で統一感を持ち、ぴしっと着こなすそれは、制服のようでもある。
馬車の先には倒壊した家屋だったものが散り散りになった元集落がある。
程なくして馬車はその元集落に辿り着く。
馬車の中からもう一人、若い女性が降りて御者と並び元集落を歩き出す。
木の柱や木の板が飛び散っている場所に、たまに人や人の部品が転がっている。
血は乾いているし異臭もするが、腐敗はしておらず、この惨劇が今日またはつい最近のものと判断できる。
生存者はなし。
目ぼしいものも残っていない。
「派手にやってますねー。『西の暴風』は。」
「『魔女殺し』の手かも知れませんよ? 彼女の方は薔薇の杖を持ち闇を扱うという話ではありますが。」
若い女性が軽い口調で話し、中年女性が応じる。
「この人と家屋のミックスジュースは何度も見たことありますからねー。間違いないと思いますよ?」
「なるほど。慣れ、ですか。……こんなことができる化け物を二人で討伐できるのですかね。」
「まあ秘策もありますし? 実際に先日は『西の暴風』に手傷を負わせて撃退したそうですよ? 逃げ足だけは早いんだから。」
「なら『魔女殺し』の方が与し易いかも知れませんね。逃げられては元も子もありませんし。」
「2日前に寄った集落でおもしろい話があったじゃないですか。『氷の葬歌』を殺した『魔女殺し』を『西の暴風』が探してるって。案外共倒れしてくれるかも知れませんよ。」
「果たして、二つの災いが引く気もなくぶつかった時、遺体は残りますかね……私達はもう存在していないものを探さないといけなくなるかも、そうは考えないのですか?」
「悪魔の証明ですか? やーだなー。やっぱ二匹とも私達が取っちゃうのが一番ですね。」
はぁ、と深く溜息を吐く中年女性、随分とま軽く言ってくれる、と。
しかし、この軽口は彼女なりに緊張しているのだろう、二人はかなり長い付き合いだから、お互いの性格はよくわかっている。
この惨劇を実際に見ればわかる、これは人の業を大きく逸脱している。
肉を持ったまま事象の域に到達せしもの、災い、これほどとは。
中年女性は正直、出会いたくはなかった。
しかし命令が下された以上はやらなければいけない、居場所を失ってしまうから。
「他の班が当たるかも知れませんし、あまり気負わずに。そろそろ行きましょう。」
「はーい。次は2日ほど進んだ村ですね。」
御者を交代し、馬車は進む。
二つの災いの滅びを求めて。
「うーん。いないなー。黒髪長髪の若い女。」
その少女は転がり重なる木材の山を一蹴りで吹き飛ばし、その下にあるものを確認している。
「まあ本命はもう少し西の方だもんね。うーん。」
その村は小一時間ほどで家屋と人と家畜と土砂をミックスジュースされて地にぶちまけられた状態になっていた。
少女は右手に杖を、左手に大きな鞄を、その鞄の中には大量の食べ物や雑貨、金貨銀貨といった戦利品が詰め込まれている。
(『楽園』ちゃんと遊んでる間にあたしの『葬歌』ちゃんを……絶対に殺してやる『魔女殺し』。せめて玩具ぐらいにはなってくれるといいけど。)
一通り村の中を回ったが、少女が求めるものはいなかった。
仕方なく今日の寝床に戻るため宙に浮き移動する、戦利品の家屋に。
歳は15歳くらい、足首まである金髪は腰の位置くらいから強く赤身を帯びている。
見に纏う赤い服は漢服と言われる異世界人が生み出した服だ、腕や脚がよく見えるデザインが特に気に入っていた。
中央や楽園で手に入れた装飾品を耳や首、腕、手首に腰に指に足首と余すことなく身につけている。
さらにその手にある杖も金を使った装飾品としての杖であり、さらに穂先にじゃらじゃらと細かい戦利品を付けている、言葉を飾らなくて良いなら、下品と言えるくらいにジャラジャラだ。
「んー。あの村辺りで見張っとこうかな。近くに集落はもうなかったと思うし、楽園にいくなら絶対に通る道だもんね。よし決定。」
肉をとり水で流し込む。
そろそろ中央の料理が食べたいなと、少女はふと思う。
楽園では歓迎されず、さすがに食べ物まで頂く余裕はなかった、今は優先すべきものがあるが、いつかまたリベンジせねばと思う。
ころころころころ思考するものが目まぐるしい速度で変わる、少女は気分屋であり、速かった。
何よりも自由を望み愛するもの 名を『西の暴風』
ノゾミは大雪原の集落、集落の長の家でしばし身を寄せることになった。
集落の中で『氷の葬歌』ラヴィスがやっていた仕事はない、しかし、魔女の手が必要なところはある。
初日は集落の中で家を修理したり、狩りの道具や日用品の修理をしたり、仕事には事欠かなかった。
幸か不幸か、ラヴィスがこの世を去って、表立ってノゾミを責めるものは集落にはいなかった。
決してラヴィスの存在が軽かったわけではない、ラヴィスがいなくなってしまったからこそ、使えるものは使っておこう、その程度の感覚だとノゾミは思っていた。
時折突き刺さるような視線を感じる、決してみんなが納得しているわけではないとわかる。
ただこの地は、悲しむ暇も与えてはくれない、そしてそれをみんな知っているだけだった。
昨日よりは今日、今日よりは明日を見据えた、現実をしっかり見据えた選択。
多分それは正しくて、賢い大人の選択なのだろう。
それでもノゾミはラヴィスがいなくなってもつつがなく回っているこの集落が、少しだけ嫌だった。
「ねぇダンダリオン。」
<なんだい? 姫。>
「ラヴィスは何か悪いことをしてた? ずっと頭の中でぐるぐるしてるの。あの子は人を想って、望まれてその力を行使した。それは間違いなく善き魔女の生き方。……私はあの子を殺してはダメだったんじゃないかって。」
<答えよう。姫は間違ってはいない。歴史を紐解いても人が蘇った事例などない。>
<むしろ魂を死肉に留めることは、その魂を歪める行為だ。>
<歪んだ魂は屍肉を動かし、人を呪う。何もかもが歪な存在が生まれてしまう。>
<死肉ゆえに記憶ももたず、歪んだ魂ゆえに心も持たず。魂の解放を求め、自身の滅びを望み、人を呪う存在。>
<彼女の在り方もまた正しかった。しかしその行為は禁忌に値するもの。彼女は知らなかったのだろう。>
「もし知ってて、それでもなお奇跡を望んでいたのだったら?」
<持っているものが足りなかったのだろう。奇跡を起こす運命ならば、倒れたりはしないさ。>
「私も、奇跡というものを信じてみたいって言ったら、どうする?」
<姫が決めたことならば、ボクは従う。ボクは姫の悪魔だからね。ぜひ見せてくれたまえ。ボクだって見てみたい。>
少しだけ気が楽になった気がした。
この世界には絶対に正しいことなんて少ないんだろう。
もやもやはする。
それでも間違っていたわけではない、と言ってくれるものがいる。
ならば、今、これ以上考える意味はない、下手な考え休むに似たり、だ。
さあ次の家を尋ねよう。
そして荒天へ。
そして3日ほどの足止めを受けるノゾミだった。
「……。お邪魔します。」
「おかえり。寒かっただろ。」
「いえ。」
吹雪の中を、昨日請われた通り家をまわり仕事をこなし長の家に帰る。
長はいつも必ず迎えの言葉を言ってくれた。
きっとそれはいつもラヴィスに向けられていた言葉。
自分が受け取るべきではない言葉。
長もノゾミを責めるわけではなかった。
それでもラヴィスの話を聞かされると複雑な気持ちになる。
顔を俯け、ただ聞くことしか出来なかった。
長がラヴィスを殺したノゾミをどう思っているのか、計りかねた。
「明日からは天気も落ち着くだろう。挨拶はいらない、行ける時に行きなさい。」
「はい。」
「……だから今日は、土間ではなくきちんとベッドで寝なさい。万全の調子でなければ『西の暴風』の相手はできない。」
「いえ。問題ありません。必ず殺します。」
しばし無言の後、長がノゾミへ向かってくる。
今の態度は自分でもよくないと思っていた。
腕を掴まれ、そのまま奥の、ラヴィスの部屋と思わしき部屋まで引きずるように連れていかれる。
「何を拗ねているのか知らんが、この集落の命がかかっていると言っても過言ではないんだ。力のない私達は、キミに期待するしかないんだ。」
なすがままにベッドに放り込まれる。
「彼女を殺した責任……。」
「ああ、そうだ。そう取ってくれ。」
そう取ってくれ、と言われた、つまり、本心は別にある。
ノゾミは鞄からヒビの入ったランプを取り出し火を灯す。
修復できなかったし、残りの油もあまり多くはない。
しかし『西の暴風』との戦いでは相性が悪すぎて使う気はない、ダンダリオンからもそう推奨されていた。
ならばここで使い切ってもいいだろう。
「少し話を聞かせてもらってもいいですか?」
ベッドに腰掛け、明かりをつけて、ノゾミはそう切り出してみた。
長はイスに座り応じてくれた。
「…………。ラヴィスを殺した私を貴方がどう思ってるのかがわからなくて、さっきはそれであんな態度を。ごめんなさい。殴られると思ったし、殺されても仕方ないと思ってました。なのに貴方は、そう取ってくれと。出発前に貴方の本心を聞かせて欲しいと。もやもやしてて。」
「恨んではいない、それはみんな同じだ。あの子がやることを誰も止められなかった。それがこんな形で止まったことで、みんな複雑な心境なんだ。」
ラヴィスの一家は元々は中央の名のあった音楽家の系譜であった。
父方が楽器作りを、母方が演奏をしていたそうだ。
しかし異世界人の台頭により、時代がかわった。
異世界人の見せる文化は、異質であり、新しく、人の心を掴んでやまなかった。
栄えるものあれば衰えるものあり。
ラヴィスの家も例外に漏れず、没落していった。
それでも彼らは一度は自身を音楽家と定義した家系であった、各地を転々として新しい音楽を作り続けていた。
そしてこの地で、ここは元々は村だった、そこでラヴィスは生まれた。
そしてまだ幼少の頃、楽器の演奏をしていて事故が起きた。
習ってもいない魔法が発動した、ラヴィスには才能があったと発覚した。
その時ラヴィスは氷のソリに乗って、攫われるようにあの丘へ行ってしまったという。
一番最初にラヴィスの両親が飛び出して行った、追いかけるように村の男衆も捜索にあたった、しかしラヴィスを見つけた時、その両親はすでに氷の中で息絶え、ラヴィスはその前でうずくまっていた、捜索2日目の出来事だった。
それからラヴィスはあの丘に通っていた。
そしてあの丘の氷墓を見つけた異世界人が始まりだった。
『彼女の力があれば、ここでならコールドスリープが可能かも知れない。』
その噂はまことしとやかに囁かれ、人々はあの丘に、ラヴィスの元に骸を預けていった。
彼女の魔法を見て噂を確信したものたちが名付けた、『氷の葬歌』と。
しかし屍肉の存在を知るものからすれば、その行いは禁忌。
それらが合わさり、彼女の名は災いを冠するものとして、世に広がっていった。
同時に、それまでラヴィスを氷墓に縛り付けていたものが、両親だけでなくなった。
次々と、次々と、ラヴィスを縛る骸は増えていく。
それを止めることができなかった。
ラヴィス本人も、村のものも、長も。
「そうこうしてる間にやってきたのが『西の暴風』だ、この村は一度滅んだんだ。辛うじて生き延びれたのはあの子のおかげだ。」
「ごめんなさい。もっと私に力があれば、あの子を縛るものを断ち切れたかも知れないのに。」
「……。わかった。どうにもキミには言い方を変えた方がよさそうだ。いいか? キミは傲慢すぎる。キミもラヴィスと大して変わらない年齢だろう? 大人が束になってもできなかったことが小娘一人にできるものか。第一、氷の葬歌はキミよりもずっと強い。世界に愛されていた。キミが氷の葬歌を倒せたのはまぐれにすぎない。……。ああ、そうだ。」
一度言葉を切り、続ける長。
「あの子は世界に愛されていた。キミも知っているだろうあの子の力を。だから世界が私達から彼女を取り上げたんだ。こんな集落にはもったいない、もっとふさわしい場所がある、私達よりももっと、もっと、あの子の力を必要とするものがいる。そう、彼女はこの世にひとつしか存在できない事象なのだろう。だからキミに倒されたのは、それが世界が選んだことだったからなんだ。」
「……そうかも知れませんね。私なんかより、あの子のほうがずっと。」
「自分を下卑する必要はない。うん、ああ、きっとそうに違いない。あの子はここにはいなくなっても必要とする誰かの元へ行ったんだ。だから、キミが気に止む必要はない。わかったかい?」
頷くノゾミ。
「だからキミは今日はここでしっかり休みなさい。話せて良かったよ、すっきりした。流石は魔女だな。キミはどうだ?」
「ありがとうございます。……救われた気がします。」
なんだかすごく納得してしまった。
望まれたから、別の場所へ行くために、あの子は最後の時を受け入れたんだ、と。
世界に愛された子、雪と氷に愛された子、彼女は今どこにいるのだろう。
またきっと会える、そんな気がした、長のおかげでもやもやが晴れた気がする、さすがは大人だ。
もういいかい? と長に言われ頷く。
長は晴れ晴れとした顔で部屋を去った。
残されたノゾミは休む前に机の上の気になっていたものを見てみる。
それは一冊の詩集だった、全てのページに捲れ癖がついていて、重石で無理矢理押し付け本の形にされていた。
それとたくさんの紙、歌が書き綴られていた。
<先日アムドキアスと詩集の交換をしてね。そこにあるものは氷山の一角にすぎないよ。その読み込まれた一冊の詩集を元に、替え歌から始まり、少しづつ彼女の唄が作られていく様を見せられるようだった。>
「……。なら何か一曲歌ってみてよ。」
<それはダメダメだよ。畏れ多くも『氷の葬歌』の歌をボクなんかが穢してよいわけがないっ!>
「さては詠えないんだね?」
<さあ姫。そろそろ休みたまえ、明日は一日全力で飛ばし、その後は細心の注意を払って、余力を十分にもって進まないといけない。……次は勝てるかわからない。せめて全力で当たれるようにすべきさ>
誤魔化された気がする。
なら今日は大人しくベッドを借りよう。
畏れ多くも氷の葬歌のベッドだ、なにかご利益があるかも知れない。
ランプの灯火を消し、ノゾミは数日ぶりに穏やかな夢の時を迎えた。




