第九話 氷の葬歌(1) -大雪山の歓迎-
「ねぇ、ダンダリオン。」
<なんだい姫。>
「私が望めば、一緒に死んでくれる?」
<勿論。ボクはいつだって姫と共にある。ボクは姫の悪魔だからね。」
数m先が見えない。
時間的にはまだ夕方のはずなのに、夜のように暗い。
それは陽光が分厚い灰色の雲に遮られているから。
真っ白な雪は風に乗って、ノゾミに纏わりつく。
まるで闇の魔法のように、命が奪われてゆく感覚。
じわじわじわじわ、自身の身体が弱っていくのを感じるノゾミは、ダンダリオンとの会話で意識を繋いでいた。
それももう終わりが近い。
<だから言ったのさ。天候が悪いからしばらく待とうと。雪山を進むには悪くない時期だが、天候がよろしくないと。>
「正直に言うわ。山を侮ってた……。」
中央地域サンプレセント共和国にて魔女イザベラからの言伝とギルド『フリーデン』の魔女から情報を貰ったノゾミ。
『魔女の楽園』へ向かうため、進路を南南西へ。
大雪山を西へ向かうルートへ足を踏み入れた。
中央から真っ直ぐ進むと、災いを冠するもの『西の暴風』の狩場を通ることになるから避けなさい、という助言だった。
しかしこの大雪山ルートも『氷の葬歌』の支配域だと言う。
どちらの魔女も災いの名で知られるもの。
魔女殺しの魔女を名乗るノゾミにとって、いずれは刈り取るべきものであり、恐れることはなかった。
依頼の報酬でノゾミは雪山に備え買い物を楽しんだ。
分厚い羊毛のマント、ランプ、大量の保存食。
助言通りに買い揃えた、しかし羊毛のマントは嵩張るしなかなか重かった。
ランプはこじゃれたお店のショーウィンドウの品に一目惚れしてしまった。
小さな筒状のランプだが天板に大きな猫が掴まりぶらさがってるような装飾があり、とても可愛らしかった。
迷わず掴みとる、銅製のそれは手頃な重さでもあり実用面でも気に入った。
支払いの際に製作者の名前が底に記されていると説明を受ける。
店の外に出てさっそく鞄にぶらさげるついでに底を見てみる。
『レジーナ』と名前がある、なるほど、これはきっと何かの巡り合わせだろう。
あの魔女は私がいつか選択を求められた時、それを特等席で見させてもらうと言い残し、先に行った。
何か運命的なものを感じた。
そして名も無き村から届いたオレンジ色のスカーフを枯れ木の枝にくくりつけてあげた。
杖も気に入ってくっれたのか、以前に比べ魔法の出力が上がった。
スカーフに顔を埋めると、ほんのり蜜柑の匂いがする気がした。
こうしてノゾミは準備を整え大雪山に点在する集落を進むことになる。
一面の銀世界がノゾミを待っていた。
降り注ぐ陽光が雪原を貫き、一面が白に輝く世界。
葉のない木々と命の気配の少ない景色は少し寂しく。
この世界を独り占めしているような、この世界に独り取り残されたような、言葉にできない感覚だった。
雪自体は故郷でも見たことはある。
深い森が雪化粧に染まっていく様はとても珍しく、いつもいつも興奮していた。
特別な日に思え、何か起きるのではというあの非日常感がノゾミは大好きだった。
しかし大雪山に入り2日目、空模様は荒れ、重い雪が降り出した。
そこでダンダリオンに助言を受け、無視して飛び出したノゾミだった。
そして今に至る。
<さぁ姫。そろそろ真面目にやろう。時間的に次の集落に辿り着くのは絶望的だ。今日はここらで一泊しよう。>
「ごめんね。いつもならもう少し飛べるはずなんだけど。」
曇り空が気分に影響を与えたのか、ノゾミは調子が良くなかった。
そして雪が降る中を飛ぶのも、思った以上に難儀した。
風に乗り空を飛び、風を纏って雪と冷風を退け、ランプの灯りを強くして暖を取る。
しかし視界までは確保できない。
どこを向いて飛んでいるのかわからず不安になり、自然と速度は落ちたし、対策を取っていても上空は冷たく寒くて、体力の消耗がノゾミを不安にさせる、まさに悪循環だった。
仕方なく地上に降りたが、視界の確保はままならず速度は落ちる、飛ばない分の魔力を寒さ対策に回してもこれでは意味がない。
打開策を見出せないまま、魔力の消耗が深刻な域に達してしまった。
<仕方ないさ。むしろよくここまで進んだものだ。普通なら集落を出て1分も経たずに引き返しているよ。では右前方を見たまえ。あの斜面に穴を掘りそこで一晩やり過ごそう。>
ダンダリオンに褒められ、言われた通り斜面に魔法で横穴を作る。
それはもう雪洞とは呼べない、お一人様用の洞窟ができてしまった。
それでも冷えるものは冷える。
闇の黒針で空気穴をいくつも開け、入り口を雪で塞ぐ。
水を操り退けさせ洞窟の中をいくらか乾燥させる。
後はランプの灯を弱く大きくし体全体が暖まるようにした。
手早く保存食の肉を炙り頂く。
水にはまったく困らない、しかし大量の熱湯を作るのは今の消耗では不可能だった、こんな時こそあったまりたいのに。
仕方ないので飲用のお湯を作るだけに留める、しかし、ただ暖かいだけのお湯のなんとおいしいことか。
ほどよく暖まったのでランプの光量を落とし油の消耗を抑え、代わりに魔力で補強して夜の番を頼んだ。
明日は晴れてるといいのだけど。
よほど疲れていたのだろう、明日の事をあれこれ考える前に、ノゾミは眠りに落ちた。
明くる日は雲はあるものの青空の方が多かった。
ノゾミは自身が気分屋だと改めて思った。
天気が良いと気分が良い、気分が良いと魔力の回復も大きく早い。
こんな気分の良い朝なのに昨日の疲れが少し残っている、これはもう朝風呂にするしかなかった。
すでにある横穴を少し縦に掘れば完成だし、水は腐りそうなほどあるのだから。
それに寝ている間にマントはじんわり湿っている、万全の状態で行くべきだ、と自分に言い訳をして、こんな場所にお風呂を作り出すノゾミだった。
お湯につかり、衣類も乾燥し、お腹も満たされ、その間に空の雲が減り最高の状態になっていた。
ノゾミは空高く魔法で飛び上がる。
昨日の後半はダンダリオンですら現在地がわからない状態になっていた。
悪魔の魔眼を発動させ周囲を確認する。
<ふむ。少し南に逸れているかな。北北西に進路をとりたまえ、右右、まだ右。>
少し飛ぶと白と白の間に僅かに緑が見え、続けて茶色が見えてくる、立ち寄る予定の集落だ。
昼前に到着できたなら仕事もすぐ見つかるだろう、今夜は屋根の下で眠れそうだ。
集落に降り立つとすぐに若い男性が寄ってくる。
「おや、魔女かい? 珍しいな。どうしたんだ?」
「西の『魔女の楽園』を目指しています。今日はここで夜を過ごせればと思うのですが、何か仕事があれば手伝えます。」
ここに来るまでにもう2回もやったやりとり、ノゾミも手馴れてきていた。
「……ふむ。ならこっちへ来てくれ。薪の調達を頼みたい。」
若い男性は鋭く辺りを見回し、急かすように言う。
何を企んでるかはわからないけど、ひとまず交渉成立。
かと思ったその時、声が割り込んできた。
「こんにちはおねーさん。良かったら私の仕事を手伝ってくれないかな?」
ノゾミの後ろから、大きなカバンを持った女の子が走り寄ってきた。
「見つかったか……仕方ねぇ」
見つかったか?
何かやましい事でもあったのかな、と思うものの、すでに若い男性は背を向けていた。
「私はラヴィス。これから雪原の方でお仕事があるんだけど、おねーさんに手伝って欲しいんだ。少し歩くことになるけどどうかな? お代はご飯付きで一泊!」
「魔女殺しの魔女 ノゾミ。いいよ、何をすればいいの?」
ノゾミより僅かに背の高い女の子。
アクアマリンと言うに相応しい綺麗なミディアムストレートの髪、紫色の瞳。
鮮やかな色のキルトのポンチョを羽織り、下は寒そうな半ズボン、ニットの靴下に革の靴。
屈託無く笑い、距離がとても近い。
まるで猫みたいだ、尻尾が生えてるんじゃないかと思うほどに。
歳はわからない、ノゾミより下だと思うけれど、どのくらい下かがわからない。
「ふふ。それは着いてからのお楽しみさ。さっそく行こうと思うけど、いいかな?」
多分、ラヴィスはもう出るところだったのだろう、そこへちょうどノゾミが通りがかった、というわけだ。
ラヴィスに頷き返し歩き始めるとラヴィスはノゾミの隣に並んだ。
「それにしても物騒な名前だね? そんな名前を名乗ってると、『西の暴風』に食べられちゃうよ?」
もしかすると話し相手が欲しかっただけなのかも知れない、珍しい事ではない。
集落となれば人も少なく、日々の生活で手一杯、毎日同じ顔、毎日同じ仕事。
刺激が欲しいだけ、他所の話を聞きたいだけ、客人が珍しいだけ、なんてことが1回目の村ではあった。
それよりも……。
「西の暴風を知ってるの?」
このあたりは氷の葬歌の支配域のはずだ、何か関わりでもあったのだろうか?
「有名人だからね。あの魔女に滅ぼされた村や集落がいくつあるかわかんないもん。氷の葬歌とも何度もやりあってて、この辺りの集落が消えたこともあったらしいよ!」
「二人ともどんな人なの?」
「ごめんね。そこまでは私も知らないの。生き残る人がすごく少ないし、他の集落まで生きて辿り着く人も滅多にいないんだって。」
「本当に、災いでしかないのね……。」
ラヴィスの話を聞いてノゾミの声が暗く冷え込む。
「……ノゾミはもし災いを冠するものと会ったら、殺すの?」
隣を進むラヴィスが前に回り込み、変わらぬ笑顔でそんなことを尋ねながら、ノゾミの顔を覗き込む。
「うん。貴方の話を聞いて確信した。人を不幸にするだけの魔女なんてこの世に必要ない。私はそう思ってる。」
「ふふ。ノゾミは頼もしーね? なら魔女にばったり出くわしても安心だ。」
もしも災いと、今出会ったら、この子をどうやって守ろう。
そんなことを考える暇もなく、ラヴィスの話は続く。
少し楽しい雪原道中が始まった。




