第八話 蠱毒なレジーナ(3) -大切なものがまた一つ-
ヘンリー伯爵からの依頼。
息子のオズワルドが同い年くらいの女性と交際できるように、教育係の魔女レジーナを引き離したい、ので当て馬になって欲しい。
というような依頼だった気がするノゾミ。
中央地域にあるサンプレセント共和国の郊外、南に少し飛んだ場所にある小さな森でノゾミは朝食を取っていた。
赤い果実に芋、そして食べられる野草を煮たもの。
食器すらない、魔法で全て宙に浮かせ手掴みである。
今日は豪華な食事だった。
こうして街を経験すると魔女が森に住む理由がわかる氣がする。
食べるものに困らない、眠る場所も、眠っている間の守りも便利さや快適感を犠牲に得ることができる、お金が必要ない。
〈それにしても姫はチートだねチート。なんなんだろうねその魔力の多さと回復力は! イチド姫の身体をじっくり隅々まで調べてみたいよ! 明らかに普通ではないのに理由までわからない。この!僕がっ‼〉
「……ねぇダンダリオン。」
〈なんだい? 姫。〉
「……結局、誰が悪かったんだろう。」
ヘンリー家での体験はノゾミにも多くの影響を与えていた。
悪いものがいれば、それを片付けることで済む。
なのにヘンリー家の件は、この2日間、森で過ごし考えてもわからなかった。
侍女、特にクレラ、彼女がオズワルドに恋をしたのが悪かったのか。
レジーナが侍女たちの味方をしたのが悪かったのか。
オズワルドがレジーナの魔法にかかったのが悪かったのか。
伯爵がみなと話し合いをしなかったのが悪かったのか。
夫人、リズが伯爵家に迎え入れられたのが悪かったのか。
レジーナがリズを殺してしまっても、伯爵は見てみぬふりをした、侍女たちはどうだったんだろう?
誰もが悪くない気がする。
考えても結論が出ないのはわかってても、どうすればみんなが幸せになれたのだろう、ノゾミ自身に何かできることはなかったのかな?
「どう思う?」
〈そんなの簡単さ。みなが人という低次元な肉に宿る魂として産まれてしまったのが悪い。〉
「そういうのを聞きたいんじゃなくて……。」
〈人とはそういうものなのさ。低次元な魂はああして時に試練を受け、時に幸せを得て、揺れる感情が魂を洗練し傷つけ、欠けて埋めて、少しづつ高次の魂へと昇華していくのさ。〉
「ダンダリオンにもそういう経験が?」
〈覚えていないんだ。僕の書棚にはダンダリオンの生誕という本はない。気づけばボクはこう在った。〉
魂が洗練されることで魂だけの存在へ昇華し、魔なるものや事象に至る。
「いつか私もそうなるのかな。」
〈姫がボクのように無数にいて、ずっと傍にいるなんて幸せすぎてボクどうにかなっっちゃいそうだよ! いつかはわからない、成れるとも限らない。それはこれからの、姫の魂の長い旅の果てに存在する情報だ。ボクにはわからないさ。〉
「話をそらされている気がする。」
〈姫はあの時、あの時の姫にできることはやった。感情の赴くままに行動した。その結果は受け入れるべきだ。終わってしまったことに対し、もしああすればと考え都合の良い未来を想う、それは楽しく、幸せに満ちた夢を見せる。その夢に囚われてはいけない。大切なのは次さ。このダンダリオンでも時を戻す方法なんて知らないからね。イザベラの手掛かりがあるとわかった、さぁ次はどうする姫?〉
ダンダリオンの言うとおりだった、こうして今、ノゾミは無為に時を過している。
変わらない過去と合ったかも知れない未来を夢見て。
「ギルド『フリーデン』で情報を募る。そのためにはお金がいる。ギルドへ行こう。」
朝食を終え、ノゾミはすぐに飛び立った。
そろりそろりと忍び足で、ギルド『フリーデン』の二階へ上がるノゾミ。
よくよく考えると頼まてた仕事を放棄して帰った。
普通に考えて、怒られるどころでは済まないはず、何か対価を求められるかも知れない。
仕事を受けた時の老婆でなければ、大丈夫かも知れない。
そう思ってそろりそろりと様子を見に行く。
もしかすると、この2日ほど森で過ごしていたのは、これが原因だったのかも、なんて考えるノゾミ。
できるだけ隠れて二階へ来たつもりだった、しかし、ばっちり目があった、前回、応対してくれた老婆。
少し硬直したノゾミはそっと下がろうとする。
「見えていますよ。また逃げる気ですか。とにかく上がってきなさい。話があります。」
ダメだ、逃げ切れる感じではない。
観念したけども、目は合わせないように何事もなかったのを装って無表情でカウンターへ進む。
はぁー
と老婆が深いため息をつく。
「お座りなさい。ヘンリー伯爵の剣、お疲れさまでした。よくやってくれましたね。」
言われるままに着席するノゾミ。
何か予想していた天開とは違う。
「ヘンリー家の魔女の殺害、侍女への暴行、屋敷が被った魔法による被害、依頼の途中放棄……。」
甘かった。
自分がやったことをずらずらと並べられて、着席してしまった自分を恨み、目を逸らすことしかできなかった。
「本来は投獄ものですが、全て不問とするそうです、良かったですね?」
そう言われ、目の前に銀貨が積まれて置かれる、封筒……手紙と一緒に。
「報酬と、これは依頼人からではありませんが、あなたにと預かっています、魔女アンプローズ。」
手紙を手に取り、受付の老婆を見る。
深く頷き、ペーパーナイフを置かれる、読んでいいということだろう。
表には親愛なるアンプローズへ、と記されている。
裏にはオズワルド・ヘンリーの名が記されていた。
開けてみると一枚の紙面、内容は───
親愛なるアンプローズ。ではなくノゾミへ。
お元気でしょうか? あの夜、言葉を交わすことなく君を見送ってしまったのが心残りです。
あの後、父と侍女長を交え、ことのあらましを全て聞き出しました。
あのような依頼を受けていただきありがとうございます。
そして父に代わり謝罪します。
一体何故こんなことになったのだろう。
私には何かできることはなかったのだろうかと考えてしまいます。
父は母に対してどうすることもできず、ただただ悩んでいた。
予想される最悪の未来を、レジーナが母に死を与えることで父を救ってくれた。
母との思い出が汚れる前に、綺麗なままで別れを迎えられたことに父は感謝すらしたそうです。
しかし思い出が綺麗なまま残ってしまった故に、父はレジーナを受け入れることが出来ませんでした。
そしてそれを機にレジーナと侍女長の絆は深まったそうです。
父がまた女性と縁を結べば、同じ悲劇が繰り返されるかも知れないと、侍女長はレジーナと父を案じ、近寄ってくる女性を追い払いました。
そして侍女の中の数名の内心を汲み取り、私に近寄る女性をレジーナと侍女長が追い払っていたそうです。
レジーナの人を惑わす香油は、父や私にも使っていたそうですが、これは違うと気付き、いざという時に女性を追い払うために使っていたそうです。
あくまでも私達に振り向いてほしかった、その心を摑み取りたかったのだと、侍女長が話していました。
レジーナの服装は私に対しては毒として作用すれば、侍女たちの機運が高まるのでは、と考えていたそうだと侍女長は語りました、あれは本当に目のやり場に困りましたね。
クレラのことですが、彼女はレジーナに手解きを受けていたそうです、しかし弟子というわけではなかったそうです。
あの夜、ノゾミも聞いたかも知れませんが、今クレラは魔女にはなりたくないし、侍女のままでもありたくないと言っています。
それを知った父は、少し早いと思うのですが私に家督を譲り隠居なさるそうです。
侍女長も長年の不敬の責任を取り辞職しました、といっても父が引き止め、今はレジーナの部屋でしばしの休息を取っています。
そして私の付き人として件のクレラが選ばれました。
父もそうでしたが私も優柔不断な所があるようですね、彼女の気持ちを知りながらも私はまだ何も行動ができずにいます。
さてノゾミはこれからどこへ行くのでしょうか?
我が家には今、魔女が不在です。
これからは、魔女の代わりに文明の利器が台頭してくるでしょう。
それでも今はまだ色々と不便に感じます。
クレラの件で助言が欲しくもあります。
我が家のものは誰一人としてノゾミを恨んではいません。
父も侍女長も、母やレジーナに対し負い目がありました。
これでよかったのだろうかと、みなが思っています。
しかしみな肩の荷が降りたのでしょう、気が抜けたような穏やかな時が流れています。
もしも。
もしも行く場所がなければ、ぜひ我が家の魔女として迎え入れたいと思っています。
侍女長もクレラも他の侍女たちも、父も、もちろん私も、そんな日が来るのを楽しみにしています。
旅の中で何か困ったことなどがあれば、なくても気軽にお立ち寄りください。
元王女でも魔女でもなく、一人の友人として、またお会いできる日をお待ちしております。
オズワルドからの手紙には近況が記されていた。
少しだけ、少しだけ、救われた気がした。
「では報酬の受領確認のためにこちらの用紙にサインを。」
読み終わるのを黙って待っていた受付の老婆が一枚の紙とペンを差し出してくる。
サイン。
一文字。『希』と記す。
「アンプローズではないのですか? 名を使い分けるのは事情がおありと思いますが、あまり感心しませんね。異世界人の方でしたか? これはなんと読むのです?」
サインを確認した老婆に尋ねられる。
「ノゾミ、です。一番好きだった師が異世界人で、教えてもらいました。希望の希とも読むそうです。」
ふむ、ならば、と。
老婆はその足元から小包を出してくる。
「魔女ノゾミへ。ここから北西にある名も無き村のものからの依頼です。あなたに届けてほしい、と。最近その村には神木と呼べるほどの大樹が突如として誕生したと噂になっていますが、もしかしてあれも貴方の仕業ですか?」
「あー……はい……。」
大きく視線を逸らすノゾミ。
しかし老婆の誤魔化せそうにない、確信を持つ視線に観念し応える。
はぁー。
と、また大きなため息をつかれた。
小包を開けてみるとオレンジ色のスカーフが入っていた。
『ネーブルの果実で染めあげました、魔女殿は杖をエレノア様に預けて行かれましたね? 新たな杖にもネーブルの魂が共にあらんことを。旅の無事をお祈りしております。』
名も無き村の村長からだった。
そういえば、あの村もなりゆきとはいえ無言で出てきてしまった。
思い出して髪のリボンの存在を確認する、元気かな。
「あの……。」
「なんでしょう?」
今は報酬が、お金がある。
そしてこの人は苦手な感じはするけど、善い人そうだった。
だから聞いてみる。
「えーっと……この手紙を保護できるような丈夫な袋とか、ありませんか?」
「その報酬があれば貸倉庫や銀行に預けることもできますし、お家に金庫を買うこともできると思いますが?」
「その、家はないんです。私が持ってるものは身につけてるもので全てで……預けるのではなくて、手元に置いておきたいのですが……。」
はぁー
とまた大きなため息をつき、老婆は奥に行き茶色の分厚い紙を持ってくる。
「ギルドで使用している重要機密を運ぶための封筒です。神木の樹皮で作られています、魂の宿る品です、魔法を使うことである程度は頑丈になります。……一枚くらい減ってても気づかないでしょう。持っていきなさい。」
「……えっと? ありがとう……ございます。」
何か恐ろしいものを貰った気がする、本当にいいのだろうか?
「ちなみに買うと銀貨30枚にはなります。」
2通の手紙をもらった封筒にしまおうとしたところでノゾミは固まる。
「その手紙、大事になさい。」
「はい。……それでこの報酬を使って人探しの依頼をしたいのですが……。」
それを聞いて老婆は黙り込む。
しかし沈黙は脩くは続かず、口を開いた。
「幸薬の魔女イザベラから貴方へ言伝があります。『魔女の楽園に行く。』と。」
ノゾミの緩んでいた顔が、その名を聞き引き締まる。
その目は鋭く暗く、老婆を、その言葉の先にいる人物を射抜くように吊り上がる。
老婆は顔を曇らせ俯きながらも地図を広げる。
「イザベラは今、大切な依頼を抱え、あの危険な地『魔女の楽園』へ向かっています。災異を冠するもの『楽園の主 アルテミシア』が創った国。彼の地では多くの人の心を操る危険な実験をしている気配があります。できることならイザベラに力を貸してあげて欲しいところですが……。」
言葉を切り、ノゾミの顔を見て、それは不可能と判断した老婆。
「魔女の楽園はここから西南西、旧ドルニオンを滅ぼしその跡に創られた国です。一直線に行けばニ週間ほどで着くでしょう。しかしそれはオススメしません、見ての通り集落も村もありません。一度南へ下り、集落を渡っていくほうが良いでしょう。」
「どうして村も集落もないの? そのあたりは南に比べればずっと住みやすい地域だと思うけど?」
ノゾミの低い声の反応。
その声に不満の色を感じ、老婆は正直に言う。
「そのあたりは『西の暴風』の狩り場のようなのです。いくつもの集落が生まれては消えていきました。対して南は環境も厳しく、『氷の葬歌』の支配地域と言われています。力を持つもの同士、惹かれ合うのかも知れませんね。しかし南には村が確認されています、『氷の葬歌』のほうがまだ与し易いでしょう。」
災いを冠するものが3人、この先にいる。
魔女殺しの魔女を名乗るノゾミにとっては望む道だった。
「……せめて防寒具やランプは用意していきなさい。……止めても行くのでしょう?」
「うん。……色々とありがとう。でもここで立ち止まるわけにはいかないから。……行ってきます。」
老婆を安心させようとして、感謝を込めて笑顔で別れを惜しむ述べ、ノゾミは振り返ることなく去っていく。
「行ってらっしゃい。……気をつけて。」
去りゆく背中に投げかけた声は届いただろうか?
客が去り、また静寂に包まれるフリーデン二階。
「ねぇカナデ。ずいぶん型破りだけども、姫様は立派な魔女になりつつあるわ。国がなくなっても新しい人生を力強く歩まれてる。相変わらずすぐ逃げるし、目をそらすし、苦手に思われてるようだけど安心したわ。……仕方ないこととはいえ、あの暗い影さえ振り切ればきっと、後世に名を残す魔女になれる。姫様とイザベラが手を取り合ってくれることを祈っているわ。」
2番目。次席魔女クラリスは今は遠き友人を思い呟いた。




