第八話 蠱毒なレジーナ(1) -女の戦い-
昼下りのヘンリー邸。
今朝方約束した通り、昼食を終えオズワルドはノゾミを庭園に連れ出した。
屋敷を一周するように植林がなされ道が舗装されている。
一年を通して気候が大きく変動する中央ではその時その時にしか咲かない花があり、一年を通して屋敷内に常に彩りがあるように計算されて作られている、と説明して歩くオズワルド。
確かに街の中に比べると、ここでは多くの魂の匂いがする。
そしてノゾミの祖国、大陸西側ではみたことがない植生もあり、思った以上に楽しんでいる。
はずだった。
脚が重い。
オズワルドはゆっくり歩いている、それでも置いていかれそうになる、一歩後ろをついていくのが精一杯だった。
「…………!」
小さな声でもないのに、時折話が聞こえず聞き返すことになり会話のテンポも悪い。
「アンプローズ嬢、どこか具合でも悪いのだろうか?」
「あ、申し訳ありません……。故郷の植生に似ていまして、家族は元気かなって考えておりました。」
そろそろ苦しい言い訳のレパートリーは尽きそうだ。
それにさっきから踏み出す脚が土に沈むのだ。
泥ほどではないが、土が恐ろしく柔らかくなっている。
雨が降ったわけでもないのに……。
ふと気になって、試しにオズワルドと同じ場所を踏んでみて確信する。
硬かった、これはつまり……。
ノゾミが踏む場所だけが柔らかい。
こんなおかしな事象、魔法以外にありえない。
陰湿で地味な、これは疲労を狙う攻撃かもしれない。
疲れるのは確かだ。
ただレジーナの魔法の消耗に見合わない疲労にすぎないはずはず……。
鬱陶しいけども。
ずもっ
気が逸れてついに前のめりに派手にこけるノゾミ。
痛くない、でも服が土で汚れる。
さすがにイライラしてきた。
人がこけたというのにオズワルドは身振り手振りを交えしゃべっているのだろう、先に進んでしまう。
何故?
「…………!」
ふとこちらを振り向き事態を察知し大慌てで戻ってきてくれた。
オズワルドが口をぱくぱくさせている。
ノゾミは自分の耳を疑う、耳がおかしいわけではない、オズワルドに一体何が?
「ごめん。気づかなかった。大丈夫かい?」
手を差し伸べてくれるオズワルド。
今のは一体?
手を借りて立ち上がり土を払う。
〈姫。恐らく風の魔法だよ。風もないのに枝葉が揺れている。二人の間に風を起こし音を掻き消しているのだろう。〉
〈……なんて地味な嫌がらせかしら。どうすればいい?〉
〈それを教えるのはすごーく気が進まないのだけども。オズワルドまで巻き込み事はないだろう、歩調を合わさせたまえ。〉
そういうことね。
土を払った手をオズワルドに差し出すノゾミ。
迷わず手を握ってくれるオズワルド。
良かった、地味な攻撃を受けていたとはいえ、さすがに少々空気の悪さを感じていたから、余計に。
先程までの煩わしさが嘘のように快適に楽しく進める。
ほどなくして屋敷の真裏、少し開けた場所に到着する。
小さな池のほとりにオープンテラスがあり、侍女が待機している。
休憩だ。
忙しなく用意を進める侍女。
まだ若い、少し年下くらいだろうか。
といっても眠っていた時間を換算されると、ほとんどの年下になってしまうけども。
実際のところ、ノゾミは自身の年齢を18歳と捉えている。
しかし身体機能はどうなのだろう?
今のところ年齢通りで違和感はない。
しかし内臓や脳は118歳相当だったりするのだろうか?
ぼんやり考えていると、あっという声が聞こえた。
トレイに乗せたお茶を持ってくる侍女が何かに躓いたのか、ティーカップが飛んでくるのが見えた。
そこまでやるかレジーナ。
しかしお茶は机の上にぶちまけられる。
被害にあったのはオズワルドだった。
「おごごご‼」
ノゾミは笑いそうになりながらも、大変と席を立ちハンカチを取り出す。
しかし侍女の方が早かった。
血相を変えて平謝りしながらオズワルドの衣類を拭きはじめる。
「はぁ……また君かいクレラ。アンプローズ嬢は大丈夫そうだね。僕よりも先に客人の心配をしないとダメだろ? もうちょっと落ち着いてやらないとキミもそのうち怪我するぞ?」
どうも初めてではないらしい、確かに、姿が見えた頃からそわそわと落ち着かない様子だったし、お茶の準備も手慣れている感じではなかった。
「あぁ……申し訳ありませんオズワルド様。この子がどうしてもというので任せていたのですが……またこうなりましたね。」
唐突に茂みから現れた年配の女性、見覚えがある、侍女長だった。
口ぶりから察するに、半ばこの状況を予想していて見守っていたのかも知れない。
「客人がいるときはクレラは外しておいてくれないかい? 僕だけなら練習に付き合うからさ。」
オズワルドが侍女長に苦言を呈する。
しかし自分一人でなら練習台になるという。
クレラと呼ばれた侍女は顔を真っ赤にしながら頭を下げていたが、それを聞いて安心したのか喜んでいる。
「さすがにこれは染みになるかもなぁ、うーん。」
ズボンはともかくオズワルドが気にしているのはシャツだろう。
これはちょうどいいかも知れない、そう思いノゾミは周囲を見回す、いい具合に小枝を見つけた。
タクトサイズだし魂の気配もないけど問題ない。
小枝を手に戻り池の近くでオズワルドを呼び上着を脱ぐように言う。
クレラと侍女長がとんでもない顔になったが気にしない。
オズワルドも慌てふためいているので、先に行動することにする。
「穢れを落とす力を与えよ。」
魔法を使う、魔力をできるかぎり絞って、池の水を少量、宙に浮かべ、オズワルドの眼の前で水の浄化作業をする。
少し青みがあった水は不純物を吐き出し透明な水になっていく。
これで察してくれたらしい、オズワルドもシャツを脱ぎ宙に広げる。
……意外と逞しい腕をしてる、鍛えてるのかもしれない、そういえば夢は西に人類未踏の地に入ることだったっけ。
すでに薄く染みになっているところへ水の塊をあて、汚れを吸い取らせる。
生活レベルの魔法、一般人でも多くの人が使える魔法だ。
特に汚れが酷いときに明確に目標を設定してそこだけ綺麗にすることができる。
もっとも、あまり消耗は激しくないとはいえ、一般人が何度も使える魔法ではない。
乾かす前にノゾミもオズワルドに背を向け、先程こけた時のドレスの泥を処理する。
続けてドライヤーの魔法で乾かす、ようやく元通りになった、ノゾミはさっきからこの汚れでちょっとだけイライラしていたのだ。
野宿では気にならないのに、と思いながらオズワルドの服を乾かそうと振り返る。
オズワルドがシャツを着ながら背を向けている。
侍女長とクレラの顔が引きつっていた。
……やってしまったかも知れない。
普通は人の目の前、しかも男性の前で自身の服に水をかけるなんてしない、うん。
「お見苦しいものをお見せしました。ずっと不快でしたので、ついつい……。」
オズワルドの前に回り込んでスカートの裾をつまみ上げ、綺麗になったのを見てもらう。
「すごく綺麗になってる。アンプローズ嬢は魔法も使えるんだね?」
「ええ。生活魔法レベルですが、幸運なことに多少は素質に恵まれたようです。」
なにくわぬ顔で受け流しオズワルドのシャツも乾かす。
こう言っておけば、どこかで見ているであろうレジーナは私が生活レベルの魔法しか使えないと勘違いしてくれるだろう。
あとこれでようやく不快感から解放された。
オズワルドの腕を引っぱりテラスへ戻る。
侍女達はすでにお茶の準備を終え待ってくれている。
優雅なティータイムの始まりだ。
何事もなく晩餐を終え、湯浴みを済ませ部屋へ戻る。
結局、ヘンリー伯爵からの返事はなく、レジーナはどこ吹く風で晩餐の席にいた。
今日は疲れたから、とオズワルドを巻き、出発の用意をする。
とはいっても持ち物なんてほとんどない。
ローブを肩にかけ、髪を一度解いて後ろで一房とって束ねる。
空っぽの鞄を身に着け、ベッドの裏から枯木の杖を持ち出す。
これでおしまいだった。
ノゾミが持っているのはこれだけだった。
横になり庭の灯りが落ちるのを待つ。
レジーナは昼間、小さいとはいえかなりの回数制限マホウヲ使っていたはず。
恐らく今日しかければ簡単に終わる。
しかしレジーナもそこはわかっているはず、恐らくは今日も……。
考えていたら予想通り、部屋の外に気配がした、扉の下の僅かな隙間から灯りが見える。
昨晩の侍女はちゃんと言うことを聞いたらしい、まさか同じ手で来るとはね、と少し安堵する、ここまでは予定通り。
今日はひっかかってやらない、即座に扉を開ける。
そこにいたのは昼間に会ったクレラだった。
ノゾミを見上げひっと声を出し、その場にへたり込んでしまう。
昼間の時とは違う、今はもうスイッチを切り替えている。
少し怖い思いをさせたかも知れない、しかし魔女レジーナは一体どれだけ侍女を掌握しているのだろう?
しばらく黙って睨んでいると、クレラはランプの火を消して逃げていった。
部屋に戻り窓を開け放ち空を飛ぶ魔法。
目指すはヘンリー伯爵の寝室。
伯爵はまだ眠っていなかった、それどころか窓から外外を見ていた。
おかげでばっちり目があった。
窓を開け少し下がる伯爵、これは入って良いということだろう。
「夜分遅くにこのような場所から失礼いたします、朝方の件のお返事を頂きに参りました。」
寝室には飾り気が少ない、机の上ではランプが明かりを灯し、紙の束、それとまだ中身のある瓶を照らしている、恐らくお酒だろう。
それと写真立て。
伯爵は応じずにグラスを傾け、写真立てに向き直る。
伯爵の隣に立ち無言で写真立てを見る。
ひとつはオズワルドだろう、子供用の服、2歳くらいだろうか二人と手を繋いで宙に浮いている。
左右に伯爵と小麦色の肌の綺麗な女性、レジーナではない、しかし服装といいよく似ている。
そしてもう一つ、同じ女性を中心に左右に伯爵とレジーナが並んでいる、中央の女性が二人と腕を組んでいる。
どちらの写真もこの女性はとても良い笑顔で写っている。
恐らく……。
「レジーナは妻の師である魔女なんだ。妻がレジーナに頼んだのだよ私とオズワルドのことを。」
ノゾミは黙って聞く姿勢。
ヘンリー伯爵は次の言葉が出ないのか、少し黙る。
「……東の砂漠の街で出会ったんだ、仲が良くて初めは親子かと思ったよ。……だからこそレジーナが妻を、弟子を殺すなんてあるわけがない。」
「どんなに間違っていて欲しいと願っても……いいえ、願えば願うほど。現実とは悪い方向へ進むものですわ。」
「レジーナがやったという証明は誰にもできない。」
「左様でございます、しかし、誰も否定できない。」
信じたくない伯爵。
攻撃を受けたノゾミ、絶対に交わることはなかった。
写真の中のレジーナは少し困ったように笑っている。
何が彼女を狂わせたのだろう。
確かめる方法なんて一つしかない、さあ会いに行こう。
「伯爵様。短い間でしたが、本当に良くしてくださって感謝の言葉が尽きません。恩を仇で返すことになりましょうが、依頼の件、オズワルド様から魔女レジーナを引き離すこと、それだけは今夜必ずや。……それではお別れです。」
何を言っても慰めにはならない、話し合いで済むなら、もう伯爵がやっている。
窓から空へ。
振り返ると伯爵は写真立てを握りじっと見ていた。
これが本当に正しいことなのだろうか、考えてもわからない。
ほどなくして屋敷の一角で爆音がなり火柱が上がった。
砂埃と煙の中からノゾミが杖に乗り庭へ飛び出る。
それを魔女レジーナが追う。
「ごきげんよう! 大人しくしていれば随分とまあ好き勝手してくださいましたわね? たぁっぷりお返しさせていただきますわ!」
「さっさとここから出ていけば見逃してあげたのに! 泥棒猫め。この屋敷から叩き出してあげるわっ‼」




