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第七話 渦巻く恋影(3) -蠱毒-

中央都市、サンプレセント共和国。

異世界人がもたらした数多の工業技術、そして貨幣制度。

人々は豊かさを求め、こぞって貨幣を求めた、そして。

その街ではあらゆるものに値札がつけられた。




ヘンリー伯爵家の息子オズワルド・ヘンリー。

彼は幼い頃に母親を亡くした、その隙間を齢150を超える美魔女レジーナの存在で埋めようとしていた。

見かねた伯爵は息子に歳の近い女性をあてがおうと友人知人を頼るものの上手く行かず、ついに御用聞き、ギルド『フリーデン』を頼ることになった。

正真正銘の当て馬募集。


高額報酬に釣られたノゾミ。

とうに捨てた名アンプローズの名と共に、今一度、淑女を演じる決意をする。




顔合わせの晩餐会の時点で勝負は決したとノゾミは確信していた。

テーブルマナーなど造作もない、次席魔女のクラリスは鬼のように厳しかったのを思い出す。

マナーや作法の教育係だった、これでもかというほど細かく細かく注意されて、かといって逃げたところで彼女の時計の針は進まなかった、つまりやらなきゃいつまでたっても終わらなかった。


クラリスの時間だけはノゾミも背筋を伸ばし真面目に教えを受けていた。


おかげで今がある。

感謝よりはもう少し優しくして欲しかったと、今でも思うが。

こうして役に立っていることを考えると感謝すべきなのだろう、あの苦い思い出達に。


食事の合間オズワルドが話しかけてくることはなく、ヘンリー伯爵と話をすることが多かった。

主にダンダリオンが。


ノゾミは知識面で大幅に遅れている。

それをダンダリオンが補いノゾミの口を借りて代弁する。

自分の口から知らない世界の話が出てくる、奇妙な感覚。


叡智の悪魔ダンダリオンは間違いなく優秀だった。

このとりとめない話の最中に伯爵と『私の設定』を詰めている。

伯爵もそれに気付き応じている。

さらには最近の世界情勢や、海に関する話、陸路の商いの話など、とてもノゾミではついていけない。


しかし流石に最近の情勢となるとダンダリオンも不勉強でした、など聞きに回らざるを得ない。

これはノゾミ自身が知識の更新をしていないせいである。

結果的には低姿勢であり柔らかい物腰をもち、不快にならない程度に謙遜できる人物像を与えることには繋がったように思える。


さらに話の流れで自然に新聞のおねだりまでしている。


〈勉強になるわー。〉


〈新聞を読むのは姫の仕事だからね? 僕としては久しぶりに新たな知識を得られる有意義な時間だが、本来の目的は忘れないように。〉


口と体の二人羽織は案外うまく言っている。

しかし身体を動かすのはノゾミなため、ダンダリオンの言葉に合わせて動くためには一時も気が抜けない。


当のオズワルドは口を挟める状況ではない、家主がゲストと、ゲストが家主との談笑を求めているのだから仕方がない。

お預け、である。

思っていたよりもオズワルドは大人だった。


何やらレジーナがオズワルドに話しかけていたが、上の空。

ずっと伯爵の話を聞いてるように見せかけてノゾミの方を見ている。


さて、時間的に寝るにはまだ早い。

となれば食後のお茶の時間、ここからはオズワルドの時間だ。

伯爵もそのつもりだったのだろう、まだ仕事があるからと後をオズワルドに任せわざとらしく席を立つ。


もうひとりの邪魔者は退室する気がないらしい。

仕方ないのでテラスへ誘う。

よほどの無礼者でなければテラスで語らう男女の姿を見て踏み込めるわけがない。


魔女レジーナもそこは弁えていたのか、引き下がった。

本人が消えたのをいいことに攻めることにした。


「それにしてもレジーナ様は……」


と少し声を潜め顔を近づけ内密な話を演出する。


「その、あのようなお召し物をよく伯爵様がお許しになりましたわね。女のわたくしでも少々嫉妬を覚えますわ。伯爵様もオズワルド様もやはりああいった女性らしい女性がよろしいのでしょうか?」


オズワルドを巻き込みつつ、違和感の正体を探りつつ、オズワルド本人にレジーナを拒否させるよう仕向ける。


「そんなことはない‼ 母上が亡くなってかららしいんだ。これは秘密なんだけど、母上が亡くなってからしばらくは、レジーナが父上の寝室から出てきたこともあったらしいんだ、侍女が言ってた。」


オズワルドも秘密を持ち出し近づいてくる。


しかしこれが本当の話となると、ヘンリー伯爵も魔女レジーナに対し情がある、ということだろうか。


「僕はまあ、というか男ならあんな格好をされたら見ないほうが失礼だろう? それに僕はどちらかといえば淑やかな方がいいと思うな、アンプローズ嬢のような、ね。」


さっきからノゾミの胸元に視線が行くことを正当化しはじめた。

まあ、それはそれで求められるのはノゾミでも嬉しくはある。

なにはともあれ……。


勝った。


正直そう思った。

しかしその直後、突然オズワルドの瞼が半ばまで下がる。

何か匂いがする。

ノゾミの薔薇の香水を貫く、少し辛い感じのある甘い匂い。


「オズワルド様。そろそろ良い時間になっていますわ。アンプローズ様もそろそろお休みになられたほうがよろしいかと。」


テラスに魔女レジーナが踏み入ってきた。

匂いの源は、その手にするランプと確信する。

魔法を使い跳ねのけるほどではない、しかし、この香りは自分にもよろしくない。


もしこのお香を嗅ぎ続けていたらどうなるだろう。


オズワルドは魔女レジーナに誘われるままにその腰に腕を回し抱き寄せ、挨拶もなく並んで歩いていった。




部屋に戻ると空の小瓶が机に置いてあった、針子さんからの催促だろう、喜んでもらえるように作らないといけない。

一瞬顔が綻ぶがすぐに険しい顔に戻るノゾミ。


状況を整理しよう。


人を惑わし虜にする香水。

油を使っていて熱することでより香りが強く広がる、室内で焚けば恐ろしい効力を発揮するに違いない。


些か不利な感がある。

ノゾミが薔薇から作り出す香水は所詮は揮発性の水溶液。

油とは勝負にならない、かといって同じように対抗するのは準備が必要だし不自然に映る。


まだノゾミが魔女であることはヘンリー伯爵以外は知らない。

そしてあのお香さえなければオズワルドの気持ちはノゾミに傾いている。

これがアドバンテージ。


……。

どう考えてもヘンリー伯爵の協力が必要だ。

とにかくあの二人に距離を作らせ、かつ魔女の部屋で証拠となりえるお香を押さえる。

そして司法の元で裁いてもらう。


しかし魔女の部屋は間違いなく防衛用の魔法がかかっている。

そしてそれらで被害が出たとしても、不法な侵入なのだから魔女の言い分が勝る。


……証拠をおさえるといっても、あるとは限らない。

必要な時に必要な分だけ作られていたら押さえようがない。


どう考えても殺してしまうのが良い。

明日にでも伯爵と相談しよう。

そう考えを纏め眠りにつく。




……

………




夜中に異変を感じて目を覚ます。

ノゾミは異様に汗をかき、おかしな気分になっていることに気付く、同時にあの匂いが、部屋中にもやがかかるほど充満している。


魔女の動きが早すぎる。

煙の発生源は、扉の隙間から。

もう殺すか。

しかし、あの扉の向こうにいるのが心を操られた侍女だったなら、ノゾミの立場が終わる。


ベッドから落下しベッドの裏に隠す杖を握り魔法を使う。

風を纏い煙を近づけないようにする。

煙の毒はすぐには抜けない、眠っている間に取り込みすぎた、息も荒く身体が熱い。

この状態で戦うのはよろしくない。


幸い大きな音を立てても、これ以上仕掛けてくる様子はない。

楽なことではない、しかし、風の魔法でいなし続けることはできる。


時計を見るとすでに3時を回っていた。


実に3時間を越える執拗な攻撃だった。

少し状態が収まってきたところで魔法により代謝を活性化させ毒を早回しし抜き切る。


明日は朝からオズワルドはレジーナの師事を受ける予定だと聞いていた。

この時間にレジーナが起きているわけがない、そう踏んで扉を開ける。


そこにいたのはやはり侍女だった。

油の入ったランプの煙を、扇で扉の中へ一心不乱に送っていた。

その目は正気だった、もちろんこちらに気付き逃げようとする。


当然魔法を使う、影から伸びる闇が、そのまま侍女の全身を覆い身動きを封じ口を開くことすら許さず、生命力をじわじわと減少させる。


ランプを消し侍女を捕えたまま部屋に引きずり込む。


「レジーナの手のもの、ですわね? 今ここで殺してしまっても良いのですが……。」


目を見開き侍女は懸命に首を振る。


「人にこのようなことをして、自分の命は惜しい、と? 少々おつむが弱いようですのね。」


顔を近づけ脅す。

終わりにしよう、明日の夜、レジーナを殺す。


「レジーナの命令は完遂した、そのように振る舞いなさい。明日の夜わたくしがレジーナを殺します。その時に僅かでもおかしなことがあれば、次は貴方を殺します。よろしくって?」


良くない。

しかし侍女に選択肢もない。


ランプの中身を小瓶に移し証拠とする。

侍女にランプを持たせ開放すると、よたよたと逃げていった、思った以上に生命力を奏しつしたのかも知れない。


眠れる気分ではなかった、しかし明日には決着をつけないと次は何が起きるかわかったものではない。

侍女も何人がレジーナの指示で動くかわからない。

なによりも自分が危ない。




翌日は悪魔の魔眼を用いてで数十秒で新聞を読破することから始まった。


次に針子さん達がもってきた余っている瓶にローズウォーターを創る。

今回は本気だ、お香に打ち克つために、出来上がったローズウォーターにも魔法を使う。

その場に長く留め、僅かながら血流を活性化させ毒を吐き出せるようにする。

さらに風を封じ、他の匂いを寄せ付けないようにした。


自身もその香水を纏う。


朝食の際オズワルドは昨晩途中で夢を見ながら眠ってしまったようだと弁解した。

そのように観じているならそれで良いと思い、笑顔で流し、ではその分今日は埋め合わせて頂きますね? と空いた時間の約束を取り付ける。

朝食の席にレジーナはいなかった。


じきにオズワルドがレジーナに師事を受ける時間となったのでノゾミは伯爵を訪ね、昨夜のことを説明する。


「こちらの香油になります。もしこれが人を惑わし狂わせるものでなく、毒であればわたくしは昨晩の間に命を落としていたでしょう。これまで他のフリーデンの者や、貴族の方々にそのようなものがおられませんでしたか。または不貞を働いたもの。」


ヘンリー伯爵は思い当たる節があるのだろう、額に手を当てじっと香油の入った瓶を睨んでいる。


「何度か、息子に不貞を働くものがいた。相手が相手だけにレジーナの協力をもって穏便にことを済ませた、まさかレジーナの差金だったとはな。」


伯爵は顔を上げて続ける。


「その度に息子は女性を怖がるようになってしまったよ。だからこそアンプローズ嬢に対する息子の態度を見て、昨晩は久しぶりにエールを開けたものだ。」


『それに僕はどちらかといえば淑やかな方がいいと思うな』


あの言葉は本心であり、傷なのかも知れない。


「もう一点お尋ねしたいのです。奥方様がお亡くなりになった時に不自然な点はなかったのか、を。…………いえ申し訳ありません。差し出がましい発言でした。今のは忘れてくださいませ。ただ次はどのような手を見せるのか想像もつきませんわ。……魔女レジーナをしかるべき場所へ連れていくか晩餐までにお考えくださいませ。それでは失礼いたします。ごきげんよう。」


一方的に言い切ったノゾミを伯爵が止める。


「もし何もしないといえば?」


背を向けたままノゾミは応える。


「わたくしの名を思い出して頂くだけですわ。」


そう言い残し伯爵の部屋を後にする。


種は撒いた。


昼からはオズワルドに一日付き合うことにしよう。

どんなに遅くても今夜にはお別れなのだから。


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