第五話 顕現する悪魔(3) - 魔女の杖は -
─── その揺り籠は 檻にして棺 ───
王子と4人の従者、そしてノゾミは、悪魔の魔法の中で森が奏でる子守歌を聞かされている。
逃げることも叶わず、抗うことも虚しく。永遠の眠りに落ちるまで。
「この人達を守るために。力を貸して。お願い!」
ノゾミは蜜柑の生木の杖で救いを願う。
悪魔ナフラの右腕を受け止め動けぬ青年に向け、さらに悪魔の左腕が振り下ろされる。
同時、枝も蔓も一斉に襲い掛かる。
しゅるっ
ナフラの左腕を、森が止めた。
邪魔をされた悪魔は左腕に絡む森に怒鳴り散らす。
それでも拘束は解けない。
ついに青年を押し潰そうとしていた右腕で蔓を切り裂き自由を得る。
その隙を逃がさず、青年は悪魔のがら空きの脇へ一閃。
反撃の振り回す腕を余裕をもって避け下がる。
今度はナフラの右脚が根に埋もれ、ナフラは踏み込むことができなくなっていた。
いくら力んでも引き千切ることができない。
<解説しよう!>
「後にしてっ!」
<ダメだ聞く必要がある!>
ダンダリオンが強い口調で遮り言葉を続ける。
青年が飛び込み斬りつけ、脇を走り抜け背後へ回る。
その動きを追おうとするナフラの左腕を拘束。
ナフラは命じるように怒鳴り散らしながら、空いている手で足の根を引き千切り、腕に絡む枝を噛みちぎり喰う。
<魔女の杖は何故木製なのか! それは3者の在り方にある。世の為人の為に力を行使する魔女。支え共に歩む杖。そして守り育む森。みな同じようば場所を目指し、同じ方向を向いて進むもの。故に、心通わさずとも、最悪の出会いを果たしたとしても、それらはみな隣に在るものであり、そして高め合うものでもあるのだ。>
背後に回った青年がその背中に剣を突き立て、掻っ捌く。
ナフラの目を蔓の鞭が打つ。
さらに腕を斬りつけ青年は再びノゾミの前へ戻る。
<誰かを守るために、誰かを救うために、誰かのために行使する力。それが魔女の杖の森の本分。その為ならば、手折る程度の些事は赦しくれるのさ。>
ノゾミは右脚の痛みが消えていることに気づく。
あれだけ消耗していた魔力がまだまだ余力があるように感じられる。
<さぁ。魔女として初仕事だ。励みたまえ。魔女 ノゾミ。>
初めて自分が選んだ名を呼んでもらえたような気がする。
名を呼ぶこと、個を認めること、体験するのが一番早いと言われたあれだ。
ノゾミは今、悪魔と杖に、魔女として認められたのだ。
嬉しかった。
ふいに、声が聞こえた気がした。
思うがままに導かれるままに、魔法を詠う。
「蜜柑の木は陽を求める。棺の蓋はまだ早い!」
空気が変わる。
悪魔の魔法で消されていた空が開く、森が鎮まり、陽が差し込む。
太陽の陽が悪魔に与える影響など微々たるものだ。
しかし暗い闇に沈んでいた森は正気に戻ったかのように、魔女の味方をする。
「傷つくものに恵みと安らぎを。」
ノゾミ自身の生命力が紫色の淡い闇の光の粒となり降り注ぐ。
そこへ森一帯が少しづつ生命力を添え大きな恵みをもたらす。
闇の光がその場にある戦闘の爪痕を消していく。
傷を癒すことはできなくても、5人の男達がみな活力を取り戻した。
森の悪意が去り、青年に加勢する4人の従者。
魔法を破かれ怒り狂う悪魔ナフラが迎え撃つ。
「絡め絡め。強く優しく抱きしめて。」
幾重にも絡み編み込まれた蔓がナフラを羽交い絞めにする。
一人で逃げていた時の拘束よりも何倍も強い、ナフラの爪を以てしても容易に引き裂けない。
動ける範囲で暴れる悪魔。
男達の攻撃で傷は増えているはずだが、決定打が入らない。
そうこうしている間に拘束を引き千切り、ナフラがノゾミへ向けて走り出す。
しかし千切れる寸前に動いた青年の方が早かった、ノゾミの前に立ち正面からナフラと相対する。
2人に向けて振り下ろされる右腕、しかし青年の左の一閃がついにその腕を斬り飛ばす。
悪魔の左腕はノゾミが魔法で捕らえている。
喰らわんと襲い掛かる顎、だが腕を拘束された僅かな阻害が、青年を先へ送り届ける猶予を生み出した。
右の剣がついに悪魔の心臓を貫いた。
悪魔ナフラはその力を失う、纏う闇が宙に消えていく。
残されたのは、青年の剣に胸を貫かれた老婆。
導きの魔女エレノアの骸だけだった。
………
……
…
気持ち良い夜風で目覚めたノゾミ。
いつの間にか馬に乗っていた。
スカートだから、ほとんど抱えられてるような状態だった。
落ちないようにしっかり支えてくれている手が温かい。
外套まで着せてもらっていた。
「ああ、おはよう。」
殿下と呼ばれていた青年。
若い、というより幼い、という方がしっくりくる気がした。
「おは……よう。ありがとう、ここで降りるね。」
少し名残惜しくもある、しかし迷惑をかけるわけにはいかない。
それに追うべきものがいる。
しかし支える腕に力が入った。
「そう言わずにお礼くらいさせてくれ魔女殿。それにもうこんな時間だ。宿と呼べるほどのものはないけど、用意するからさ。」
「それなら、まぁ。お言葉に甘えて。…………あなたは誰?」
1つ質問をすると次から次へと疑問が出てきた。
「ああ。俺は……。」
青年は少し考える。
果たしてこの名前に彼女は何か反応を示すだろうか。
「大陸北東部の国 クレアシオンの第三王子。イニシオン・アークライトだ。君は?」
「あー。あの……。名はノゾミ。……魔女殺しの魔女 ノゾミ。」
(クレアシオン……どこかで。ああ、婚約者だったミハイル・アークライト。もしかしてその息子さん、ではなくお孫さん?)
口に手を当て考えながら、その顔をちらちらと見るノゾミ。
ミハイルの顔を見ることはなかった、こんな人だったのだろうか。
善い人だと思った、きっとミハイルもその子孫も良縁に恵まれたのだろう、とも。
イニシオンはそのノゾミの様子を見て、やはり知っている、とみた。
そもそも王子と聞いて畏まったり敬ったりする様子が微塵もない。
それにしても物騒な名だ。
一体彼女に何があったのか、イニシオンは聞きたくて仕方がなかった。
しかし今はその機ではない。
「今はどこへ向かってるの? それにイニシオンさんはどうしてあの森に? あの後どうなったの?」
あの後とは、悪魔ナフラを倒してから、今に至るまで、だ。
ノゾミはそのあたりの記憶がさっぱりない。
おかしな真似をする人には見えない、しかし今は手元に杖がないそれが少し不安だし、枯れ木の杖は無事だろうか。
「今は森を東に抜けて名も無き村に向かってる。魔女エレノアが懇意にしていた村だ。あの村に弔ってやりたい。」
進行方向はノゾミの望み通りだった、なら都合が良いとも言える。
少し後ろを覗くと4人の男達も馬に乗っている。そのうちの一人が魔女エレノアをイニシオンと同じように馬に乗せているのが見えた。
イニシオンもそうなのだが、重くないのかな? なんて考えるが口にはしないことにした、そこで重いという男性はまずいない、解答の決まった問は無意味だ。
自分の杖と鞄とイニシオンの装備だろうか、担いでいるのも見えたので会釈する。
「俺達はあの悪魔の件だな。悪魔を見た住民が不安がってね。それに導きの魔女エレノアの安否も心配していたから、なんとかしたいと思ってさ。」
イニシオンは話を続ける。
しかし後ろの4人は気が気ではなかった。
あの魔女の杖は、確かに取り上げている。
しかし最初に見た魔女の闇の魔法は、悪魔を殺しかねない力があった。
さらに最後の場面。
あの魔女は悪魔の魔法を破った。
そして同じ規模で森を味方につけていた。
それ即ち、あの魔女は悪魔の顕現体と同等の力を持つ、ということ。
一刻で村を、一晩で街を滅ぼす、災厄を冠するものと同じか、もしくはそれ以上の危険人物。
そんなものに、4人の従者の主人は今触れている。
それが恐ろしくて恐ろしくて進言もしたが、結局こうなっている。
余談だが。実はダンダリオンの計算では夜に杖を犠牲にすれば、十分勝てると踏んでいた。
ただし悪魔が魔法を使わないように、煽らず、つまり攻撃はせず夜を待つ、という条件もありはした、結果は今である。
「悪魔ナフラを倒した後、キミはその場で倒れたよ。そういえば足はもう大丈夫か?」
「あーうん。……もう治ったみたい。」
脚をぷらぷらさせて確かめるノゾミ。
そういえば痛みがない、というより蜜柑の杖を使い始めたあたりから痛みが消えていた。
なんだったんだろう?
あれが骨折かと思ったけど、骨折は治療の魔法を使ってもこんなに早くは治らない、はず。
「命に別状はなさそうだったから、そのまま担いで森を出て、馬に乗ってもう3時間くらいかな。もうすぐ村が見えてくると思う。」
「……。」
急にノゾミの返事が消えたので、どうしたんだろうとイニシオンは覗き込む。
ノゾミはまた寝ていた。
それもそのはず、魔力を限界まで、一般的な魔女の限界を遥かに超える限界まで使っていた。
その上昼から何も食べていない、それと暖かい、眠りに抗うことはできなかった。
イニシオンはその寝顔をよく知っていた。
忘れるわけもなかった。
やはりそうだと確信した。
あの月明りが差す古城で、薔薇に囲まれ100年の時を眠っていたお姫様だと。
さぁ、どうしたものかと、悩む青年であった。




