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第五話 顕現する悪魔(1) - でもそれは -

ノゾミは軽く朝食を取った後、またダンダリオンの講義を受けながら、魔女の庵を目指して歩き始めた。

同時刻。

とある名も無き村では一日が動き出した時間にも関わらず多くのものが仕事を投げ出し、5人の若者の見送りに集まっていた。



リーダーと思わしき赤髪の彼の名はイニシオン・アークライト。

大陸北東部にある小国 クレアシオンの第三王子。24歳。


彼は物見遊山と称し妻の生誕祭の際に個人的に贈るものを創るため、この村へ来ていた。

目的はほぼ達したが、そこで村のものが遠慮がちに口を開いたのだ。


この村が日頃世話になっている魔女、導きの魔女エレノアがここ2週間近く姿を見せない、と。

心配になった村の男衆が彼女の庵を訪ねた所、もぬけの殻であり。

さらに巨大な熊のような影を見て逃げ帰ってきたのだ。


その日、男どもは口々に訴えた。

その姿は動物ではなく、なんらかの魔なるものでは、と。

村は騒然となった。

森に入れなければ、少しづつこの村は痩せ細っていくだろうという不安。

そんな化け物が村まで降りてきたらどうなってしまうのだろう、という恐怖。

なによりも導きの魔女の安否、脳裏に浮かぶ凄惨な予感。


村を統治する領主にお伺いを立てるため馬を使って走りだした。

その翌日に第三王子の来訪があり、我慢できなくなったものが漏らしたのだ。


王子は知ってしまった以上、動き出さずにはいられない、そんな性分だった。

何よりもみなが不安がっている、活気がなかったのも道理だ。


何よりも、半ば突発的に訪れたこの村で、こんな事態に巡り合えたことに運命のようなものを感じた。



そしてこの騒ぎである。

王子がお供の4人の従者と森に入るというのだ。

彼らはその日の夜の間に村の狩猟用の装備を買い付け補填し準備を整えていたのだ。

みな主武器は持ち歩いていたし、軽装もしていたのでそれほど準備に手間取らなかった。


軽率な発言だったと額を地につけ悔いる男衆。

万が一の事態に発展すればこの村はどうなるのだろう、と、皆一様に真っ青な顔で懇願していた。


「大丈夫さ。いざとなればすぐに逃げるよ。良くしてくれたこの村のこともちゃんと考えてるさ。」


笑顔で応じる王子、考え直すという選択肢はないらしい。


「ただ、どうだろう。魔女殿はもう戻られないかも知れない。話を聞く限り悪魔の顕現体としか思えない。君達が生きて帰ってきただけでも僥倖だと思う。」


そんなことを聞かされては、みな口を開けて呆けるしかなかった。

王子はまたやってしまったと思った、どうにも自分は考えが浅い、もう少し安心できるような言葉をかけるべきだ。

第三王子という肩書がこういう時は憎い。

あまりにも責任やプレッシャーと無縁に生きすぎたのを、彼は少しだけ後悔していた。


『いつまでも、その少年のような心のままでいて欲しい。』と妻にまで言われた。


偉大な兄達のようになりたくて結婚もしたのに、だ。

もちろん妻を愛している、しかしそれでも、本末転倒と言うのではないだろうか。


「とにかく引き際は見誤らないさ。夜までには戻るつもりだ、吉報を待っていてくれ。」


馬の腹を蹴り歩み始める。

4人の従者の馬がやや後ろに続く。


一度だけ振り返る。

村人たちは地に膝をつき祈るもの、手を振るもの、或いは頭を抱えるものもいた。


「みんなも危ないと思ったら逃げろよ。森の淵まで馬で進みそこからは徒歩だ、昼前には森に着くだろうからそこで休憩をしてから入ろう。3時をすぎたら撤退だ。」


懐中時計を開く、時刻は朝8時。

なにかしら成果はあって欲しい、とりあえず魔女の庵を目指して進むべきか。


「殿下を見捨てて、逃げられる場所があるならそうしています。」

「殿下はまだ武勇伝がありませんからね。顕現した悪魔を討つのに一役買ったならば、私達への見返りも期待できるってものです。」


従者たちはみな王子より年上だ、父子ほどの年の差があるもの達だが、こうして人目がない時は好き勝手放題言ってくれる。

そんな時間が楽しくて、好きで、だから物見遊山はやめられないのだ。

そんなおかしな遊び方、首のつっこみ方をしているせいで荒事には慣れている。

武勲はなくても、みな自身の技量に自信を持っていた。


噂に聞いていた導きの魔女と、こんな形で会うことになるとは思っていなかったけど。


彼女はあの村の善き魔女だった。

せめてあの村に葬ってやるためにも、連れて帰らないとな。




そして時は流れ森の中


「ダンダリオン! あれなに!?」


<あれは……悪魔ナフラの顕現体さ。>


熊のようなシルエットを持ち闇の塊、その体当たりの一撃で木が折れる。

浮遊の魔法の連続使用。

数m先にある木へ跳び移り、異形を見下ろす。


「悪魔って、普通にこの世界で生きてるの?」

<違うよ。あれは肉を奪いこの世に顕現した事象。人の成れ果ての一つの姿さ。左へ跳びたまえ!>


咄嗟に左へ跳ぶノゾミ。

先ほど自分が立っていた場所へ、大岩が飛んできて幹の先をへし折る。


その威力にぞっとし、さらに次の木まで飛距離が足りないことに気づきぞっとする。


<空を踏みもう一度跳ぶんだ。>


ノゾミの脳裏に描かれる、風を踏む抽象的なよくわからないイメージ、子供の落書きのような夢のある絵面。

しかしそこに地面が出来たような硬い感触に一瞬触れ跳ぶことができた。

どうにか木の上の立ち位置を維持する。

悪魔ナフラはゆっくり近づいてくる。


「導きの魔女が悪魔に乗っ取られたってこと? 」

<恐らくね、別の魔女が乗っ取られた可能性もあるけども。>


「人に戻す方法は?」

<戻してどうするんだい? 姫がその手で殺すのかい?>


ダンダリオンの返答が早い。

というより今、自分は何を言った?

なんで戻す方法なんて聞いたんだろう、あれは魔女なのに。


返事に困り、悪魔ナフラの足元へ魔法を使う。

土を退けさせ地面に穴を開ける。

悪魔ナフラの踏み出した前脚は空を切り地に伏せる。

その間にノゾミはまた別の木へ。


「私だって乗っ取られるのはやっぱり嫌だ、と思う。だからせめて人として……。」


<本人がそれを望んだとは考えないのかい? あれが導きの魔女であるなら、先ほど姫はあの駄文を見ただろう? 彼女は悪魔に肉を明け渡したとボクは考える。なによりもあの状態になればもう人に戻ることはできない。あの肉はもう全てナフラのものだ。そして悪魔ナフラとは本来は小さな熊であり温厚な性格だ。アレがそう見えるかい?>


見えない。

落とし穴にひっかかった怒りだろうか、雄たけびをあげている悪魔ナフラを見て、その言葉を飲み込む。


<あのナフラが怒り狂っている。主が為にその身を震わせている。彼女たちのことを想うなら彼女たちの望む殺戮を赦してあげたまえ。>


「それは……。」


赦してあげたい。

自分も同じだから。

きっと彼女たちもそうしなければ、先に進めないほどの喪失を味わったんだ、ほんの少しだけかも知れないけど理解できると思う、手紙の呪いを人の底なしの悪意を知ったから。


「復讐は気が済むまでやっても赦されるべきだと思う。」


悪魔ナフラがノゾミのいる気に腕を振り下ろす。

それほど太くない木は一撃で折れ、ノゾミはまた宙に投げ出される。

今度は予想していたので慌てずに空を跳び、後方の木へ移る。


「でもそれは、誰にでも当たっていいわけない、無関係な人まで殺すのは間違ってる、と思う。」

<つまり姫の復讐は正しく、彼女たちの復讐は間違ってる、そう言いたいのかな?>


「そーよ。……いじわる。」


<ふふ。ならばまずは逃げたまえ。反撃は最小限、とにかく距離を取る。ナフラの強靭な肉体と手先の器用さが加われば先ほどの岩のように、ものを投げるだけで魔法を凌駕する破壊力を発揮する。目を離してはいけない。ボクの魔眼はきついかも知れないが常に使いたまえ。>


「わかった。逃げてどうするの?」


今度は丸太が横に手を広げ飛んでくる。

それを飛び降りて回避し、数回空を跳んで木の上へ逃げる。


<悪魔は鼻が良い。先ほどの落とし穴のせいで恐らく姫は魔力の匂いを覚えられている。空を飛べない姫では逃げ切れないし地上に降りればひとたまりもない。事象であるナフラの魔力に今の姫では対抗できない。ならば陽が沈むまで消耗を抑えつつ相手を消費させ、夜に勝負を掛ける。>


「陽が沈むまであと何時間?」

<3時間くらいかな>


厳しい。


<姫のわけのわからない回復力頼りの作戦になる。くれぐれも大きな魔法は使わない方が良い。>


木々に命じ悪魔ナフラの動きを制限しようと蔓を伸ばす。

しかし数秒と持たず引き千切られた。

余計な魔法を使っても無駄と感じ逃げに頭を切り替える。

悪魔とのおにごっこの始まり。



1時間後。



悪魔ナフラの攻撃は単調なのに気付いていた。

しかしその勢いは一向に衰えない。

逆にノゾミは魔法の連続使用。悪魔の魔眼の常時発動。失敗が許されない回避行動。追われる重圧。僅かな空腹。


集中力が低下していた、そしてそれを見透かしたように悪魔ナフラが思わぬ行動に出る。

木や石を両手いっぱいに掬っての、目標を定めぬ範囲投擲。


木の裏へまわり盾にしてやりすごす。

とてつもない破壊音がする、一緒に吹き上げられた砂が枝葉を穴だらけにする。


一瞬目が切れた。

急いで移動しナフラを再び視界に収めようとする。


しかしそこへすでに範囲投擲が置かれていた。


寸前で目を閉じたものの、強烈な痛みが右目を襲う。

右脚にも何か大きなものが当たった感触。


目を瞑ったまま落下するノゾミ。

運よく茂みに落ちる、が4m近くを受け身も取らず背中から落下した。

あまりの痛みで動けなくなる。

それでも目を開ける、大丈夫、両方とも見える。


ああでも、目の前に悪魔ナフラが立っている。


片腕を頭の上までゆっくり持ち上げている。



トンッ



視界の隅から何かが飛び込んできた。


悪魔ナフラの胸に鉄が突き刺さる、それは剣。


それは踊るように一回転。

2本の剣が悪魔の胸を裂く。


出血がないのでナフラのダメージはわからない。

しかし悪魔ナフラが、後ろに下がった。


カチャカチャと金具の音を立てて、さらに4人の男性が武器を手に現れ、すぐに悪魔を追い払うための牽制攻撃をしかける。


2本の剣を持つ赤髪の青年は剣を構えたまま、顔だけ振り向く。


「大丈夫か!? キミ……え?」


ノゾミと目が合い、赤髪の青年、第三王子 イニシオンは硬直した。


悪魔ナフラの雄たけびが、再び森の中に響き渡った。



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