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「あーもしもし?俺だけど」
石井に連絡をしたのは、適当に暇が潰せればいいなと思う程度だった。彼女に風俗をやめろと言った手前、何となくギャンブルを絶てばとにかく暇だったのだ。
スーツも持っていないし、だからと言っていつもの身なりでどっかに出かけるのは気が引けたのでこの前買った服で行けば彼は若干呆れた目で見てきたが、「来れただけ次第点か」なんてひとりごちていた。俺は病人じゃない。
最初に振り分けられた作業は本当に雑用だった。最初こそなめてんのかと思ったが、やれるだけやってやった。暇だったので。以前仕事をもらってた時は当時の自分の都合上、家でもできるような内容だったから楽ではあったけど。
「彼女サンにはなんて言ってんの」
「何も。朝帰りしなければ束縛はされねえよ」
彼女には何も言わなかった。ふらふらと出歩くこと自体は何も咎めることは無かったからだ。流石に朝帰りされた時は数日家から出られなかったけれど。極端すぎる。
そんな話を石井にすれば「それを受け入れるお前も大概だぞ」なんて言われた。自分もそう思う。
自分は元々そういう女に慣れていたのだろう。ヒステリックなバカ女。自分の母親がそんな人間だったせいで自分が付き合う人間はそういう女が多く、もちろん長くは続かなかった。嫌な因縁である。
そんな因縁のせいか神経が図太くなり、些細なことでもどうでもよく感じるようになった。
「ある意味お似合いだな」
「どうとでも言え」
石井はそう言うが、自分は彼女との将来なんて何も見据えたことなんて一度も考えたことが無かった。
ただ自分は身を固めるとか家庭を持つとか、そういうのは向いてないからだろう。
愛情に飢えてるかと言われると分からない。なんせ無償の愛なんて親から与えられた事は無いのだから今更。
「おかえり、ねえ、最近どこ行ってるの?」
「待って、美佳チャン怖い、その前に包丁置いて?」
家に帰った途端、包丁持った女が立っていた。
また夕飯でも作ろうとしたのだろうか、素直に持っていた包丁はまな板に置いてくれたので内心安堵する。久しぶりに冷や汗が垂れた。
「遥祐、私のこと嫌いになっちゃった?」
「なってない、なってない」
「嘘だ……お金もせびらなくなった……もしかして他の女の所に行ってるの?」
下手に気を遣ったのが裏目に出たらしい。何も言わずに毎日朝から出て行けば彼女も不安になるのだろう。
「そんな冗談やめろ」
「じゃあなんで最近朝から私服で出掛けるの?お金使わないの?お酒だって私が買い置きしてもあんまり飲まないし、昼間全然家に居ない」
どの女もそうだが何故精神病んでるのにそういう変化には目敏くなるのだろう。
彼女のような女がそうなる理由は大体が【不安】だというのは一応理解している。それが発展して監禁や殺傷に変わるのは勘弁して欲しいが、今回の場合彼女が不安がる理由に心当たりがある。
だから抱き締めてその不安を無くすよう【おまじない】を彼女にかけた。
「あーも、『悪かった』って。でも『俺の一番はお前』だから。俺にはお前しか居ないから、な?」
「ホントに?」
「ホントホント」
「何処にも行かない?」
「『あぁ』。『後で話す』けど、今さダチん所に通ってるんだよ。男なんだけど『紹介』してやろうか?」
「……財布に入ってた名刺の人?」
「あぁ」
嘘と本音を混ぜて、自分の中にさも彼女の居場所があることを教える作業。
財布の名刺まで把握していたとは思わなかったし、真面目に仕事しているのにそんな事言われると気が滅入るが、まだ彼女には嘘を混ぜないと本当に殺される気がした。
慣れた作業だが自分が口にする言葉の節々のどれが嘘か本当か分からなくなっていく。
「分かってくれたなら、そろそろ部屋に入れて?」
まだ靴も脱いでないんだわと言えば、彼女もようやくごめんねと手を離す。このおまじないはいつまで効くだろうか。
ようやく部屋の中に入り、いつもの場所に座れば目の前には彼女がいつも飲む薬とその開封したフィルムのゴミが転がっている。ゴミ箱には赤いシミが付いたティッシュのゴミが入っていた。
溜まっていた部屋のゴミはすべて片付いたようだが部屋のゴミが無くなっても何処か薄汚く、まだ掃除が必要なようだった。
―――
少しだけ上手くなった彼女の手料理を食べると少しだけ疲労感を抱いたので後片付けは彼女に任せた。
最初こそ舐めてるのかと思われるような仕事内容ばかりが回されたものの、その量が増えれば疲れもするだろう。
その反面彼女はやはり快方に向かっているのか、皿を洗いながらなんの歌か分からない鼻歌を歌っていた。
「ねえ友達って何してる人?」
「あー、内緒って言われた」
「なんだそれ」
適当な誤魔化しも笑って返すくらいには落ち着いていたようで安堵の息が漏れる。
キッチンから聞こえる水の音が更に眠気を誘う。
「美佳、まだ終わんない?」
「もうちょっと」
これまでの穴埋めをしてやろうと思ったのに。
まだ後片付けが終わりそうにないようなので、冷蔵庫から酒を一缶取り出してはベランダに出て室外機に腰かけるとプルタブに手をかける。カシュと良い音を立てた。
涼しくなった時間帯。見慣れてしまった外の景色をぼんやりと見上げ、後ろに顔を向けるとまだキッチンにいる彼女の後ろ姿が良く見えた。
暑くなってきたのか最近部屋着でもショートパンツを履くようになった彼女は太ったなんて言っていたが、やはりそこまで太ってないだろうと思う。
酒を呑めば煙草も吸いたくなる。火を付ければ口に入ったヤニが一気に脳へ溶け込む感覚がする。
「遥祐」
「ちょっと待って」
三本目の煙草を吸っていたタイミングで彼女から声をかけられた。
吸い殻を灰皿に押し付け残りの酒を全て飲み干すつもりで缶に口を付ければ、いつの間にか飲んでいた酒が空っぽになっていた。今日はそこまでペースが速いわけではなかったと思うのだが彼女の方を見れば風呂に入っていたらしい。
室外機から腰を上げると少しだけ足元がふらついた。飲み干した缶を見れば9%のストロングタイプだった。しばらく飲まなかったせいで少し弱くなったようだ。
部屋に戻りテーブルの前にうずくまる彼女を通り過ぎると、また冷蔵庫から酒を取り出して煽った。
「今さ、俺社会復帰しようとしてんの」
彼女の横に座り、酔った勢いのまま彼女を抱き寄せればそれに応えるように彼女も両腕を自分に巻き付いてくる。風呂上がりのもっちりした素肌が自分の服越しに感じるこの感覚は久しぶりだった。
きょとんとした顔の彼女がこちらを向ける。少し前まではヒステリー起こしていたのに、大分彼女も軟化している。
「どうして?」
「お前元気になってんじゃん、それ見たら俺だって焦るわ」
「私、元気に見える?」
「んー見える見える」
彼女の腰に手をやった。ふわりとシャンプーの匂いが鼻をくすぐる。今日は彼女のケアのつもりで一緒に居ようと思ったのに生理現象には抗えなかった。
内心そう言い訳をするが、それ以上に言い訳できないような言葉を自分の口からこぼれ出る。
「だってさ、お前、俺がいなくても生きていけそうじゃん」
「……そんなことない」
「だってこんな惨めに思うことってある?」
彼女を抱えて布団になだれ込めば、彼女の口からやだ、やめて、怖いと抵抗の声が聞こえてくるがどうでもよかった。
そう言えばゴムあったっけ。なくてもどうせピル飲んでいるから問題ないかと思考をよそに置いた。
いつまで経っても自分はクズのままだった。