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 深夜11時頃、カツカツとアパートの階段を上り、蹴り飛ばせばすぐに壊れそうな軽いドアを開けると彼女が出迎えてきた。


「おかえり」

「……ん」


 辞めればいいと無責任な事を言ってからしばらくしてからというもの、彼女の周辺に特段変化は無く、さすがに入ったばかりの店をすぐには辞められないよなと自己完結した。

 以前、気まぐれに求人雑誌を読んでいたこたとがあった。そんな自分を見て彼女は何を思ったのか、そんなにお金が足りないのか、私の何が不満なのかなどそんなことを言って遂には「家にずっといてくれないと死ぬ」と泣き出してしまった。

 しかもその日から一週間くらいは自分が家にいないと本当に薬を大量に飲もうとしたり、飲めない酒を飲んでひたすら泥酔しても更に飲もうとしていたので、メンヘラの恐ろしさを身に染みて体感したのだった。ちなみにその間、簡単に死にはしないからなのか、自傷行為を一切しなかったのが逆に恐ろしかった。


 靴を脱ぎ、まだ片付けきれていない部屋の中、今日も同居人の隣に座り、そのまま彼女の背中によりかかる。


「遙介重い」

「ガタイがいいんでね……おいコラ乗るな、くすぐったい」

「ん」


 今度は彼女が雪崩込むように自分の膝に頭を乗っけては居心地が良さそうな顔でこちらを見上げてきた。彼女がそう甘えてくるようになったのは出会ってからそうかからなかった。

 自分のような見ず知らずの野郎をホイホイ家に入れるくらい危機感が欠如している馬鹿な女だ。

 時々彼女のストーカーらしき男が家の近くを歩き回っていたり、実際に声をかけてきたりもしていたこともあったので、気まぐれに牽制のような事もした。

 別に心配したという訳ではないが、変な理由で逆恨みされても困るからそうした。勘違いされたかもしれないが知ったことではない。

 だが一連の流れでさえ彼女はストーカーの存在すら何も気付かず察することもなかった。本当によくここまで生きてこれたな。


「……なぁ」

「なあに?」

「オマエは……いや、いい」

「……ん?」


 お前に俺は必要か。なんて分かりきったことを聞こうとしてやめる。


『なんで、私の隣に居てくれるの』


 いつの日かに彼女が言った言葉が何度も脳裏によぎり、自分でもその答えが分からなくなっていた。

 実際自分が彼女の隣にいる理由なんて金と衣食住くらいなもので、それを除いてしまえば彼女の隣にいる必要もないのだ。

 その反面、自分を心の拠り所にしないと生きていけない彼女がかわいそうだなとどこか他人事のように思う。


 出会った日から彼女には心が摩耗していた。

 彼女は自宅までふらつきながらも自分の手を引いてたどり着けばそのまま泥のように眠り、その数時間後に必死に声を抑えて咽び泣いていた。

 無言で抱き締めてやれば親を見つけた子供みたいに必死に縋り着いて泣いていた。


 友達という関係にしては深く、恋人にしては距離が遠い。はっきりしない仲が悪いとは言わないが、彼女が精神的に真人間になってきている姿を見てこんな自分が嫌になって、更に酒やギャンブルで逃げようとして、彼女の顔を見てはその手を引くの繰り返し。

 挙句の果てに彼女を抱いてその穴を埋めようにも、埋まるのは彼女の心の穴だけで、しかもその穴も徐々に小さく狭まってきていた。


 これで自分か自分のような人間さえ隣に居なければ、普通の仕事に就いて、普通の男と出会って、家族を作ることも出来たのに、なんて出来るはずもないifを考える。


「なぁ、今度の休み、海行かねぇか」

「……えっ?」


 これはちょっとした罪滅ぼしだ。自分の突拍子もない話に少しだけ彼女は戸惑う反面、自分からの誘いに乗らない訳もなく、同居人はこくりと頷くのだった。



―――



「もう海開きしてるんだね」

「みたいだな」

「知らなかったの?」


 2人手を握ってゆっくり歩いた。

 電車で2時間かかった5月の大型連休の海は、気温が高い分海水の冷たさが際立ったがまだ何処にも水着を着て泳ぐ人は何処にもいなかった。その代わり遠くでサーファーが何人か波に乗っているのが見える。

 ここに来るまで何度か休憩して電車を乗り継いだ。

 彼女の体力を気にしていたものの、彼女よりも自分の方が体力が削られてしまい、最初は距離を置いて歩いていたのに、途中から彼女に手を引かれていた。

 そして予定では1時間半で着くはずだったのに30分遅く到着した。


「泳ぐつもりも無かったからな」

「……なんだそれ」


 そう苦笑しながら彼女はサンダルを脱ぎ、まだ冷たい波を足に浸していた。

 海に行く前日、久しぶりに服を買った。もちろんこれも彼女の金。彼女も同じく何着か買っていたが、そう言えば2人で買い物に行くことも初めてだった。


 なんやかんやノリノリで、どれが似合うかどれが好きかなんて聞いてきた彼女は、おそらく風俗業で働いているなんて傍から見ても分からないくらい清楚な恰好をしていた。

 適当に「あぁ」とか「いいんじゃないの」と返した言葉を真に受けて買ったそれを着ていた。紺色の生地に花柄のワンピースだった。


 彼女は裾をたくし上げてはしゃいでいた。オマエいくつだよと笑うくらいには。そう言えばコイツの歳はいくつだったか。


「しゃがむと濡れるぞ」

「お母さんみたい」

「いつ俺がお前のオカンになった」


 そう言いながらしゃがんでいる間に裾が彼女の手から零れ落ちてべったりと湿った砂浜に張り付いた。

 慌てて裾を砂浜から剥がせばわずかな海水と砂が張り付いており、その場で払おうとしたら今度は裾を踏んで尻餅を付いてしまい、後から来た波に思い切りかぶってしまった。


「うわ!?」

「あーあ、ほら言わんこっちゃない」


 立ち上がらせようと手を差し伸べたが、彼女が腕を引いてまき沿いにされた。自分もべしゃりと濡れた砂浜に転がり、次の波で二人とも思い切り海水を被ってしまい、どうしようもないくらいびしょ濡れになった。美佳に関しては化粧した顔ごと台無しになっていた。

 そんなぐしゃぐしゃになったお互いの顔を見て二人して思い切り笑った。


「楽しいね」

「……ああ」


 自分には眩しく、目を細めることしか出来なかった。



―――



 適当な店で買った服を着て、濡れてしまった服の入った袋を片手に電車に乗った。

 普段は冷たい彼女の手は自分の指を絡めて握っているため自分の体温と同じくらいの温さを帯びており、適当に買った服は半そでのTシャツに短パンで、剥き出しになった細腕は傷一つない代わりに薄らと肌に赤みを帯びていた。

 通り過ぎる人々は誰も電車に乗った自分らを一瞥すれば何事もなかったかのように視線を元に戻すだけで、特段妙な目で見ることはなかった。傍から見ればダサい格好をした普通のカップルに見えるだろうか。

 座席に座ると疲れたのかうつらうつらと船を漕いで眠る彼女を空いている手で引き寄せては自分の肩に寄りかからせ、自分は窓の外を眺める。

 隣りに座り、太ももから腰や腕に肩まで密着し、こつんと自分の肩に彼女の頭が乗っかっているが、長時間彼女にこうして手を繋ぐことは無かった。

 指まで絡めても不快に思わなかったのはきっと海ではしゃいで高揚していたせいだろう。

 今更腕に感じる豊満な彼女の胸の柔さや、鼻をくすぐる潮に交じった彼女の匂いに何かを感じることは無いが、衣服越しに感じる他人の温もりに今更むずがゆさを覚える。

 服屋で買ったキャップを彼女の頭に深く被せればそれに驚いた彼女がこちらを見上げてくるが、無言を貫き通した。


 自宅の最寄駅を降りれば一気に現実に引き戻された気がして少々気が抜ける。それに伴い彼女を握る手の握力を緩めてみたものの、結局離れることは無かった。


「遥祐」

「ん」

「今日、ありがとうね。あと、変に気を遣わなくてもいいよ」

「なんだそれ、そんなこと思ってねえよ」


 それを最後にしばらく沈黙が続いた。

 後ろから自分の歩みに追いつこうと必死に歩いている彼女の足音がする。昼頃は暑いくらいの晴天だったのに、空は徐々に曇ってきていた。早くしないと雨が降るかもしれない。


「私を必要としてくれるお客さんがいるんだ」


 肉付きのよくなった彼女のことだから、きっと彼女の太客が出来たのだろう。そしていい様に口説かれているというところだろうか。

 暢気に騙されにいくなんて本当に馬鹿な女だなと内心笑う。


「私のが上手くて、褒められちゃった。……私ね、誰かに尽くすことは嫌いじゃないんだ。仕事もね、誰かに尽くせるからいいやって思ったの」

「嘘つくなし」

「嘘じゃないよ。本当」


 無理矢理笑顔を作って偽る彼女に少々肌が震えた。自分の前で分かりやすい嘘を吐くのは初めてだったから尚更。今度は彼女が自分の手を引き歩き始めた。


「美佳」


 少しだけ声に苛立ちを帯びてしまったがそんなことはどうでもいい。手を振り解こうにも彼女が思っていたよりも強く手を握っていたからそのまま自分は彼女に手を引かれながら歩けば、自分らの住んでいるアパートの目の前。

 そこでようやく彼女は自分の手を離す。


「遥祐は、私がいないと生きていけないけどさ」


 これ以上はやめろ。そう言ったはずなのに彼女の耳には届かない。いや、そもそもその言葉を口に出していなかったから聞こえるはずがなかった。

 手を彼女に伸ばすがなぜか数歩先にいる彼女に自身の指先が届かない。


「私は遥祐が無くても生きていける」


 その瞬間目が覚める。

 顔を見上げれば流れていく車窓が止まっており、扉が開けば乗客が入れ替わる車両内。そして自分の身体に凭れて小さく寝息を立てて眠る彼女の姿。

 いつの間にか張り詰めていた緊張が解け、座っている座席の上で少しだけずるりと体が落ちた。

 彼女に自分は必要ないと言うことなんて、分かってることだろうに。何を今更怯えているのだと内心自嘲した。


 自分が動いたために起こしただろうか、彼女の体も一瞬だけ動いた。そして車両内のアナウンスは次が自宅の最寄り駅だと知らせる。彼女は自分に凭れていた身体を自立させては自分の方を眠気が覚めない顔でこちらを見ていた。


「……どうしたの?」

「次降りるぞ」


 微睡んでいる彼女の顔を見て、自分は彼女の手を握り直した。



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