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 外から聞こえてくる誰かの笑い声で目が覚めた。

 枕元に置いてあるスマホを手に取ると14時過ぎの時刻が表示され、一日を睡眠で消費しかけているこの事態にまた身体の力が抜ける。


 遮光率の高いカーテンの隙間から光が差し込み、追って青空が覗く。

 少し手を動かすと昨晩しこたま飲んだ酒の空き缶たちがからんと軽く音を鳴らした。

 きっと下戸が同じ量を飲んだら死んでいるのだろうななんてぼんやりと思いながら自分の酒の強さに心の無い感謝をした。

 小一時間ぼんやりと天井を眺めてから身体を起こすと真っ先に頭へ激痛が走った。


「――……いってぇ」


 思っていたよりも二日酔いが酷かった。

 引きずるように立ち上がれば、床には女性物の下着や衣類、そして何に使ったのか想像するに易いティッシュのゴミが散らばっているのを避けながらシンクまでたどり着いた。女性物の下着は同居人のものだろうが昨晩の記憶が殆どない。

 その辺に置いてあったコップを軽くゆすいで水を飲めば空になってしぼんでいた胃袋を通過して体内に染み渡る。


 テーブルには律儀に仕事へ行ってくると書かれた紙が置いてあり、冷蔵庫には昨晩食べ損ねたおかずが入ったタッパーが入っていた。ビールは残っていなかったのは残念だったが仕方ない。後で同居人にせびればいい。


 普通の人間らしく生きることが馬鹿らしくなった。きっかけはそんなものだ。

 仕事をやめれば収入もなくなるので家賃も払えなくなる。それから出て行くのは自然の流れで、家財道具をすべて処分して売れるモノを売っ払った深夜、適当に街中をぶらぶらしていたら、路上に座り込むアイツがいた。


『家、泊まらせてくれない?』


 女、しかも名前の知らないヤツの家に転がり込むのは初めてだった。だが彼女も何も考えることができず縋りつける人間がいれば誰でもよかったようで、それ以降居座るようになった。

 同居人とは言うが、自分は所詮ヒモだ。

 ご機嫌を取りながら適当に抱いて、生きていける範囲で適当に家事をこなせば自ずとそれが普通になっていった。


 自分は世間的にいえばクズなのだろう。

 それは以前より思っていたことだが、ここ最近そう思う節が多い。

 いわゆるメンヘラと呼ばれる同居人の精神が回復してきており、家のことが何もできなかったのが進んでやるようになったからだ。今日も冷蔵庫に作り置きしているおかずが良い例である。


 自分が寝そべっている目の前で堂々とリスカするような女だった。

 辛うじて仕事はしていたようだが、風俗だったらしいのでまあ受け身で対応すれば問題なかったのだろう。自分はそんな何もしてくれない嬢は選びたくないけどもそういう店もあるのは知っているし、金が足りない時はそういうところに行ったこともあるがどの娘も地雷がありそうで、どの店も一回だけ行けばそれ以降は近寄ることもしなかった。


 彼女が嘔吐したり失禁することもざらだった。しかもトイレではなく部屋のど真ん中だったので始末したのは自分だったりする。

 自分自身、そんな彼女を放っておくほど腐っているわけでもなかったので自分なりに甲斐甲斐しく世話を焼いてやったりもした。こういったメンヘラ女は少しでも優しくすればあっけなく堕ちてくれるということを知ってからは、彼女には金銭面で利用した。

 優しく慰めてやればお金も簡単に渡してくれるものだから好き勝手にしてやったものである。


 だが何を間違えたのか彼女はみるみるうちに鬱が治っていくではないか。

 もしかしたら自分以外に男が出来たのかもしれないと思い少しだけ探りを入れてみたものの、別に新しい男が出来たわけではないらしいが、通う病院を変えたらしい。

 多少の愛着のようなものはあったから、医者とはいえ別の男の話を聞かされるのがなんとなく嫌になって口を塞いで抱いたのが一昨日の晩。

 それから買えるだけ酒を買い占めて煽ったのが昨日の晩。布団の上に散らばっていたゴミを見た様子ではきっと酔った勢いで帰ってきた彼女とまたヤったのだろう。


 またコップ一杯の水を口にすれば昨晩の彼女の善がった顔が脳裏に浮うかぶ。それが腹が立つくらいには満足そうな笑顔だった。


 良いように利用していたとは言ったが、自分もそれなりに献身な態度を示していたと思う。彼女と一緒に風呂に入ったり、夜中に泣く彼女を抱きしめたり、ヒモだったから、暇だったから彼女の側にいてやったりもした。

 慰めていたのは彼女が使い物にならなくなったら自分が生きていけないから。家事をしたと言っても生きていける範囲だけなので基本的に部屋の床は4割しか見えていない。それ以外は布団や溜まったゴミで敷き詰められている。

 あの女のことだから、きっとまた生理とか天気とか嫌な客からの無茶ぶりでまた病むのだろうと思っていたがまた自分の目の前で手首にカッターを当てるような素振りをしないし、傷が増えている様子もなかった。


 ビールの缶につまみが入っていた袋に脱ぎ捨てた服にコンビニで買った漫画雑誌や封の切れたコンドームの袋。化粧をする時に使ったと思われるティッシュにいつ食べたのか分からないカップ麺や缶詰めのゴミ。

 簡単に部屋の掃除をすれば自分が散らかしたゴミの方が多いこと多いこと。ゴミを拾うこの作業一つ一つが少しだけ虚しく感じた。

 ゴミ袋を玄関の外において、安っぽい下着を洗濯ネットに入れて他の脱ぎ捨てた服と一緒に玄関の外にある洗濯機へ放り投げてスイッチを入れる。

 水が溜まっていく様子を呆然と眺めているとまだ勤務時間内であるはずの彼女の姿があった。


「ゴミ、集めてくれたんだ」


 彼女は自分と足元のゴミ袋を見てそう言った。半透明のゴミ袋には隠す気のないゴミたちが薄っすらと見えている。どうせ壁の薄いボロアパートだ。どうせ自分達が夜にしっぽりやっていることは知っているのだろうから今更ゴミごときでとやかく言われたくない。


「お前仕事は」

「辞めてきた」

「はあ?」

「店を変えたの。今日は挨拶だけ」


 いつの間に。なぜ言わなかったのかと思ったがそんなの自分の知らなくていいことだろうに。


「……あっそ」

「次のお店ね、給料が良いんだ~」


 夏場なのに手首の傷を隠すために着ているカーディガン。そして首筋に髪がベッタリ付くくらいには暑い癖に、彼女はどこか清々したかのような顔をしている。余程前の店の待遇が悪かったのだろうか。

 別に目が肥えている訳ではないが、鞄も服も全て近所の安い店で売られているシンプルなものだ。派手めの厚化粧である分不自然に感じるその格好も見慣れてしまった。


「……マシな顔になったな」

「あ、ありがと」


 よほど嬉しかったのか少しだけ口元をむずがゆく歪めた。これまで自分から見た目なんて褒めたことは無かったなと思う。

 大袈裟に「可愛くなったな」なんて言えたら多少のお小遣いも貰えたかもしれないと後から後悔するが、今の彼女なら「今日どうしたの」なんて疑うだろうか。それとも最近するような下手くそな笑顔を向けてくれるだろうか。

 いつものように肩を抱き寄せれば、彼女も応じるように甘える態度を示した。そうすれば彼女が頑張って金を稼いでくれるから、その労わりである。


「私頑張る」

「……おう」


 頑張るところが違うだろうにと彼女を内心呆れたものの、彼女をそうさせたのは自分自身なのだから何も言えない。

 玄関を開ければ自分の出した欲と煙草の臭いが鼻を刺す。だが最近は彼女がこの前買った芳香剤の臭いも混じるようになった。まさかそれで嫌な臭いも消してくれると思っているのだろうか。

 先に部屋へ入った彼女のつむじを見ると自分で雑に染めていた髪が綺麗にカラーリングされている事に気付く。


「髪、染めたのか」

「うん。美容院行ってきた」

「あっそう」


 自分とて家を追い出される前は家賃と光熱費を払える程度には普通に働いていた。

 だが自然と友達と疎遠になって、仕事を3回変えてから働くのが馬鹿らしく感じるようになった。

 働かないと生きていけないのに、生きる気力すらもなくなっているのだからもうどうでもよくなった。挙句の果てにこのメンヘラ女のヒモである。

 自分はとことん堕ちてきているのに、彼女はどんどんまともな人間になってきている。


「今日の飯はなに?」

「今度は作ってみようかなって、野菜炒め」

「……へえ」


 買い物袋を掲げた。ネギの似合わない女がたまにいるが彼女も同じらしい。そういえば酒のストックが無かったことを思い出す。

 テーブルに置いてある煙草に火を付けて口元に手をやったとき、脳に染み渡るニコチンの感覚に自分は起きてから一度も煙草を吸っていない事を思い出した。


「今日はどこかに行ったの?」

「ずっと寝てたよ」

「すごく飲んでたもんね。お水ちゃんと飲んだ?」

「……飲んだ」


 母親のようなやり取りに何だか気分が悪くなってきたので一本吸い終えると、買いに行くからと言って酒代を強請った。

 ついでに光熱費を払ってきて欲しいと請求書も渡されたので自分は少しだけ舌打ちしたくなった。


「これ今日までなの。早くしないと水道と電気止まっちゃう」


 本当に逞しくなった。



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