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腐海  作者: 遠野麻子
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白い女

 山内さんの趣味はドライブだ。20歳で免許を取って初めてドライブに出かけたときの感動が忘れられず、15年経った今でも週末になると車を走らせている。

 ここ数年は車載カメラでドライブ風景を撮り、動画投稿サイトにアップしていた。運転しながら、見える風景について解説もいれる。始めは気恥ずかしかったが、いつしかすっかり慣れていた。


 画像処理にも気を使った。冗長な部分は切り捨てる。動画を20分ほどにまとめるためだ。前を走る車のナンバープレートや個人が判別できるほどにはっきりと映っている人の顔はモザイク処理を施す。風景には色調補正をかけるなどして、より美しくみえるように工夫していた。また、訪ねた先の名所や名物料理の動画なども添えた。


 ドライブの思い出作りも兼ねて作り始めたのだが、丁寧な編集が功を奏したのか山内さんの動画にはそこそこのアクセスがあった。もちろん観るだけの視聴者がほとんどだったが、数人の常連視聴者もついていた。彼らはいつもコメントを残してくれる。


「『このお蕎麦屋さん、行ったことありますよ』」

「『紅葉が綺麗な季節になりましたね』」

「『今度子どもを連れて行ってみます』」

 それらのコメントは簡潔で落ち着いていて、山内さんと同世代か上の年齢のような印象を感じていた。


 ある日、仕事から帰った山内さんは前日アップしたばかりの動画をチェックした。コメントに返信するためだ。その作業もまた、山内さんの趣味の一つだ。思い出を共有できたような気がしてとても楽しい。


 前日アップした動画は、先週隣県のドライブウエーを走った時のものだ。山あり谷ありのコースで、最後には海が見えてくる。見応えのあるものが撮れた、と山内さんは思っていた。


「さて、と」


 マウスホイールをカリカリと回し、画面をスクロールさせる。コメント一覧を見た山内さんは戸惑った。思ってもいないコメントが表示されていたからだ。


「『10:20のところ、人が映ってないですか?』」

「『白い服を着た女の人がいますね』」

「『あんなトンネルの中に人がいるのっておかしいですよね』」


「白い服の女?」


 動画を編集する時には気がつかなかった。違和感のある人影なら気がついたはずだ。

 疑問に思いながら動画を再生してみた。「10:20のところ」が近づいてきた。


『まもなくトンネルでーす。実はこのトンネル、怪談があるんですよ』

 スピーカーから山内さんの声が聞こえる。あぁ、あのトンネルか。


『ドライブに来た家族がここで事故を起こし、子どもが一人死んだそうです』

 そう語る、動画の中の山内さん。そして10分20秒がやってきた。


「あ・・・・・・」


 画面左に白いものが見えた。動画のシークバーを少し戻す。

『・・・それ以来、このトンネルの中では赤い服を着た少年が・・・』

 10分20秒で一時停止した。

「なんだこれ・・・・・・」

 確かに路肩に人が立っている。白いワンピースを着た長い髪の女。表情までははっきりとは見えないが、ぼんやりと突っ立っているのが分かる。


 再生ボタンを押した。

『・・・家族の車が再び通るのを待っているそうです』

 車はトンネルを抜けた。

『なーんて、噂がありますけど、僕はそういうの信じてないですからね』

 画面の向こうから聞こえる山内さんの明るい声。


 今まで走ってきたドライブコースのあちこちでは、似たような心霊譚があった。しかし、山内さんはそういったことには懐疑的で「ちょっとした錯覚が噂を呼んだだけ」と思っていた。

 シークバーをもう一度戻す。

『少年が・・・』


 一時停止。


 確かに映っている女の姿。

 これは一体どうしたものか。手をかけて作った動画だ。既にコメントもついている。消すのは気が引けるし癪に障る、と山内さんは思った。


 少し考えてコメントをつけた。

「『確かに映っていますね。道に迷ったんでしょうか』」

 そう書いたものの、そんなことがあるはずもないのは分かっていた。


 山奥で近くには人里もない。自動車専用道路のため、人が迷い込むような道もないはずだ。なんらかの理由で車を降りたのなら、あんな危険な場所ではなく明るいところで助けを求めるだろう。第一、指摘されるまで人が映っていたことにすら気がつかなかった。本当に人がいたなら、運転していたときに気づいていたはずだ。


「あー、もういい。たぶんなにか事情があったんだ。そうに決まってる」


 山内さんは無理やりに納得し、その日は休むことにした。


 その翌日は休日だった。昨日の動画をもう一度見にいく。

 再生数が伸びていた。いつもの倍くらいだろうか。コメントも増えていた。


「『こえー、なんでこんなとこに人がいんの(笑)』」

「『ガチで心霊動画じゃん』」

「『((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル』」

 などなど、ネットスラングや顔文字を使ったコメントが並ぶ。投稿者の名前を見ると、どうやら新規の視聴者のようだ。


「まいったなぁ、もう・・・・・・」


 15分ほど経ってからリロードした。更に再生数とコメントが増えていた。どこかで噂にでもなったのだろうか。意図していたのとは違う反響に山内さんは困惑した。


「もうこれはこのまま放置しよう・・・・・・」


 また新しく動画を追加していけばいい。どうせみんなすぐに飽きるだろう。

 山内さんはパソコンの電源を切り、窓の外を見た。ドライブ日和のいい天気だ。気分転換を兼ねてドライブに行こう、と山内さんは思った。海岸線のコースがいい。美味い刺身を提供してくれる店がある。車のため酒は飲めないが、気晴らしにはもってこいだ。車のキーを手にとって外へ出た。


 翌週はまとまった休みが取れた。山内さんは先週撮ったドライブの動画を編集した。まさか、とは思ったがいつもより念入りに。特に変な人影も映っていないはずだ。動画を一度再生してチェックする。大丈夫だ、そう確認した山内さんは、動画投稿サイトに動画をアップロードした。


 処理には時間がかかる。山内さんは先日の動画をチェックしてみることにした。再生数とコメント数は飛躍的に増えていた。コメントをチェックする気にもなれず、そのまま放置して買い物と食事に出かけることにした。先週の刺身は美味かった。手にしているのがお茶ではなく、ビールだったらと何度思ったことか。今日は駅前の居酒屋でビールを飲もう、そう考えてにんまり笑った。帰ってくる頃にはアップロードも済んでいるだろう。


 数時間後、山内さんは賑やかな店内でビールを飲んでいた。程よい酔いが心地いい。その一方でどこか落ち着かない気分を抱えていた。あの白い女。運転していたときも、動画を編集していたときもあの女には気がつかなかった。あの動画のことは忘れよう、そう思いながらも気になって仕方がない。携帯電話を取り出し、動画投稿サイトにアクセスして、例の動画をチェックした。またコメントが増えている。山内さんはため息をついた。


「そういえば、動画のアップは終わったかな」


 携帯電話をタップして、自分のアカウントの新着動画をチェックした。どうやら終わったようだ。画面をスライドさせてコメント欄を確認した山内さんは、危うく携帯電話を取り落としそうになった。

「『5:20のところ、家のベランダにあの白い女いない?』」

 慌てて動画を再生してみた。海沿いの道。左側には海が見え、右手には住宅が並んでいる。穏やかな光が車内に射していた。

 5分20秒。一時停止した。


「なんだよ・・・・・・これ・・・・・・」


 海沿いに並ぶ家々のひとつ。その家のベランダに白いワンピースの女が立っていた。携帯電話の小さい画面のため、その表情までは見えないが背格好といいあの女と思って間違いないだろう。

 山内さんは携帯電話をカバンにしまい、残ったビールを一気に飲み干して店を出た。

 

 帰宅して、もう一度先ほどの動画を確認してみた。

 5分20秒。一時停止。あの白い女。

 その女はぼんやりと海を眺めていた。

「『憑かれてるんじゃない? お祓い行ったほうがいいよ』」

「『up主さん、動画捏造してるんじゃないの?』」


 コメントが増えている。捏造などするわけがない。こんな形で話題になるなど不本意なくらいだ。あの女には見覚えはないし憑かれる理由も思い至らない。そもそも「憑かれる」という現象自体、山内さんは懐疑的だ。


「どうしようかな、これ・・・・・・」


 黙っていてもコメントは増えていくだろう。捏造はしていない、そこだけは主張しようと山内さんはコメントを書いた。

「『捏造はしていません。困惑しているくらいです。映っている女の人についてはよく分かりません』」


 次にアップした動画にも、その次の動画にもその白い女は映りこんでいた。

「『信号待ちしてるじゃん』」

「『おいおい、買い物袋提げて歩いてるぞ(笑)』」

 視聴者たちのコメントのとおり、白い女は何気なく風景に溶け込んでいる。

 毎回映りこんでいないか確認してからアップロードするようにしていたのだが、なぜか見落とし視聴者からの指摘で気がつく、ということを繰り返していた。


 よく気がつくもんだ、と山内さんは感心していた。

 相変わらず「捏造しているのではないか」という声も多かった。

 訳の分からない白い女。一体なんだというのだ。自分は絶対に捏造などしていない。山内さんは半分意地になっていた。


 次の動画にはきっとあの女は映らないだろう。そう信じてカメラを回す。しかし映りこむ白い女。そんなことが10回ほど続いた。


 その日もドライブに出かけた。今日こそは絶対に映らない、そう信じて。

 いつもの通りエンジンをかけ、いつもの通り車を出す。

 今日は近くの大きな公園を一周するコースにしよう、山内さんはそう考えた。

 その公園には城があり、道路からも天守閣を見ることができる。青空を背にした城の風情はきっと美しいことだろう。


「さて、今日はO城公園を一周します。このO城は……」


 解説をしながら運転をするが、またあの女が映るかもしれないと思うと気持ちが暗くなる。山内さんは努めて明るい声を出していた。

 公園の3分の2ほど周った。今日は車も少なく、快適なドライブだ。女のことが頭によぎるが、そこそこドライブを楽しめていた。


「もうすぐ一周ですね」


 山内さんがそう言ってしばらく後、突然ドンという何かがぶつかったような衝撃に車体が揺れた。


「えっ!? もしかして人を轢いた?」


 慌てて車を停め、降りて確認してみた。

 しかし、なにもぶつかった形跡は無い。もちろん、倒れている人もいない。あの衝撃は犬や猫を轢いたものではない。もう少し大きいものを轢いたような感覚があった。山内さんが呆然としていると後ろから来た車が迷惑そうにクラクションを鳴らした。

 山内さんは車に戻り、ハンドルを切って路肩に寄せた。

 一体なんだったのだろうか。

 震える手で車載カメラを手に取り、動画を確認してみた。

「『もうすぐ一周ですね』」

 カメラから声が聞こえる。山内さんの目はある点に釘付けになった。


―白い女が立っていた。


 女はふらっと車の前に飛び出す。にやり、と笑って車にぶつかり、かき消すように消えた。


「一体なんだっていうんだよ!」


 思わずそう叫んだ。

 震える身体とざわつく心を抑えながら山内さんは帰宅した。

 「憑かれる」ということに懐疑的だった山内さんだが、その次の休みに神社へ行き、車をお祓いしてもらった。交通安全のお祓いが効くかは多少疑問ではあったのだが。

 

 その後も白い女は山内さんの動画に映ったが、次第にその回数を減らしていき一年ほど経った頃には全く映らなくなった。

 それに伴い、再生数もコメントも減っていった。今では女が現れる前と同じ程度になっている。

 随分静かになったが、山内さんはおおむね満足している。

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