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腐海  作者: 遠野麻子
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 今から1年ほど前、友人のお見舞いにいった和也さんが聞いた不思議な話。


 和也さんの友人、弘幸さんは交通事故に遭い頭を少しぶつけてしまった。

 そのため、1日ほど意識がなかったが命に関わるほどのことではなく、友人などの面会もしばらくして許されたそうだ。

 和也さんが弘幸さんのところに行くと、いつもの笑顔をみせてくれた。

「安心したよ、」とそのあとに続く言葉を飲み込み、和也さんも笑ってそれに応じた。


 ベッド脇の椅子にかけると弘幸さんはどこか寂しげな笑顔で言った。


「俺には弟がいたんだよ」


 弘幸さんの弟の話なら知っていた。

 彼の弟は、小学校の入学式を控えた2日前に交通事故で亡くなっている。

 和也さんが先ほど飲み込んだ言葉はそれだ。

 弟に続き、兄までも交通事故で亡くしたなら彼の両親はどれほど嘆くだろうか。

 それを思ったのだ。


「ああ、小学生になる前に亡くなったっていう?」


 和也さんがそう答えると、弘幸さんは寂しげな笑顔を見せた。


「みんなそう言うんだな。お前とだって先月飲みにいったんだぜ」


「いや、先月飲みにいったのはお前と、お前の親父さんとだったぞ」


「違うんだよ、違うんだ」


 信じられないかもしれないが、と前置きして弘幸さんは事の経緯を話してくれた。

 

 弘幸さんが事故に遭う前。

 彼の記憶の中では、父親は既に亡くなっており母親と弟の三人暮らしだったそうだ。

 父親は乗っていたバスで事故に遭ったのだという。

 怪我はかなりひどく、弟が小学校に入学する1週間前に亡くなったそうだ。

 混濁した意識の中で、父親は弟の入学式を見ることができないことを切なげに語りながら旅立ったらしい。

 

 その後残された母子は、父親の生命保険や事故の賠償金、母の会社勤めでさほど生活にも苦しむこともなく、穏やかに生きてきたそうだ。

 そんな折に弘幸さんは交通事故に遭った。

 弘幸さんは夢をみていたという。

 父親が交通事故に遭った日の夢を。


 それは春休み。

 父親がいつものとおりに家を出ていった。

 弘幸さんはその風景を眺めながら、これは夢だと確信しつつも、その後に父に起きる悲劇をくいとめたいという衝動に駆られたそうだ。

 あわてて靴を履き、父を追いかける。

 すぐに追いついて父の手を引っ張った。


「待って、いかないで」


 夢の中の幼い弘幸さんは懸命に父を止めた。


「お父さん、仕事に行かなきゃいけないんだよ」


「いやだ、だめなんだよ。いかないで」


 体と言葉遣いは幼くても、なぜか力だけは成人した弘幸さんのものだった。


 結局父親はバスに乗り遅れ、次のバスに乗ったものの前のバスが事故に遭い会社には大層遅れたと聞いたのはその日の夜。

 「弘幸が止めてくれなかったら、巻き込まれてたな」

 布団の中にいる弘幸さんを笑顔でなでてくれた父の顔を見て安心して眠りに落ちた。


 そして目が覚めたら病院だったという。

 真っ先に母親の顔が目に入った。

 よかった、よかったと泣きながら弘幸さんの手を握る母。

 まだうすぼんやりとした気分で弘幸さんは言った。


「今日って何日?」


「22日だよ」


「ああ、そうかぁ。じゃあ充(これは弟の名前だ)に言っておいて。「今日のMステ録画してくれ」って」


 弘幸さんがそう言うと母親は目をまん丸に、本当にまん丸にして言った。


「なに……言ってるの?充は幼稚園のときに死んだでしょう」


「へ?死んだ?」


「交通事故で小学校に入る前に死んだじゃないの、どうしたの?」


 弘幸さんは状況が飲み込めなかった。

 充とは先週飲みにいった。

 子どもの頃の話もした記憶がある。

 運動会のとき、母子三人で食べたお弁当。

 遊びに行った遊園地。

 照れくさそうに詰襟姿を見せる充。

 弘幸さんの記憶には確かに充の姿があった。

 それが夢だと?


 弘幸さんが困惑していると病室に男性が入ってきた。

 記憶の中にいる父より少し老けた父が。


―え!? 親父死んだはずじゃ……


 流石に本人を前にして「死んだはず」とは言えず、弘幸さんは混乱した。

 ひたすらに弟のことを口にする弘幸さんを診た医師は、事故のショックで記憶が混乱しているのだろうとだけ言った。

 父親がいうには、弘幸さんが夢にみた出来事は実際にあったことらしい。

 弘幸さんは思った。

 自分が運命を変えたのか。

 それともあった事実を夢で思い出しただけなのか。

 いずれにしても父は生きており、弟は既に亡くなった者という事実は変わらない。


 日にちが経つにつれ、弘幸さんにも変化が起きた。

 父親との「思い出」がちらほらと頭に浮かんでくるようになったのだ。


 和也さんがお見舞いにいったのはそんなときだった。

 父との思い出もある。

 しかし、弟との思い出もある。

 そんなとき。


「もしかしたら、俺も弟のこと忘れちゃうのかもなぁ」


 弘幸さんはそう言っていたという。


 それから1年。 

 ふと和也さんがその時のことを弘幸さんに聞いてみたところ、


「いやー、あの時はどうかしてた。俺、弟いなかったわ。なんかテレビやなんかで見たのとまぜこぜになってたんだろうなぁ」


 と、笑いながら答えたという。

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