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腐海  作者: 遠野麻子
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今日でおしまい

 佐藤さんの仕事は、置き薬を扱う会社の営業マンだ。

 友人たちからは、各家庭を周って足りなくなった薬を補充するだけの仕事だと思われているがそれだけではない。

 新しく発売された薬の宣伝、新規開拓営業、社に戻ってからはその日の売り上げの計算に、翌日の準備と忙しい。


 意外と時間がかかるのが、顧客との雑談だ。

 この薬は苦くて飲みにくい、肩こりがひどいのだがなんとかならないか、などなど薬に関係のある話はもちろんのこと、昨日のプロ野球の結果がどうだとか、桜が咲いた、果ては愛犬の健康相談まででてくる始末だ。

 顧客との関係上、話を途中で打ち切るわけにもいかず、また、些細な話から新しい薬の売り上げにつながることもあるため、佐藤さんはそれらの話を愛想よく聞いていた。


 その日も会社に戻った頃には規定の退社時刻をとうに過ぎていた。

 今日も遅くなりそうだ。佐藤さんは買ってきたお茶を飲んで一息ついた。


 その時だ。ふいに佐藤さんの携帯電話が鳴った。

 画面を見ると、見覚えのない電話番号が表示されていた。

 それは別に珍しいことではない。

 顧客の電話番号はすべて携帯電話に登録してはいるが、時折違う番号からかかってくることもある。

 この時間にかかってくるということは、まず間違いなく苦情の類だろう。

 薬が足りなかったのだろうか。それとも間違えた?いずれにしても面倒なことでなければいいが・・・。

 そう考えながら通話ボタンをタップする。


「はい、D薬品株式会社営業の佐藤です」


―・・・ザザッ


 電話の向こうで雑音が鳴った。


「もしもし?佐藤でございますが」


 雑音の向こうでかすかに声が聞こえた。


「き・・・で・・・のか・・・え・・・」


 男とも女とも判別できないその声に聞き覚えはない。とはいっても、聞き分けられるほどはっきりとは聞こえないのだが。


「もしもし?雑音がひどいのですが、どちらさまでしょうか?」


 最後まで言い終わらないうちに電話はプツリと切れた。

 間違い電話だったのだろうか。

 かけなおそうと思ったのだが、なにか不穏なものを感じ佐藤さんはそのまま電話を置いた。

 その日も遅くまで仕事を片付けていたが、再び電話が鳴ることはなかった。


 翌日、佐藤さんは移動の車で渋滞にまきこまれていた。

 このままだと次の顧客との約束の時間に遅れそうだ。

 佐藤さんは車の窓を開けて顔を出し、しばらく進みそうにないことを確認した。

 遅れることを伝えたほうがいいだろう。そう思い、電話を手に取る。

 その瞬間、電話がブルブルと振るえ着信を告げた。

 見覚えのない番号だ。とくに気にも留めず、電話に出た。


「はい、D薬品株式会社営業の佐藤です」


―・・・ザザッ


 聞き覚えのある雑音だ。


「きょ・・・でむいか・・・まえ」


 むいか?6日のことだろうか。しかし今日は23日だ。

 6日前になにかあっただろうか。心当たりはまったくない。


「あの、どちらさまですか?」


 昨日と同じように、佐藤さんがそれを言い終わらないうちに電話は切れた。

 これはいたずら電話なのではないか・・・。

 着信拒否をしようかと考えた佐藤さんは、念のため昨日の電話の番号をチェックした。


「あれ?これ違う番号だ・・・」


 どこのどいつか知らないが、一方的に一言だけしゃべって切るとはなにごとだ。

 少なくとも顧客ではないだろう。第一、気味が悪い。

 違う番号からわざわざかけてくるとは、ずいぶんな暇人だ。


 こちらからかけなおしてやろう、そう思い着信履歴をタップしようとした時、後ろからクラクションの音が聞こえた。

 どうやら車が動き出したらしい。佐藤さんは携帯電話を助手席に投げ、ハンドルを握った。

 その日もその後不可解な電話がかかってくることはなかった。


 翌朝、佐藤さんは携帯電話の音で目が覚めた。

 今日は休日。思い切り眠ろうと目覚ましのアラームは切っていたはずだった。


「いや、これ、着信音だ・・・」


 佐藤さんは半分寝ぼけながら電話に出た。


―・・・ザザッ


 あの雑音だ。一気に目が覚めた佐藤さんは、ガツンと言ってやろうと起き上がった。


「・・・きょうでいつかまえ」


 声は遠いが、言っていることは聞き取ることができた。明らかに女性の声だ。


「あなたね、一昨日からなんなんですか!?」


 心地よい眠りを邪魔された苛立ちを抑えきれずに、佐藤さんは大声をあげた。

 その声は相手には届かなかっただろう。今回も途中で切れてしまったからだ。

 昨日はあの後忙しく、おかしな電話にかまっている暇はなかったが、今日は休日だ。

 思い切ってかけなおしてやる。佐藤さんは新しく追加された着信履歴の番号をタップした。


―プルルル、プルルル。


 その音が何度か繰り返されたあと、声が聞こえてきた。


「お客様がおかけになった電話番号は現在使われておりません。番号を確認のうえおかけ直しください。」


 なんだ?今かかってきたばかりなのにどういうことだ。

 もう一度かけてみる。


「お客様がおかけになった電話番号は現在使われておりません。番号を確認のうえおかけ直しください。」


 愛想の欠片もないアナウンスに、佐藤さんは苛立った。


「そうだ、昨日と一昨日の番号はどうだろう」


 幸いあの電話以外の昨日と一昨日の着信履歴は、携帯電話に登録されているものばかりで目的の番号はすぐに見つけることができた。

 結果は同じだったのだが。


 今日が「いつかまえ」。それなら昨日は「6日前」と言いたかったのだろう。

 恐らく一昨日は「7日前」と言いたかったのではないだろうか。

 何かをカウントダウンしている?一体何を?

 気味が悪い。いたずらにしても手が込んでいるし、性質が悪い。

 せっかくの休日を佐藤さんは憂鬱な気分で過ごすことになった。


 その次の日も、その次の日も電話はかかってきた。

 かかってくる時間は決まっていないが、不思議と顧客とやり取りをしている間はかかってこない。

 共通して言えるのは、あの不愉快な雑音から始まるということ。

 声の主は恐らく同じだろうということ。 

 明らかに日数をカウントダウンしているということ。

 毎回電話番号が変わることだった。

 そして、声はだんだんとはっきりと聞こえてくるようになっていた。

 番号が分からない電話に出るのは憂鬱になっていたが、相手が顧客の場合もあるので出ざるを得ない。

 電話が鳴るたびに一瞬身体が硬直し、ため息をついて電話に出ていた。


「今日で一日前」


 その電話がかかってきたのは、佐藤さんが昼食を食べているときだった。

 いつもの雑音は聞こえず、その声ははっきりと告げたあと、いつものとおりプツリと切れた。

 明日なにが起きるというんだ。大体、いたずら電話の主に一体なにができるという。

 佐藤さんはいい加減腹が立ってきて、テーブルに残ったカツ丼を一気に平らげて店を出た。


 翌日、佐藤さんは苛立ち半分、不安半分の気持ちで家を出た。

 何が起こるのだろうか。電話の主が現れて、佐藤さんの驚く顔を見て楽しむとか、どうせ下らないことだろう。

 いや、それともなにかとんでもない事件に巻き込まれたりするのだろうか。


 その日も忙しく営業に奔走した。今日は新規の顧客が3件とれた。

 1件は小規模とはいえ会社なので、そこそこの売り上げが見込めるだろう。

 細々と動きまわったが顧客との雑談もそれほど多くはなく、いつもよりは会社を早く出ることができた

「そういえば、あの電話なんだったんだろうな」


 自宅へと向かう道を歩きながら、佐藤さんは不可解なあの電話のことを思い出していた。

 今日はあの電話はかかってこなかった。やはり単にいたずらだったのだろう。

 暇人もいるもんだ。いや、その前に自分はそんないたずらをされるほど恨まれているだろうか。

 多分それはないな、と佐藤さんは思った。会社ではそこそこ人望も得ている。

 忙しくて女と付き合う暇もないため、そっちがらみの怨恨もないだろう。

 そう考えながら歩いていると、横断歩道にさしかかった。

 赤信号だ。


「今日も疲れたけれど、なかなかの成果があったんじゃないか?」


 佐藤さんは電信柱にもたれながら、少しほくそ笑んだ。

 その時。

 佐藤さんのポケットの携帯電話がブルブルと振動した。


「…もしかして…例の電話…なのか?」


 しばらく無視していたが、思い切ってポケットに手を伸ばそうとした。

 その瞬間、


「今日でおしまーい!」


 佐藤さんの右元で例の声がはっきりと聞こえた。

 ギョッとする間もなく、佐藤さんは思い切り後ろに引っ張られしりもちをついた。

 それと同時に、先ほどまで佐藤さんが立っていた場所に軽自動車が突っ込んできた。

 自動車は電信柱に突っ込み、前のほうが無残にもへしゃげている。


「だ、大丈夫ですか!?」


 あまりの展開に混乱しながら、佐藤さんは自動車に駆け寄った。


「なんとか…大丈夫です。ドアが歪んで自力で出られそうにないので、消防と警察を呼んでください」


 中から若い男性の声が聞こえてきた。

 佐藤さんはポケットから携帯電話を取り出し、然るべきところに通報した。

 目撃者は自分だけだろうか。

 佐藤さんは周りを見渡したが、誰もいない。

 もともと交通量の少ない道路だったこともあって、ドライバーの目撃者もいないようだ。

 やがて消防がかけつけ、男性は無事救助された。どうやら怪我のほうはたいしたことはないようだ。

 ほぼ同時にやってきた警察にも状況を説明し、後日詳しい話を聞かせるということで佐藤さんは帰路へとついた。


 それきり、不可解な電話はかかってこない。

 あの声の主が「いいモノ」だったのか「わるいモノ」だったのか、佐藤さんはいまだに分からずにいる。

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