第3話 スキー場のジンクス
さて、最初に初級者コースを滑り降りた『はるぶすと』ご一行。
あとは誰もが予想した通り、夏樹と椿はスキー対決よろしく難関コースへまっしぐらだ。
「おーっし! 行くぞ椿!」
「負けないぜ! じゃあ由利香、ちょっと行ってくる!」
「2人とも、気をつけるのよ」
大丈夫かしら、とつぶやく由利香たちが見送る先で、リフト乗り場まで競争めいた事をしていく野郎2人。
「由利香さんはどうされますか?」
おっとここで予想外の展開。
シュウが由利香を気遣っている!?
なんのことはない、実は、椿に頼まれていたのだ。
「〈由利香は1人になったら無理するかもしれませんので、本当に申し訳ないんですが、夏樹との対決が終わるまで、由利香を預かっててくれませんか? お願いします!〉」
とね。
預かって、とは、まるで幼児のお守りのようですね、と苦笑しつつ、由利香が無理をして骨折でもされたら困るのはこちらなので、快く引き受けたのだった。
そんなこととはつゆ知らず、由利香は少し考えてから答える。
「うーん、さすがに2人が行った超難関コースは無理。とりあえず中級へ行ってみようかな」
「だったら僕も」
そこへシュウより先に冬里が返事をする。
「え?!」
驚いて声に出す由利香と、無言で目を少し見開くシュウ。
「なーに? あの体力馬鹿2人にはとうてい追いつけないもん。あ、由利香ごめん。だったらここは無難に中級コースってね。さ、行くよ」
体力馬鹿、のところでキッとなった由利香に、少しも申し訳なさそうに謝った冬里が、先に立ってリフト乗り場へと進んでいく。
「ま、当然の成り行きね。じゃあ行きますか」
こちらに呼びかけた由利香に頷くと、シュウも彼らのあとからリフトの列に並ぶのだった。
中級コースとは言え、さすがにてっぺんまで来て下界を見下ろすと、ちょっぴり足がすくんでしまう。
でもここまで来たら仕方がない。
えいや! と心の中でかけ声をかけると、由利香は恐る恐る滑り出し、……、スピードがつきすぎて、みごとにすっころんでいた。
「うわあー、ころぶのいやだあー!」
立ち上がるときに体力を使うのが嫌で、絶対転びたくない由利香だが、まさかの転倒。
「いきなりだね由利香。じゃあお先に~頑張ってね~」
その横をすいーと滑っていく冬里。
「な! 冬里の奴!」
「申し訳ありませんが、私もお先に失礼します」
すると、なんとシュウまでが彼女を置いて行ってしまう。
「鞍馬くん! 貴方まで!」
由利香は今まで幾度となく繰り返したことのあるフレーズでシュウを見送る。
「もおー、仕方ないわね。頑張って立ち上がるとするか。……、……、えい!」
かけ声が聞いたのか、由利香はすんなりと立ち上がることができた。
「やるじゃない私。でもなにこの斜面、90度はあるわよ。……仕方ない頑張るか」
いやさすがに90度はないだろう。けれど由利香にはそう見えると言うことか。
しばらく立ち尽くしたものの、自分で滑り降りない限りは下へはたどり着けない。由利香はちょっぴりへっぴり腰で、いつもの勢いはどこへやら、慎重に慎重に滑り始めたのだった。
しばしばこけそうになりつつも、なんとかこらえて滑りきった由利香。
「ああーやったあ降りてきたー。勘もずいぶん戻ったし、けっこう楽しいかも」
もう1回行くか、とリフト乗り場に並ぶと、なんと目の前にシュウがいた。
「あれ? 鞍馬くん。これから3本目? それともまさか4本目?」
「いいえ、まだ1度降りて来たところです」
「ええー? ずいぶん時間がかかったのね。途中で転んだの?」
面白そうに由利香が言うと、すかさず、にっこり笑ったシュウが返す。
「いいえ。そんなどこかの誰かさんのような醜態はさらしていませんよ。景色が綺麗でしたので、眺めながら降りてきたら、こんなに時間がかかってしまいました」
「まあー、醜態をさらして失礼しましたわね」
「どういたしまして」
そんなやり取りをしつつも、2人乗りのリフトに仲良く? 乗り込む由利香とシュウ。
シュウは椿からの頼みもあって、由利香の様子を見ながら滑っていたので、由利香と同じ時間になるのは当たり前なのだ。
そしてまたてっぺんまで来ると、シュウは知らん顔をして先にすいすい滑り降りていく。
「あらら、あんなに早いのに。途中でよっぽど綺麗な景色があったのかしら」
と言いつつ、由利香には景色など見ている余裕はなかった。
コース2回目、由利香がまだまだ恐々と滑り降りていると、行く手によく知る人物がいた。
シュウだ。
けれど彼は1人ではなく、ストックを何本も脇に持ち、後ろから彼の肩につかまっている1人と、その後ろにまた1人、合計2人の人物を引き連れてゆるゆるとコースを横断するように滑り降りている。
「鞍馬くん?」
由利香は思わず声をかけた。
「何してるの?」
今聞こうと思った台詞が後方から聞こえて来る。振り向くとそこに冬里がいた。
「もしかして、また人助け?」
面白そうに言う冬里に、シュウが説明した。
ここまで滑り降りてきたシュウは、等間隔で転んで、どうしても立ち上がれない3人を目撃する。そんな状態の人を放っておけるはずもなく、順番に立ち上がらせて自分の肩につかまらせ、今は1番下の方で転ぶ1人を助けるべく、そちらへゆっくりと降りているところだった。
けれど、シュウの肩につかまる危なっかしい足下の2人を見ていると、どうにも中級コースを滑れるような技量には見えないのだ。
そこで由利香が事情を聞くと、3人の美女? は、3人ともまったく初めてのスキーなのに、ツアーについていた初心者講習も受けず、なんとかなるだろうと勇んでリフトにのりこんだものの、案の定、ここで挫折してしまったのだった。
「私より向こう見ずな人がいるんだ」
思わずつぶやいてしまう由利香だった。
シュウが冬里に、最後の1人を助けるべく声をかけようとしたとき、天の助けか2人の若者が滑り降りてきた。
「あれ? シュウさん? 冬里?」
「あ、由利香もいた。よかったあ、由利香無事に滑ってる」
それはなんと、夏樹と椿だった。
「椿! 夏樹も。あんたたち、バトルは終わったの?」
「ああ、俺の負け。ほーんと体力馬鹿の夏樹にはさすがの俺もまいるよ」
「何だよなさけねぇ! 俺はまだまだいけたのに」
言い合いを始める2人の間に割って入る冬里。
「はいはい、じゃれ合いはあとでね。ところでねえ君たち、シュウの助っ人お願いできない?」
「え?」
そこで今の状況を確認した2人、特に夏樹が張り切ったのは言うまでもない。
あっという間に転んでいる3人目の所まで滑り降りて、手を取って引き起こしてあげる。
そのあと由利香が、椿と夏樹に事情を説明している内に、何かを思いついたらしい。
なんと夏樹に初心者向け講習を依頼したのだ。
「あんたこう言うの得意でしょ。前にも料理教室の先生だかなんだか、してたじゃない」
「ええ? 料理とスキーは違いますよ。それに俺スキーの専門家じゃないし。変っすよ由利香さん。でも、これも人助けかな。……わかりました、俺で良ければやりますよ」
「えらい!」
すると最初に助けてもらった1人が小さな声で言う。
「あの、でも、せっかくスキーしに来られたのに……」
彼女の言葉に頷き、申し訳なさそうにするあとの2人に、由利香は自分も講習を受けると言って彼女たちを安心させる。
「ええっと、実を言うと私もね、スキーものすごく久しぶりなんで、まだ勘が鈍ってるみたいなの。だから一緒に講習受けさせてもらうわ。」
顔を見合わせていた3人は、そういうことならとようやく頷いてくれた。
この講習を、椿も手伝うことになる。
「俺はちょっと下の方で、ストップ役になるわ。さすがにここの斜面、初心者が滑り降りるのは厳しそうだ」
「おお、ありがとな椿」
そんな経緯があって、夏樹のにわかスキー講習が始まった。
「ええっと、じゃあまずは……、立ち方からはじめます」
専門家ではないと言いつつ、なかなか堂に入ったものだ。夏樹には人を教えると言う天分もあるのかもしれない。
しばらく眺めていたシュウと冬里は、もう大丈夫だろうと、後のことを3人に任せて自分たちはふもとへ滑り降りていった。
「「「ありがとうございました」」」
それからしばらくして、リフト乗り場前に響き渡る嬉しそうな声。
3人は、時間はかかったものの、無事にリフト乗り場まで滑り降りることができたのだ。
「いえいえ、俺も勉強になりましたし。けど、しばらく初心者コースでみっちり滑り込んだ方がいいっすよ」
「「はい」」
「今度から、何事も基礎をきっちり覚えます」
ピースサインなど繰り出す彼女たちに、満足そうに頷くと、
「皆さん良い生徒で俺も安心っす。じゃあ、楽しんで下さいね」
そう言って夏樹は爽やかに去って行った。
「かーっこいいー」
1人が目ハートでいうが、冷静なもう1人がチッチッチッと指をふりながら、すかさず厳しいお言葉をのべる。
「こういうジンクス知ってる? スキー場でいけてる! って思って、是非ともお付き合いして下さいってお願いして、いざ街で会ってみたら、なーんだ、全然いけてなーいってなるの」
「あ、それ、聞いたことある」
「でも、身のこなしも格好いいし、性格も明るくて良さそうだし」
「軽いだけよ。あ、そうだ」
「なに?」
「ここって昼食場所あの大きなレストランだけよね。そこでは誰もが素顔をさらすのよ。あとでどんないけてない奴か、ゴーグルの下の真の姿、確認してみようよ」
「わー悪趣味」
このとき3人は、スキー場のジンクスが通用しない相手がいることを、まだ知らない。
人助けのあとも各々滑りを楽しんで、約束した昼食の時間になりレストランへと向かう。
「あ、くらまくん! ここよ」
1番はじめにシュウたちを見つけたのは、あやねだった。
あやねが他の誰でもないシュウの名前を呼んだ事に、許嫁を諦めていた親方は、また希望の火がともったような気がした。ただしあやねにしてみれば、シュウが1番こちら側にいて目についたと言うだけなのだが。
「お待たせしました」
「いえいえ、私たちも今席に着いたところ」
志水が優しく微笑んで彼らを迎え入れる。
各自が思い思いの席に着いたところで、楽しく昼食が始まった。
同じ頃、初心者3人組もレストランにいた。キョロキョロと辺りを見回すが、残念ながら彼女たちの席は、『はるぶすと』ご一行とは1番離れたあたりだった。
「いないわねえ」
「って、私たちも向こうもだけど、講習の時、だれも顔はさらしてなかったわよ」
「見つかるわけないか」
そう言ってため息をついて諦めかけたとき。
「夏樹!」
と呼ぶ声が聞こえる。間違いない、さっき助けてくれた女の人の声だ。
3人は思わず声がした方を見る。
そこには手を上げて誰かを呼ぶ女性、そして彼女の視線を追って行くと。
こちらに背を向けて、見覚えのあるスキーウェアの男が立っていた。
カウンターに並んでいた彼が、ぱっとこちらを振り向いた途端。
「!!!」
3人は、思わず息をのんだ。
「かっこいいじゃない!」
「スキー場のジンクス、破れたり」
「こんなこともあるんだ」
彼女たちがポカンとするのも仕方がない。
だって夏樹は、めったにお目にかかることができないような、いい男、なんだからね。
食事が終わると、あやねは早くも滑りに行きたそうだ。
「もうちょっと休ませてくれ。えーとあと少し、少しだけ。な?」
もう50を過ぎた親方はさすがにお疲れのご様子。
こんな時は若者の出番だ。
「じゃあ、俺たちがしばらくあやねちゃんと滑ってきますよ。親方はちょっと休んでて下さい」
夏樹がドンと胸をたたいて言う。
その頼もしい姿に、おお、許嫁は朝倉くんでも良いかな、と親方が心変わりしたかどうか、それは誰にもわからない。
「ほんと? じゃあ、あさくらくんたちと一緒に行ってもいい?」
志帆に了解を求めると、彼女は優しく頷いた。
「やった! じゃあ行こう、あさくらくん」
そしてあやねは、夏樹の手を引っ張って席を立つ。
「あ、立ち上がった!」
1番離れたところから、夏樹たちのテーブル、いや、夏樹の動向を大いに気にしていた3人がいた。
それは、レストランを出たところであの人に是非とも連絡先を聞くのよ! とつい先ほど誓い合った初心者3人組だ。
ガタン!
大きく椅子から立ち上がる3人。
あの格好いい講師さんが出口へ向かっている。早く行かなくちゃ。
すると、後を追いかけようとした3人の目に、彼の手を引いて前を歩く少女の姿が見えた。
振り返りつつ何かを話すその子と、とても嬉しそうに笑う彼。
「え、あれって」
「え、子ども?」
「え、もしかして妻帯者? しかも子持ち?!」
またポカンとした3人が、同じように頬に手を当てる。
「「「ええー!」」」
叫んだ彼女たちは、そのままガックリと椅子に座り込んでしまうのだった。
彼女らには、そのあとに続く由利香と椿は目に入らない。
そして当然、面白そうにそちらを見やる冬里もね。
「ああ、彼らがいてくれて良かったよ」
ほう、と胸をなで下ろす親方に微笑むシュウ。
「ところで鞍馬くんは? 一緒に行ってくれないのかね?」
「いまから行きます」
と言ったあと、
「志水さんもあとからいらっしゃいますか?」
立ち上がりながら志水に聞く。
「いいえ、私はおばあちゃんだから、もうこれでホテルに帰ります。そうねえ、ラウンジでお茶でも頂いて、あとはお部屋でゆっくりするわ」
「……そうですか」
少し考えるように言ったシュウは、軽く頭を下げたあとゆっくりと出口へ向かった。
「さて、私も行くわ。あなたたちは午後も楽しんでいらっしゃい」
「気をつけて下さいね」
少し心配そうに言う親方に綺麗な微笑みを返して、志水もまたゆっくりと席を立ってレストランをあとにした。
志水がホテルのラウンジへ入っていくと、「お連れ様がお待ちです」と、ボーイに伝えられて席に案内される。
不思議そうにする志水が向かう先のテーブルから、背の高い男性が立ち上がるのが見えた。微笑む志水。
「お待たせしましたかしら?」
「いいえ、私も今来たところです」
シュウだった。
「わざわざ待ち伏せまでして、よほどのご事情かしら?」
飲み物が運ばれて来ると、ちょっといたずらっぽい笑顔で志水が聞く。
「いえ。ただ、とてもお久しぶりでしたので、たわいのないお話がしたくて」
「あらあら、こんなおばあちゃん相手にたわいのないお話なんて、きっと退屈されますよ」
シュウの返事に、志水はとても楽しそうだ。
そのあと照れるシュウを相手にして、本当にたわいのない話が始まった。
しばらくするとふたりのテーブルに影が差す。
「こっそり逢い引き? 隅に置けないね、おふたりとも」
見上げると、ニッコリ笑う冬里がそこに立っていた。この感じは……少しご機嫌斜め? 珍しい。
ああ、そう言えば冬里に言わずに来てしまったのか。確か彼も自分と同じように、志水さんの隠れファンだったはず。
「紫水さんまで? まあ、こんなおばあちゃんがモテモテでどうしましょう」
コロコロと笑う志水に、冬里のご機嫌が一瞬で良い方に変わったようだ。これも珍しい。
「冬里はもう、気が済むまで滑ったの?」
シュウが聞いたのは、昼食のとき、冬里はまだ滑り足りないような感じだったので、そのまま送り出したのだが。
「うん? ああ、超難関コースで弦二郎さんに追い越されるほどにはね。もちろんあとできちんと追い越したよ」
「え?」
「あら、弦二郎さん。そんなところにいたの? あまりあそこまで行く人がいないからかしら。最初は初心者コースで一緒に滑っていたんですけどね。見える人がけっこういらして、ものすごく驚かれるから、泣く泣く諦めたの」
弦二郎と言うのは亡くなった志水さんのご主人だ。今は、彼らの話の通り、幽霊? として志水さんにときおり会いに来ているのだ。今回はスキー旅行と言うことで、たいそう張り切って来ているらしい。
ただ、事情を知らない霊感の強い人からはその姿が見えるので、とても驚かれるのが玉に瑕だ。
「なるほど。それはすごい対決だったんだね。見られなくて残念だよ」
感心するシュウに、冬里はまたニコリと微笑むと言った。
「ご一緒してよろしいですか? おふたり様」
「ええ、喜んで」
「もちろん」
そうして3人で、またたわいのない、けれどもとても楽しい話が続く。
しばらくすると、志水がふと時計を見る。
「あら、ずいぶん過ごしていたようね。ごめんなさい、そろそろ行かなくちゃ」
「もしかして、ご主人と待ち合わせ?」
「そうなの」
いたずらっぽくウインクする志水が立ち上がると、2人も同じく席を立つ。
「あら、おふたりはもっとゆっくりされてもいいのよ」
志水がそれを遠慮ととったのか慌てて言うが、シュウが首を振る。
「いえ、このあとコテージに行かなくてはなりませんので」
「あら、そうなの。ではこれでお開きと言うことにしましょうか」
「はい、ありがとうございました。お引き留めしてすみません」
「とても楽しかった。ありがとね志水さん」
ラウンジを出ると、彼らは志水とはそこで右と左に別れたのだった。