第1話 実家のこたつにて
ここのところ、週末になるとだいたい現れる猫2匹。
いやいや、本物? の猫ではなく、それは『はるぶすと』の2階リビングに設置されたこたつ目当てにやってくる、秋渡夫妻の事である。
今日も今日とて、ランチ営業を終えた夏樹がこたつで暖まろうと、ウキウキしながらリビングへやってきたのだが。
「うおっ」
素っ頓狂な声をあげて、こたつ布団から首だけ出した物体に驚いている。
「由利香さん! また来てたんですか! しかもいきなり! 来るって連絡も、来たよーの挨拶もなく!」
「えーいいじゃない。実家に来るのに連絡いらないでしょ。しかも挨拶なんてそんな他人行儀な」
「思いっきり他人じゃないっすか。……ちょっとどいて下さい、そこ俺の場所なんで」
「ええーあんたたち入る場所まで決まってたっけ? あ、そうか」
と言いながら、ようやくごそごそと起き出して天板に頬杖をつく由利香。
「まず冬里さまが1番に御自分の場所を決めて。……たぶんソファを背もたれ代わりにできる特等席。で、そのあと鞍馬くんに、〈夏樹はどこにする?〉と聞かれて〈いえいえ! シュウさんを差し置いて俺が先に決めるなんて!〉とか言って鞍馬くんが苦笑しつつ場所を選んで~」
ちょっと考えながら話し出す由利香に、最初はふん! と偉そうに腕組みなどしていた夏樹の手がほどけ落ちていく。
「最後に残ったのが、ここ。でしょ」
「ええ!? 由利香さんあのとき見てたんすか? って、いや由利香さんも椿もいなかったよな。なんでわかるんすか」
「そんなの、長年の経験からに決まってるじゃない。ね? タマさん」
すると由利香の隣のこたつ布団がごそごそと動き出して、顔を覗かせながら、ふわあ~お、と大あくびをしているのは、何を隠そう本物の猫のタマさんだ。
「さもありなん。こいつは100年人のくせによく見てやがるぜ。なあ、夏樹」
「ええータマさんまでえ」
夏樹を見上げるタマさんと、彼をまじまじと眺めた後に情けない声で答えている夏樹を見ながら、由利香がくすくす笑って2人に言う。
「あんたたちってまるで会話してるみたいね」
すると。
「へ? 話してますよ?」
「にゃーおー」
2人が同時に言うので、由利香は肩をすくめた。
「はいはい、夏樹はタマさんの声が聞こえるのよね。いいなあ、私もお話ししたい」
「にゃあお」
するとタマさんは、わかってるだろ? と言うように一声鳴いた。
「あ、いま、わかってるだろって言った?」
今度は夏樹がびっくりする番だ。
「え? 由利香さんも話できるじゃないっすか」
「あ~、なんとなくよ、なんとなく」
ちょっと言いよどむ由利香に、キュと目を閉じたあと、タマさんはズズッとこたつから抜け出した。
「あれ? 今日はもう帰るんすかタマさん」
「はばかりだよ。じぇんとるめんにぶしつけなことを聞くな」
「あ、はい、すんません」
てへ、と笑って頭をかく夏樹。
そんな夏樹に一瞥をくれると、最近タマさん用に設置された猫用出入り口を通って、これまた最近裏階段の脇に設置された猫用お手洗いへと向かうため、タマさんはリビングを悠々と出て行った。
「タマさんもここのこたつの引力にはあらがえないんだな」
すると、キッチンの方からトレイを手にした椿が現れた。
「おう、椿。お前も来てたのか」
「あたりまえだ」
と言いつつ、椿は持ってきたトレイをこたつに置くと、当然のように由利香の隣に腰を下ろす。
ここでこたつの席順について説明。
『はるぶすと』2階リビングのこたつは長方形の6人用。
まず、当然ながら長い方の辺の、ソファに背を向けた席には、冬里が王様のごとく、おひとりで腰掛けられる。
そしてその横の短い辺にはシュウ。この席はキッチンに一番近く、何かあればすぐに立っていける席だ。こたつの引力に執着しないシュウが適任だろう。
最後に、冬里さまの向かいの長い辺には夏樹が。背もたれはないが、先ほどの由利香のように眠くなればすぐにゴロンと横になれるという利点はある。ただしこの席、秋渡夫妻が来たときは、彼らに強奪されてしまうという弱点も持ち合わせている。
「紅茶でいいか、って、それしかないけど」
椿はトレイのティポットを持ち上げると、いたずらっ子のように夏樹に向かってにやりと笑う。
「充分だぜ、サンキューな」
親指を立てつつ答える夏樹。
「ありがとう。ちょうど喉が渇いたところ」
「こたつに首まで入ってたらそりゃあ喉も渇くでしょうよ。……おっと、セーフ……」
椿の横、言えばいつものシュウの向かい側に腰を下ろそうとしていた夏樹は、憎まれ口に反応する由利香の攻撃をかわすと、胸をなで下ろす仕草をした。反対に由利香は悔しそうである。
「椿が入れたのか? おっし、ティーインストラクターの俺が毒味をしてやるぜ」
「失礼ね、毒なんて入ってないわよ」
「いや、夏樹の方には入ってるかもな」
「と言うことは、推理小説なんかで言うと、俺のカップに毒が塗ってあるって事だ! 由利香さん、カップ交換しましょう!」
椿が各々の前に置いたティカップをあっという間に交換してしまう夏樹。
「あ、ひどい」
「夏樹、大体は、それを見越して本当はこっちに毒が入ってるもんだぜ」
「うえっ」
そう言ってまた交換などして、由利香に怒られている。
なんだかんだ言いながら、彼らはワイワイとじゃれ合っているだけなのだ。
そのあと椿は、一緒に運んできたクッキーの皿を置く。
「あれ、このクッキーは?」
夏樹が聞くと椿が笑いながら説明した。
「今日は昼飯を由利香が作ったんで、俺が洗い物担当だったんだ」
「今日はカルボナーラ作ったのよお、えっへん!」
ふんぞり返る由利香を男子2名が冷めた目で見ながら話は続く。
「で、由利香はこたつに入るなり寝てしまったんで手持ち無沙汰になったから、どうしようかなーって考えてるうちにさ、この間鞍馬さんに教えてもらった、あっという間にできるクッキーっていうのを作ってみました~。どうだ、やるだろ。なあ、味見してくれよ夏樹」
最初は面白そうに話を聞いていた夏樹が、途中でえっと言う顔になる。
そんな夏樹を不思議そうに見やる椿と由利香の後ろから声がした。
「早速作ってみたんだね。1つ頂いてもいいかな」
いつの間にそこにいたのか、それはシュウだった。
「あ、鞍馬さん、お疲れ様でした。いいですよ、うまくできていれば良いんですけど」
心許なげに言う椿に微笑みを返したシュウは、皿からクッキーを1つ手に取るとそれを少し眺めてから口に入れる。ドキドキという表情で見ていた椿に、シュウがにこりと笑って言った。
「よくできました」
「本当ですか! ああ良かったあ。鞍馬さんに褒めてもらったぜ、どうだ夏樹、……夏樹、え? あれ、なつき?」
椿が驚くのも無理はない。
なんと夏樹はウルウルと涙目になっているのだ。
「シュウさんに教えてもらったあ?! いつ、どこで、どうやって! ひどいっすよお何で俺には教えてくれないんすかあ!」
「え? いや、だって夏樹、これって超初心者向けの、まあ言わば、猿でもできるって奴だ。お前なんかが教わったって仕方がない」
「俺なんか、俺なんかに教えても仕方がない……、それって、俺なんかには教えたくないってことだあ~」
と、なぜか突っ伏してしまう夏樹。
要するに、シュウが自分の知らないところで椿にレシピを教えたことに嫉妬して、すねているのだ。
首を振りつつ肩をすくめる由利香と、あきれながらもちょっと焦っている椿と。
そんな3人を苦笑しつつ眺めていたシュウだが、やれやれと小さなため息をついたあと、珍しく少し大きな声で独り言を言い出した。
「そう言えば、この春からお出しする和風ランチのスイーツを考えてあるんだけど、まだ夏樹には教えてなかったな。けど今は教えてもらいたくない様子だし。困ったな、どうしようか」
話が進むにつれて、突っ伏していた夏樹の顔が少しずつ上がっていく。
「仕方ないね、だったら今度にするかな」
「大丈夫です! 今度なんて言わず、今すぐ教えて下さい!」
そして上気した顔で大慌てで言う夏樹。
シュウはそんな夏樹を見て、今度も珍しくにっこりと笑う。
「良かった。だったらすぐ取りかかろうか。デイナー仕込みまでの短い時間だから」
「はいっす!」
さっきまでの意気消沈はどこへやら、夏樹は飛ぶような勢いでキッチンへと向かうのだった。
「やれやれ、クラマも大きな赤ん坊相手に大変な事で」
すると、帰ってきたタマさんが、椿と由利香の間から、もぞもぞとこたつに潜り込もうとしている。
「あら、タマさんお帰りなさい」
「どうぞ暖かい中へ中へ」
椿がちょっと布団を持ち上げてやると、タマさんは嬉々とした感じでスルンと中へ入っていった。
「ほんと、うちの末っ子はいつから赤ちゃん返りしてるんだろうね」
いきなり声がして驚く2人の真向かいに、いつのまにそこにいたのか、冬里が座ってクッキーの味見などしている。
「冬里!」
「びっくりした!」
「なにそれ、人をお化けみたいに」
「え、いや、あの……」
顔をちょっぴり引きつらせて言いよどむ椿をかばうように、由利香がずい、と身を乗り出す。
「冬里~、椿で遊ばないでよね。あ、私もクッキー頂こうっと」
そして自分もクッキーの皿に手を伸ばした。一口食べたところで、うんうんと頷いている。
「うん、美味しいじゃない。これだけできれば上等よね」
「ああ、まあ、先生がいいからね」
ちょっと照れつつ言う椿を眺めた後、しみじみと冬里が言った。
「ほんと、好青年って言葉は椿のためにあるんだねー。どこかの末っ子と違って人間ができてるねえ」
「あ、聞こえてますよ冬里。人間のできてない末っ子ですんません」
すると、言葉とは裏腹に上機嫌な声がキッチンから聞こえてきた。
ようやく機嫌が直った夏樹に、顔を見合わせて微笑み合う3人だった。
「今日も寒いねー。でもさ、今年は暖冬とかじゃなくて雪も普通に降るから、スキー場なんかもホッとしてるんじぉゃない?」
しばらくまったりとした時間が流れていたが、雑誌をめくっていた冬里が唐突にそんなことを言い出す。そう言えば何年か前は暖冬で、ほとんど雪が降らない年があったのを由利香は思い出していた。
「なに、突然ね」
「うん、僕だからね」
「なによそれ。でもスキー場っていえば、スキーなんて何年も行ってないわね。どれくらい行ってないのかしら」
「研修で行ったきりじゃない?」
面白そうに言う椿に、由利香が「まさか!」と答えている。
「研修って?」
そんな2人のやり取りに冬里が首をかしげて聞く。
「ずいぶん昔よね。まだ樫村さんの研修受けてた頃」
「そうなんです。冬に自由参加でスキー研修っていうのがあって」
「へえ」
「もちろん参加したわよ! たしか椿も行ったわよね」
「ああ、もちろん」
2人の話によると、樫村が企画したスキー研修というのがあり、経験者も未経験者も参加は自由。一泊二日の合宿のような形でそれは開催されたらしい。そしてその時が由利香の初スキーだったそうだ。
「でも、樫村さんったらひどいのよ。とりあえず初心講習を受けて、やっとボーゲンができるようになったところで、いきなりリフトで中級者コースのてっぺんまで登らせるんだから! で、各自ここから滑って降りろ、よ。なあに、誰でも下まで降りてるさ、ですって。ちょっとひどいと思わない?!」
由利香はそのときのことを思い出したのか、大いにむくれている。
「けど、あの経験のおかげで、一日目の最後には初心者も結構滑れるようになってたじゃない。由利香も確かそうだったよね」
「それはそうだけど」
「それに、あのときさっさと降りていった樫村さん、実は途中で姿を隠して全員が滑り降りるのをきちんと確認してたんだよ」
「え? そうなの?」
その話は由利香も初耳だったらしい。
「俺はスキー結構滑れたから、他の何人かと一緒に様子見を頼まれてたんだ。だから知ってる」
「そんなことがあったんだ。やっぱり樫村さんってたいした人なのね」
由利香は初めて聞く椿の話にいたく感心して、むくれもどこかへ行ってしまったようだ。
だが、むくれているのは由利香だけではなかった。
「なんですかー、椿と由利香さん、ハル兄とスキーに行ったことあるんすかあ。ずりい」
なんと、夏樹がまたすねている。今日はなぜだか赤ちゃん返りのひどい日らしい。
すると、冬里が何かを思い出しながら夏樹に聞いている。
「え? 夏樹はハルとスキーしたこと、なかったっけ?」
「え、と、……いや、……あるんすけどね」
「あるのかよ!」
思わず突っ込む椿。
「あるっすけど! 由利香さんは別にいいっすけど、俺も、椿とスキーしたかったなあ。いいなあ」
「由利香さんは別にいいって、どういうことよ!」
「そのまんまの意味っす」
むくれた者同士が不穏なやり取りをしていると、冬里が不思議そうに聞いた。
「スキーしたかったって、なんで過去形?」
「は?」
「へ?」
問い返す2人に、冬里が輝くばかりの笑顔を見せる。
「行けばいいじゃん。スキー」
「「あ」」
同じように気づく2人に、冬里がくるくると指を回しつついたずらっぽく言った。
「僕をスキーに連れてってえ、ってね」
キッチンの別の方から、ため息が聞こえたような、気がした。
はじまりました。『はるぶすと』の新しいお話です。
スキー話なんですが、夏になっても続いていたらどうしよう(え?)なんてね。
まあそのあたりはしょうがないなとお許し頂いて。
亀の歩みになるかもしれませんが、のんびりゆっくりお楽しみ下さい。