09(修正前)
遙か低い所で戦いが行われていた。
表の世界の人間達は気付かないでいる。すぐ側で惨劇が繰り返されているにもかかわらずだ。
先ほどの封魔師の詠術で仮面をつけた者以外は異常に気付かないように結界が張られた。
どんな異形のものを見ても、人はそれを夢だと思い、いつのまにか記憶のうちから消えてしまうに働きかける結界だ。
地上の闇に咲く大きな白薔薇も結界の一種で、封魔師が魔物を狩るために編み出した目印のようなものだ。
“影島”の詠術は精神力で想像を現実にすることができる。その故に封魔師として名をあげることができた一族だ。
「ふふ、全く。これだから“狩人”は。……水の、何か面白いものが見つかったのかね?」
喪服を身につけた若く見てもせいぜい三十ほどの男性は、隣で熱心に地上を見つめる少年に聞いた。
水の、と呼ばれた少年はくすくすと小さく笑い続けている。
笑い上戸な少年は首を傾げた。
「いや、そんなに面白いものはないよ。ただ楽しそうだなって思って」
「お前はそんなだから皆と反りが合わないのだよ。少しは年相応の態度でいてくれ」
呆れた風に言う男性に少年は、「それはあなたもだろう?」といたづらっぽく笑い返した。
「……ただねぇ。ほら見てよ、中央の二人」
「ん?ああ、あれか。それがどうした?」
「いい線いってるんだけど堅物だからダメ。嫌だ。キライ」
「分かった分かった。お前の好き嫌いが激しいことは知ってるから。……何が言いたい?」
にやりと聞く男性に少年は同じように笑って言った。
「あのちょこまか狩っている奴だよ。あれ、好きだ」
「どれだ?」
「めちゃくちゃ速いからハヤテには追えないでしょ。ハヤテ名前負けしてるよ?」
「う、うるさいな。良いんだよ俺は。トロいのはもともとだ」
焦ったように言うハヤテに、少年はくすっと笑った。
「やっと年相応になりましたねぇ、ハヤテくん」
「……ふん」
顔をそむけたハヤテを追うようなことはせず、少年は視線を地上に戻した。
***
ドオォン!
と大きな音を立てて、それは崩れ去った。
白い結界が散っていくのを感じながら瑠璃はすぐさま次の場所に移動する。
黒い光がほとばしる。
その光のなかに瑠璃はいて、目に付く魔物を全て一瞬にして封じていた。
魔物の封じ方は一族ごとに異なる。
“影島”は言霊で縛って封印する。
“琴吹”は主に封印符を使って封印する。
瑠璃は“鈴宮”だから本来ならば“使役の契約”によって封印するのだが、そのために必要な“契約痕”が瑠璃には無かった。
本来あるはずの物が瑠璃に無かったせいで、瑠璃は一族の異物として生きることになったのである。
そんなことを思い出して瑠璃はちょうど目の前にいた魔物を勢いよく影で包み、圧縮した。
「あ、やば」
力加減を間違えた。
影で作った瑠璃特製の檻のなかで魔物が潰れてしまっていた。
「あー。やっちゃった……」
はらはらと光の塵が舞う。
魔物は死んでいた。
その魔物の屍を檻ごと影に飲み込んで、瑠璃は盛大な溜息を吐いた。
魔物を殺すと歪みが広がるのだ。
「…………見なかったことにしよう」
よしと肯いてまた先ほどのように俊足の足で跳び回ろうと――――
「何言ってるのかなー、瑠璃くん?」
無理だった。
すぐ後ろで聞こえた物凄いドスを利いた声のせいで冷や汗が流れた。
「ええと、見逃してもらえない?香月さん」
言葉だけでも平静に聞こえるように努力した。
背後から漂ってくる気迫は瑠璃にとって無いも同然だったが、これに捕まると後が怖いことを瑠璃は身をもって知っている。
瑠璃は見逃してくれることを切に願ったが、案の定香月は甘くなかった。
「ふふ。今月の担当が私だったことに感謝しなさい。始末書と一週間私の仕事を引き受けてくれるだけで許してあげる」
不気味に高笑いする香月のその言葉に瑠璃は眩暈がした。
香月の仕事は封魔師に関連する諸々のことを総括することだ。
花屋は偽装でしかないわけだが、やると決めればとことんやる主義の香月は花屋としても立派にやっていっている。
しかし最近では封魔師の悩み相談所の様相を呈してしまっていて、一人では処理できないほどの量の嘆願書が送られてくる。
それを手伝うならまだしも、引き受けるなんて体力の限界に挑戦するようなものだ。
「うわ、無理だ。絶対死ぬー」
思わずうずくまってしまった瑠璃を香月は蹴り飛ばした。
「わ!何すんの!?」
「まだ夜は明けてないよ。ほら、さっさと行ってきなさい」
呆れたように言う香月を見て瑠璃は少しふくれた。
「言われるまでもないよ」
そう言って瑠璃は立ち上がり一気に手近な魔物のもとに跳んだ。
魔物とすれ違った一瞬、ぶわっと影が魔物を飲み込んだ。
「どんな感じ?ロウ」
瑠璃は自分の影のなかに潜むロウに次々と飲み込む魔物の程度を聞いた。
『低位の魔物ばかりだ。皆図体は大きいが中は空っぽだな」
ロウはくつくつ笑った。
瑠璃は気のない相づちを打った。
「でも、もっと手応えのある奴がいいのにな」
『そうは言っても、ひとつの町に中位の魔物が大量に現れる方が稀だ。平和の証でいいではないか』
「お前は檻を見張ってるだけだからそんなことが言えるんだって。これ暇すぎ」
『仕事を暇つぶしと考えられては困るぞ。瑠璃』
「分かってるけど……」
走りながらの会話ではあるが瑠璃は息を切らすことなく魔物を封じている。
ロウは瑠璃の影だから会話に支障は出なかった。
「……ふぅ。やっと最後の一匹だね」
『早く帰って休もう。睡眠時間が足りていないだろう』
「たぶん。……夢幻鎖獄が解けていく。あっちも終わりみたいだ」
『よし。早く帰ろう』
「……なんでそんなに急かすんだ?子供じゃあるまいし」
『なにを言っているんだ?瑠璃』
「いや、何でも」
あははと瑠璃は愛想笑いをして家路についた。
***
瑠璃が市全体を一回りした頃、神栄寺にいる二人は付近にいた魔物を全て封印しおえていた。
「……市の中心部だけあって寄ってくる魔物は多いのでしょうけど、今日は何だか少なすぎましたね」
「やはり菫もそう思うか?」
「ええ。変です。時間差がありますけど担当区域の境界線に魔物が多く出現しています。魔物側に何かあったんでしょうか?」
「それは分からん。何もないことを祈るばかりだな」
和哉は夕方言われた瑠璃の言葉を思い出して言った。
「とにかく帰ろう。夜が明けるだろうし瑠璃ももうすぐだ」
「分かりました。それではまた学校で」
「いや、送ろう。ついでの用もある」
「…………分かりました。お願いします」
菫は軽く頭を下げて仮面をはずした。それと同時に市全体を覆っていた結界が解ける。
和哉も菫にならって黒い仮面をはずした。