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キンコンカンコンと聞き慣れた音が鳴った。
途端に生徒は解放されて、しばらく喋った後、おもむろに体操服を手に取り始めた。三限目は体育で、男女とも体育館でバスケの予定だ。
教師はそそくさと教室を出て行った。それと一緒に女子も更衣室へと足を運び始める。
二限目、日本史の織部先生は見た目はデキるキャリアウーマン。美人の部類にはいるのに、特技はチョーク投げだ。しかも腕は一流。
その後ろ姿を見送って瑠璃はまた溜息をついた。
なぜこうもトラブルが発生するのか。
神様がいるのなら問いたいが、二限目は本当に疲れた。
それにしても、二限目はもう思い出したくもない。
親の仇のように織部が玖珂に集中質問し、その度に負けて髪振り乱して怒気を撒き散らすのだ。
たまらない上に白ける。
しかも背中には玖珂の視線が突き刺さる。なぜか玖珂は織部を見ようとしなかった。
はた迷惑をいいとこだった。
織部が瑠璃になにかしたわけではなかったが、瑠璃の心境としては完全な板挟みだったのだ。
もういやだ、と何度突っ伏したかったか。
とにかく疲れた。
泣き言を言うわけではないが積もり積もった身体の疲労が休息を訴えるのだ。
雰囲気だけは緊迫していたから大人しく寝ることさえできなかった。
あの空気を安全だと思うには経験が足りなかったし、なにより玖珂の目の前で寝るわけにはいかなかった。
それは今一番危険なことだった。
溜息を吸っては吐いて、ロッカーから体操服を取り出す。ジャージは暑くなるから着ない。
白いシャツに短パンだけだ。
ちなみにこの組み合わせ、聞くだけは爽やかな単語だが、実際は肌触りがごわごわで安価だったりする。
妙なところでケチだ。
ともかくも瑠璃は周囲に悟らせないようになにかを警戒しながら体操服に着替えた。
なにかとは、なにかだ。
玖珂本人でもあり、玖珂が惹きつける災難たちでもある。
さっきの休み時間の二の舞は踏みたくない。
災難たち。
端的に言えば玖珂にあてられた女子たちのことだ。
玖珂が歩けばその後ろには夢遊病か!?と言いたくなるくらいの女子その他もろもろがついていく。
廊下に出れば玖珂の周りを黄色い悲鳴と共に女子その他もろもろが囲む。
どんなフェロモン出してんだ!と問いつめたいくらいに玖珂の周りは九割、女子だ。残り一割は瑠璃とその他の勇気ある男子だ。
瑠璃は玖珂のいぬ間に菫と和哉を情報交換しようと廊下に出ただけなのに、廊下は玖珂を人目見ようと他クラスが大勢詰めかけていてそんな事を言ってる場合じゃなくなっていた。
進もうとすれば目の前に広がる女子の間をかきわけていかなければいけない。
それは考えるまでもなく無理だった。
なんとなく空しいのだが、思うところもある。
これはいつの時代のミーハー共だ。
近所迷惑にもほどがあるぞ。
そんなこんなで菫と和哉の所に行くのは諦めたのだが、玖珂を観察していた佐々木が「彼、危なそうよ」と言ったので仕方なしに助けてやった。
佐々木は職業柄許容範囲が広いのだが、本当に危ない時は危ないと言う。
玖珂に群がる女子たちを押しのけて行き着くと、玖珂は見事に女子に埋もれていた。なるほどこれは危ない。
「貸し、いち」と呟いて瑠璃は玖珂を引っ張り上げ、クラスに悠々と帰って行った。
玖珂を連れているとなぜか道が開かれるので悠々となのだが、その時すでに瑠璃は一限目と二限目の間の休憩ですでにくしゃくしゃにもまれていた。
ていうか、てめー自分でなんとかできるだろ!
死んだ人間が生き返ってくんじゃねえ、と八つ当たり半分いらつき半分に、ちょうど瑠璃を襲おうとしていた自称変人二号を蹴り倒して二限目に入ったのだが、玖珂恐るべし。
教師までもを情緒不安定に陥らせるとは。あの凍てついた目でなにを語ればこんな事になるのか。
世のモテない男どもに伝授するべきだ。
いや、なんか意味違うな。
とまあ、関係ないことを頭の隅で考えながら瑠璃は玖珂に話しかけた。本当に不本意だが。
素早いほかの男子たちは我先にと体育館へと走り去っていて、クラスには男子が片手で数えられるくらいしかいなかったのだ。それなら瑠璃がフォローした方が幾分かマシだ。
「玖珂。体操服持ってるよね?」
我ながら自然な風に聞けたと思う。つっかえもしなかったし声を裏返らなかった。
ごく普通の質問だ。問題ない。
「ああ、持ってるよ。今日の体育ってなに?」
「バスケ。玖珂は運動神経良さそうだからこなせるでしょ」
「まあね」
その自信はどこから来るんだ……。
当たり障りのない会話をして、クラスメートがいるところでは猫をかぶってるんだなと思った。
特大で大量の猫をかぶっているに違いないが、どうせなら早く本性を見せてもらいたい。
仕事関係ではなくて、瑠璃が玖珂の笑ってない笑顔に耐えられないだけだが、ものすごいド迫力で正直滅入る。
はぁと溜息をついて暢気に着替え始めた玖珂を見た。
なにげなく目に入った身体にはきれいな筋肉がついていた。
バランスがいいとでもいうのか、意外に着やせするタイプだったんだなと瑠璃は思った。
おやっと気になるところがあった気がするのだが、ひとまず置いておく。
瑠璃の考え事は玖珂の報告をどうするか、であった。
菫や和哉にどう知らせるかが第一の問題で、良い案が出ても迷ってしまう。
学校ではこっち関係のことは話せないし、夜にだとなにかあった時にはもう遅い。人目のない所で接触できるといいんだが。
瑠璃が唸っている間に玖珂は着替え終わったらしく、行こうと促してきた。
それに生返事を返して何気なく玖珂の背を押した瞬間、ぐらりと世界が歪んだ。
「え――――」
やばい、倒れる――――
眩暈かなにかだろう。平衡感覚がなくて足で踏ん張れない。
頭では分かるのだが手も足も動かなかった。
瑠璃が痛みを予想して目をきつく閉じると、力強いものが瑠璃を受け止めた。
「? な、ん……」
「平気か?突然倒れるからびっくりした」
目を開けると玖珂が歪んで見えた。まだぐるぐるしている。
なんとなくだが、どうやら瑠璃は玖珂に抱え込まれているらしい。
「……玖珂、か。ありがとう、大丈夫だ、よ――!」
内心ではものすごく慌てていたが表面上は冷静を装い起きあがろうとすると、ズキリと頭が痛んだ。
「うー。ズキズキするー」
「……大丈夫じゃなさそうだな。保健室に行く?」
「いや、いい。大丈夫……」
得体の知れない奴に助けを借りるほど程度は落ちていない。
差しのべられた手を押し返して瑠璃はゆっくりと、ふらつきながらも立ち上がった。
見える物すべてが歪んで見えるので気持ち悪い。
酔いそうだったので目を閉じて歩いた。
気配はすべて感じている。障害となるものは避けられるから視覚情報なしでも全く問題なかった。
教室の気配は全部で七つ。
瑠璃と遠巻きにこちらを見ている五人のクラスメートと、玖珂。
見て確認したときと同じ人数だ。
玖珂は気配を消してないのかと変な風に感心したとき、後ろについてきていた玖珂の気配が大きく変質した。
「!」
驚愕で目を見開きソレから距離をとろうとした瞬間、またなにかが瑠璃を揺さぶった。
歪みに波が押し寄せる。
あたかも二つの波紋が交差するように。それは曲がった。
「な、ん――!」
その言葉は続いた衝撃によって封じられた。
ぴくり、と一瞬身体が強ばり、それきり何もかもが自分のいうとおりにならなかった。
身体が動かない。手も足も動かない。
動け、動け!と念じても指一本さえ動かせなかった。まるで感情だけが残された人形だ。
そう思って瑠璃はぞっとした。
体勢が不安定なので木偶の坊のように倒れるのかと思ったが、今度もまた玖珂が瑠璃を受け止めた。
――油断した。
まさか白昼堂々廊下で仕掛けてくるとは。
クラスメートの近くでは大人しい、そう早とちりするなど言語道断だ。
瑠璃が心の中で激しく自分を責め立てていると、玖珂は言った。
「手荒なまねをしたことは詫びよう。だが鈴宮を害そうとは思っていない。安心してくれ」
真摯とも受け取れる言葉だったが、あいにく瑠璃は自分の自由を奪った相手に対して容赦しない。
玖珂に対する認識が甘かったことは先ほどの気配で理解した。
この不始末はきちんと返す。
再びこの手が動くようになれば必ず殺してやる。
瑠璃は壮絶なまなざしで睨むと、玖珂は少し怯んだように見えた。
「……少し移動する。しばらく眠っていてくれ」
それを聞くと強制的に瑠璃の意識はシャットアウトされた。