01(修正前)
気を抜けば一瞬で意識を失いそうな退屈すぎる授業を横目に、瑠璃はふぅと息を吐いた。
瑠璃は眠気など微塵も感じていないが、教室内を見渡せばすでに大半以上が撃沈している。
顔を上げて黒板を見る者なんて片手でも余ってしまうほど少ない。そしてそういう人達もただ前を向いているだけだった。
……委員長も可哀想に。立場があるもんな。
ただ嘆息して、そのなかに含まれるクラス委員長に同情した。
確か最近は備品の管理でてんやわんやと忙しくしていたはずだ。夜も遅いのだろう、目の下にはっきりと隈が描かれていた。
瑠璃は密かに溜息をついて、壇上で教鞭を執る教師を見た。
まだ四十も半ばの男性教師は生徒の状態を気にかけるでもなく淡々と板書を続けている。
さすが全生徒に嫌われているだけのことはあって神経は図太くできているようだ。
補足すると、一応数学を教えているらしい。その証拠に、黒板には数字が羅列されていた。
数学大好きな人には暴言ととられるかもしれないが、瑠璃にはそれが数字をただテキトーに並べただけにしか見えない。
多分意味があるのだろうが、それは瑠璃には分からなかった。
瑠璃は授業に参加しているものの、それは形だけだったので、すでに内容は理解できないレベルにあった。
だが高一の内容を総ざらいすれば理解できるようにはなるだろう。その気は全くなかったが、解決方法は一応あるのだ。
もっとも、そこまでしないと分からない教科はこの数学だけなので、平均から言えばそれほど問題はないと思う。
完璧な人間などいないのだ。
瑠璃はそう思っていたので、自分が数学ができないのを納得していた。
瑠璃は今日どれくらいになるか分からない何度目かの溜息をついて、黒板の僅か上に掛かっている時計を見た。
……あと五分。あと五分で家に帰れる。これを遅いと見るか早いと見るか。
そう考えて瑠璃は苦笑した。
……あと五分でこのもやっとした空気から解放されるなら早いに決まっているかな。
少し苦笑いをにへら顔に加えたその時、涼しい風が開けた窓から入り込んだ。澱んだ空気を一掃する。
窓側の席なだけあって、瑠璃は風をもろに受けた。
季節は初夏に入ろうとしているが、半袖で、しかも気温が低い日に風が吹くと少し肌寒い。
窓の外の景色はどんよりと曇っていた。
その空を眺め、おかしいなと思ったのだが、とりあえず隣の視線が痛いので窓に手をかけた。
首を傾げながら窓を閉めようとしたのだが、いきなり突風かといいたいくらいの強風が吹いて、思わず手を引く。
途端に視界一面がベージュ色に染まった。
邪魔以外のなにものでもなかったので、瑠璃は慎重に視界を遮るカーテンをはずしていった。
焦るとカーテンがレールからはずれてしまう事は経験から学習済みだ。
だからおかげで余計に気を遣った。
しかしいったんはずしたかと思うとまた風が吹いてカーテンが広がる。
瑠璃は苛立ちを押し殺してカーテンを纏めようとするが、風はまるで邪魔するかのようにその度に強く吹き荒れた。
そんなことを四・五回繰り返して、いっそのこと引き千切ってやろうかと考えた時、授業終了のチャイムが鳴った。
「……じゃあ今日はここまで。号令……」
「……きりーつ。礼」
クラス委員の眠そうな号令で礼をし、瑠璃はしつこいカーテンを適当に引っ掴んで丸めた。そして頭の中から消去する。
待ちに待った下校の時間だ。嫌なものは早く忘れてしまうに限る。
壇上にいた教師が廊下の端に消えていくのを確認して、机の横に掛けてある鞄を掴んだ。
帰りのホームルームに出ないことにしている。目立つだろうが、どうせ「気をつけて帰るように」だけだ。出る意味がない。
そのままドアに向かう。手を掛けてまさに開けようとした時、ドアはひとりでに開いた。
もちろんそんなことが起こるわけがない。
瑠璃は自分の高い目線を大分低い位置に向ける。そこには小柄すぎる老教師がいた。
「……とかげちゃん。なんで今日に限って早く来るの」
「まあそう言わんと。鈴宮は席に着きなさい。連絡がある」
とかげちゃんの渾名で知られる渡月 影彦は柔らかく笑んだ。
関西の訛りが混じった言葉は決して聞き取りにくいということはなく、むしろ気持ちを安定させる作用を持っていた。
「……とかげちゃんがそう言うなら、別にいいけど」
渡月が午後のホームルームで連絡があると言えば、それは重要だということだった。
それにこの学校で渡月に逆らえる人間などいない。いるとしたらそいつはもの凄いバカなんだろう。
瑠璃はふてくされながらも大人しく自分の席に戻った。
その時にはすでに風は収まっていて、瑠璃が丸く纏めたカーテンは空しく漂っていた。