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作者: アルミ缶

母親が嫌いだった。

とても厳格な人で、私が何かへまをすると「りな!」と私の名前を呼びつけ、「来なさい」と言われて叱られる。


色々と容量が悪かった私は、幼少期からよく怒られた。

母の「来なさい」という言葉は、言われ過ぎてもう口の動きだけでわかってしまうほどだ。

今思えば、母子家庭で私をちゃんとした人間に育てなければという焦りに似た使命感があったのだろう。


私が中学生になってからはさすがに叱られることは少なくなった。

それは私がちゃんと生活できている証なのかもしれないし、母が以前より元気が無くなったというのもある。


母はあまり怒らなくなった。そしてよく病院に通うようになった。体があまり良くないらしい。私のことはいちいち口出ししてくるくせに自分のことは何も話してこないし、口出しもさせない人だからそれ以上のことはよくわからない。


だから急に入院すると言われたときは驚いた。驚いたし、動揺した。

すでに十分自立できていたし、生活にそれほど支障はないけれども、母がいない家は魂を抜かれた抜け殻のように感じられた。


いつものように学校帰りに病院に行くと、看護師が切羽詰まった様子で私に「お母さんが倒れた」と告げた。

私は急いで集中治療室に向かった。


母親は酸素マスクのようなものをつけられて治療を受けていた。

まだ意識はあるようで、私がそばに行くと私の服をぎゅっと握ってきた。何やら口を動かしている。酸素マスクの中が曇る。

見覚えのある口の動きだった。「イ」の口、「ア」の口、「ア」の口、「イ」の口。


「き、な、さ、い」


きっとそう言っているんだと思った。久しぶりに言われる言葉だ。私に近くにいて欲しいのだろうか。

しかし、続きがあった。「イ」の口、「エ」の口、「ウ」の口。

私は強く母の手を握り返した。




母は結局一命はとりとめた。依然体調を崩すことは多いけれども、また我が家の魂として存在感を保っている。


母が倒れたときのことを思い出す。あのときなんて言っていたのか、母は聞いても教えてくれないだろうけど、私にはなんとなく正解がわかった気がした。


私はちゃんと愛されていたのだ。

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