とあるネット通販ユーザのレビュー
突然だが《ロア子》という方をご存じだろうか。彼女はおそらく一般市民である。そして日本のどこかで生きている。二十代か三十代の女性と考えているのだが、それさえ俺の憶測でしかない。つまり男性かもしれないのだ。
俺がロア子の存在を知ったのは、とある通販サイトのレビュー覧であった。最初はやけに長ったらしいレビューを書くユーザがいるな、くらいの印象しかなかったが、二回三回と目にするうちに評価は一変した。ロア子のレビューはすべて面白いのである。総レビュー数は百件を超えているのだが、どれ一つをとっても彼女以外の人間には書けないだろうと思うほど情緒に溢れていた。そう、俺はロア子のレビューに魅了されている。
例えば最近に投稿されたレビューを読んでみよう。
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《エミフル製菓》
《うま塩ドーナツ 4個入り×20袋》
《税込み648円》
レビュー者:ロア子
タイトル:クソまずい……まじで……
評価:★★★★★
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タイトルで商品をこき下ろし、最高点の評価を与えるのがロア子の流儀らしい。彼女のレビューを追っかけている理由も、飴と鞭のようなギャップに魅かれたからである。
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昔むかし、私はすごく貧乏な家庭で育ちました。口にできる物といえば平日だと学校の給食、休日だとカップ麺とおにぎり一個です。母親はいましたが、日中はずっと寝ていて、夕方くらいに外出します。水商売をしていたのでしょう。父親の顔と名前は知りません。幸せの欠片も存在しない家庭でした。
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ロア子のレビューは不幸な生い立ちから始まるケースが多い。
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こういう女の子は、似たような境遇の子とつるむか、ぼっちを貫くかの二通りです。私は後者の方でした。友達と呼べる存在がいなかった時期が多いです。
とにかく土曜日と日曜日は退屈で苦痛でした。母親は寝ている、友達はいない、お腹は空く、勉強はできない。仕方なく近所のスーパーに行きます。試食です。顔見知りに出くわすと恥ずかしいので、夕方くらいの時間は行きません。
試食はお肉、漬物、パンがメインでした。果物のある日はラッキーという感じです。店員さんと話したことはないですが、私が貧乏であることを察していたのか、邪険に扱われた記憶はありません。時代なのでしょうか。いいスーパーでした。
ですがね、ちょっとした事件を起こしちゃったのです……。
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事件というキーワードが俺の想像力を掻き立てる。
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単刀直入にいうと、売り物のドーナツを試食と間違えて食べちゃったんですよ。
ひと口サイズのドーナツでした。すぐに気づきましたよ。やっちゃったな、と。
後悔したところでドーナツは胃袋の中です。ふと顔をあげた瞬間、カウンターの奥にいる店員さんと目が合いました。パニックになりました。犯罪だとわかりました。このまま刑務所へ連れていかれると本気で思いました。だって、お金を持ってませんから。
「ドーナツ、旨いか?」
私は訳の分からぬまま頷きました。
「ごめんな、お嬢ちゃん。これは売り物にならないんだよ。形がちょっと変だから、試食に回すやつなんだ」
店員さんはビニール袋にすべてのドーナツを詰めると、それを私の方に突き出しました。現場の責任者だったのでしょうか。問題にならなかったか今でも心配です。子どもだった私は一言のお礼さえ返すこともできず、公園まで一目散に走りました。寒い日だったと記憶していますが、たっぷりと汗をかいたのを覚えています。
私はこの日、人生で二つの経験をすることができました。
お腹いっぱいに食べること。
嬉しさのあまり泣くこと。
涙のしょっぱさとドーナツの甘さが混ざって、最後の方はクソまずいと思いました。まじで……。人間、満腹になると味覚がアラートをあげるのでしょうね。それでも無我夢中で食べました。そして一つの決心をしました。いつか自分でお金を稼いで、気持ち悪くなるまでドーナツを食べるんだ。それが私の人生の目標なんだ、と。微笑ましいくらいの幼さです。
残念ながら件のスーパーはもう存在しません。巨大ショッピングモールの出店のあおりで撤退しちゃったようです。だから恩人の店員さんがいま何をしているのか知る由もありません。当時のドーナツの味さえ覚えているか怪しいです。それでも……。
『あなたの優しさに救われた女の子は今日も精一杯生きています』
色あせた記憶を思い出させてくれる、そんな《うま塩ドーナツ》です。
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俺はそっと「商品を購入する」のボタンをクリックする。