美しい心
元に戻るために、まずは世界中のオカルトを調べさせた。異世界について、その移動について、どんな些細なものでもヒントになればと調べさせた。
私自身が調べるより、専門の人間に調べさせた方が効率がいいので、大金を積んで組織化させてやらせること、一ヶ月が経過した。
だけどまだ、何の手がかりも得ていない。黒魔術なんかにも手を出させて、悪魔召喚等と言う胡散臭いことこの上ないこともやらせてみているが、今のところ本物にあたっていない。
ばんっ、と耳障りな音がして、ガラスが割れた。これでいったい、何枚目だろう。とその音で戻った理性が内心でため息をついた。
「麗美様っ、また、お怪我をしたらどうするんですか」
「このくらいじゃしないわよ」
麻知に返す体なのだから、傷を残したらさすがに悪い。しかしこちらの世界では、女の体は丈夫で、傷つくどころか痛みすら殆どない。殴った瞬間だけ、衝撃があるだけた。
だけど麻知は、とても心配そうに、その瞳を揺らして、そっと私の右手をとった。
この一ヶ月で、麻知も遠慮がなくなってきた。今、美しい顔を持つ麻知だからこそ、触れられても怒りはない。状況も状況なので、精神的にも支えようとする麻知を私は受け入れている。
事実として、そんな麻知の以前と変わらない忠信は、ただ一人の美の理解者であることもあり、私にとって希望の一つとなりつつあった。
「それでも……麗美様のお心が、少しでも傷ついてるかと思うと、心配になります」
「……」
その忠信が嬉しい半面、その美しい私の顔に救われる半面、私の顔が奪われている事実に、いつも心が張り裂けそうになる。
私の顔は美しい。こちらの世界に来ても、その美しさを保つために以前の私と同じ生活をさせている。微塵も衰えない、美しさ。
だけどいつからか、私はその美しい顔を、歪ませてやりたいと言う欲求を持っていることに気づいた。自分のものにならないなら、壊してしまえと言う破壊欲求なのか。
私を信頼し、心から案じている麻知。それは有り難いけど、麻知はこの苦しみを理解していない。持って生まれた当たり前のものを失い、目の前で見せびらかされる苦しみを、誰に理解できよう。
わかってる。私が命じたから常に見せているのだ。わかってる。麻知の責任ではないし、現状において麻知はよくやっている。
そんな何の非もない少女を、自分勝手な欲求で痛みを与えるなんて許されない。それに本当にやったら、美しい顔を失って私自身が耐えられないのは目に見えている。
「麻知……あなたの献身は、認めるわ。だから、次から気を付けるわ」
こんな言葉を、言うなんて。自分でも信じられない。間違いをただの一度もしたかったなんてことはない。いくら私でも、知らないことはあり、間違いもあった。だけど間違ったなら二度としない。
気を付ける、なんて、曖昧なこと、言ったことがない。感情によって自身が制御できず間違うなんて、屈辱的なほどだ。
それでもそれ以外に言いようがない。これが、現実だからだ。
「はい。ありがとうございます!」
ここで、心からの笑顔でお礼を言うのだ。麻知は確かに弱いけれど、その内面を美しいと言ってもいいのかも知れない、と私は思い始めていた。
むしろ最近は、私は自分の心の美しさに、自信を失い出していた。
昼間、学園にいる間は、それでも私は外聞を気にして気を付けているのだ。私の醜い弱味を、他人にさらすわけにはいかないから。
ただガラスを割り、醜い者を側におく奇行をしているだけで、それ以外の私の評価は変わらない。
「今日も、お疲れさまでした」
「ええ……」
憂鬱な、入浴の時間だ。
初日に朝の世話係をやめさせて、麻知にやらせたのは始まりにすぎなかった。それから徐々に、と誤魔化せないくらいにすぐに、麻知は私の世話を全てすることになった。入浴もそうだ。
いくら私でも、全てを一人の人間に、休みなくさせるのは無理があると思うので、かなりその精度も量も妥協して、私自身でやることで負担を減らしているつもりだ。それでも強制なのだから、その分使用人として登録して、給金に色をつけた渡してはいる。
その殆どを使わずに、私の世話を厭わない麻知に、心を許しているのを自覚している。
だからこそ、二人きりでいることを望むし、二人きりであるほど、私は感情の制御が難しくなっている。自覚はしていても、修正が難しいほどだ。
そしてそれのピークが、入浴だ。私が使う家中から、鏡をなくさせた。それでも入浴をすれば水面に顔がうつるのはどうしようもない。
「麗美様、お気をつけください」
お互いの体を綺麗にしあってから、湯船に向かう。湯船に入る段差の手前で、麻知はそう言って私に手を出す。それをつかんで、ゆっくりと中に入る。
こんなことは、元の世話役の侍女もしなかった。それだけ、麻知が私の一挙手一投足に気を配っているのは、もはや疑いようもない。
「……何か、話しなさいよ」
こんなときは気をまぎらわせたいので、そう指示を出す。麻知もそれに慣れたので、驚いた様子はなく視線を泳がせ口を開く。
「あ、はい。えっと、明日は体育がありますね。麗美様は運動神経もいいので、羨ましいです」
「そうね。でもあなたも、こちらでは以前より力とかあるでしょう?」
「そうですけど、運動のセンスですとかは、大きいですよ。麗美様はさすがです」
にっこりと微笑む、美しい私の顔。さっきからずっと見ている。
水面を見ないように、ずっと、その美しい顔を見ていた。その顔こそが、私の顔だから、見ていた。それこそが水面に映ってる顔だと、思い込むように見ていた。
だけど、無理だ。私はこんな風に笑ってない。私の顔だけど、私のものじゃない。麻知は私の思い通りに従順だし、その全てを私のものにしている。
だけど、その表情を動かすのは、私じゃなくて麻知の意思だ。私じゃない。私の顔じゃ、ない。
見ているのが辛くなって、視線をさげると、そこには醜い顔がある。醜い、私の、顔。
「ひゃっ!?」
ばしゃんと強く水面を叩く。水しぶきがかかった麻知は悲鳴をあげる。ちらりと見ると、驚いたまん丸の目をして、幼いような顔つきになっていて、とても美しくて、可愛らしさもあって、私の顔じゃ、ない。
私の顔はひたすらに美しかった。こんな可愛らしさなんてなかった。その可愛らしさは、私の顔ではない証明だ。
なんて、憎らしい。
「ひゃあ! れ、麗美様!?」
もっと、今度は意識してお湯をすくって麻知にかける。麻知は戸惑いながら慌てて下がってお湯を避ける。
「麻知! 麻知ぃ!」
「は、はい! なんですか!?」
名前を呼ぶと、すぐに戻ってきた。怯えを含み眉を寄せ目元を震わせ、口を少し開けている。そんな間抜けな顔さえ、弱い顔さえ、可愛らしい。完璧な美しい私の顔だからこそ、そう見えるのだ。
そしてその美しさは、今、私のものではない。
勢いよく麻知の顔を両手で挟み込むように持つ。ぱんっと音がなって麻知も身を震わせたけど、痛みはないはずだ。私の手も痛くない。
「麻知……麻知!」
「はい。なんですか? なんでも、仰ってください。私になら、何を言ってもいいんです」
「……どうして、私の美しい顔で、そんな顔をするのよ。それは、私の顔なのよ」
どうしようもないことだ。表情の全てを制御することはできないし、そうさせるほど、麻知が何をしたわけではない。罪人ではなく、むしろ善意の協力者なのだ。
だけど無茶を言う私に、麻知は優しさのこめた表情を、一片も緩めない。むしろ、愛情深いかのように、笑みを深める。
「はい。この顔も、何もかも、麗美様のものです」
それが余計に、私の中の醜い感情を刺激する。
「こんな、こんな醜い顔で、どうやって、生きていけと言うの。こんなに醜い顔で、よく生きてこれたわね」
「ありがとうございます。麗美様の美しさを拝見してからは、それが生きる希望でした」
「……私は美しいのよ」
「はい。麗美様は、美しいです」
「麻知が醜いのよ!」
「はい。仰るとおりです」
体の中から黒いインクが漏れ出すみたいに、汚い行き場のない感情が溢れて、私の体を動かした。私に押さえつけられて、麻知は、水面下へその顔を沈めた。
「! !」
がぽがぽと空気が漏れる。さすがに麻知も抵抗するけど、お互いに強くなった体では、私の方が力が強い。麻知の顔が苦しさに歪む。
それに、頬が緩んだ瞬間、はっと気付く。一通り空気を出して落ち着いた水面には、かつて見た麻知よりも、よほど醜い化け物の顔が映っていた。
「!」
「げほっ、げほっ」
ぱっと手を離して、一歩下がる。すぐに浮き上がった麻知が、盛大に咳き込みながら大きく呼吸をする。
「はぁ、はぁ」
「麻知……ごめんなさい」
元の私と変わらない美しさを保ち、可愛さを追加した麻知。それに対して、私はどうだ? 麻知の顔は確かに醜い。だけど、さっきの私の感情がのった顔は、この世のものではないほど、見るだけで呪われそうなほど、醜かった。
麻知の感情は、私の美しさを損なわない。私の感情は、麻知をさらに醜くした。
これはつまり、内面の美しさのみを注視した場合、私は麻知よりもよほど、醜いと言うことだ。
なんてことだろうか。知りたくなかった。今まで美しいと思っていた私の心は、身体の美しさからくる余裕によりそのふりができただけだった。
元の麻知はあんなに醜いのに、今の私より美しい心でいたのだ。
「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい」
死にたい。美しくない私に、生きている意味があるのか。
涙が出てきた。両手を顔につける。このまま、水面下へ私の顔をつけつづければ、死ねるのか。
「はぁ、れ、麗美様。そんなに、謝らなくていいんですよ。私は、麗美様のものですから。どんな風にされても、いいんです」
その言葉に、私は手を離して、顔をあげた。
麻知は、微笑んでいた。その顔は、美しくて、私の顔だったときより、よほど、美しいとすら思えた。
滅茶苦茶、歪ませてやりたい。そんな思いは、麻知の美しい心に触れても、なくなるどころか、余計に強くなった。
そんな自分が嫌で、しばらく涙はとまらなかった。