紙袋との戯れ
「おはようございます、朝比奈様。今日もお美しいですね」
教室に入ると、クラス全員が振り向いて、口々に似たような挨拶をする。私は美しいので、言われて当然だけど、こんな風に義務的に言われても鬱陶しいだけだ。
「おはよう」
挨拶だけ返して、自分の席につく。いつも私に取り巻いて、何かとあやかろうとしてくる崎山志保子がすかさず私の隣に来た。
我が家に比べたら、皆同じようなものでドングリの背比べにもほどがあるけど、一応彼女の家は私を除いて最も裕福で影響力のある家なので、それ以外の子は場所を開けた。
「おはようございます、麗美様」
「おはよう、志保子」
名前を呼ぶとそれだけでほくそ笑んだ。単純な人だ。私は、私以下の人間、つまり私以下の美しさの人間は基本名前を呼び捨てにしているのに。まあ、名前を覚えていることそのものかも知れないけど。
私は世界の長者番付でも常に上位につき、もちろん国内では頂点に立ち続けている、朝比奈財閥の一人娘だ。貴族制度が廃止されて50年は経過するが、かつては王族とその血を分けていた公爵であり、母は王家の人間であり、王家とは今も深い繋がりがある。
当然王家に影響力があるし、血縁関係を無視しても、王家以上の経済活動を行っている為、場合によっては王家以上の影響力すら持つ。そんな疑似王族みたいな家に生まれたと言うだけで、私はこの上ない幸運なのだろう。
なのでこの、国内屈指の私立学園に通う生徒のなかでも当然頂点として扱われている。
でも、私が私を愛しているのは、そんな家のことではない。私は美しいものを愛している。美しいものしか見たくないし、美しくないものは視界から消えてほしい。でもさすがに醜いものを全く見ないのは無理だ。何故なら、まず私と言うこの世で最も美しいものが頂点にあるので、他すべての人類が私以下だ。そこに差異はあっても、私が美しいと思うのは一握りしかいない。
いくら私でも、人類を消してしまう訳にもいかないし、そこは妥協して生きている。仕方ないのだ。私が美しすぎて、私は私に慣れているからそう思うだけで、世間はみな自分をそれなりだと思って生きている可哀想な存在なのだ。私は精神の美しさも重要だと考えているので、それらすべて許容している。
とか、どうでもいい当たり前のことを考えて、全く面白くない志保子の言葉をスルーする。
別に、聞いてあげる必要もないけど、どうせ話したい誰かがいるわけでもないので、スルーするだけですましてあげる。私の精神は今日も美しい。
「おはようございます」
と、悦に入っていると、珍しく声がかけられた。だけどその声は特徴的な可愛らしい声で、私は珍しく驚きをもってその声を振り向いた。
「ま、麻知?」
クラスメイトの山田麻知は、この私学にしては珍しく、庶民の出だ。だがそれにふさわしい、上質な知識を持った特待生だ。だから別に、この学園にいて問題はない。
だけど基本的に元貴族などの金銭的余裕のある人が通う傾向が強いからか、はたまた、見るだけで顔をしかめたくなるくらい醜いからか、彼女は虐げられていた。
私は精神の美しさも重視する。なのでもちろん、なんの何の非もない女の子をよってたかって苛めるといった醜い行為を見逃すことはない。むして同じクラスで、堂々と目の前でされては、苦言を呈さないわけもない。
そして注意してやめさせて、変になつかれた。彼女は、苛められていると聞いて、あ、そう。と興味を抱かないくらいには、ブスだ。と言うか誤解を恐れずに言うなら、かなり醜い。
だから私は美しくあるために正直を貫き、その醜い顔を見せるなと厳命したのだ。なのに、声をかけてくる? あり得ないことだ。
「今日も、麗美様はお美しいですね」
そこに居た麻知は、本心からだと言わんばかりの蕩けそうな声で、紙袋を被った状態でそう言った。
もう一度言おう。紙袋を被った状態でそう言った。
は? 意味がわからない。目と口だけ穴を空けて、顔の美醜はわからないよう隠した状態だから醜いとは感じないけど、無視できるわけがない。なんで紙袋?
「何で、紙袋をかぶっているのかしら?」
そう尋ねると、麻知はにこっと笑った。ように感じなくもない雰囲気を醸し出して答えた。
「麗美様は、私に顔を晒さないようにおっしゃいました。ですから、顔を隠しています」
私はいじめられている彼女を助けた。いや正しくは、助けたという表現は正しくない。クラスに入った際に行われていた醜い行為にいらだったから、止めさせた。その際にありがとうと言われたけど、その醜い顔に、顔を見せるなと命じた。
それだけのことだ。だから麻知が私に直接声をかけるなんてないと思っていた。もしあるとしても、私の言いつけを破る愚か者としてだと思っていた。だけど、麻知は私の言いつけを破らずに、声をかけた。
面白いな、と思った。確かに、紙袋をかぶっていれば、その醜さに私が不快感を覚えることはない。だが、そんなこと普通なら考えない。
私が美しいと言っても、自分の顔を隠すなんてプライドも何もかも捨ててくるなんて、あり得ない。なんて面白いのか。
「はぁ!? 意味がわからないこと言わないでよ。紙袋なんかかぶって、頭おかしいんじゃない!?」
志保子は馬鹿にするようにそう言ったけど、黙れよ。私はあなたに、そんなこと発言を求めていない。
「志保子、やめなさい。面白いから、許すわ」
「えっ!? れ、麗美様!? 何を!?」
「面白い、と言ったの。聞こえなかった?」
「え、あ、き、聞こえ、ました。けど」
「けど? 私に何か、言いたいことが?」
「まさか! なにも、なにもありません、はい」
志保子は顔色悪く、そう頷くと黙った。それでいい。全く、生意気で困る。
「山田麻知、聞こえたわね?」
「は、はい!」
「紙袋を被っている状態に限り、あなたを許しましょう」
「! ありがとうございます!」
麻知は嬉しそうに声を弾ませて深々とお辞儀をした。表情が見えないが、こうも反応されると、それを疑うことはない。私は素直を称賛を受け取らないような醜い心ではないので、気分がいい。
「ふふ。あなた、声は可愛らしいから嫌いじゃないわ。今日は一日、その声を聞かせてもらうことにしましょう」
「れ、麗美様、そんな! 私がいると言うのに!」
「志保子、もう一度だけ、聞いてあげるわ。私に、何か言いたいことがあるのかしら?」
「も、申し訳ございません」
志保子を黙らせ、今日は麻知をつけることにする。麻知は嬉しそうにぺこぺこと頭をさげる。
「そんなに頭を下げなくてもいいのよ、麻知。紙袋が落ちたら、大変でしょう?」
「はい! ありがとうございます!」
と言うことで、今日は一日麻知と遊んでみることにする。
麻知はちゃんと私と志保子のやり取りを予習してから来たようで、指示を出さなくても志保子と同じタイミングで飲み物を用意してきた。悪くない。
教室から出る際にも、荷物を持って扉の開閉をして、後ろを一歩下がってついてきた。この美しい私に対して当然のことではあるけど、わきまえている殊勝な態度は、なるほど、私をしっかりと敬愛しているようだ。
「麻知、あなた昼食は?」
「はい。紙袋がありますので、パンのみになりますが、お許しいただけるならご一緒したいです」
「ふふ」
紙袋をつけたまま食べると言うのか。それは面白そうだ。もちろんマナーとしては最悪だろう。だけど、滑稽な姿をしてでも私と言う美しい人のそばに仕えたいと言う気持ちは評価する。
私はこんなにも美しいのに、その美しさの為だけに傅く人間は、実はそれほど多くない。もちろん美しい私に遠慮して、視界に入らないようにしている人間は多くいるのだろうけど、私の美しさ以上にそれ以外の付加価値に重きを置いている愚か者も多くいる。
そんな愚か者にも等しく相手をしてあげる美しい私だけど、直接的に信仰を捧げてくる麻知を、多少評価をあげるのは仕方のないことだ。どんなに醜い麻知でも、その内面は悪くない。顔さえ見せなければ、このままよしなに可愛がってやろう、と私は頷いてあげた。
学食に行って昼食をとる。合間に「さすが麗美様、食べ方も美しいですね」とか、当然のこととはいえ言葉にして称えられると、悪い気分ではない。
と言うか、私が美しいのは自明の理だとして、普通に私は褒められたり称えられるのは好きだ。当然すぎて、義務的に言われることが多い私にとって、本気とわかる彼女の言葉はなかなかいい。
今後は、彼女だけでなく、目新しく私を称えられるよう、順々に他の人もそばに置くことにしてみてもいいかもしれない。
「麻知、あなた、明日も紙袋をかぶるなら、もう一日くらい私のそばに置いてもいいわよ」
「ほ、本当ですかっ?」
「この私が、嘘を言うとでも?」
「も、申し訳ありません! その、あまりに嬉しくて」
「冗談よ」
精神まで美しい私が嘘なんてくだらないことを言う訳がないけど、思わずそう言ってしまうくらいの喜びだったと言うのはわかっている。そんな言葉の綾まで責めるような、心の醜さを私は持ち合わせていない。
くすりと笑う私に、麻知は嬉しそうに私のすぐ後ろに回った。会話をするときは適度に横並びに近いほどなっていたけど、階段の前に来たので後ろに回ったのか。
普通に歩いていて階段から落ちることなんてあり得ないけど、私を大切に扱うのはよいことだ。
気分よく階段をあがった。階段の踊り場には壁面に大きな鏡がある。そこに映る美しい私の後ろにちらりと見える紙袋。くすりと笑ってしまう。
「!」
「麗美様!」
階段の踊り場を過ぎて、さらに上へ三段上がったところで、地面が揺れた。