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Blanche -ブランシュ-  作者: 高山 由宇
【第1部】 路地裏の子供たち
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第3章 ロジェの村での生活

 ナハドに流れ着くより以前、少年はロジェの村に住んでいた。その村にはもともと名はなく、長老の名をとってそう呼ぶのだ。少年が住んでいた時の長老の名を、ロジェという。

 ロジェの村は、ナハドの南西にある山間にひっそりとあった。山では、茸や木の実などが豊富に採れた。また、たまには、兎や鹿、狐や狸などの動物を捕らえることもある。そのため、この村は、貧しい中にあってもそれなりに恵まれた暮らしができていた。

 ロジェの村では、みな朝日とともに起きる。そして、男たちはすぐに山へと向かう。その日に食べる分だけの食料を採ってくるためだ。女たちは薪を割ったり湯を沸かしたりして、男たちの帰りを待つ。男たちが帰ると、持ち帰った山の幸の調理に取りかかるのだ。

 男たちは、みなそれぞれに山に入り山菜などを採ってくるが、村には暗黙のルールがある。それは、植物であっても動物であっても、決して採りすぎないことだ。特に、動物を狩るのは村を挙げた祭事のようなもので、長老が決めた日にのみ許されていた。

 そうした掟を守ってこそ、村と山とは均衡を保つことができているのだった。

 少年は、この村に母と2人で暮らしていた。

「母さん、山菜と茸を採ってきたよ。あと、どんぐりも拾ってきたから、磨り潰してお団子にしようか。母さん、どんぐりのお団子好きだよね?」

 家の引き戸を開け、背負った籠を下ろしながら言う。

「あ、もう薪がないんだね」

 囲炉裏には火が灯っておらず、外とは違う寒さに少年は身震いをした。

「すぐに割ってくるから、少し待ってて。ご飯もすぐに作るからね」

 そう言うと家を出て行き、少しして両手で足りる程度の薪を抱えて戻ってきた。それを囲炉裏にくべる。藁や木の枝も一緒にくべてやり、石を打ちつけて火を起こした。そこに鍋をかけると、茸と山菜を入れてスープを作る。平行して、どんぐりの皮を剥いた。スープができると、

「はい、母さん」

と、傍らに座ったままの母に、スープをよそった椀を差し出した。だが、母がなかなか受け取らないので、少年はそれを母の目の前に置く。

「すぐにお団子も作るからね」

 別の鍋をかけ、湯を沸かす。沸いたところで、皮を剥いたどんぐりを鍋に入れた。

「母さん?」

 いつまでも椀に手をつけない母に、少年は不安を覚える。探るように、うつむいている母の表情をのぞき込んだ時である。

「…あああああっ!」

 甲高い叫びともに、湯気の立ち上る椀が少年に投げつけられた。それは、少年の額に命中した。痛みと熱さとに両手で顔を覆った少年だったが、続けざまに左頬を打たれ、仰向けに倒れた。起き上がりかけたところを、腹を蹴り上げられて前のめりにうずくまる。その背に、さらに容赦なく蹴りが飛んできた。

「ああっ! ああっ!」

 意味のない声を上げながら、母は碧い目に狂気を孕み、濃紅(こきべに)色の長い髪を靡かせ、少年を足蹴にするのをやめない。一方で少年は、

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

と、ただ謝ることしかできないでいた。

「お前さえっ…」

 蹴りながら母は言った。

「お前さえっ…!」

 その言葉に、少年は唇を噛みしめながら耐える。

 ひとしきりわめき散らし少年を殴り倒したあと、母はぜんまいの切れたからくり人形のように、ぴたりと静かになった。そして、ふらふらとした足取りで、家を出て行ってしまった。

 しばらくの間はうずくまっていた少年だったが、おもむろに起き上がる。痛む腹を押さえながら辺りを見渡せば、殴られたところとは違う場所がずくりと痛んだ。

「…はは」

 少年は笑った。

「母さんが戻ってくるまでに片付けておかないとね」

 そうつぶやきながら、ひっくり返った鍋を起こす。

「あ、水が…」

 見れば水瓶が転がっており、溜めていた水が辺り一帯を濡らしていた。

「汲みに行かないと」

 水瓶を起こすと、少年は外套を羽織り、フードを目深にかぶる。そして、背丈の半分もある大きな桶を担いで家を出たのだった。

 険しい山道を歩き、川辺に辿り着いた。淀みのない、さらさらと流れる透き通った水を桶に汲んでいると、何かが投げ込まれたような水音とともに水飛沫が上がって少年の頬を濡らす。少年が立ち上がって振り向くと、堤防の上から数人の少年たちがこちらを見下ろしているのが見えた。その手には、手のひらに収まるほどの大きさの石が握られている。少年のひとりが、それを再び投げた。

「あっ…!」

 水を汲みにきていた少年が、額を押さえてうずくまる。額に当てた指の間からは、真っ赤な血の筋がのぞいていた。

「出て行け、化け物」

 石を投げた少年が言った。それに続くように、石を握りしめた少年たちも、

「化け物!」

「出て行け!」

と、口々に言っては石を投げた。少年は、それを頭を抱えた姿勢で耐える。石は容赦なく飛び交い、腕や足など、頭以外のあらゆる場所に命中した。痛みと恐怖に気が遠くなりかけた時、

「やめよ!」

 しわがれた声が川辺に響いた。その声に、少年たちは手にした石をその場に放る。

「ロジェ爺」

 石を投げた少年のひとりが言う。うずくまる少年が恐る恐る顔を上げると、ぼさぼさの髪をふり乱し、杖をつきながら歩いてくる長老の姿が目に入った。

「お前たち、川に石を投げ込むでない。貴重な水源を汚すつもりか」

「…すまない、ロジェ爺」

「もうよい。用がないなら、村へ戻れ」

 石を投げた少年たちは、素直にその言葉に従った。

 ロジェは、足元に生えている花を摘むと、おもむろにその葉だけを採って揉みしだいた。そして、いまだにうずくまる少年の方へ寄り、その肩をつかんで立たせてやる。少年の額からは赤い血が滴って流れていた。ロジェは懐から手拭いを取り出すと、それで血を拭う。その上で、先ほど採った葉を傷口にあてがい、手拭いを包帯代わりに巻いてやった。

「…ありがとう」

 少年の言葉に、ロジェは渋い表情を向ける。

「礼などいらぬ。わしは、なにもお前の味方ではないのだ」

「……」

「お前は、かつて起こったことをなにも知らない。決してお前が悪いのではない。だが、お前の髪や肌を見ていると、いやでも思い出すのだ」

「……」

「村人のことを思うと、お前を受け入れてやることができぬ」

「僕が、白い民の血を引いているから?」

 ロジェは俄かに目を見開いた。

「村の大人がそう言うのを聞いたんだ。白い民っていうのが何なのか、僕にはよくわからなかったけど」

「髪、肌、瞳までもが真っ白な民族のことを、我々は白い民と呼んでおる。かつては、このラモール大陸の東に浮かぶ小さな島に住んでいた民族だ。しかし、その島は10年ほど前に滅ぼされた。以来、白い民は散り散りになったと聞くが、その生き残りがこの山を越えた地に住み着いたらしいのだ」

「村のみんなが白い民を嫌っているのは、なんでなの?」

 ロジェは眉をしかめ、うつむく。

「お願いだよ、教えて。みんなが僕を化け物と呼ぶのは、どうしてなの?」

 真剣な表情の少年を前に、ロジェはため息混じりに重い口を開いた。

「この村は、13年前に山向こうからやってきた白い民に襲われたのだ」

「…どうして?」

「白い民は、この世の闇に迫害され滅ぼされた民族だ。その闇がおるのがこのエルターナ国なれば、奴らにとっては我らも憎む対象なのかもしれぬのう」

「そんな…」

「そして、多くの村人が奴らの犠牲となった。お前の母も、そのうちのひとりだ」

「母さんも?」

「白い民に襲われ、その後お前が生まれた」

「え…?」

「お前の母は結婚したばかりであったが、お前が生まれるとすぐに相手の男はこの村を出て行ってしまった」

 少年は、がくりとその場に膝を着く。

「お前は悪くはない。だが、お前の姿は村人にかつての惨劇を思い起させる。お前は、この村にいるべきではないのだ」

 少年の肩にそっと手をかけ、ロジェは目線を合わせるために屈んだ。そして、うかがうように、うつむいた少年の表情をのぞき込んだ時である。ロジェははっとした。思わず、少年から距離をとる。

 ロジェは、少年が茫然自失になっているか、泣いているのかと思った。それは、半分は当たっていた。少年は涙を流していた。だが、その表情は、泣くのには似つかわしくない、美しい笑顔を湛えていた。

「お前…」

 ロジェが口を開いた時、俄かに山が騒がしくなった。風向きが変わり、鳥たちがばさばさと飛び立っていく。ロジェは辺りを警戒しながら、地に膝を着くと地面に耳をあてた。

「ロジェ爺…?」

 初めて見るロジェの険しい表情に、少年は不安の声を上げる。ほんの数秒の間、地に伏せていたロジェが立ち上がると、普段からは考えられないほどの機敏さで堤防まで駆け上った。

「これから、村は荒れる。お前は、村を出るなり好きにしろ」

 振り返ることもなく言い残すと、ロジェは村へと急いだ。

 ひとり残された少年は、しばらく逡巡していたが、水桶を川辺に置き捨てたままでロジェの後を追ったのだった。


 村は、騒然としていた。

 村の男たちは手に手に竹槍や短刀を持ち、女たちは子供や年寄りを連れてロジェの家に集まっていた。まるで、今から戦にでも行くかのようないでたちである。

 村人の話が聞こえてきた。

 どうやら、山賊が村に向かっているらしい。

 村が山賊に襲われる…それは、決して珍しいことではなかった。

 闇の力が増すに連れて、世界中で戦争が頻発した。戦争により住処を失った者たちは、生きるために山賊、野盗などに身を落とす。そうした者たちは徒党を組み、近隣の村々を襲った。そうして襲われた村人たちの生き残りが、また身をやつし、生きるために他人を傷つけてわずかな糧を得ようと争うのだ。闇が生まれてより50年余り、世界各地でそういった現象が後を絶たなかった。

 不穏な空気の中、少年は我が家を目指していた。

 少年は、母が村人たちとまともに口を利いている姿を見たことがない。それは、おそらく13年前の事件が原因なのだろうということを、少年はつい先ほど知った。

「母さんは、きっと家にいる」

 ひとりでいるに違いない…そう思うと、母が気がかりで仕方がなかった。どんなに辛く当たられようとも、一刻も早く帰ってやらなくてはならないという気持ちになる。

「母さん!」

 家の扉を開け放ちながら少年が声をかける。母は、背を向けて居間に座っていた。

「母さん、山賊が攻めてくるみたいなんだ。早く逃げよう!」

 聞こえているのかいないのか、母は一向に動こうとしない。だが、この時ばかりは母の顔色を伺っている余裕はなかった。

「母さん、お願い。一緒に来て」

 少年は、母を無理矢理立たせると、その手をとって家を飛び出したのだ。

 山賊を迎え討とうと武装している村人たちに気づかれないよう、裏道を通って村を出た。険しい山道を、母の手を引きながら走る。村を出て間もなくのこと、わずかに地鳴りを感じた。それとともに、鬨の声が聞こえてくる。

「山賊だ…! 近くまで来ている」

 そう言って母の方へ振り向いた時、少年は自分の過ちに気がついた。

 一瞬、母から目を離してしまった。

 ひどい癇癪を持っていた母の行動には、少年は常日頃から気を配っていた。だが、この時は迫りくる山賊に意識を向け過ぎてしまったのだ。

「…あああああっ!!」

 腹の底から吐き出すような呻き声を上げると、自分の手を握りしめる少年の手を振り払った。そして、勢いに任せて少年を突き飛ばしたのである。少年は、傾斜の急な道なき山道を転げ落ちた。

「母さん!」

 少年が叫ぶ。それに呼応するかのように、母がこちらを見た気がした。その表情は、いつも険しかった目元が緩み、口角をわずかに上げている。

 -笑っている…?

 そう思い、再び母を呼ぼうとした時、ひと際大きな男たちの声がすぐ近くで聞こえた。次の瞬間、母のこめかみに矢が突き刺さる。倒れる母の姿が目に入った。

 少年は、もう声を上げることができなかった。

 山賊たちは、少年の存在に気づくことなく、母の屍を越えて山道を行く。その光景を、草木が生い茂る山道を転がって下りながら、少年はいつまでも見つめていた。

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