第一章5
「エレナせんせい、あの人だーれ?」
一緒に遊んでいた子供の一人が指差した先で車から降りて来る人物を目にして、それまで柔和さを崩さなかったエレナ・ヴィレンスカヤの表情が一気に険しくなった。
「みんなを連れて中に戻っていなさい」
アルカの片隅にあるザ・オーの孤児院で過ごす毎日の中で自分がヴァルキリーであるという過去を忘れつつあった少女は腰を落としてここにしか居場所がないアゴネシア人の子供と同じ目線になり、何とか表情を柔らかいものに戻すと優しくその頭を撫でる。
「やあ。空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の教えに従った英国カーレスリング協会の強い要請を受けてここにやってきたよ」
「テウルギストが一体何の用だ?」
子供達が孤児院の中に戻ったことを確認したエレナに招かれざる客――ノエル・フォルテンマイヤーは悪友とも言えるヴァルキリー特製のジョークを送ったが、プラチナブロンドの髪を揺らす少女はそれを完全無視してテウルギストに鋭い眼光を浴びせる。
「いやいや。喧嘩をしに来たわけじゃないんだ」
「私も旧交を温める気はないぞ」
アルカに多額の出資を行った資産家の娘として人為的に産み出され、プロトタイプの中では初となるマナ・エネルギーとの親和性を期せずして有していたことで世界最初のヴァルキリーとなったノエルと、テウルギストと呼ばれ瞬く間にアルカ学園大戦という食物連鎖の頂点に立った存在を自分達でも作り出そうとした各国が湯水の如く資金を投入するも結局『規格落ち』にしかならなかった第一世代ヴァルキリーの生き残りであるエレナはある意味姉妹という仲ではあったが、お互いに相容れない存在としてこのアルカで望まれぬ生を過ごしてきた。BFで相見えた回数は両手でも数えきれない。
「私達と一緒に働く気はないかと思ってね。サカタグラードやホテル・ブラボーで戦った君の能力をここで腐らせておくのは惜しい」
ノエルは自分に拳銃を向けてきたエレナにSW社のパンフレットを差し出す。
「給料は本国の兵士の五倍、生命保険と医療保護は標準待遇」
専門のデザイナーが写真の配置や文章のレイアウトを考え、本職の印刷所が刷ったであろうしっかりとした作りの冊子には『我々はグレン&グレンダ社のパートナーとして、農業・工業・技術開発等をビジネスとする企業に助言と支援を行っています』と代理勢力としてアルカに学園を持つ国全ての言葉で書かれている。
「強調したいのは私達が単なる武装集団やミリタリー芸人ではなくその道のプロであるということさ。私達は長い間アルカで戦い、アルカの戦争の歴史で多くを体験している。そのことがクライアントへの高クオリティなサービス提供に繋がる」
組み合わせた手首をくねらせ左足を後ろに折ったノエルは聞いてもいないのに語り出す。
「ドロップアウトした君は知らないだろうけど去年の冬、アルカにおけるプロトタイプの戦争ビジネス活発化を危惧したグレン&グレンダ社は精鋭部隊の解散を各校に要求してね。勿論シュネーヴァルト学園のタスクフォース609も例外ではなく解隊を強いられたけど、所属していた生徒達はその直後にエリー共々地下へと潜った。そして今年の春、将来私と子供を作ることになる男の子は潜伏先の南アフリカ共和国でSW社を設立・登記した」
「その社員は……」
「勿論タスクフォース609の元隊員達だよ。中には旧ヴォルクグラードのロイヤリストやMACT組もいるけどね」
爬虫類じみた異形の瞳を持つ少女は特に意味もなくエレナにウィンクを送る。
「しかし、この時点ではまだSW社は単なる警備会社のようなものでしかなかった。油になったのはエルメンドルフ戦争さ。エリーはユダヤ人とイスラエルの協力を得てこの戦争の模様を全世界にテレビ中継させ――つまり火を着けてそれまでアルカの外の人々が知っていたものとは異なる、学園大戦の凄惨にして狂気じみた実態を明らかにしてしまった」
当時のことを思い出しているのか、金髪の少女は楽しそうに勢いを付けて一回転した。
「こうしてグレン&グレンダ社は世界中の『良識』から袋叩きの憂き目に遭った」
「そこに手を差し伸べる形でエーリヒ・シュヴァンクマイエルがSW社を使った代理戦争の更なる外注化を提案した。そうだろう?」
「さっすがエレナぁ! ご明察!」
ノエルは自分の妹とも言える少女に握手を求めるが、求められた当人は完璧なタイミングで後方にステップを踏み明確にそれを拒絶した。
「それでまあ、将来的にではあるけど今後のアルカ学園大戦における戦争は全て各学園の卒業生で構成された私達SW社の社員によって肩代わりされることになった。グレン&グレンダ社も溺れて藁を掴むようになるとは堕ちたものだよ」
「いくらお前達と言えど僅か数ヶ月でグレン&グレンダ社から主導権を奪うことなど不可能だ。どういう理由でイスラエルがお前達に協力しているかはわからないが……」
エレナは刺すような視線を眼前の人物に浴びせながら続ける。
「自分達の目的を達成するためならユダヤ人に利用されることも厭わないというわけか」
「それはお互い様だよ。当然SW社との結託はイスラエルにも大きな旨味があるからね」
「だろうな。お前達のことだ。そこまで計算してのことだろう」
エレナは鍵をかけて中にいなさいという託を破って物陰から不安そうに自分の姿を伺う子供達を見やる。その表情は戦乙女から心優しい母親のそれへと戻っていた。
「悪いんだが断らせてもらう。フレガータ学校占拠事件で私の戦争は終わったんだ。みんなあそこで死んでしまった。私も含めて……今はもう余生のようなものだ」
「そっか……」
ノエルも子供達を見て彼らに手を振りつつ少し残念そうに言い、
「でも無理強いはできないし、したくもない」
ザ・オーの孤児院へ背を向けて今いる場所から足早に立ち去ろうとする。
「テウルギスト!」
「んー?」
車へ向かっていくノエルは自分を呼び止めた妹同然の少女に振り向く。
「こんなことを言うのは変かもしれないが、今日は話せて嬉しかった」
少し気まずそうに言ったエレナに対し、ノエルは心から嬉しそうな表情を向ける。
「それが聞けただけでも、今日ここに無理して足を運んだ甲斐があったよ」