第一章3
「皆殺しの雄叫びを上げ、戦いの犬を解き放て」
ショナイ平原での戦端が開かれてからおよそ一時間が経過した頃、ヴォルクグラード人民学園と契約して同地に展開するSW社は地上でも行動を開始した。
「ハイ、アイムギャビン」
「――ッ?」
BFの後方から心配そうに芳しくない戦況を見守っていたガーランド・ハイスクールのヴァルキリーが全く聞き覚えのない野太い声を耳にして振り向いた瞬間、イスラエル製自動小銃の木製ストックがまだ幼さの残る彼女の顔面に叩き付けられた。
「何よ……何なのよ……」
思わず尻餅をついてしまった戦乙女は口からは折れた前歯を、鼻からは赤い滴を地面に落としながら激痛に耐えつつ何とか起き上がろうとする。そんな彼女の前にガリル自動小銃を構えて仁王立ちしていたのはドーランで顔と手を真っ黒に塗ったSW社の兵士だった。
「前進!」
少女の首から上を脳漿と頭蓋骨の炸裂に変えた兵士が右手を上げて叫ぶ。するとガーランド・ハイスクールの戦線後方のあちこちから南アフリカ共和国製のヌートリア戦闘服とチェストリグ(注1)を纏い、彼と同じように袖や襟から覗く肌を戦闘服と同色のブーニーハットの下にある顔も含めて全て黒塗りにしたSW社の歩兵部隊が続々と姿を現し、意表を突かれたアメリカ合衆国の代理人に対し恐るべき破壊と殺戮の限りを尽くし始める。
「突撃!」
「ヤンキーをブラッド・シーに叩き込め!」
続いて、今度はSW社によって徹底的な強化と再訓練を施されたヴォルクグラード学園軍の機甲部隊が指揮系統に混乱を来たす前線を次々に突破していく。
「こいつら何時ものイワンじゃないぞ!?」
戦力が枯渇した正規軍の穴埋めとしてショナイ平原に展開中のタスクフォース420に配属されているアゴネシア人傭兵達は挟撃の憂き目に遭いながらも必死で応戦した。
「撃て! 撃て!」
悲鳴じみた声を上げて浅く雑な塹壕から死に物狂いで撃ちまくるアゴネシア人傭兵達にとってのヴォルクグラード学園軍とは少数の戦車に支援された新兵による人海戦術が出来て関の山の連中であり、今回のような奇襲など逆立ちしても出来る筈がないと誰もが考えていた。だから鹵獲品の対戦車砲一門支給されず、吸着地雷や靴下爆弾、M1バズーカだけで装甲兵力の代替品扱いされている彼らはやがて目の前の現実に半ば恐慌状態に陥った。
「くたばれ!」
どこの馬の骨とも知れない一人のアゴネシア人傭兵が塹壕から上半身を出してM1バズーカを放つがT‐34/85中戦車の側面装甲に難なく弾かれてしまう。直後、彼は塹壕前面の空薬莢や人骨が混ざり込む土の盛り上がりごと砲撃で吹き飛ばされた。
「もう嫌だ! 話が違うじゃねぇか!」
両足を失ったまま奇妙に地面に直立して獣のような叫び声を上げ、その数秒後に絶命する仲間を見た他の傭兵達が相次いで武器を捨て逃走し始める。
「土人共逃げるな! 戦え!」
「クソガキめ!」
「死ね!」
黒人奴隷同然の運搬方法でアルカにやってきた傭兵達は自分の息子程の外見をしているベレー帽を被った軍事顧問を問答無用で射殺すると一目散に走り出した。
「敵戦線の崩壊を確認。空から水撒きバケツで掃除してくれ」
醜悪極まりない味方殺しの一部始終を生い茂る草木の間から見守っていたSW社の偵察班がすぐに上空を往くBf108軽攻撃機へ連絡する。
「了解」
アフリカーンス語で応じたドラケンスバーグ学園出身のパイロットは機体にヴォルクグラード学園空軍所属を表す赤い星が描かれた機体を降下させ、両翼下に吊り下げられたソ連製ガンポッド――四銃身七・六二ミリガトリングガン二基と四銃身十二・七ミリガトリングガン一基を搭載している――で射線上にいた全ての存在を掃射した。
「皆殺しにしろ!」
「いいぞ! どんどん殺れ!」
パイロットは猛烈な弾雨によって人体が次々に損壊させられていく地獄絵図を目の当たりにしたSW社の兵士達の歓声に応えんと再攻撃に移ろうとするが、操縦桿を左に倒す寸前にガーランド・ハイスクールのヴァルキリーから撃ち出されたM1バズーカの六十ミリロケット弾によって人狩り専用機ごと空中で四散した。
「人の本質は……!」
戦場に馳せ参じたミーシャ・セデンブラッドは新しいロケット弾をボブ・バーンズが使っていた自作ラッパからその名を取られた対戦車火器に装填すると右肩にその発射筒を乗せ、左手に携えた鹵獲品のPPSh‐41短機関銃で地上にいる敵を掃射していく。
「悪よ!」
ミーシャの声には上官であるユライヤ・サンダーランドが捕虜虐殺の疑いという理不尽極まりない滅茶苦茶な理由で更迭された現実に対する怒りが満ちていた。
「戦争の犬と笑って手を組めるから、平気で子供だって殺せるんだ!」
彼女にとってロシア人とはフレガータ学校占拠事件で子供達ごとテロリストを皆殺しにした上、何の大義もなく金のみで動くSW社と手を組む生きるに値しない正真正銘の酸素泥棒集団だった。少なくともグレン&グレンダ社はそう言っているし、彼女もまた同社こそがこの世界において信用可能な唯一無二の存在であると強く信じている。
「情報弱者が!」
ミーシャと同じ高度になったSW社のヴァルキリーはライオットシールドを左手に持ちつつ、それで身を隠しながら右手を前に出し携えたウージー短機関銃を撃とうとする。
「うわっ!」
しかしトリガーを引く直前にミーシャのM1バズーカから撃ち出された六十ミリロケット弾が飛来し、彼女は思わず透明なポリカーボネート製の盾を前に出してしまう。反動で左手が外側に広がるのと同時に白煙を残すロケット弾は反れて自分の近くにいた別のヴァルキリーの背部飛行ユニットに吸い込まれ、爆発の閃光で空を照らした。
「最前線の病院に突然送り込まれた医師のような気持ちで戦争をやってはいけないよ」
すぐに零距離からの連射で最初の目標も殺害したミーシャの鼓膜を楽しげな声が打つ。
「――ッ」
ミーシャの視界端に通常のものとは違う赤いマナ・エネルギー粒子の光が映った。
「事実私は」
縦のS字機動でノエル・フォルテンマイヤーが迫ってくる。
「速い――ッ!」
ミーシャは片手で持ったPPSh‐41短機関銃の銃口で迫り来るヴァルキリーを追うが、放たれる弾丸はただ空しくコルダイト火薬臭い空間を掠めていくに留まった。
「患者と一定の距離を置いて手術を行う外科医のように人を殺している」
目の前にアルカ最凶のヴァルキリーがいるという事実に気付いたミーシャが弾切れを起こしたソ連製短機関銃を投げ捨てた瞬間、上体全てを叩き付けるかのような左フックが彼女の右頬を捉えた。続いて右の回し蹴りがミーシャの左側頭部を痛打する。
「逃げろ!」
同じ釜の飯を食べ続けてきた仲間の危機を目の当たりにして慌てて駆け付けたヴァルキリーが地面に叩き落されて咳き込むミーシャを援護するが、
「はーいじゃまじゃまじゃまー!」
彼女が顔を上げるや否やそのヴァルキリーは全身を七・六二ミリ弾で貫かれ四散した。
生暖かい臓物や血で全身を汚したミーシャは激しく嘔吐する。彼女の周囲にはあちこちに黒い血の染みが点在し、すぐ横にも体に長い紐のようなもの――腹から飛び出た薄桃色の腸が巻き付いた死体が転がっていた。
「殺される……殺される……」
ミーシャは考えるよりも早く黒焦げになった死体の傍に身を横たえ、できるだけ胸を動かさないようにした。仲間の死体を利用する後ろめたさを生への渇望が上回ったのだ。
「やっぱり生きているじゃないかー」
とはいえ現実とは非情であり、すぐにミーシャは上下する胸をノエルの軍用ブーツで踏み付けられ地面をのたうち回ることになった。そして彼女は眼前に佇む、マナ・ローブの露出部からうっすら浮いた腹筋を覗かせる長身の戦乙女を見て恐怖する。
「嘘はいけないにゃーん」
ミーシャの口に今日だけで三桁近い命を奪ったガリル自動小銃の銃口が押し付けられる。
「助け……助け……」
腰砕けになったヴァルキリーの股間から生暖かい液体が漏れ始めた。
「あんまり殺し過ぎても良くないかなぁ。敵あっての私達だし」
しかし防錆加工が施されたトリガーが引かれることはなかった。短い金髪を返り血で汚したノエルが肉片こびり付く銃口を上げ、安全装置を掛けてミーシャに背を向けたからだ。
「こ、殺しなさいよ……!」
首の皮一枚で命拾いしたミーシャは何とか立ち上がろうとするが無理だった。今まで一度たりとも味わったことのない圧倒的な恐怖で完全に腰が抜けてしまっていたのだ。
「殺しなさいよ! 殺せ!」
ミーシャは血の混じった唾を撒き散らして叫ぶが誰も相手にしない。
「あいつなんて言ってるんだ?」
「無知と貧困は人類の大罪だってよ」
「いいや違うな。きっと『木を大切にしよう』と訴えているんだろう」
彼女の周囲ではSW社の社員達が東へ向かって歩いていたが、その中の誰一人として死に損なったヴァルキリーの頭をガリル自動小銃で撃ち抜かなかったし、背後から後ろ髪を掴んで白い喉をナイフで切り裂きもしなかった。
「殺しなさいったら……」
尻に自分が垂れ流した尿の冷たさを感じながらミーシャは思った。
自分は自分が憎悪する連中にとって、殺すにも値しない存在なのだと。
注1 前掛け式の予備マガジン入れ。