プロローグ
一九四八年十二月二十八日。
かつて山形県と呼ばれていた土地を流れる旧名最上川ことモガミ・リバーの上に広がる澱んだ曇天は、まるで年の瀬を迎えてなお閉塞感と重苦しさに満ち溢れているこのどうしようもない世界そのものを如実に表しているかのようだった。
「鳥達が羨ましい」
冷たい風で頬を撫でられた少女はうっすらと雪を被った大地に佇みつつ越冬のためシベリアから極東の片隅に渡ってきた白鳥達が中洲周辺を揺蕩う姿を見て静かに呟く。
「すぐに戦争を忘れられるから……」
頭に赤い星の付いたウシャンカを被るエレナ・ヴィレンスカヤが青い瞳に川を流れる白鳥の姿を映していると、音を立てて吹いた風が今日に至るまでの五年間、心身共に傷付きすぎた少女の白い吐息を流し消した。先端で結われたプラチナブロンドの髪も微震する。
「同志大佐……ユーリ君……私は決心しました」
冬風が地面と同じように雪化粧が施されたソ連製T‐34/85中戦車の残骸内部を駆け抜け、その出口にある拉げて捻じ曲がったハッチから耳障りな音を鳴らす。
「あまりにも残酷で理不尽なこの世界に対する」
エレナは薄茶色をした防寒服のポケットから取り出した一枚の写真に視線を落とす。
色のくすんだカラーフィルムには二人の少女――その内一人はエレナ――と学生服に身を包んだ一人の少年が映り、三人揃って屈託のない笑顔を浮かべている姿があった。
「反逆者になることを」
エレナは自分に言い聞かせるように口走った。
寒い冬を終わらせるための戦いがこれから始まるのだ。