第三章6
六時間前とは違い、サブラが降り立ったマツリの神社周辺には地面を埋め尽くす程大量の死体が転がっていた。
まるで服毒自殺を果たしたかのように綺麗な死体の身体はどれもやつれ果て、斬り落とされた手足の先に包帯を巻いていた。袖と裾からはみ出した腕と脚は捻れた縄のようになって垢の異臭を放っている。
例の如く軋んだ木の音を立ててサブラが堂内に足を踏み入れると、仏像に向き合っていたマツリは肩越しに振り向いた。
「死神――」
木々の間から差し込む光をバックに、長い黒髪を翼のように大きく左右へと広げたサブラの姿はマツリの心に熱いものを灯した。
「アルカに君臨する死の王……」
形の良いマツリの唇が歓喜に緩む。夢にまで見た『死』がすぐ傍にまで迫っているのだ。
「食事を与え、勉強を教えた『あの子達』を自分の手で殺すのは辛かったよ」
マツリはまた前に向き直り、決して答えを返すことのない仏像を見つめる。
「アゴネシアから無理矢理連れて来られた彼らはこのザ・オーを拠点にして行動しようとしていた。だけどユダヤ人の教育係はやり過ぎたんだ。あまりにも過酷なノルマを課し、それが達成できなければ手足を鉈で切り落とした。手首の先を長袖、肘から先を半袖と呼んでね。だから『あの子達』は叛乱を起こした」
「そこに付け込んだわけですね」
頷くマツリの首筋は反対側が透けてしまいそうなぐらい青白かった。
「ボクは人殺しはできても一切生活能力のない『あの子達』に手を差し伸べた。みんなボクを受け入れてくれた。餓死寸前の良心が満たせて嬉しかったよ」
「なるほど。そうやって彼らを掌握し、貴方はオーイシアでのテロに投入した」
薄暗い神社の中で、サブラの背部飛行ユニットの左右両翼で点灯する翼端灯がそれぞれ緑と赤の輝きを放つ。
「そうだよ。だからこそボクは青いバスに乗らなきゃいけないんだ」
「やはりお気持ちは変わらないのですか?」
「どうしてキミはボクを苦しめるんだい……?」
振り向いたマツリは眉を伏せ、輝く金色の瞳に悲しみの光を湛える。
「ボクは下劣で、悪辣で、システムから外れて大量殺人を犯したイレギュラーなんだ。どうして素直に殺してくれないんだ。殺されるべきことは全てしてきた筈だよ。和州学園の指揮系統を逸脱し、自分の能力を私利私欲のために使い、信じられない程幼稚な動機でテロを引き起こした。七はもう三つ揃っているのに」
やがて彼女の双眸からは涙が溢れ始めた。
「なのにどうして、ボクがちっぽけなプライドと誰にも必要とされていない能力に固執して手放せないことを知っていてなお、それを捨てろと言うんだい?」
「X生徒会は貴方のためを思って言っています。貴方に死んで欲しくないからこそ、こうしてチャンスを与えようとしているのです」
「絶対に嫌だ。ボクは苦しんできた三年間を無駄になんてできない。三年の間に犠牲にしたものを無駄にしたくない」
「選択してください」
今回もPKM軽機関銃の銃口を向け、サブラはマツリに選択を迫った。六時間前と同じくセーフティーも外されていた。
「自分に嘘をつき、今までの自分を全否定して一歩を踏み出すか。それとも今までの自分を正当化して、小さく都合の良い世界で不満を口にし続けるか」
「アルカにはあらゆるチャンスがあると思ってた。田舎町の名もない子供が、お父さんの画材を使って、突然ピカソのような偉人になるように……」
マツリは細い眉毛を悲しみに震わせる。
「だけど、自分達が勝手に定義した『審査』や『ハードル』によって新しい可能性を徹底的に否定し、ちっぽけな縮小再生産を続けるどうしようもない奴らがいるうちはどうにもならないんだよ。奴らは恐れているんだ。自分達の作った定義とやらが新たな可能性に崩壊させられて、飯の種を失ってしまうことを」
「しかしこの世界が正常に成り立っているのは、他でもなく貴方が嫌う『審査』や『ハードル』が存在しているからです。そして倉木マツリ、貴方もまたそれらによって選ばれた存在なのです。ヴァルキリーがプロトタイプの中から如何にして生み出されるのか、貴方とて知らないわけではないでしょう」
「だからボクが狂人のような言い方をするな!」
立てられたマナ・ローブの襟を揺らしてマツリは激昂する。
「正気と狂気の狭間にいるのは確かだけど、ボクは至って正気だ。だけどみんな、揃ってボクのことを狂ってると言う。ボクに言わせればあいつらが狂人の集まりなのに。ボクは正気のまま死にたい。だけどどこからが正気で、どこからが狂気と誰が決めた?」
「わかりません」
「ボクにだってわからない。だからこの世界からボクを除去していいのは正気の人間でも狂気の人間でもない。サブラ・グリンゴールドという、正気や狂気の概念から逸脱したキミだけがその資格を持っている」
「確かに私はアルカにおける過酷な学園大戦を経て肉体的、精神的、技術的に大きな進化を遂げ、生産された時よりもずっと優れた状態に良化されていますが、結局のところ単なる歯車に過ぎません」
「ボクとキミは違う。ボクは化け物の姿をした人間だけど、キミは人間の姿をした化け物じゃないか。その二つの間には明確な一線がある」
「一線?」
「ボク達の間だけじゃない。この世界そのものが一線で分けられている。正気と狂気、人間と化け物、殺す奴と殺される奴。どれも一線と踊ってる。でもサブラ、キミは違う」
マツリはまた、
「もういい。運転手さん……さぁ連れて行ってくれ」
悲しげに両手を大きく広げる。
「王様のハイウェイの先にある、とてもとても暮らしやすい西の国へ」
「本当に良いのですね?」
サブラは返り血を塗りたくったようなカモフラージュが施されたPKM軽機関銃の狙いをこくりと頷くマツリに定める。
「自由に何をしても良いって言われても、結局やらなきゃいけないことは同じなんだ」
空間を切り裂く乾いた銃声が鳴り響き、マツリの柔肌に七・六二ミリ弾が食い込む。噴き出した赤黒い霧が堂内に消えていく。
「これで終わりだね……サブラ……」
撃たれた衝撃で木の壁へと叩きつけられ、頭を垂れたマツリの周囲に血の池が広がった。
「とてもとても美しい……私の友達……」
静かな歓喜が唇の間から漏れる。
「ボクが死のうとした夜も……これで……終わる……」
そして濃密で蒸し暑い、蒼白な闇にマツリの命が消えた。
サブラは事切れた少女の横を通って神社の奥に向かい、殺害確認戦果の証拠として彼女の返り血が付いた熊のぬいぐるみを掴み、一言も発さずに立ち去った。
やがて『聖域』の入口――鳥居の近くに設営されたモニターに『WINNER!』の文字が現れ、飛び出さんばかりの勢いで上からオレンジ、白、青で染められた南アフリカ共和国の国旗がその画面に表示される。
一九四六年のトラック戦争が終わったのだ。