第三章5
六時間後――。
「中佐殿!」
濃緑色の寝袋に包まって仮眠していたサブラを傭兵が揺さぶり、長身の肢体を覆うナイロンのファスナーを下げた。
「起きてください! 中佐殿!」
瞼を開いたサブラが木々と濃い土煙の間から差し込む澱んだ日光を感じた時、必死で彼女を起こそうとしていた傭兵は背後からゾンビに掴みかかられた。
「は、放せ!」
傭兵の右耳に噛み付いたゾンビは森中に悲鳴を響き渡らせる元ヴォルクグラード人民学園マリア派生徒の頭部から、皮膚を熱せられたチーズのようにして耳を引き千切る。
「固着」
顔に返り血を浴びたサブラは右手首のマナ・クリスタルを操作して即座に変身すると、下から手を伸ばして傭兵のハーネスに吊り下げられた手榴弾のピンを抜き取る。
レバーが落ちるのを見てしまった傭兵の顔に絶望が浮かぶが、構うことなくサブラは彼の腹部を蹴り上げ、背部飛行ユニットからの噴射で距離を取る。爆発と共に骨片を混ぜた傭兵とゾンビの肉が血飛沫と共に飛び散った。
着地したサブラは右足をブレーキにするようにして急停止、左右に前進翼の付いた身体を大きく右に傾け、振られるようにして左側に傾斜を戻す。
「倉木マツリの軍勢が襲撃してきたようですね」
サブラは右足で抉られた地面から霧散する土煙の向こうに、汗の滴る軍服に身体を締め付けられた傭兵達が叫び声を浴びながら全方位に向けて応戦しているのを視認した。
「予想外ですが想定内です」
左太腿からトマホークを外し、サブラは迫り来るゾンビの群れに向けて滑走する。顎のなくなったゾンビに迫り、その手が伸びる前に右へ側転した。着地と同時に逆方向へと跳躍し、まだ左を向いているそのゾンビの右側に着地、左方向の一回転で左手のトマホークを振り首を刎ね飛ばす。
背後から重なり合う唸り声が聞こえる。
サブラは目の前に立つ木に向けて疾走、幹を駆け上がり、発達した両脚の筋肉をフルに使って飛翔――ゾンビの群れの背後遠くに着地した。軍用ブーツの爪先が地面に置かれていた生首を踏み付け、その頭頂部が砕け散る前にサブラは大きく跳躍して群れとの距離を詰め、地面に降り立つや否や左手を下から振り上げて手近なゾンビの右腕を斬り落とす。
「やはり付け焼刃の俄作りではどうにもなりませんね」
サブラは合板で作られたPKM軽機関銃のストックで肘から先を失ったゾンビを殴打し、後方へと吹き飛ばす。巻き込まれて十体近いゾンビが倒れた。
「プロトタイプと『人間』の子供は似て非なる物なのです」
続いて機関銃弾を浴びたゾンビ達は胸板に大穴を開けられ、血を撒き散らして焼け残った木に叩き付けられた。激突の衝撃で胴体から切り離された首が鈍い音を立てて地面に落ち、続いて倒れた肉体はぐったりと地面に横たわるなり小刻みな痙攣を始める。
「む」
サブラは危険を感じて反射的に後方へと宙返りする。直後、飛び掛ってきたゾンビが一秒前まで彼女がいた場所に突っ伏した。サブラは着地するなり地面を蹴り上げて前に突貫、左手の斧を下から振り上げ、立ち上がったゾンビから振り下ろされた鉄パイプを弾き返す。 激しい火花が散った。
「その原始的な武装で私を倒すことはできません」
サブラの言葉を聞いて激昂したかのように鉄パイプがまた空間を薙ぐ。身体を翻して避けたサブラは後方転回で一撃を避け、空中での両脚蹴りを相手の胴体に浴びせた。後方に突き飛ばされたゾンビが姿勢を立て直した時には、サブラは回転しながら頭上を飛び越え背後に着地していた。ゾンビが向き直って鉄パイプを振り上げるより早く右のムーンサルトキックが蹴り上げられ、鉄パイプごと右手首から先がもぎ取られる。
サブラは続いてPKM軽機関銃の重い銃身でゾンビの左耳を強打し、大きく右に傾いた頭部に左のハイキックを叩き込んで首から上を粉砕した。
「中佐! 奴らに囲まれています!」
全身に偽装網を纏い、木の上からスコープの付いた狙撃銃でゾンビを狙い撃っていた傭兵がサブラに危機を知らせる。
四方からゾンビが迫っていた。逃げ場はない。
サブラはトマホークを空中へと放り投げ、四方にマナ・フィールドを展開した。オーイシアと同じようにフィールドに触れたゾンビ達が木っ端微塵になって四散する。続いて彼女は後続のゾンビ達が距離を詰める前に左手で落ちてきた大斧の柄を掴み、大きく振り上げて縦方向の一撃を運良く彼女に肉薄できたゾンビの頭に見舞った。勢い良く血が噴き出し、上唇のあたりにまで斧の刃が食い込み目玉が飛び出す。
「なんだありゃあ……」
どうにかして援護射撃のタイミングを探る傭兵のスコープの先で、サブラは自分を軸にした巨大なプロペラを作り出していた。ゾンビが刺さったままの斧を力の限り振り回し、青い粒子を纏って迫り来るゾンビ達を次々に肉塊へと変えていたのだ。
「残数は然程多くはありません。皆さんでも対処可能でしょう」
血塗れの臓物や肉片、千切れた手足の転がる暴力的な世界からサブラは無線機で部下達に指示を与える。そして右手一本でPKM軽機関銃を保持したまま、彼女は左手で銃上面のフィールドカバーを開き、空になった二百発入り弾薬ボックスを外して捨てた。そして腰部レイルに装着した大型ポーチに左手を伸ばし、ぎっしりと弾薬の詰まった新しいアルミ製のボックスを抜き取って機関銃の下部に装着、給弾ベルトを内部にセットし、カバーを思い切り拳の小指側で叩いて閉じた。そして今度は左手で銃身下部のレイルを保持しつつ、右手を伸ばして本体右側のチャージング・ハンドルを掴み、力強く後方に引いて放す。鼓膜を金属同士の衝突音が叩くと、サブラは実弾が薬室に送り込まれ、射撃準備が整ったと判断した。
「リーパー2‐1、カディーマ」
ヘブライ語で『前進』を意味する言葉を口走って飛翔し、こうしてサブラは再びマツリの聖域へと向かった。




