第二章8
最初の夜が訪れてなお、オーイシアにおける凄惨な戦闘は沈静化していなかった。
生存者達が身を寄せ合う地下壕の入口付近では俄作りの陣地にダックイン(注1)した数台の米国製M24チャーフィー軽戦車が交代交代で射撃を行い、断続的に迫り来るゾンビを足止めしている。
定期的に四十度から六十度の角度で発射された照明弾が空で炸裂して地上を照らし出す度、巨大なコガネムシめいた軽戦車は主砲を地面ギリギリで撃って跳弾させ、足元からゾンビを粉砕した。砲塔上面に増設された機銃による掃射も行われていた。
「失礼します」
腐った肉の焼ける悪臭を短く切り詰めた迷彩服の繊維一筋一筋に染み付けているサブラは涼しい顔でその横を通り、悪夢のような地下壕内へと足を踏み入れる。
生存者達の合流地点となっている地下壕は一九四三年夏のサカタグラード(注2)からそのままタイムスリップしてやってきたと言われても信じてしまいそうなタスクフォース33の隊員達で一杯だった。まだ一晩と経っていないのに誰もが目を酷く充血させ、頬のこけた髭だらけの顔をしていた。汗や血が染み付いたよれよれの迷彩服は使い古した地図のような有様だった。
「おい、ニベアクリームはないか。ニベアクリームだよ」
一人の隊員が迷彩服の脇の下に大きな汗の染みを作ったサブラに声をかける。
「あれを食えば黄疽になって後方に行けるんだ」
彼のすぐ横には甘酸っぱい死臭を漂わせる大量の死体袋が並べられていた。そのうち一つは破れていて、長い糸を引くコーヒー色の粘液が垂れていた。
「ここは戦場です。ご自分の面倒はご自分で見てください」
隊員にヘブライ語訛りのあるアフリカーンス語でそう言い放ったサブラが更に奥へと進むと、自分達の学園をトランプで作った城のようにいとも簡単に陥落させつつある死の軍勢と戦い、誰一人の例外なく疲れ果てていたハイスクール・エウレカの生き残り達は何度も驚愕で目を擦った。
「あいつ……」
「さっきの……」
隊員達がざわつく中、「行ってきます!」と先程までは周囲と同じように意気消沈していた一人のヴァルキリーが希望を取り戻した様子で立ち上がり、サブラの手を握った。
「先程は本当にありがとうございました! みんなで力を合わせてグーク(注3)共からエウレカを奪還しましょう!」
ヴァルキリーがそう言うと同時に、最初は疎らだった隊員達の拍手が少しずつ大きいものとなり、やがて部屋を埋め尽くす程の大喝采が巻き起こった。
「はい?」
サブラはほんの僅かだけ困惑した様子で首を傾げる。
「私の目的は皆さんの救援ではありません」
「でも……貴方はさっき、私達を助けてくれたじゃないですか」
サブラの言葉でヴァルキリーの表情が曇り始める。拍手は急速に小さくなっていった。
「与えられた目標を達成し、任務を遂行するにあたって偶然が重なっただけです」
「だけどアルカはみんなで協力して世界平和を……」
「違います。アルカは国際協調の場ではなく、代理勢力である学園が母国の国益のために戦う永久戦争地帯です」
「じゃあ貴方は、私達の学園がアルカから無くなってもいいと言うんですか?」
「はい」
サブラが躊躇なく首を縦に振った時、オーストラリア系プロトタイプ達の大いなる困惑が強化コンクリート壁の中に渦巻いた。
「私はユダヤ人のために戦うヴァルキリーであって、オーストラリア人のために戦うプロトタイプではありませんので」
「ふざけんな!」
戸惑うヴァルキリーを庇うかのように一人の隊員がサブラの前に出る。
「あんたはユダヤ人の犬だろうが、俺達はオーストラリアの兵士だ。なんで俺達がこんな目に遭いながらも撤退命令を無視して戦い続けると思う?」
「存じません」
「オーストラリアをハブナッツにしないためだ!」
プロトタイプの隊員はまるで狂人を見るかのような視線をサブラに送る。
「アンゴラ」
そして親指を折り、
「シエラレオネ」
人差し指を折り、
「コンゴ」
最後に中指を折った。ヴァルキリーと差別化するためにプログラムされたプロトタイプ特有の指の折り方だった。
「みんなハブズに好き勝手されるハブナッツだ」
隊員は仲間達を見回し、両手を広げる。
「もしもハブナッツになってしまえば、オーストラリア人はみんなハブズの奴隷になるか暗く湿った壁の内側で子どもを作るしかなくなる!」
「奴隷についてはともかく、後者は何か問題でも?」
サブラは自分以外には敵しかいない空間で更に敵を増やす態度を見せる。
「生殖活動はあらゆる生命の基本行動原則である繁殖と、人間の持つ三大欲求である性欲を満たす行為です。それを行うことは人間が生物である以上、極々自然なことです」
「お前……」
ユダヤ人特有の気質を表すフツパー――元々は厚かましさや大胆さを意味していたが、現在では『恐るべき鉄面皮、鋼鉄の心臓、言語化するのが困難を極める僭越ぶり』さえも内包する――というヘブライ語の言葉を知らない隊員達はサブラの言葉によって燃え盛る怒りに高オクタンのガソリンを注ぎ込まれた。
「はいはい、そこまでそこまで」
隊員達が次々に自動小銃の安全装置を外し始めた時、一触即発の空気は意外な人物によって打ち消された。
「ゾンビ映画の定番よねー」
黒一色の戦闘服を纏い、腰に汗で濡れたガスマスクと紅茶の入った水筒を吊るす少女が手を叩く音が地下壕に響く。
「追い詰められた連中同士で喧嘩ってさ」
グレネードランチャー付きのスターリング短機関銃を肩に載せ、キャロラインはつい先程死闘を繰り広げたドラケンスバーグ学園のヴァルキリーにウィンクを送った。
「さっきはどーも」
キャロラインはたくし上げられて結んである迷彩服の裾で抑えられたサブラの胸の膨らみに視線を送り、
「サブラ・グリンゴールドさん」
その谷間の上で鈍い光を放つ認識票に書かれた名前を口にした。
注1 戦車の砲塔だけを陣地から出して射撃すること。
注2 一九四三年夏に行われた第二次ヴォルクグラード内戦における激しい市街戦。
注3 アジア人の蔑称。




