第一章6
戦闘が終わった後のグリャーズヌイ特別区はさながら一九四三年に現れたソドムの市とでも言うべき場所に変貌していた。あちこちに臓物混じりの赤黒い血が配色され、手足があらぬ方向に曲がった死体や胸に大穴を開けられ肋骨と内臓を剥き出しにした上半身が転がっている。とある死体の爆ぜた頭部から飛び散った脳味噌はカラス達に突かれていた。
地獄の一角では不幸にもマリア派の捕虜となった旧人民生徒会派の男子生徒達が足首と手首を縛られ、汚い水溜りの上に腹ばいに転がされていた。執拗に殴られたせいで頭はサッカーボールばりの大きさに腫れ上がり、血と泥で汚れた制服はぼろぼろになっている。
「先輩、暇なんでこいつら殺しちゃってもいいですか?」
マリア派のヴァルキリー、カティアが上官であるセルフィナ・フェドセンコに問うた。
「いいでしょう? どうせこいつら、もういない扱いになってるんだし」
「好きにしろ。ただあまり周囲を汚すなよ」
フェドセンコは捕虜虐殺を容認した。止めてどうこうなるものでもない。カティアが言うようにここにいる捕虜は存在しない扱いだし、どうせ最終的にはあまり考えたくない末路――射撃訓練用の標的とか、そういう類の――を遂げることになっているからだ。
「ソーニャ、行こう!」
「うん!」
上官の承認を得たタスクフォース501の戦乙女は自分と同じように無邪気な残虐さを持つクラスメイトのヴァルキリーを伴って身動きの取れない捕虜達へと近付いていく。
「そーれ!」
まず、カティアは手近な捕虜の足の傷にその辺に落ちていた木の棒を突っ込んだ。傷口から見え隠れする鮮やかな肉を抉られた捕虜は苦悶の呻き声を漏らす。
「うわー、痛そう」
「カティアちゃん、それもっと突っ込んでみようよ!」
ソーニャに促されてカティアは更に深く棒を捕虜の傷口に押し入れた。苦痛に起因する捕虜の呻きが叫びへと変わり、二人はそれが面白くて大笑いしてしまう。
「ファシストの……サド野郎! 殺すなら……さっさと殺せ……!」
同じように手足を縛られ、腹ばいに地面に転がされた別の捕虜が吐き捨てるように言う。
「あ?」
「なにこいつ……」
言葉の冷や水をかけられた二人は無垢な笑顔を露骨に不快な表情へと変えた。
「ヒトモドキの分際で言葉発しないでよ。カチンとくるからさ」
カティアは木の棒を捨てると腰の鞘からよく研がれた軍用ナイフを取り出し、たった今生意気にも悪態をついた捕虜の上に乗って地面に押さえ付けた。
「ソーニャ、手を潰して」
「まっかせてー!」
ナイフで縄を切られて自由になった捕虜の手足をソーニャが踏み付ける。軍用ブーツで覆われた踵が何度も何度も踏み降ろされ、肉と骨を滅茶苦茶に砕いた。
次に二人は捕虜を仰向けにして服を切り裂き、その柔らかい腹部を露出させた。
「ソーニャ、叫ばれると耳障りだから口押さえて」
ソーニャが口を無理矢理手で塞ぐなり「そーれ!」とカティアは捕虜の肌色の皮膚に鋭いナイフの刃を突き立てた。くぐもった悲鳴が二人の鼓膜を震わせる。
「カティアちゃん、あんまり切り過ぎないでよ。死んじゃったら面白くないもん」
「わかってるわかってるぅ」
腹から飛び出した腸の凄まじい悪臭に捕虜は絶叫を上げたが、すぐにカティアのナイフで舌を切り取られた。彼女は次に心底面白そうに笑いながら捕虜の目へ刃を突っ込みそれを眼窩内で掻き回して眼球を穿り出す。視神経で繋がった白い目玉が地面に転がった。
そして、白い頬を赤黒い返り血で染めたカティアとソーニャが揃って笑い合い思わずキスしてしまいそうになった瞬間――ソーニャの右頬から入った七・九二ミリ弾が左頬の肉を吹き飛ばして貫通した。白い皮膚の破片と歯茎、血液が混じり合って地面に飛び散る。
ソーニャが絶命した捕虜の脇に倒れ込み、血相を変えたフェドセンコがカティアの後ろ首を掴んでJSU‐152重自走砲の残骸の陰に隠すのはほぼ同じタイミングだった。
「ちっく……しょう!」
頬に開けられた大穴から白い歯と赤黒い歯茎を覗かせて地面を叩いたソーニャの手に銃弾が食い込み、立て続けに親指と人差し指、中指を吹き飛ばす。
「クソォ! クソォ!」
苦悶の表情を浮かべたソーニャの涙声の叫びが戦場に木霊した。
「助けに行きます!」
「待てカティア!」
フェドセンコは残骸の陰から出ようとするカティアの腕を掴む。
「今出たら殺されるぞ!」
首を横に振ってフェドセンコは言う。今頃、敵の狙撃兵のスコープ内には血と土埃にまみれた華奢な少女がのた打ち回る姿があるはずだ。そしてその狙撃兵は仲間を救うために残骸の陰から飛び出す別のヴァルキリーの出現を心待ちにしているに違いない。
「ソーニャを見殺しにしろって言うんですか!?」
「奴の狙いはソーニャを囮にして私達を誘い出すことだ」
「だけど二人一緒に行けば……」
「無理だ。相手は半自動狙撃銃を使っている。二人揃って殺られるぞ」
「ではどうするんです?」
フェドセンコは捻りだすようにして答える。
「ソーニャを見捨てて後退するしかない」
「ふざけないで下さい!」
カティアは激昂する。
「私達は悪魔ではなく血の通った人間なんです! 先輩……いえ、同志フェドセンコだって同じでしょう!? 絶対に仲間を見捨てたりしません!」
フェドセンコの手を振り払い、カティアは残骸から身を乗り出し――直後、銃声と共に彼女の左足首が足と切り離された。
足首を失ったカティアの身体が砂煙を上げて勢い良く地面に倒れ込む。
「カティアちゃん!」
ソーニャの声で初めて、カティアは自分が撃たれたことを知る。
「ざまあないわね……」
「カティアちゃん……痛いよ……痛いよ……」
涙混じりの弱々しい声をソーニャは発する。
「大丈夫」
カティアの視界の隅で、狙撃銃のスコープの反射光に気付いたフェドセンコがマナ・フィールドを展開しつつ空へと飛び上がっていく。
「ソーニャ、大丈夫だからね。今に先輩が卑怯者をやっつけてくれるから」
カティアが励ました矢先に銃弾がソーニャの脇腹を抉る。鉛の塊は白磁の肌を易々とぶち抜き、彼女の体内で筋肉や血管、内臓その他全てを巻き込んで徹底的に破壊し尽した。
裏返り、悪夢のようなソーニャの悲鳴が血まみれの肉片と共に撒き散らされ続ける。
「もう嫌……殺して。痛いのは……痛いのはもう……嫌だよ……」
「馬鹿!」
弱音を吐くソーニャに彼女の血で顔を汚したカティアが励ましの声をかける。
「諦めちゃダメ!」
だが諦めを誘うかのように意図的に狙いを外した七・九二ミリ弾が二人の周囲で何度も何度も飛び跳ねる。そのたびに想像を絶する恐怖でソーニャの身体が震えた。
「くそ! くそ! 畜生! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!」
七分十二秒後、半ばヤケクソになったカティアは上体を起こして叫んだ。
「隠れてないで出てきなさいよ! 殺してやる! コソコソと戦うアンタなんかに――」
返答は乾いた銃声だった。摘んで引っ張られたように軍服が持ち上がり、心臓を撃ち抜かれたカティアは呆然と自分の胸に広がる赤を見る。
「えっ……」
理解できないという様子で胸に視線を落としていたカティアの頭は、困惑の言葉を口にした直後に再度の銃撃で顎から上を綺麗に消し飛ばされた。
「カティアちゃん……」
悪臭の湯気が立つ脳漿を見たソーニャにもう誰もグリャーズヌイ特別区の片隅で孤立した自分を助けてくれる者はいないという絶望的な現実が突きつけられた。
「死んじゃったの……?」
ソーニャの股間から生暖かい液体が地面に広がっていく。
「カティアちゃん……嘘……だよね……?」
腰のホルスターから拳銃を抜き、ソーニャは震える手で銃口を自らのこめかみに当てた。
「ヴァルキリー二名の死亡を確認」
帽子を被った頭と上半身を偽装ネットで覆った戦闘服姿のエーリヒ・シュヴァンクマイエルは虫の息だったヴァルキリーの自殺を見届けると使い慣れたGew43半自動小銃の狙撃用スコープから目を離し、静かに立ち上がって近くの斜面を滑った。
「動くな」
下に着いて中腰の体勢から背筋を伸ばしたとき、彼の側頭部に銃口が押し当てられた。
「どうしてすぐにトリガーを引かない?」
フェドセンコは返事をせず、ただ大きく振り上げたTKB‐408自動小銃のストックでエーリヒの後頭部を殴り地面に倒した。
「あらゆる苦しみを味あわせてからゆっくりと殺してやる」
「苦痛を与えたいのなら最初に相手の頭を殴ってはいけない」
バラクラバから覗く眉間に鮮血を滴らせながらエーリヒは言う。
「痛覚が鈍ってしまうんだ」
淡々と話し続けるエーリヒの顔面に今度はフェドセンコの拳がめり込んだ。
「お前は私の大切な仲間を殺した! 嬲り殺しにした!」
「うん」
あっさりとエーリヒは認めた。
「確かに嬲り殺しにした」
「どうしてそんなにも落ち着いていられる!? どうして平然としていられるんだ!」
「僕は殺されるだろうね」
エーリヒは身を起こしながら大して興味もなさそうに言う。
「僕の所属する第三十二大隊の任務はいつも危険なものばかり。敵地への爆撃誘導、重要拠点の確保、生身での対戦車攻撃……偵察に行けば一日で五、六回は敵の姿を見る」
エーリヒはフェドセンコの目から一瞬たりとも視線を離さずに話し続ける。
「司令部はいつも『正規軍のタスクフォースがもしもの場合は支援を行う』とブリーフィングで説明する。だけど、それを信じる兵士は一人もいない……正規軍のタスクフォースには最前線で戦闘中の第三十二大隊を連絡なしに見捨てて撤退の時間稼ぎにした前科が何犯もあるんだ。存在すらしていない兵士。それが僕達第三十二大隊」
少年の言葉にはゾッとするような冷たさがあった。
「僕を殺して君は満足するかもしれないけど、僕を殺したところで君には何の利益もない」
「利益……? お前は一体何を言っているんだ!」
「ヴァルキリーを一人生産するのにグレン&グレンダ社は二十万ドルをかけるけど、プロトタイプはわずか百ドルで作られる。単純計算でこの二つの命には十九万九千九百ドルの価格差がある。そうなるとヴァルキリーである君が利益を上げるには一人で二千人以上を殺さなきゃいけない。だから僕一人を殺したところで君には何の得もないんだ」
エーリヒの話を聞く少女の顔は命をドルに換算する少年への嫌悪で引き攣っていた。
「そして、君は僕が『君の後輩を嬲り殺しにしたこと』について僕を残虐だとか、鬼畜だと非難する権利を持っていない」
「なんだと!?」
「君達が……正確には君の後輩が無抵抗の捕虜を数名がかりで嬲り殺しにしたのは、自分達が殺す相手は嬲り殺しにされるだけの理由があることと、捕虜を嬲り殺しにしても問題がないことが君達の交戦規則で定められているという前提があるからだ。逆に言えば僕にだって交戦規則という前提がある。マリア派のヴァルキリーを狙撃し、嬲り殺しにした上でその仲間を誘導、射殺してもいいという――ね。だから僕が君を非難する権利を持たないように、君にだって僕を非難する権利はないんだ。君の中で自分を棚に上げた子供の論理を振り翳す行為が非難を意味しているとしたら話は別だけど」
TKB‐408自動小銃を構えたフェドセンコの手の震えが増していく。彼女は言い返せなかった。エーリヒが正論を言い、しかもそれが図星だったからだ。
「交戦規則が心のリミッターを外し残虐性を引き出すという点ではプロトタイプもヴァルキリーも、そして僕のような純然たる人間も同じだ」
実際のところエーリヒはプロトタイプではない。戦災孤児としてとある軍人の家に引き取られたが、彼は自分と同い年やそれ以下の子供達の殺し合いで平和が維持されていることに疑問と憤りを感じてわざわざアルカにまでやってきた変り種中の変り種だ。
「最後に……無理かもしれないけど、これは怒らないで聞いてほしい。僕がさっき殺したのは君の後輩だ。これは僕のガールフレンドが言ってたことなんだけど――」
尻餅をついた体勢のエーリヒは怒りに震えるヴォルクグラード人民学園マリア派のヴァルキリーからは死角になって見えない腰のナイフに手を伸ばす。
「人は死ぬ間際に本当の姿を曝け出すらしい。そうすると君の後輩が死ぬ様子をスコープで覗いていた僕は君以上に彼女達のことを知っていることになる」
そして少年はフェドセンコの怒りの導火線に火を着ける決定的な言葉を発した。
「カティアとソーニャ、どっちが情けなかったか教えてほしいかい?」
「貴ッ……様ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
激怒したフェドセンコがTKB‐408自動小銃のストックを宙に掲げた瞬間、エーリヒは立ち上がって振り下ろされた一撃を回避し、彼女の後ろ髪を掴んで顎の下からナイフを突き入れた。案の定、彼女は感情的になって冷静さを失ってくれた。
少女の唇の上で弾ける血の泡の音を聞くエーリヒに表情はなかった。ナイフの切っ先が頭の中を抉るたびにフェドセンコの閉じた唇が震え、その間から粘度の高い血液が流れ出る。目が大きく見開かれてエーリヒを見るが、見られた側はなおも無表情を崩さず、フェドセンコの頭部に入り込んだナイフの刃を左右に捻って脳髄や神経をズタズタに破壊した。
「流石エリー。三人も仕留めちゃった」
絶命したヴァルキリーの胸を足蹴にしたエーリヒに背後から声がかかる。
「運が良かっただけだよ。君の方は?」
エーリヒは軽やかに舞うような足運びで歩いてきた金髪の少女に問いかける。
「二人ってところかな」
顔を赤黒い返り血で汚したポニーテールの少女はヴァルキリーの死体をエーリヒの脇に投げてよこした。可憐な少女の死に顔は恐怖と絶望で歪み、四肢が乱暴にもぎ取られた胴体の皮膚は所々焼け焦げて黒くなりコルダイト火薬の耐え難い悪臭を放っている。
「エリーが言ったようにコソコソやらなくてもいいんならもっと殺せるんだけどなぁ」
「ノエル、まだそういうわけにはいかないんだ。我慢してよ」
ノエルは少佐でエーリヒは大尉だが二人はお互いをファーストネームで呼び合う。二人に限らず心底裏付けのない精神論を軽蔑し、実戦に即した地道かつ過酷な訓練以外は何一つ信用しようとしない第三十二大隊のメンバーは階級無視が基本で、それは士官と下士官の間でさえも例外ではない。
「二人合わせて五人。まずは……ってノエル、血が出てるよ」
眠たげに欠伸するノエルのローブの股間はエーリヒが指差した通り黒く滲んでいた。
「ああ、どうせすぐに治るからいいよ」
「そういうわけにはいかない」
エーリヒは深刻そうな口調で言いつつノエルの前で膝立ちになり、急いで腰の医療キットを外して地面に置く。そして彼女のマナ・ローブをナイフで切り裂いた。
「圧迫包帯をするからね。十分おきに血を……あれ?」
傷口が全く見当たらなかったのでエーリヒは目を丸くして手を止めた。ノエルの肌は鉄臭く冷たい血液で濡れはしていたが、どこを触っても外傷はない。
「エリーったら可愛い顔して大胆なんだねー……」
「えっ」
エーリヒが顔を上げると、ノエルが口を猫のようにして嬉しそうに笑っていた。
「あっ……」
プロトタイプやヴァルキリーの尋常ではない治癒能力をすっかり失念してしまったエーリヒの頬は今や熱せられたバターのように蕩けてしまいそうになっていた。
「女の子のズボンを切り裂いておまたをさわさわするなんてエリーもえっちだなぁ……」
ノエルはわざと頬を染め、普段は絶対に見せない表情をわざと作り目尻を緩めて暴力的な色香を放つ。柑橘類じみた甘い臭気がエーリヒの鼻腔に流れ込んだ。
「ごっ、ごっ、誤解ですッ! 誤解ですよッ!」
バラクラバから覗く目元を真っ赤にしながら、何故か敬語でエーリヒは否定した。