第一章4
一九四六年九月十六日。
魚めいた濃い腐臭が漂うアルカ南東部――ハンガリーの代理勢力であるトランシルヴァニア学園の勢力圏を八人の傭兵が進んでいた。
引き締まった肉体をタイガーストライプパターンの迷彩服で包み、その上にハーネスで各種装備を吊下した傭兵達はガムを噛みながら黙々と歩き続けている。
『奴らには実力なんてない。奴らにあるのはコネと媚を売る能力だけ。何も犠牲にはしていない、何の代償も支払ってはいない』
突然、凝固した血液で汚れた背の高い芝生から伸びる拡声器が低い女の声を流し始める。
『でも世界はそうできている。この世界は、世界はそうあるべきだと定義しているクソ共によって支配されているんだ。それは狂気の世界だよ』
軍用ブーツが地面から突き出す錆び切った不発弾のテールフィンの横を踏み締め、そこで羽を休めていたトンボが飛び去っていく。
『いくらご高説を垂れたところで、奴らは養豚場の餌やり係に過ぎないんだ。自分で何一つ考えられない豚どもに適当な餌を食わせているだけ。そして、垂れ流された豚の糞を売って生計を立てている。美辞麗句を並べる奴らの正体がこれだ』
その時、ドイツ製MP44自動小銃のハンドガード下にレイルで取り付けられたフォアグリップを握って進む傭兵の一人は、精神病院の病棟めいた声の中に遠方から迫り来るエンジン音が紛れていることに気付いた。
『ボクはこの世界から消えたい。だけどこの世界に負けたくない』
スピーカーからなおも流れ続ける声を耳にして、ブーニーハットや『MARIA WAS SUPER』というロゴが入ったベトナム製のキャップを被り、上半身に使い古されたチェストリグを装着、腰回りに雑嚢や水筒を吊り下げた若者達は忌々しげに舌打ちする。
『それは受け入れられない。あくまでもボクは正気なんだ』
先頭を行く傭兵部隊の隊長が前を向いたまま手を開いて後ろに向け、ハンドシグナルで「止まれ」と命じる。
『ボクの心には諦めがある。世界はどうやっても変わらない。自分で変えることなどできやしない。そして今更自分は変われない』
顔と半袖から覗く腕をドーランで黒く塗った傭兵達は拡声器からの雑音の中に混じるエンジン音が徐々に北から近付いてくることを悟り、
「敵だ!」
斜め一列に広がって伏せ、
「クソ野郎共が来るぞ!」
一斉に銃口をそちらの方向へと向けた。
『このまま生きていてもしょうがない。延々と屈辱と苦痛が続くだけ……だからボクは、サブラ・グリンゴールドという正気でも狂気でもない、公平な存在によってこの世界から排除されることを望んでいる』
北からゆっくりとガーランド・ハイスクール払い下げのカンボジア製OD戦闘服をだらしなく着込み、ヘルメットを斜めに被ったトランシルヴァニア兵達が心底気だるそうな様子で五十mに渡る横隊を作り接近してくる。その後ろにはFlak38――ドイツ製の二十ミリ機関砲を荷台に積んだピックアップトラックが二台、こちらもカタツムリのようにゆっくりと緊張感なく進んでいた。
遭遇戦だ。
タスクフォース・リガの傭兵達は二手に別れた。正面に四名が残り、残り四名が敵の左側面に回り込む。
「撃て!」
四人が走り出すなり、正面に布陣した四名は膝立ちになって一斉に南アフリカ共和国製のリボルバー式グレネードランチャーを連射し始めた。緩やかな放物線を描いた榴弾は死と破壊の雨となってトランシルヴァニア兵の頭上に降り注ぐ。立て続けに爆発が起き、細かい鉄片と爆風が若い肢体をズタズタに切り裂き、生者からは肺の酸素を奪った。二台のピックアップトラックも攻撃開始から僅か十秒で焦げた鉄の塊へと変わり果てた。
「走れ! もっと早く!」
叫びながら疾走、滑り込むように敵の左側面に展開した四人は広い間隔を持って横一列に伏せ、まだ爆発のショックから立ち直っていない敵兵達に発砲を開始する。
立て続けに響く乾いた銃声。傭兵達の手にしたMP44自動小銃から排出された熱い空薬莢が回転しながら周囲に転がると、トランシルヴァニア兵は血生臭い臓物を撒き散らして次々に倒されていった。彼らのOD戦闘服が銃弾の見えない手に持ち上げられた途端、全身から力が抜けて地面に突っ伏す。狙いも定めずに腰だめで乱射していたトランシルヴァニア兵は一発で頭を撃ち抜かれた。
「よし!」
左に展開していた二人の傭兵が右の二人に援護射撃を受けながら充満した熱と腐臭を切り裂いて前進、銃弾の中を疾走して滑り込むようにしてまた地面へと伏せ、発砲する。
「行くぞ!」
今度は右に展開していた二人が掛け声と共に前進、銃弾の中を疾走する。トランシルヴァニア兵は彼らを撃とうとするが、先行して左前方に展開している二人の傭兵は大まかな狙いをつけてのフルオート射撃を浴びせてその行動を阻害した。
横一列に四人が並ぶと、傭兵達はまた先程の動きを繰り返し、ピシッ、ピシッと音を立てて自分の周囲を掠める銃弾の中を相互に援護し合いながら前へ前へと進んだ。
「注意しろ!」
「あ、あれは見たことのない動きだ!」
たまたま耳に入ったトランシルヴァニア兵の狼狽を耳にして傭兵達は愕然とする。
「おいおい……」
思わず一人の傭兵が隣に伏せてドラムマガジンが付いたソ連製のDP28軽機関銃を撃つ仲間と目を合わせる。
「あいつらは戦争一つロクにできないのか?」
何故なら、たった今傭兵達が行った継続躍進と呼ばれる戦術は歩兵戦闘における基本中の基本だったからだ。




