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学園大戦ヴァルキリーズ  作者: 名無しの東北県人
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
6/285

第一章5

 授業や任務のため殆どの住人が部屋を空けている昼下がりのヴォルクグラード人民学園学生寮においてたった一つだけ例外が存在していた。

 薄暗いエレナ・ヴィレンスカヤの部屋全体を照らしているのは木製の台の上に置かれた小さなテレビで、そこには生徒達で埋め尽くされたヴォルクグラード人民学園の定例記者会見室が映っている。室内に溢れる熱気はブラウン管越しにでも伝わってきそうだった。

「ヴォルクグラード人民学園の皆さん、生徒会長のマリア・パステルナークです」

 演壇に立つマリアが口を開いた。

「二日前、人民生徒会の残党が私を襲撃しました」

 手元の原稿を全く読もうとしないマリアは数百の視線を一身に浴びながら悲しみに満ちた表情で話す。だが彼女はすぐ言葉に詰まり、失礼と嗚咽しながら涙を拭った。

「私は多くの勇気ある生徒会役員に守られました。彼らは有望な未来を捨てて私を守ったのです……復讐は次の復讐を生みます。復讐の連鎖は止めなければなりません」

 力強く顔を上げてマリアは続けた。

「ですが、我々はテロリストに屈するべきでしょうか? 彼らが命を賭して守ろうとしたのは私ではありません。ヴォルクグラード人民学園という、全ての生徒にとって――いえ、全てのロシアの民にとって神聖不可侵な場所を守ろうとしたのです!」

 垂れ幕が下り、犠牲となった生徒達の顔写真が大きく映し出された。

「皆さん、私はもう一度問います。我々はテロリストに屈するべきでしょうか?」

 熱い意思に溢れた様子でマリアは演壇から身を乗り出す。

「それとも、彼らの犠牲を無駄にしないために生き残った我々が戦うべきでしょうか?」

 定例記者会見室のあちこちから事前に打ち合わせられた「戦うべきだ!」、「我々は戦わずして敗北はしない!」という力強い男子生徒の声が上がった。

「私はタスクフォース501に治安出動命令を下しました。そして私自身も多くの危険が待ち受けるグリャーズヌイ特別区に赴きます。それは戦うためです」

 水を得た魚のようにヴォルクグラード人民学園の生徒会長は続けた。

「今、我々は暗く寒い夜の中にいます。ですが、それは同時に希望に満ちた朝が近付いていることを意味します。テロリストとの戦いで我々は更なる犠牲を強いられることになるでしょう。しかし本当の正義とは、テロリストの要求に屈することではないはずだ!」

 満場の拍手喝采に包まれたテレビの前でエレナはひたすら鉈を研ぐ。彼女は作戦を知らされてからずっと空腹状態を続け、暗闇の中で暮らして凶暴性を高め続けてきた。

 机の上に置いておいた電話がけたたましく鳴ると、エレナは反射的に先端で結われたプラチナブロンドの髪を揺らして受話器を取る。

「もしもし」

「同志中尉、シュトルム444作戦が発動されました」

「了解」

 エレナは受話器を置く。

 七分十二秒後、彼女はヴォルクグラード学園軍のタスクフォース501に所属する米国製M3ハーフトラックの車上で揺られていた。ハーフトラックとは前輪がタイヤで後輪がキャタピラになっている軽装甲の半装軌車を指す。

 車上で弾薬箱や床に敷いたケヴラー抗弾パネルに腰掛けている他の兵士達の体からは石鹸と歯磨き、アフターシェーブ・ローションの匂いが漂っていた。全員が空軍のパイロット用革製ジャケットに防弾チョッキを羽織り、ハーネスに予備マガジンを差し込んで頭部をバイザー付きのチタン製フルフェイスヘルメットで覆っていた。そのせいで皆ロボットじみた恐ろしい姿に見えたが、彼らは学生服姿であればにきび跡の残る若者達に過ぎない。

「ワクワクするよ。人を殺すのが楽しみでしょうがない」

 プロトタイプこと本国の少年少女の数倍の成長速度と寿命、そして身体能力を有する戦闘用の人造人間達は揃って戦いへの強い憧れを抱いていた。退屈な授業中にはしばしば教室の窓外を眺めて戦場を夢見ているし、戦争を題材にした映画や小説に触れるたびにその作中で描かれる兵士達の絆に強い感動を覚え、生き残り勝利した男達の姿に自分を重ね合わせることもしばしばだった。

「ねぇねぇエレナ、これ見てよ」

 自分を呼ぶ声を受けてエレナが前に視線を向けると向かい側に座る同僚のヴァルキリー、オルガ・グラズノフがアメリカ製のアイスクリーム容器を見せてきた。

「これは手作りの指向性対人地雷(注1)で……」

 オルガが膝の上に乗せた、夜こっそり食堂から盗み出したであろう全部食べたら確実に糖尿病になりそうなアメリカン・サイズのアイスクリーム容器は粘着テープでぐるぐる巻きにされていた。オルガが言うには、この容器の中にはプラスチック爆弾がみっちりと詰め込まれ起爆時に凶悪な殺傷力を発揮するナットやボルトも加えられているという。

 やがて車列はサカタグラードのグリャーズヌイ特別区へと侵入した。グリャーズヌイとはロシア語で『汚い』を意味し、その名の通りこの地区は荒廃の極みにある。

 ゲートが開くなり、いきなり炭化して黒くなった木が並んでいる風景と棒の先に刺された蝿の集る生首が目に入った。この世のものとは思えない地獄絵図――鼻腔の奥を塩辛く灼く腐臭によって兵士達の胸中が一気に重いものに支配される。

「全員降車!」

 エレナが先頭を切り、続いて兵士達がハーフトラックから降りる。兵士達はTKB‐408自動小銃を装備していた。この銃はグリップと引き金の後方に弾倉や機関部を配置したブルパップスタイルの新型自動小銃で、試験を兼ねてマリア派に使用されている。

 兵士達は炭化した死体が数え切れないほど放置された地面を踏み締めて進んでいく。

 水溜りに上半身を突っ込んだ焼死体には所々白が蠢いている。丸々と太った蛆虫だった。

「どうした?」

 エレナは足を止めて呆然と一点を見つめる兵士に話しかけた。

 何も答えない兵士の視線の先では骨と皮だけになった旧人民生徒会派の生徒達が動物のように四つん這いになり飢え死にしたかつての級友を貪っている。

「冬のロシアではよくあることだ。ロシアでは冬、遠くへ行くとき子供を一人連れて行く」

「なぜです?」

 エレナは涼しい表情で焼け焦げた木の下に転がる歯形が残った骨や腐敗した臓物、糞尿に視線を向けながらさも当然であるかのように答えた。

「食料にするためだ」

 絶句して立ち尽くす兵士の横でエレナはポケットから錠剤を取り出し、口に放り込んでボリボリと噛み潰した。これは十分な睡眠を取れない航空機のパイロットが眠気を抑えるために服用する覚醒効果を持ったモダフィニルという薬物で、戦場に到着すると彼女は必ずこの薬を服用するようにしている。実感として存在するのは服用後に尿が発するドクダミじみた独特の臭いぐらいだが、不思議なことに飲むと気持ちが落ち着くのだ。

「準備が終わりました。同志中尉、お願いします」

 怜悧な表情を崩さないエレナに兵士が声をかけた。

「うむ」

 エレナは眼前を埋め尽くす汚れ切った集落に兵士から手渡された拡声器を向けた。

「聞こえるか! 堕落した人民生徒会の亡霊共よ! 我ら鋼鉄の軍勢が貴様らに残された歴史上最後の巣を包囲した! 武器を捨てよ! 家を捨てよ! 希望を捨てよ! 我々は同志マリアの意志に抗おうとする者全てを叩き潰す!」

 横に立っていた気の弱そうなマリア派の将校が小声で「そこまでで結構です。今から話し合いによる交渉を……」とエレナに耳打ちする。

「勇敢なる同志諸君!」

 だが彼女は無視して背後に居並ぶ完全武装した兵士達に叫んだ。

「今日! アルカの底を這い回るゴキブリ共は我らの鉄拳によって粉砕されるであろう!」

 タスクフォース501の兵士達が一斉にヘルメットのバイザーを降ろし、

「全ての障害を薙ぎ払え!」

 カーキグリーン一色に塗られたT‐34/85中戦車やJSU‐152重自走砲のよく整備されたディーゼルエンジンが始動、黒い煙がマフラーから立ち昇り、

「我らは狼の血を継ぐ者達である!」

 自動小銃や短機関銃の安全装置が外れる金属音が連続して鳴り響き、

「グリャーズヌイに潜む下劣の者共を奴ら自身の血の中に沈めてやるのだ!」

「Урааааааааааааааааааааааааааааааааааа!」

「Урааааааааааааааааааааааааааааааааааа!」

「Урааааааааааааааааааааааааааааааааааа!」

 最後にマリア・パステルナークを妄信する全ての者達が万歳の叫びを上げた。

「同志諸君! 私に続け!」

 固着の掛け声と共にヴァルキリーへと変身し濃緑色のマナ・ローブを纏ったエレナを先頭にしてヴォルクグラード学園軍のタスクフォース501――事実上のマリア・パステルナーク親衛隊――は一斉に汚らしい居住地へ突撃した。

 今ここにシュトルム444作戦が開始された。

 この作戦はサカタグラードの一角に潜伏中の旧人民生徒会派のテロリスト達を殲滅することが目的だ。公式記録にはそう残されるし、もし存在していないはずのグリャーズヌイ特別区の存在が明るみになっても、旧人民生徒会派が凶悪なテロを起こして罪なきヴォルクグラードの生徒会役員達を殺したという事実は揺るがない。形はどうあれマリア・パステルナークはこれまで存在していないという政治的理由から手出しができなかったグリャーズヌイ特別区を合法的に叩き潰そうとしていた。そして、既にその大義名分は意図的に情報を流し人民生徒会派に生徒会室を襲撃させた彼女によって作り出されていた。

 こうして惨劇の幕が上がった。

 エレナは一つの小屋の前で足を止めると、目を閉じ、音を立てて息を吸い込んだ。

「鼠が隠れているぞ。臭いでわかる。手榴弾をよこせ」

 たっぷりと炸薬の詰まったパイナップル型手榴弾がにやつくマリア派の兵士からエレナに手渡される。彼女はすぐにピンを抜いてそれを小屋の中に放り込んだ。

 爆発が起きて一秒としないうちに悲鳴を上げながら哀れな程に薄汚い格好をした二人の男子生徒が黒煙の中から相次いで飛び出してくる。

 エレナは一人に足をかけて転ばせ、全力で逃走するもう一人の背中にマチェット――鉈を投擲する。血飛沫が弾け、背中に刃が突き刺さった少年が泥水の中に倒れた。

「やめてくれ!」

 続いてたった今転ばされて泥に顔を埋めたもう一人の男子生徒の両肩が兵士達によって押さえ付けられ、その後頭部と両側頭部に銃口の硬い先端が向けられる。

「半袖がいいか? 長袖がいいか?」

 つい数秒前までは生きていた死体の背中からマチェットを抜き、刃を振って付着した血液を振り落としたエレナは恐怖で股間を濡らす男子生徒に問う。当然意味がわからない彼は言葉に詰まるが、回答を急かすかのように他の兵士達から銃口で頭を何度も小突かれた。

「同志中尉が半袖か長袖かと聞いているんだ! 答えろ!」

「は、半袖を……」

「よし、やれ」

 怒鳴り声で回答を促した兵士達は男子生徒の腕を捲り始める。

「な、何を――」

「お前は『半袖』を選択した。自分の意志でな。ならば責任を持て」

 兵士達は男子生徒の手首と肩を掴んで腕をロープのようにピンと突っ張らせる。そこへエレナのマチェットの刃が振り落とされ、鋭い音と共に腕が切断された。

「次だ」

 同じようなやり方でエレナは次から次へと捕えられた生徒の四肢を切断していき、瞬く間にグリャーズヌイ特別区の一角には切り落とされた手足の山が作り出された。

「刃物で殺すぐらいなら、いっそ銃で即死させて下さい!」

 そう懇願する女子生徒に「ほう」と一瞥を送りながら、エレナは死体で溢れ返った用水路に足を踏み入れ、一つの死体の腹を裂いて中から心臓を取り出す。

「こいつを食え。食ったら銃で殺してやる」

「えっ……」

 タスクフォース501の最強戦力が握った血まみれの心臓を見せられてただでさえ青白くなっていた女子生徒の顔から更に血の気が引いていく。

「やめて下さい……それ以外のことだったら、なんでもしますから……」

「ん?」

 媚びた視線、機嫌を取るかのような女子生徒の口調にエレナの眉が動く。

「それ以外のことなら何でもすると言ったな?」

 エレナは胸を撃たれ、虫の息で痙攣する近場に転がっていた男子生徒を指差す。

「あれを殺せ」

「で、できません」

 女子生徒が尻で後退りしながら、

「そ、そんなことできません。やめて下さい……」

 涙声で懇願した。

「しょうがない奴だな。なら耳を切り取れ」

「切れません……切れません……」

「あまり我侭を抜かすな。自分の立場をよく考えろ」

 泣きながら哀願していた女子生徒だったが、エレナから喉元にまだ生暖かい血液で濡れているマチェットの刃を突き付けられてようやく自分の立場を認識した。

「死にたくないのなら選択しろ」

 女子生徒は観念した様子で強く目蓋を閉じ、唇を大きく震わせながら意を決して「わかりました……あの人の耳を切り取ります……」と口にする。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 自分を指差し、唾を吐くマリア派兵士達の前で女子生徒は泣きながら落ちていたガラス片を動けない男子生徒の耳に突き立てた。途端、眼前の地獄絵図を面白おかしく笑っていた兵士達でさえ一気に凍りつくような男子生徒の絶叫が響き渡った。

「ごめんなさい……どうか生きて……助かって……!」

 たった今かつてのクラスメイトの耳を切断した女子生徒は涙を流し、膝下に広がる鮮やかな血の池で咽び泣く。だが彼女の願いも空しく男子生徒は激痛でショック死した。

「よくやったな。ほれ、褒美だ」

 軍用ブーツで包まれたエレナの爪先が女子生徒の鳩尾に突き刺さった。鈍い音と共に勢い良く細い首が後方に倒れ、赤く汚れた両手が揃って天を仰いだ。彼女が血の糸を引いて爪先を引き抜くなり奇妙に膝が折れたまま絶命した女子生徒の上半身が地面に倒れ込む。

「狂人め!」

 両手を後ろで縛られ、マリア派の兵士達からこめかみに拳銃を押し付けられて地獄絵図を強引に見せられていた別の旧人民生徒会派生徒からの罵声にエレナは「違うな」と返す。

「私はただお前達に対しては道徳と善悪をわきまえないだけだ」

 彼女が怒りに肩を震わせる生徒に侮蔑の視線を向けたとき、青い光が視界の端を走った。

「伏せ――」

 エレナが言い終える前に彼女の真横を白煙を引いて通過した六十ミリロケット弾がM3ハーフトラックに吸い込まれた。爆発が空を緋色に染め、岩と泥の塊、金属片や兵士達の肉片が周囲に四散する。炎はすぐ黒煙に変わり悪臭を放つ根源となった。

「戦場で屠殺をやるゴキブリ共め!」

 たった今タスクフォース501に奇襲を仕掛け、PPSh‐41短機関銃片手に黒煙の中で滞空しながら怨嗟の声で叫ぶ旧人民生徒会派の少女も、

「ほざくな!」

 急上昇しながら憎悪の声を返すエレナも、共にヴァルキリーと呼ばれる存在だった。

 ヴァルキリー……それは地球に落下した隕石内に含まれていたマナ・クリスタルという鉱石と、それに含有されるマナ・エネルギーとの親和性を有したアルカにおける学園大戦の生態系の頂点に立つごく少数のプロトタイプを指す。

「応戦しろ!」

 空を乱舞する旧人民生徒会派ヴァルキリーに対してマリア派兵士達が発砲した自動小銃から猛烈な勢いで空薬莢が排出されて血が染み込んだ赤茶色の地面に転がる。グリャーズヌイ特別区に立ち込める脂っぽい血液の臭気にコルダイト火薬の悪臭が混ざった。

「チェキストの蛆虫共が!」

 今や空を舞う存在となったエレナが手にしたTKB‐408自動小銃を急降下しつつ発砲するのと同時に旧人民生徒会派ヴァルキリーは激しい発射音と自分の周囲を高速で通過する七・六二ミリ弾の音を聞いた。迫り来る怨敵との距離が近付くのに比例して音は弾丸が頭を掠めるピシッというものに変わっていった。

 空中でエレナと旧人民生徒会派ヴァルキリーは鋭く交錯しエレナは青い粒子を振り撒いて右旋回しながらTKB‐408自動小銃のトリガーを引く。

「クソッ!」

 マナ・フィールドを展開するよりも早く旧人民生徒会派ヴァルキリーの左前腕に何かが突き刺さった。痛みはない。ただ腕全体に痺れが走っただけだ。

「腕ぐらいくれてやる!」

 旧人民生徒会派ヴァルキリーは腱が切れ、骨も折れて砕かれたことで今や血みどろの塊に成り果てた左手のことなど意にも介さない様子で今度は降下していくエレナを追った。

「代わりに命をもらう!」

 背部飛行ユニットの推進器から青い粒子が一際強く噴き出し、爆発的なエネルギーで人工的に工場で製造された少女の肢体を前へ前へと突き進める。

「わざわざ殺されに来たか! ならば殺してやる!」

 エレナは横一回転の勢いを利用してワイヤーを付けたマチェットをブーメランのようにして迫り来る旧人民生徒会派ヴァルキリーへと投擲した。旧人民生徒会派ヴァルキリーは突然左の脇腹に衝撃を覚え、刹那に痛みを感じる。脇腹に視線を向けると、どす黒い染みが濃緑色のローブを猛烈な勢いで侵食していた。

「死ね!」

 エレナの声を聞いた旧人民生徒会派ヴァルキリーが視線に前に戻すなり、もう一本のマチェットの刃が顔面に突き刺さった。絶命と同時に刃が引き抜かれ、傷口から血と脳漿が、眼窩から神経に繋がれた白い眼球が飛び出した。最後に力の抜けた肢体が痙攣しながら地面へと吸い込まれ、湿った音を立てて木っ端微塵に四散する。

 今日最初のヴァルキリーを見事仕留めたエレナは地上で円陣を組み突然の待ち伏せに攻撃に対し激しく応戦するマリア派兵士達に合流した。

「弾幕を切らすな!」

「敵ヴァルキリーに攻撃を集中! 絶対に一人で戦うな!」

 フルオートでマガジン六本を一分以内に撃ち切れ――待ち伏せをするとき、あるいは待ち伏せをされたときの鉄則をマリア派兵士達は正確に実行していた。エレナと同じようにブルパップ式のTKB‐408自動小銃を装備した兵士達は迫り来る敵にありったけの弾丸を叩き込む。集中砲火を浴びたヴァルキリーの服に赤黒い色が滲み、片腕が千切れ、真っ赤な肉の破片を撒き散らして地面へと崩れ落ちる。実際のところ、ヴァルキリーが生態系の頂点に立てるのは時と場合によることも多かった。

「同志中尉! 我々は囲まれています!」

 一人の兵士がバラクラバ(注2)から覗く目に強い焦燥の光を湛えてエレナに伝える。

「このままでは全滅しま……」

 エレナの視界の隅に銃口炎の閃光が走った直後、頭を撃ち抜かれた兵士は濡れた床で足を滑らせたかのように勢い良くひっくり返って背中から地面に落ちた。すぐに人間と全く同じ色をした血の池が痙攣する両足の下に広がる。

 次に地面を跳ねた弾丸が足の肉を抉り、エレナは「痛ッ」と抑揚のない声を出す。撃たれた右の太腿を掴むと指の間から血がどくどくと流れ出てきた。

 途端に言いようのない怒りが湧き上がってきて、エレナは死体の脇に転がっていた対戦車ライフルを抱えて空中に飛び上がった。すぐに地上へ銃撃を浴びせていた旧人民徒会派ヴァルキリーがエレナに気付いて突進してくる。

 エレナは思い切りPTRD1941対戦車ライフルのボルトを引き弾薬を装填した。

「私を舐めるのもいい加減にしろ!」

 狙いを定められた銃口から十四・五ミリ弾が撃ち出される。

「チェキストの豚共が!」

 だが空間を切り裂いて直進した銃弾は旧人民生徒会派ヴァルキリーが展開したマナ・フィールドに阻まれて木っ端微塵に砕け散り、瞬く間に細やかな金属片へと変わった。

 お返しとばかりに旧人民生徒会派のヴァルキリーは武器を米国製のM1バズーカに持ち替え、その砲口から六十ミリロケット弾を吐き出した。

 白煙を残して迫り来るロケット弾の速度は比較的低速だったが、エレナがマナ・フィールドでの防御ではなく回避機動を取ろうとした矢先にそれは炸裂した。

「しまった、散弾だったか……」

 エレナが舌打ちすると同時に数千発の子弾が彼女に襲い掛かった。息ができなくなり、鼓膜が激しく打ち鳴らされた。口と鼻に刺すような金臭さが広がる。

「いける!」

 旧人民生徒会派のヴァルキリーは編隊を組んで六十ミリロケット弾装填のタイムラグを埋めるかのように間髪入れず攻撃してきた。

「死ね!」

 散弾が襲い掛かるたびエレナの視界が黄色に染まる。

「殺せ!」

 酸素を奪う爆風。

「このままマリアのホワイトナイトを始末しろ!」

 熱波が頬を炙り、顔面を覆った黒いグローブの指の間から血が泡立ち弾けていく。

「もらったァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 一人の旧人民生徒会派ヴァルキリーがスコップを片手にエレナへと迫る。だがそのヴァルキリーはエレナに向けて得物を振り下ろすなり右腕を掴まれて引き千切られた。腹部にエレナの右の拳がめり込み、肉を抉って薄桃色にぬめる内臓を引きずり出す。

「甘く見るな! ヴィレンスカヤだぞ!」

 絶命した戦乙女を捨てて顔を返り血で汚したエレナは別の敵に狙いを定める。

「こういう手合いに向きになるな」

「同志大佐!?」

 一筋の粒子ビームが旧人民生徒会派ヴァルキリーを飲み込み、瞬く間に細胞一つ残さず消滅させたのはその時だった。

 グリャーズヌイ特別区に展開していた全てのプロトタイプとエレナを含む全てヴァルキリーが通常の五倍近い速度で飛来する白い戦乙女を注視した。

「マリア……」

 旧人民生徒会派のヴァルキリーが額に大粒の脂汗を浮かべ、

「パステルナーク……!」

 マリア派兵士がバラクラバの中で破顔一笑した。

「撤退するわよ!」

「馬鹿なこと言わないで! 私達はあいつに何もかも奪われたのよ! 何もかも!」

 純白のマナ・ローブを纏い、大空を我が物顔で飛行するヴァルキリーことマリア・パステルナークはヴォルクグラード人民学園の生徒達にとって二つの意味を持つ存在だった。

 一つは自由の象徴、解放のために戦った英雄。

 もう一つは自分達の居場所を地球上から消滅させた忌むべき存在。

 グリャーズヌイ特別区の上空で戦う旧人民生徒会派ヴァルキリー達は後者だった。

「……そうね。なら、今ここで私達が討つ!」

 堂々と飛行するマリアに幾つもの粒子光源が急速に近付いていく。

「お笑い種だな」

 スカルバラクラバと呼ばれる骸骨が描かれたマスクで顔の下半分を覆い隠したマリアは空中で縦に一回転し頭を地面に向ける。ソ連独自の調整が施された、丸い翼端と浅い後退角を持つ固定翼――そこに描かれた赤い狼のマークも揃って逆さまになった。

「テロリスト風情が私に立ち向かう?」

 マリアは背部飛行ユニットとローブを繋ぐRIS(注3)の基幹レールから右腕側に伸びた支持アームで保持されているマナ・パルスランチャーを構え、照準機の中央に明確な殺意を持って迫り来るヴァルキリー達を合わせた。

「笑わせるな!」

 マリアがトリガーを引くや否や銃口から膨大な量のエネルギーが解放された。図太い粒子ビームが射線上にいた旧人民生徒会派ヴァルキリーを一気に三名焼き払う。

「火力がどれだけ高かろうが!」

「懐に入ればこっちが有利!」

 それでもそれぞれ鉈とスコップを手にした二人の戦乙女がマリアに肉薄する。カートリッジが排出され、再発射までの間に懐へ飛び込もうとしているのだ。

「逃げるな!」

 旧人民生徒会派ヴァルキリーは全速力で背を向けたマリアに迫るが、彼女は水平飛行したまま進行方向と高度を一切変えずに体の仰角のみを九十度近くに変え、

「パステルナーク!」

 そのまま後方に一回転、猛追してきた旧人民生徒会派ヴァルキリーの背後を取った。

「クルビット!」

 マリアは口から吐血しながらオーバーシュートした敵に対して叫ぶ。

 パステルナーク・クルビットとはマリアがヴァルキリー同士の空戦で勝つために編み出した戦法である。相手に後ろを取られて不利な状態から逆に背後を奪い返して一気に優勢なポジションを奪い取るというものだ。その際、彼女の肉体を襲うGには凄まじいものがあり、無謀にもマリアの真似をして命を落としたヴァルキリーは少なくない。

「墜ちろ!」

 真後ろという絶好の射撃ポジションを手に入れたマリアは口元を緩めてマナ・パルスランチャーを放つ。二人の少女は爪先から粒子ビームに包み込まれてあえなく消滅した。

「マリアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 真下から裂帛の気合を発して新たな旧人民生徒会派ヴァルキリーが急上昇してくる。

「ん?」

 旧人民生徒会派ヴァルキリーは対戦車ライフルの銃口をマリアに向けようとするが、易々と銃身を彼女が左手に装備したマナ・クローアームで捕獲されてしまう。

「まさかそれで終わりか?」

「なっ……」

 鈍い金属音を響かせてクローアームが対戦車ライフルの銃身を捻じ曲げる信じ難い光景を目の当たりにした旧人民生徒会派ヴァルキリーの顔が急速に蒼ざめていく。

 マリアは完全に使い物にならなくなった対戦車ライフルを投げ捨てると旧人民生徒会派ヴァルキリーの頭部にマナ・パルスランチャーの太い銃口を叩き付け、構うことなくトリガーを引いた。重い音と共に空になったカートリッジが煙を残して排出され、上半身が綺麗になくなったヴァルキリーの下半身が俄作りの屋根に落ちて廃材を周囲に四散させた。

「よくも! よくも!」

「うるさいぞ」

 マリアは心底嫌そうな顔をして振り向く。そして背後から振り下ろされたスコップの一撃を舞うようにして避け、新たに現れたヴァルキリーの右足に前蹴りを放つ。骨が右膝の裏から飛び出し、肉片混じりの血が空を汚した。

「戦場でワーワーと騒ぐな。イライラするんだ」

 マリアがそう呟いた直後にマナ・クローアームのクロー部分が音を立てて左右に開く。

「まるで昔の自分を見ているみたいで……」

 マリアはクローアームで既に戦闘能力をほぼ喪失したグリャーズヌイ特別区に残る最後の旧人民生徒会派ヴァルキリーの頭を掴む。絶望で表情を歪ませる戦乙女の頭蓋骨がみしみしと音を立てて圧迫され左右のこめかみから血が噴き出した。

「悪いんだが死んでくれ」

 酷く蔑んだ英雄の声と共にクローアームの中央部に装備されたブレードが火花を立てて射出され、ヴァルキリーの口を左右に裂いて下顎と上顎を分離させた。

「ふむ。V‐OICWはなかなかのものだな」

 上顎を失って落下していくヴァルキリーを尻目に、マリアは血に染まったクローアームを開閉させながら満足げに呟く。V‐OICWはマナ・クリスタルから生成されるヴァルキリー用の個人主体戦闘武器で、彼女の場合は自らが使用するマナ・パルスランチャーとマナ・クローアームを一つのセットとしてそう呼称するがそもそもV‐OICWを運用可能な個体は極めて少なく、大抵の場合ヴァルキリーは有り触れた通常兵器を使用していた。

「同志大佐!」

 グリャーズヌイ特別区での戦闘がタスクフォース501の勝利で終わるなり空中にいたエレナは同じく空の人となっているマリアに近付く。

「この程度の敵にお前が梃子摺るとは。観光気分か?」

 スカルバラクラバを下げて顔の下半分を露出させたマリアが長い髪を掻き上げて加虐の視線を向けると、土の味しかしないエレナの口内が一気に乾いた。

「も、申し訳ありません……処罰は必ず……」

「冗談だ。それよりも地上の状況は?」

「は、はい」

 叱責の恐怖から解放されたエレナは上ずった声を発する。

「地上では掃討が始まっています。旧人民生徒会派はこれで一掃されることでしょう」

「ふむ」

 マリアの声は満足げだったがその表情にはどこか空虚なものも見え隠れしていた。

「ところでエレナ、私は思うんだが」

「なんでしょう?」

 ヴォルクグラード学園軍大佐は少し考えてから言う。

「もしも本当に神がいるとしたら、グリャーズヌイ特別区という地獄はこの地球上に存在するはずがない。だが現実にグリャーズヌイ特別区は存在した。何故だろう?」

「私にはわかりません。考えたこともありません」

「私はこう思う。その内にある本質のどちらが勝つのか、きっと神は人で賭けをしているんだ。善と悪のどちらが勝つのかを賭けている。だが私はこんな疑問を抱えている」

 マリアは口端を歪めつつ、吐き捨てるように言った。

「勝ち負け以前に、そもそも人の本質そのものが悪だったとしたら?」


 注1 一定の方向にのみ爆発力を発揮するように成型した爆薬を使う地雷。

 注2 目出し帽。

 注3 オプション装備が可能なモジュラーウェポンシステムの一種。

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