第二章9
「マリア……君って人は……」
手で土を掻き分け、ようやく崩落した施設の外に達したエーリヒは地上に出るなり急に痛み始めた左眼窩を眼帯越しに押さえる。
エーリヒ、君に謝らなければならない
私は君と恋仲になれるような女ではない
君が何回も何十回もプロポーズをしてくれたとき、私は嬉しかった
だが、それは叶わないことがわかった
エーリヒの脳内にかつて交換留学を終え、シュネーヴァルト学園に帰る際にマリアから手渡された手紙の中身がフラッシュバックした。
「どうして僕を……そんなにも……」
呼吸が荒くなり、夏用軍服で覆われた肩が大きく上下する。
私は戦わなくてはならない
勝てるかどうかはわからないが、それでも戦わなくてはならない
私は、私を失ったことでエーリヒに悲しんでほしくない
それは本心だ
いつか全ての問題が片付いたとき、私はエーリヒに会いに行く
「そんなにも傷付けるんだ!」
腹の底から憤怒の声を上げたエーリヒは握り締めた右手で地面を殴打する。土から飛び出していた金属片で小指側の皮膚がざっくりと切れ、赤黒い鮮血が土汚れの酷い頬にまで飛び散るが、その痛みをエーリヒは感じなかった。
でもそれは、一人の友人としてだ
許してもらえないとは思うが、すまなかったと謝らせてほしい
最愛の友へ
マリア・パステルナーク
「ああそうだ! マリアの偽物なんて無視すればいい!」
顔に自分の血を塗りたくるエーリヒの右目にはもう恐怖や不安はない。
「でもマリアの顔をした女がこの世で息をしているって事実は絶対に! 絶対に許されちゃいけない! 絶対に僕は許さない!」
その代わりに、一九四三年の八月から今日に至るまでエーリヒの中で延々と澱み続けてきた呪詛と憎悪と怨嗟が歪んだ光を湛えていた。
「偽物だろうが本物だろうがマリアは死ななきゃいけない! マリア・パステルナークは生きていちゃいけない女なんだ!」




