第二章6
「戦死したヴァルキリーのマナ・クリスタルには使用者の残留思念が込められているって話、エリーはどう思う?」
それから一時間半後、エーリヒは林道を行くキューベルワーゲン(注1)の助手席に揺られながら笑顔でハンドルを握るノエルの言葉を耳にしていた。
「ロマンチックだよね。持ち主が死んでもその想いは残るってさー」
ノエルは楽しげに話し続けるが、エーリヒは腕を組んだまま険しい表情を崩さない。
「ちゃんと前見て運転してよ」
「エリーは心配性だなぁ。私、無免許だよ?」
二人は揃ってシートベルトで体を椅子に固定していた。元々キューベルワーゲンにシートベルトは装着されていないが、豊富な実戦経験を持つプロトタイプや貴重なヴァルキリーが偶発的な事故で無駄死にすることを嫌うエーリヒはタスクフォース609に同車両が配備されるなり強引に増設させたのだ。
「どうせドクター・ハビロフは変死として処理されるだけだから安心しなって」
「そういう問題じゃないでしょ」
今、二人は新たな情報を収集するためグレン&グレンダ社が直接管理するルナ・マウンテンの矯正収容所へと向かっている。
「何故ドクター・ハビロフは亡命してきたのかな。『奴ら』という連中は一体何を……」
「さあ。でも、世の中には私みたいによくわからないことを真面目にする人が結構いるんだ。言わばアルカはそういう愛すべき人達の寄り合い所帯なのさ」
目的地に到着するなり、ノエルはキューベルワーゲンを降りてUO(注2)に守られた検問所へと歩み寄る。すぐに固く閉ざされていたゲートが開いた。
「ノエル、君がどうやってあのゲートを開けたのかは聞かない方が良さそうだね」
「タスクフォース609が叛乱を起こしたマリア・パステルナークを討伐する上で必要な情報の収集。正当な理由があるじゃないか」
「確かにそうだけど、だからといって普通ならグレン&グレンダ社の施設に一生徒がアポなしで入れるはずがない」
「それは単に私がテウルギストだからだよ」
キューベルワーゲンはゲートを通過して矯正収容所内の開けた場所に停車する。エーリヒは革製のシートベルトを外して車を降りるが、エンジンを切ったノエルはそのままシートの背もたれに寄り掛かった。
「私はここで待っているよ。多分、私を見たらあの子は怒り狂って話すどころじゃなくなると思うから」
「わかった」
事情を察したエーリヒはノエルを残して矯正収容所の中へと足を踏み入れ、アルカでは珍しい成人男性の看守にテウルギストからの紹介状を手渡す。
「どうも」
看守に礼を言ってから薄暗い独居房を歩き始めたエーリヒは、かつて似たような状況でノエルから聞かされた話を思い出す。
昔々とある村に奴隷の兄弟がいた。ある日、もうこんな場所にいたくないと思い脱走することにした二人はすぐに村と外界を分かつ川に辿り着いた。川の向こうには草原――自由の世界が広がっていた。兄の方は難なく川を跳び越えて向こう岸に渡ったが、気の弱い弟は川に落ちてしまうのが怖くて跳べなかった。兄は大声で弟にこう言った。
「よく聞けよ! 俺がホースで水の橋を作るから、お前はその上を歩いて渡って来い!」
弟は怒鳴り散らした。
「兄さん! 途中でホースが詰まったらどうするの!?」
ノエル曰く『この世界とは何か』という疑問への回答を脳内にリフレインさせつつ、やがてエーリヒは防弾ガラスの仕切りが施されたとある独居房の前に辿り着く。
「戦争の犬から戦争犯罪人の処理業者に鞍替えしたのか」
拘束衣によって両手の自由を奪われた状態で椅子に腰掛けている少女が招かれざる来訪者の存在に気付いてゆっくりと顔を上げた。
「エレナ・ヴィレンスカヤ中尉、貴方にお聞きしたいことがあります」
「話すことは何もない。お得意の拷問でも何でもしてみたらどうだ」
先端が結われたプラチナブロンドの髪を持ち、かつてマリア・パステルナークの下で凄惨な虐殺に加担したことによりこの場所に収監されているヴァルキリーは鼻で嗤う。
「ヴォルクグラードでクーデターが起きました」
「だから何だ」
「その首謀者はマリア・パステルナークです」
「なんだと!?」
エレナが血相を変えて飛び上がろうとしたせいで床にボルト固定された椅子が耳障りな金属音を立てた。
「同志大佐は死んだはずだ! いい加減なことを言うな!」
「事実です。そして私はクーデターの鎮圧をグレン&グレンダ社より命ぜられました」
「ヴォルクグラード学園軍はどうした?」
「善処はしているようですが、ヴォルクグラードの軍隊がどんな有様になっているか貴方にだってわからないはずはないでしょう」
ヴォルクグラード学園軍は一九四三年に二度に渡って行われた激しい内戦によって著しく疲弊していた。グレン&グレンダ社の主導で戦力の再編成と補充が行われているものの、回復にはまだ暫くの時間がかかるというのが各校関係者の共通認識だった。
「一体私に何が聞きたい?」
エレナは先程までとは別人のような力強い口調でエーリヒに問いかけてくる。
「ヴォルクグラード防衛評議会とは?」
「所謂マリア派と呼ばれるヴォルクグラード人民学園内の生徒達が作ったグループだ。奴らはお前達ファシストが我が母校を滅茶苦茶にしたあと、同志大佐が作ったツテを頼ってアゴネシアに逃れ捲土重来を図っていたと聞いている」
「アゴネシア?」
「東南アジアのどこかにある国だ。本当の名前はカンボジア、ラオス、ベトナム、タイ、あるいはミャンマーかもしれない。しかしそれは重要ではない」
そしてエレナは「私は奴らを軽蔑している」と憎悪の響きで独房の空気を震わせた。
「軽蔑? なぜです? ヴォルクグラード防衛評議会も貴方と同じマリア派では……」
「同じなものか!」
エレナの叫びで防弾ガラスが揺れ、壁との接合部から埃が散る。
「奴らは同志大佐の栄光を笠に着る狐共だ! 薄汚く堕落している! 奴らは同志大佐の一面しか見ていない。私は同志大佐の暗部も含めて、あの方に愛と忠誠の全てを捧げているのだ。私は何度もあの方から理不尽に骨を折られ、肌を裂かれてきた。しかしその忌まわしい記憶も、夜になると疼く古傷も、今となっては愛おしく代え難い記憶だ」
そしてエレナは青い双眸から伸びる呪詛と殺意の視線をエーリヒに浴びせた。
「エーリヒ・シュヴァンクマイエル。私はお前が大嫌いだ。しかし、それ以上にヴォルクグラード防衛評議会の蛆虫共を嫌っている」
エーリヒは悟る。
「同志大佐は間違いなく死んだ。お前が何を見たのかは知らないが、もしも大佐が生きていたのなら真っ先に私を助けに来るはずだ! そうでなければ私は……私は……!」
エレナもまた、自分と同じくマリア・パステルナークの呪いに今なお苦しみ続ける惨めな犠牲者の一人なのだと。
注1 ドイツで生産された小型軍用車両。
注2 アンノウンオペレーター。所属部隊不明の隊員を指す。