第二章5
所変わって再びアルカ南東部のタカハタベルクである。
「ドクター・ハビロフですね?」
「そうだ。君は?」
今は既に使われていないシュネーヴァルト学園軍の倉庫に足を踏み入れたエーリヒは、その片隅に置かれた木箱に所在なさげに腰掛けていた一人の男性に歩み寄って敬礼した。
「タスクフォース609のエーリヒ・シュヴァンクマイエル少佐です」
「若いな」
エーリヒは薄暗い倉庫の入口に拳銃を持ったノエルが背を預けたことを確認するなりランプを挟んで反対側の木箱に腰を下ろし、三十代後半のロシア人男性と向き合う。
「いきなりこんなことを言うのは心苦しいが、私は命を狙われている。助けてほしい」
早速ヴォルクグラード人民学園から秘密裏に脱出してきた軍医は切り出す。
「それでしたら、何もこのような形ではなく公式なルートで亡命するなり何なりできるではありませんか」
「駄目だ。私の命を狙う『奴ら』はどこにでもいる」
首を左右に振ったドクター・ハビロフはエーリヒが『奴ら』とは一体誰なのかと訊く隙を与えずに話し続ける。
「私は『奴ら』に利用された。命令されて仕方なく『奴ら』の指示に従ったのだ。そして私は用済みになった。だから消される」
「アルカのあちこちにいる『奴ら』から?」
強い調子で話し続けるドクター・ハビロフに若干圧倒されつつもエーリヒが問うと、彼は「ああ」と肯定した。
「それは気の遠くなるような作業だった。何千人、何万人という候補者の中から、ある一人の人物と同じものを探し出す作業……しかし、過剰なまでに病的で救いようのない熱意と憎悪に溢れた『奴ら』はやってのけた。『奴ら』とはそういう連中だ!」
そこまで言ってから軍医は我に返る。
「興奮してしまってすまない。チョコレートを食べてもいいだろうか」
「え、ええ……どうぞ」
軍医はスーツの懐からベルギー製高級チョコレートの箱を取り出し、膝の上に乗せる。
「どうかね?」
「いえ……自分は結構です」
「そうか。甘いものはいい。食べると心が落ち着く」
チョコが唾液で溶かされ、軍医の口一杯にクリームの甘い感触が広がった直後――彼はその場に倒れて二度と動かなくなった。




