第二章2
一九四四年七月十四日。
「暑いのは好きだ。寒いと関節の節々が痛む。そうすると……」
ボーダーランド――アルカ南東部に位置し、山形県・宮城県・福島県の三つの県の境目にある地帯――に立ち並ぶ売春宿の一つでソノカ・リントベルクはベッドに横たわりながら黄ばんだ天井を見上げ、誰に言うわけでもなく呟いた。
「そうすると?」
あちこち染みがついたシーツで起伏に乏しい裸体を隠すソノカの左肩をつい四十分ほど前まで彼女と一時の関係を持っていた娼婦が背後から指で弄る。
「そうすると『もう続けるのは無理なんじゃないか』というろくでもない考えが頭を過ぎる。恐ろしいことだ」
汗ばんだ少女の肌にしっかりと彫られている禍々しいトライバルタトゥーを娼婦の指が静かに撫でた。シュネーヴァルト学園のタスクフォース609に所属し、今はとある事情で本隊の展開するショナイ平原ではなくボーダーランドにいるヴァルキリーはアルカ各校の生徒を顧客として逞しく生きる『人間』の好きにさせた。
「貴方でも恐ろしいって思うことがあるのね。じゃあ死ぬのも怖い?」
「いや、怖くはない」
鼻筋に横走りの傷があるソノカは寝返りを打って娼婦に顔を向ける。そしてライムグリーンの瞳で彼女の瞳を覗き込んだ。
「私は一度死んでいるんだ。だから死への恐怖はない」
「一度死んでいる?」
「ああ。世の中における事象の大半が、二十セントの銃弾一発で解決できることを知っているんだ」
熾烈な戦闘と危険に彩られた人生を何よりも好む少女はシーツを取って立ち上がり、汗を洗い流すためシャワー室に向かおうとする。
「信用できるのは銃弾だけってことね」
「いや」
娼婦の言葉を受けてソノカは立ち止まる。そして昨晩乱雑に脱ぎ捨てた自分の服の山から一冊の本を取り出した。
「信用できるのはこれだけだ」
それは空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の経典だった。




