勇者志望の私がいつの間にか地獄に堕ちていた件 1
一九五〇年九月十二日。
「冗談じゃないわよ!」
セーラー服の上に南アフリカ共和国製のチェストリグを羽織り、肘と膝を黒いパッドで覆ったDH社所属の女子生徒達は不慣れな動作でAKS47自動小銃の三十連マガジンを交換しながらコンクリートブロックの裏で叫ぶ。
「話が違うじゃない!」
ヴェーザーシュタディオン戦争での壊滅的な打撃から立ち直りつつある民間軍事企業に所属する彼女らが遮蔽物として使っている建設資材には絶えず風を切る音と共に飛来した銃弾が突き刺さり、健康を害するであろうアスベストを巻き上げている。
「後退しましょう!」
「馬鹿言わないで!」
殆ど狙いも定めずに自分達のいるダムに架けられた大型橋の袂から反対側の袂に向けてパンツァーファウスト44を放った別の女子生徒が彼女のすぐ隣で悪態をついた。
「負傷者はどうするのよ!」
だが、このプロトタイプ達は未来よりも現状をどう打開するかで頭が一杯だった。
「そんなの給料に入ってない!」
弾丸の鋭い激しい擦過音の中で罵声を浴びせ合う二人の足元には空になったマガジンと血で濡れたドイツ製対戦車ロケット弾発射機の予備弾が乱雑に転がり、更にその背後には半死半生の同僚達の姿があった。皆、シャローム学園陸軍のタスクフォース・ハヘブレに代わり一時的にではあるがマザーシップの監視を命じられたアルバイト兵士達である。
「だったらアンタ一人で逃げればいいでしょ!」
銃創からの夥しい失血で顔面蒼白になった仲間が死にたくない、助けてと弱々しい声で訴えてもそれに構う余裕も持ち合わせていない少女達は悪い意味でアルカ始まって以来の素人集団に過ぎず、正体不明の敵に攻撃を受けてから数分で四割以上の損害を出していた。
「無茶言わないでよ!」
直後、反対側の袂から乾いた砲声と共に大音響が響き渡った。コンクリートブロックの少し前で爆発した榴弾がダムに浮かぶマザーシップの正体についてクライアントから何の説明も受けていない二人の世界を暗転させ、粉塵と煙で周囲を包み込む。
「戦車よ! 戦車が来たわ!」
「嘘でしょ……」
激しく咳き込みつつ立ち上がった女子生徒達は擬装網を纏ったT‐34/85中戦車が巨大な芋虫のようにゆっくりとこちらへ近付いてくる様子を目にした。
「もう終わりよ……もう終わりよおッ!」
「いいえ。まだ終わりません」
「声……?」
ディーゼルエンジンの喧しい駆動音及び砲塔上面からのM2重機関銃の掃射音で完全に心を折られ、下に転がる戦車鉄拳の発射筒を拾い上げもせず両手で頭を抱えた女子生徒にポケットに入れっ放しにしていた無線機から返事が届いたのはその時だ。
「生産コスト分の働きはして頂かないと困ります」
カモ自治区からこの場所に馳せ参じたヴァルキリー、サブラ・グリンゴールドは眼鏡のレンズ奥にある紫の双眸で敵の存在を視認すると一度左に緩い旋回を行ってから急加速し、背部飛行ユニットから噴射される青い粒子に押されるような形で一気に高度を下げた。
「失礼、我が校がお支払いさせて頂いたギャランティ分でしたね」
長い黒髪を靡かせる彼女の背には強大な浮力と推力を生み出すオーバーテクノロジーの塊と上下に伸びたレイルでそれと繋がる支持架を保持する骨めいた装置がある。
「バズ2‐1、カディーマ」
ヘブライ語で前進を意味する言葉と共に橋に降り立ったサブラは袖裾を短く切り詰めたタイガーストライプパターンの迷彩服から伸びる肉感的な両太腿を広げて足元を抉りつつ速度を殺しながら前進、瞬く間にソ連製中戦車との距離を詰め、浴びせられた砲弾を体を左に一回転させて回避、その勢いのままに右回し蹴りを車体側面に叩き込んだ。
「遅くなってしまい申し訳ございません」
吹き飛ばされて橋の欄干に激突するなり今度は重力に導かれつい一秒前までいた場所に落下したソルモウォ造船工場製戦闘車両の爆炎を背にするサブラは眼鏡を直しつつ母校と契約している民間軍事企業の社員達に向き直る。
「ああ遅かったよ。本当に人を不愉快にさせる才能だけは一人前だぜ、テメェはよ」
だが窮地を脱したアルバイト兵士達がコンクリートブロックの陰から出て燃え盛る炎を背にしたサブラに駆け寄るよりも早く、たった今鉄の塊が激突したものとは別の欄干上に立つユライヤ・サンダーランドが憎悪を込めて手元のスイッチを左手親指で押した。
「ん」
異変に気付いて空を見上げたサブラの視線上で眩い閃光が何度も瞬き、そこから生じた金色のマナ・エネルギーがヴァルキリーの姿を形作る。
「新手ですか」
サブラは表情一つ変えずに手にしたPKM軽機関銃を構え、黒煙が立ち昇る橋の上空を大きな円を描いて旋回する戦乙女にその先端を向けた。銃身下部のガスシリンダーを丸々覆うレイルにボルト止めされたフォアグリップを左手で握ってトリガーを引く。
「速い」
だが反動で右肩とこちらもレイルに取り付けられた特注品のバイポッドを揺らす彼女の火器から放たれる弾丸は欄干の中腹を抉り、塗料と金属片を撒き散らしただけに終わる。
「そんな……嘘でしょ……」
「サブラが……二人……?」
矢継ぎ早の唐突な展開に思わず足を止めてしまったDH社員達は後光を纏ってサブラの正面に着地し、全身から輝きを瞬かせた戦乙女の姿を見て絶句した。
「私は自分の存在をグレン&グレンダ社という」
サブラと全く同じ声で話すヴァルキリーが纏う腹部や胸元に幾何学的な模様が刻まれた黄金色のマナ・ローブは全身に密着して豊かな肢体のラインを浮き立たせている。
「常識的にも倫理的にも完全正当化された」
両上腕部や臀部、太腿等からは素肌が露出し、股間もハイレグカットになっていたが、オリジナルとは異なり赤い瞳と金色の長髪を持つ彼女は一切気にしている様子がない。
「巨大多国籍企業の歯車と認識しています」
両手足にはエグゾスケルトン――身体能力補助用強化外骨格――のアクチュエーターが取り付けられ、両手首は鋭い爪の生えた装甲で完全に覆われていた。
「一九四二年に貴方が未来からやってきたことを私はモサドから報告されています」
サブラは淡々と言い放って重量十キロ近くある分隊支援火器を構える。
「しかし、貴方では私に勝利することはできません。それは……」
「私との能力差があり過ぎるからです」
本人同様の他人事めいた言葉遣いと表情を崩さず右手を前に出したスーパースペシャルスペースサブラハイグレードタイプ2ことアブラスは押し寄せる七・六二ミリ弾を空中で停止させ、即座に赤い爪を翻して撃った本人にそっくりそのまま返した。
「――ッ」
鋭利な破片が咄嗟に左手でマナ・フィールドを展開したサブラの光壁で守られていない手足の露出部を切り裂き出血させた。赤黒い滴がコンクリートの灰色を汚す。
「貴方が何を仰っているのか全く理解できません」
プロトタイプやヴァルキリー特有の常人離れした治癒力で瞬時に傷口を塞いだサブラは何の躊躇いもなくPKM軽機関銃を投げ捨てると、金髪の自分に近接戦を挑むべく左右に敵味方識別用の黄色い三角形が描かれた前進翼が生えている背部飛行ユニットからマナ・エネルギーの粒子を全力噴射して前進する。
「私のオリジナルにしては物事への理解力が低い方ですね」
しかしアブラスが本人と全く同じ長さの人差し指を右に倒した瞬間、イスラエルの代理勢力が誇る最強のヴァルキリーは透明な拳に殴り飛ばされたかのように硬い橋の欄干へと叩き付けられた。鍛え上げられた肉体は続いて更に硬いコンクリート面に落下、サブラの肺から酸素が一気に奪われる。彼女は声にならない響きを喉奥から漏らした。
「いつも弱い者虐めばかりしていたからな。そりゃ弱くもなるぜ」
かつては米国の代理勢力に身を置いていたウェディングドレス姿の戦乙女は欄干の上で乾き凝固した血で汚れている裾を揺らしつつ心底嬉しそうに笑う。
「えぇ?」
このアルカという小さな世界の中で最も嫌う存在が一方的に打ちのめされていく光景はある時期から絶えず鬱屈を抱えて生きてきた彼女の溜飲を下げるに十分だった。
「自分がヒエラルキーの最上位に立ってると勘違いしてる勝ち組気取りさんよぉ?」
八年前……二〇一五年八月十四日からグレン&グレンダ社の崩壊という結末を覆すべく一九四二年にタイムスリップするもマリア・パステルナークに敗北し全滅したその残党が残した諸々が保管されているルナ・マウンテンの同社秘密基地を名もなき傭兵部隊を率い襲撃、極めて個人的かつ退廃的な目的に用いるため手当たり次第にアブラスを初めとするオーバーテクノロジーを奪い取った社会落伍者の心が明るいものに変わっていく。
「オラッ! まだまだ終わらねぇぞ!」
ユライヤの声に後押しされた本来この年に存在するはずのないM11型マナ・ローブに身を包む二体目はサブラの腹部を蹴り上げ、軽々と宙を舞った彼女の喉を掴んだ。
「鈍過ぎます」
だがサブラは一旦後方へと体を振り、安産型の腰を前に突き出してアブラスに飛び付きコバンザメのように密着する。すぐさまはち切れんばかりの肉が詰まった右足がスーパースペシャルスペースサブラハイグレードタイプ2の左首筋を囲い、半秒と経たないうちに次は右足甲が縦に倒されたサブラの左膝裏で挟み込まれる。三角締めだ。しかしサブラの目的はアブラスを失神させることでも、ここから別の関節技に移行することでもない。
「あまりにも鈍過ぎます」
サブラは背部飛行ユニットからの全力噴射を行い、発達した腹筋と広背筋の力もフルに使い後方倒立回転跳びの要領で相手をダムへ投げ飛ばした。
「終わりですね」
逆立ち状態から両手屈伸だけで跳躍、着地の衝撃で足元に散らばった真鍮製の空薬莢を舞い上げたサブラは水面に作り出された巨大な柱を見て勝利を確信するが、
「国家の国益を守るため、我々は時に民主的とは言えない手段を採る必要があります」
彼女の予想に反して背部飛行ユニットから伸びる龍のそれに似た両翼を金色に輝かせたアブラスが水壁を突き破り両掌から稲妻状の光線を放ち始める。
「確かに我々が行う任務の中では善悪の境界線が曖昧になることがあります。だからこそ我々は最高の人間性を備えた存在でなければなりません」
サブラのマナ・フィールド表面で重い音を立てて反射した光線は橋の欄干を熱せられた飴細工のように溶解させ、ぶちぶちと不快な音を立てて千切れたワイヤーは風の切る音を立てて一目散に逃げようとしたDH社の女子生徒二人を斬り飛ばした。
「最も汚れた行為は、私のような最も高潔な人間によって行われるべきなのです」
汚い舗装に転がった痙攣する上半身の断面から湯気を立てて生臭い臓物が広がる有様が旋回しつつ放たれるアブラスの光線で照らし出されるのと同時並行でゆっくりと倒壊した柱がコンクリートブロックの影に隠れていた死人同然の負傷者を一気に全員押し潰す。
「ボス」
「あいよ」
「準備ができました」
「オーライ」
苛立った様子でコルダイト火薬の悪臭の中に広がる地獄絵図を見物していたユライヤは無線で部下から連絡を受けるなり待ちかねた様子で手元のスイッチを押した。
「えっ」
すると再び橋に降り立ち両手でマナ・フィールドを展開する攻撃手段を失ったサブラを真正面から一方的に光線で叩き始めたアブラスの頭部が何の前触れもなく爆発し、思わず呆気に取られてしまったオリジナルの前で首から上が失われた体が力なく崩れ落ちる。
「さあサブ公、いよいよ本番だぜ」
ユライヤの声は聞こえなかったが、ただならぬ事態を察したサブラが離陸しようとする前に元タスクフォース420のリーダーはまた別のスイッチを押した。
自爆を始めた死体だらけのマザーシップ内でサブラともアブラスとも違う歯車の両目が音を立てて点灯し光を放ったのはその瞬間である。
「ユライヤ・サンダーランドさん」
爆発炎上しつつ深い水底へと沈んでいくマザーシップを気にも留めないサブラは前年の第四次ダイヤモンド戦争で自分が殺したはずの欄干上に立つヴァルキリーを見上げる。
「相変わらずつまらない方ですね」
「一年ぶりの再会だってぇのにその言い方はねぇだろうよ」
サブラはたった今放った言葉の中に何の悪意も含ませてはいなかったが、澱みに澱んだユライヤの心には強い不快感が即座に刻み込まれた。
「何故かホテル・ブラボーで死亡しなかった貴方は自分と同じ使い捨ての消耗品に対する怨恨というアルカ内において最も唾棄されるべき稚拙かつ無価値な感情に突き動かされ、大いなる利用価値があったグレン&グレンダ社を殲滅してしまいました」
自分達の子供を産ませる女性プロトタイプを四ダース程無償で譲渡して頂きたいという要求を受け、一度本校に戻って協議する旨を彼らに伝えてルナ・マウンテンを去った直後、DH社社員からの緊急連絡によりまた戻ってきたサブラはPKM軽機関銃を拾い上げると左手で上面フィールドカバーを開き、今回も良く言えば客観的、悪く言えば興味なさげな口調で話しつつ空っぽの弾薬ボックスを外して捨てる。
「更に私は現在貴方から向けられている強い憎悪について何も感じていません」
たっぷり弾薬が詰まっている新しいアルミ製ボックスが機関銃の下部にはめ込まれた。
「貴方がアメリカ合衆国という民主主義国家の消耗品であるように」
次にサブラは給弾ベルトを内部にセットすると思い切りオープンフィンガーグローブで覆われた左拳の小指側でカバーを叩いて閉じ、
「私はイスラエルという道徳的にも社会的にも正当化されたユダヤ人国家の歯車なのです」
最後に銃身下部のレイルを左手で保持しつつ右手を伸ばし本体右側面のチャージング・ハンドルを力強く後方へと引いて放す。プレス加工された金属同士の小気味良い衝突音は最初の七・六二ミリ弾が薬室に送り込まれたことを意味していた。
「つまり私には関係ございませんってか」
「貴方にしてはご理解が早く助かります」
「フレガータ学校占拠事件の真実がエレナとSW社に暴露されて世の中は少しでもマシになるだろうって俺も期待してたさ。でもよぉ、その後に出来上がったのは以前にも増してヒエラルキー構造が絶対化したクソッタレのアルカだけだった」
次にタスクフォースを指揮したこともあるヴァルキリーは第四次ダイヤモンド戦争の際、サブラとの一騎打ちで失われた右手首が本来あるべき場所を見る。
「駄目な奴は笑われ、死ぬまで後ろ指を指され続ける世界だ」
既にアルカのどの学園にも存在しないはずの少女の声には幸運それ即ち幸福であるとは限らないという行き詰った感情が見え隠れしていた。
「ああわかってるとも。こんなことをしても何も変わらない。でも俺は満足するし、俺と同じようにヒエラルキーの下層でもがき苦しみ、一人ではどうすることもできない鬱屈を抱えた奴らの気も最後の最後にほんの少しだけは晴れる」
「そんなものは何百万人もいるプロトタイプの取るに足らない――」
しかしサブラの言葉は遮られた。目前に『それ』が降り立ったからだ。
「前世紀の終わり……」
地面に降り立つ、三本のクローが爪先から伸びる両足首。
「巨大隕石の落下と……」
右に二号機の赤い、左に一号機の青いパーツが組み込まれた膝。
「それがきっかけになって始まった十五年間にも及ぶ世界規模の戦争が人類に歴史上類を見ない未曾有の被害をもたらしました」
右手上腕部のガトリングガンと左手上腕部のチェーンソー付きブレード。
「混乱はグレン&グレンダ社によって収められました」
剥き出しになった左胸のインテーク部から覗く赤熱。
「そして同社は今後一切、人々が争わずに済む世界を作ろうと考えます」
カメラアイそのものになった右目と色だけがサブラ本人と違う赤い左目。
「それが戦闘用の人造人間『プロトタイプ』を教育し」
サブラ本人の腹筋を模す、今回は右二段目のみが黒になっている六つに割れた腹部装甲。
「世界各国の代理勢力である『学園』に所属させ」
毒々しい赤色を絶え間なく放出する背部飛行ユニット。
「アルカという永久戦争地帯でそれぞれの母国の代わりに戦わせるシステムなのです」
トビシマ・アイランドの時と同じように足元からゆっくりと視線を上げていくサブラの前でメカサブラM式改は左手を広げ、前回同様中指で防弾加工が施された眼鏡を直す。
「そして今や民族対立、資源の利権争いといった国家間の問題は全てアルカにおける代理戦争で処理され、人類にとって永遠に過去のものとなりました」
例によって無機質な眼光だけが顔を隠した奥に機械を秘める指の間から見え隠れした。
「何百万人もいるプロトタイプの取るに足らない戯言ですってか?」
舗装に転がった無線機から流れるグレン&グレンダ社の不愉快なラジオ放送が終わると、ユライヤは鼻で笑って手元のスイッチを押した。
「行け! メカサブラ!」
サブラは同一個体が複数存在しているという情報を得たグレン&グレンダ社が秘密裏に回収した彼女の骨々をメインフレームとして組み込み、ヴォルクグラード超国家主義派の爆弾テロで死亡したクリスティーナ・ラスコワなるプロトタイプの脳を生体CPUとして使用している禁忌の塊が信号を流されて前進を始める。
「息の根を止めてやれ!」
銀を基調とした機体色の超攻撃型戦闘マシンは金切り声にも似た咆哮を上げると両肩の青いランチャーから濛々たる白煙と共に曲射弾道式の多目的誘導弾を放つ。
「ぶっ殺せ!」
メカサブラ一号機や二号機の誘導弾同様発射後は外向きに一旦弧を描いてから目標への突進を始める白煙は左右から包み込むかのようにサブラに殺到する。
「その程度の兵装で私を殺すことはできません」
ギリギリまで数十発の多目的誘導弾を引き付けたサブラは弾頭先端と自分の鼻先の間が七センチ十二ミリの距離まで詰まった瞬間に背部飛行ユニットからの全力噴射で離陸し、立て続けの爆炎の中から飛び出してPKM軽機関銃の連射を浴びせた。
「やはりスペースサブラニウム」
弾丸が自分と同じ顔を持ち、自分とは違う白いポリエチレンテレフタレート製の長髪を垂らす戦闘マシンの装甲で火花を立てる様子を目にしたサブラが低空に半円を描き始める。
「ガトリングに切り替えろ!」
一方、ユライヤの命を電気信号という形で受けたメカサブラM式改は瞬時に右手を前に出して回転式多砲身機関砲を全力斉射した。瞬く間にサブラが残す青い光跡がズタズタに引き裂かれ、半世紀以上の時を超えてやってきたグレン&グレンダ社残党急進派が残したオーバーテクノロジーを基に開発されたメカサブラ一号機及び二号機の残骸を組み合わせ、更に新造パーツまで加えて完成させるという非常に複雑なプロセスを経て作られた存在の足元に大量の熱い空薬莢がぶちまけられていく。
「ならば」
相手の旋回速度を上回るスピードでメカサブラM式改の背後に侵入したサブラは相手が向き直る前に一気に距離を詰めようとするが、黒いアルカロイド・スチールの新造左腕に装着されたチェーンソー唸るブレードの一閃を浴びて怯んでしまい、再突進までの僅かな時間で両太腿に仕込まれた火炎放射器による灼熱の壁を作られてしまう。
「そら行け!」
欄干上のユライヤが大声で叫んだ直後、メカサブラM式改の右肩部から多目的誘導弾のランチャーそのものが射出され、炎を貫いてサブラに迫った。
「もう一個あるんだよォ!」
右のランチャーがサブラに蹴り飛ばされると今度は左肩のランチャーが撃ち出された。
「なっ……」
それ自体が攻撃能力を持つ発射装置は後部噴射ノズルからの爆発的な推進エネルギーで反応が遅れたイスラエルの歯車の腹部に到達、そのまま彼女を地面まで押し込み起爆した。
「行くぞオラァ!」
追い討ちとばかりにメカサブラM式改の臀部から続いて二つの誘導式手裏剣が射出され爆炎の中から飛び出した無表情の歯車に迫る。
「まだまだァ!」
サブラがソ連製の分隊支援火器で刃を受け止めた瞬間、ユライヤは大きく口元を歪めてスイッチを押す。手裏剣の中央部が何度か点滅した刹那、立て続けの爆発が起きた。
「そのマシンには近接戦が苦手という致命的な弱点があります」
それでも傷一つない姿でサブラはまたも爆炎の中から飛び出す。
「へへっ、そう思うだろ?」
通常のヴァルキリーやプロトタイプならば戦意を喪失してもおかしくない状況だったが、ユライヤは自信に満ちた表情を崩さない。
「パージ!」
メカサブラM式改の右手から火花が上がりガトリングガンが、左手からチェーンソーが回転し不快なモーター音を鳴らしたままのブレードが切り離されて地面に落ちた。
「こいつはメカサブラであってメカサブラじゃねぇ!」
メカサブラM式改は俊敏な動作で上半身を屈めて渾身の力が込もるサブラの右フックを空振りに終わらせ、大きく左方向に体を捻らせている彼女に右肩を叩き付ける。
「M式改だぞ!」
激しい衝撃で大脳を揺さぶられてふらつきながらも上半身の位置を元に戻したサブラに金属製のスプリングをチューブの内部に入れて液体圧力で機体を駆動させる戦闘マシンは続いて鋭い左フックを浴びせた。
「M式改だ!」
右頬を殴打され上体を左に倒した少女に今度は右フックが叩き込まれ、更に横を向いた顎を右ストレートが痛打、駄目押しとばかりに空いた右脇腹に左ボディブローが食い込む。
「M式改なんだ!」
人間サンドバッグ状態に追い込まれたサブラは激しい殴打で裂けた全身の傷から血滴を飛散させながら右の回し蹴りを放つが軍用ブーツで覆われた足首を掴まれてしまう。
「テメェには自分以外の全てを下に見るっつー致命的な弱点があるよな」
内部武装の代わりに人工筋肉が全身に詰め込まれ、二十五%の全重量増加にも関わらず六十%の運動性上昇を実現しているメカサブラM式改は両太腿横のブースターを展開して噴射、回転しジャイアントスイング宜しくサブラを放り投げる。
「それでも私の存在は道徳的にも社会的にも正当化されています」
「はいはいご立派」
欄干上から橋に飛び降りたユライヤは土で汚れた四つん這いのサブラにそう返しつつ、呆れの混じった失笑を漏らし何度も首を横に振りながら今回も手元のスイッチを操作する。
「好きに言ってな」
彼女の指示を受けたメカサブラM式改は右手に装備された大型アンカーを――その名をSクラッシャーという――足元に思い切り突き刺した。
「テメェの本体がそっちだって知ってるんだよ」
危険を察してメカサブラM式改からの距離を少しでも這って取ろうとする美しい中佐のマナ・クリスタルにアンカーから地面を伝わった超音波の振動による亀裂が生じる。
「自分だけが特別だと思ってたか?」
更にユライヤが振動の出力を上げると、サブラが右手首に装備した青い結晶体に入った亀裂はより大きなものになり、最終的には粉砕へと追い込まれた。
「テメェは去年、俺になんてご高説を垂れやがったかな?」
動力源の消滅によって背部飛行ユニットを失ったサブラを見てユライヤの目元が緩む。
「何もかも貴方が世界を自分の都合に合わせて考えていたことが原因ではないですか」
生体ロボットであるメカサブラM式改は動物的な身のこなしでオリジナルに急接近して彼女の腹部を蹴り上げ、橋からやや離れた山肌に叩き付ける。
「人は誰でも世界を折り合いを付けて生活しています」
ホテル・ブラボーで歯車に言われたことを一字一句違いなく口にする少女に操作される戦闘マシンは足元を踏み砕きながら瞬く間にコントロール主の怨敵との距離を詰め、橋の舗装に叩き付けられて苦悶しつつも何とか立ち上がった彼女の顔面に赤い右膝を叩き込む。
「もっとも明確な自己意思を持たない私には無縁の話です」
メカサブラM式改はサブラが後方に倒れ切る前に左手で髪を掴んで自分の方に寄せ戻し、顔面に右ストレートを打ち込む。レンズが砕け、フレームの折れ曲がった眼鏡が宙を舞う。「歯車はただ回るだけで自分の考えや意思を持ったりはしません」
言葉の端々から喜びを滲ませるユライヤに操作されるメカサブラM式改はテルアビブのマリア・パステルナークに立て続けの右フックと左ボディブローを入れていく。
「サブラ、テメェは自分じゃ何一つできやしねぇ。毎回毎回、いつもいつも単にユダ公とモサドがお膳立てしただけのBFで弱い者虐めをやってるだけだ!」
「貴方の行動には何一つ論理性がない……」
所々切れた前髪の付け根から幾筋も鮮血を滴らせているサブラは痣だらけの無残な顔でメカサブラM式改を見上げる。だが、それでも痛めつけられた彼女の顔に恐怖の色はない。
「貴方は子供じみた感情を私に対して発露している低レベルなヴァルキリーに過ぎません」
「そうだよな!」
ユライヤが一歩前に踏み出す。
「腹が立ったから壁を殴るのに腹が立った以上の理由は必要ないよな!」
メカサブラM式改の鎖骨部と両足甲が開いて高速回転するドリルが飛び出し、サブラの両肩と両脇腹を貫く。激痛で一気に両目を見開いたヴァルキリーの破けた柔肌から鮮血が噴き出し、傷口から引き剥がされた肉片が相次いで地面に叩き付けられる。
「人を馬鹿にするのも大概にしろよテメェ」
ユライヤの口から唾が飛んだ刹那、次はメカサブラM式改の両手前腕部が上下に割れた。
「聞いてんのか? グリンゴールド大先生様よ」
手首がその中に広がりつつ収納され、内部で収束した指はドリルへと変わって再出する。
「テメェは一度だって努力して何かを勝ち取ったことがあんのか」
メカサブラM式改が掲げた手を同時並行で振り下ろしてから一拍置いてサブラの美貌に縦の二線が入り、直後その軌道上にあった両眼窩から崩れた目玉が零れ落ちた。
「テメェは一度だって現実に打ちのめされて死んだ方がマシだって思ったことがあんのか」
切り裂かれた顔を両手で覆い、細い指の間から鮮血を迸らせて反対側を向いたサブラの背中に二本のドリルが突き立てられる。鋭い先端部は発達した広背筋を易々と貫き体内で回転を始め、たちまち周囲には更に多くの赤黒く濡れた肉片がぶちまけられた。
「テメェは一度だって欲しいものが手に入らない苦しみを味わったことがあんのか
」
メカサブラM式改に投げ捨てられたサブラはもう動かなかった。体の傷から広がる血に浸されていく手足は妙な形で曲がり、口は半開きのまま閉じない。
「死んだ方がマシだったよ。こんな奇跡はいらなかったんだ」
「仰りたいのはそれだけですか?」
返事が来ることを全く想定していなかったユライヤの俯いた頭が瞬時に前を向く。
「ひっ……」
擱座した車両の炎を背にサブラはゆっくりと立ち上がった。
「仰りたいのはそれだけですか、と訊いています」
クリスタルが破壊されているにも関わらず液状のマナ・エネルギーが固まってサブラの背に飛行ユニットが瞬時に再形成され、そのノズルから止め処なく溢れる赤い粒子の中でメカサブラM式改に与えられた傷が瞬く間に治癒し失われた眼球もまた再生する。
「嘘だろ……あり得ねぇだろ!」
「いいえ、事実です」
ボアズ・ムーヴァーマンと同様に起きる筈のない常識外の光景に愕然とするユライヤの眼前で赤い瞳のサブラは右手を前に翳し、必殺のスパイラルビームを放つ。
「ユライヤさん、まずは私の質問にお答えください」
図太い潮流はコントロール主を庇うかの如く前に出たメカサブラM式改の腹部を貫き、被弾箇所に激しい火花を走らせた半秒後、本体同様にメカサブラ一号機と二号機のものを組み合わせて作られた背部飛行ユニットを爆散に追い込む。
「私は何千回何万回と努力して今の立場を手に入れました」
拾い上げた眼鏡を掛け直したサブラは恐るべき大ダメージを受けて遂に膝立ちになったメカサブラM式改の左胸から左肩に伸びるチューブを掴み、渾身の力を込めて引き千切る。
「私は何千回何万回と現実に打ちのめされ、時には命さえ失いました」
左太腿のチューブが二本共揃って破壊され、スパイラルビームの直撃で致命傷を負ったグレン&グレンダ社最後の希望は大幅な反応速度とパワーの急低下によってリンゲル液に塗れながらサブラからの一方的な暴力行為を受け徹底的に破壊されていった。
「私は何千回何万回と歯車以外の生き方はないという現実を突き付けられました」
動けないメカサブラM式改の手足全てを胴体から切り離し、頭部を踏み潰したサブラは両足を震わせて顔を恐怖で引き攣らせるユライヤへ迫っていく。
「プロトタイプやヴァルキリーに人間らしい感情など不要です」
ユライヤが片手で操るM1887ショットガンで左肘から先を吹き飛ばされても、
「グレン&グレンダ社最大の失敗は」
来るな、来るなと腰砕けになって悲鳴を上げるユライヤが放つ更なる散弾によって顔の右半分を粉砕されても、
「歯車であるはずの私達に――」
手榴弾のピンを歯で外したユライヤが自暴自棄の有様で自爆しようとしても、
「人間らしい感情を持たせてしまったことでしょう」
サブラは構わず、とうとうこの歪んだ救いようのない世界全てに怨嗟の声を撒き散らし始めた第四次ダイヤモンド戦争の死に損ないをアルカから除去すべく前に進み続けた。