幕間
一九五〇年九月三日。
「あの子にね、訊かれたのよ」
アルカの片隅にあるザ・オーの孤児院を訪れていたレア・アンシェルは、窓外の光景を見ながら机を挟んで向かい側に座る元ヴォルクグラード学園軍の戦乙女に言葉を送る。
「訊かれた?」
「うん」
頷いたレアは笑顔でアゴネシア人の子供と遊ぶS中佐から、この場所を預かるエレナ・ヴィレンスカヤへと視線を移す。
「自分でも理解できない感情に突き動かされた時、どうすればいいのか……って」
「自分でも理解できない感情……か」
プラチナブロンドの咎人は手中のカップ内で波打つロシアン・ティーの水面を見つめる。
「難しい質問だな」
自分でも理解できない感情に突き動かされて破滅したプロトタイプやヴァルキリー達の心当たりが彼女には多すぎた。
「この間サブラを殺そうとした男の子もそうだった。その男の子は最初はサブラのことを憎んではいなかった。むしろ、私以上に愛していたとさえ思うわ――でも、ほんの些細な理由で彼のサブラに対する感情は大きく歪んでしまった」
「SW社の社長と同じだな。私もテウルギストから聞いただけだが」
「アルカってみんなそんなのばっかりよ。酷く自意識過剰で、頭で考えても、比較してもしょうがないことに必要以上にこだわって、正しいと思ったら誰に何と言われようと一度決めたことを絶対にやり通そうとして周囲に迷惑をかける」
レアは心の血をぶちまけて叫んだボアズ・ムーヴァーマンの姿と、サブラばかりが評価される現実に不満を抱き、彼女を目の敵にして不毛な努力を続けてきた過去を思い出す。
「でも、心のどこかで自分がやっていることは絶対間違ってて、このまま無理を貫いても最終的に血を吐くだけだってわかってるの」
「わかっていても……」
「そう……わかっていても、頭では理解していても、それでもやらずにはいられないの。そして最後は出口の見えない灰色のトンネルに突っ込むしかなくなる。憎悪や怨恨の対象ならまだいいわ。でも、好意や尊敬が根底にあるこの場合は、自分でも何が着地点なのか全くわからないままひたすら進むしかない」
シャローム学園の予備役ヴァルキリーは続ける。
「どんどん後に引けなくなっって、追い掛けている側の大成功を見て傷付き、更に無理をして追い付こうとする。心や体が悲鳴を上げようと構わずに」
いつの間にかレアの口から漏れる言葉の数々は自分の実体験に変わっていた。
「私は今だってサブラに対する嫉妬や羨望の気持ちを完全には消せていない……」
「レア……」
「だから私はね、あの子に何て答えたらいいかわからないのよ」
「時間をかけるしかない」
ロシアン・ティーを一口啜ったエレナはカップをテーブルに置き、
「複雑に絡み合った糸を急いで無理矢理解きほぐそうとすれば、糸はどちらも音を立てて千切れてしまう。だから時間をかけてゆっくり解いていくしかない」
部屋の一角に置かれた、ノエル・フォルテンマイヤーやソノカ・リントベルク達と共に笑顔で写真に納まった自分の姿を見る。
「少なくとも私の場合はそうだったし、私はそれ以外の方法を知らない。でも……」
青い双眸の戦乙女は自分と同じ程に心に深い傷を負い、それでもなお普段は平然を装う眼前の旧友の胸中を悟る。
「わかっている。いつも時間があるわけではない。だから辛いし、悲しいんだ」