かえせ!未来を 1
この作品は山形県で起こった真実だけを描いている。
登場人物や団体は例外なく実名であり、作中で発生する事件も全て実際の出来事である。
一九四三年一月二十五日。
「先輩……私、先輩のこと……す……」
頬を染めた女子生徒が白い息を吐きながら憧れの対象である同性に想いを伝えた瞬間、六十メートル先から飛来した七・六二ミリトカレフ弾が彼女の左側頭部に突き刺さった。
「キィッ!」
街中でおぞましい断末魔の悲鳴を上げ、瞬時に絶命した少女の左眼窩から脳漿と血液の混ざり合った生暖かい液体がぶちまけられて路面上にうっすらと積もった白雪を溶かし、そこに華奢な肢体が右回転しながら叩き付けられる。
「えっ」
先輩と呼ばれたもう一人の女子生徒が眼前の死亡劇を目の当たりにして素っ頓狂な声を上げてしまったのと同時に、たった今びちゃりと跳ねた泥と血の滴で顔を汚す彼女は車体後部に完全武装の若者達を満載した四号戦車G型のキャタピラに巻き込まれた。
「おい! 何か轢いたぞ!」
狭苦しいドイツ製戦闘車両の中で装填手がロシア語の怒鳴り声を響かせる。
「野豚か何かだろ!」
同じロシア語でそう返した操縦手と装甲板を挟んだすぐ向こう側では、腐肉が何層にも渡ってこびり付く履帯がつい数秒前に絶命した後輩同様に冬用学生服に包まれた骨ばった部分のない柔らかで瑞々しい肢体を巻き込んで滅茶苦茶に破壊していく。
「豚が街中にいるのかよ!」
「いるだろ!」
「どんな豚だよ!?」
「街中にいる豚だ!」
装填手と操縦手の全くかみ合わないやり取りが続く一方で、濡れた赤錆の間からは肉の引き裂かれるぞっとするような破壊音が鳴り響いた。
「皆殺しよ! 人民生徒会に無実なる者はいない!」
ドイツ連邦共和国の代理勢力であるシュネーヴァルト学園から非合法な手段でここへと持ち込まれた鉄馬は停車し、角ばった車体から飛び降りた少女――左腕に敵味方識別用の黄色い腕章を巻いていること以外はコンクリート舗装と半ば一体になってしまった二人の美少女と同じ恰好だった――がTT‐33拳銃を掲げて叫ぶ。
「蛆虫共の誇りは暴力で踏み躙る!」
彼女の号令と共に骸骨が描かれたバラクラバで顔を覆い、ナポレオンの歩兵連隊さえも一人で圧倒可能な恐るべき重装備に身を包む兵士達の群れが走り出した。
「前世紀の終わり……」
後にアルカの春と呼称される出来事の舞台となった学園都市サカタグラードの片隅から不愉快極まりないグレン&グレンダ社のラジオ放送が流れ始める。
「巨大隕石の落下と」
事務的な声が響き渡る中クーデター軍の兵士達は今まで圧政を敷いてきた人民生徒会が立て籠もるヴォルクグラード人民学園の校舎に向けて死に物狂いで前進した。
「ブローハ6‐1、攻撃します」
人民生徒会の打倒を願う他校からは自由学生同盟軍と呼ばれてもいるが、実際のところ明確な正式名称が存在しない武装勢力に身を置く彼らが一人また一人と撃ち倒されていくその頭上を濃緑色のマナ・ローブに身を包んだ戦乙女が高速で通過していく。
「それがきっかけとなって始まり、その後十五年間続いた世界規模の戦争が人類に歴史上類を見ない未曾有の被害をもたらしました」
砲弾の直撃で半ば崩壊し弾痕だらけになった建物の外壁を舐めるかの如く高度を下げたヴァルキリーは大地に爪先が着いた瞬間から、T‐34/85中戦車の残骸を防壁にして激しく抵抗する人民生徒会派の生徒達に襲い掛かる。
「チェキスト共が!」
最初に強い憎悪を込めて叫んだ彼女は吹き飛んだ右手人差し指を黄ばんだ包帯で覆い、代わりに爪が剥がれた中指でSVT‐40半自動小銃のトリガーを引いていた女子生徒の細く白い首を身の丈程もある大型トマホークで刎ね飛ばした。
「混乱はグレン&グレンダ社によって収められました」
青い粒子が漂う中で首から上を失った少女の両手が力なく下がり、続くヴァルキリーの連撃を浴びた胸元で血液が弾け肉体が路面に湿った音を立てて崩れ落ちる。
「そして同社は今後一切、人々が争わずに済む世界を作ろうと考えます」
視界右端に新たな目標を発見した戦乙女はマナ・ローブの燕尾を大きく振って真鍮製の空薬莢や自殺に使われた青酸カリの空瓶が転がる地面を蹴る。
「パステルナークの犬め!」
ヴァルキリーはPPSh‐41短機関銃の連射を浴びせ掛けてきた女子生徒が八発目の発射を感じ取る前に肉薄し銃口から撃ち出された熱い弾丸が自分の背中側にある街路樹に突き刺さるよりも早く右下から左上へと切り上げる鮮やかな一閃を放つ。
「それが戦闘用の人造人間……プロトタイプを教育し」
大斧の鋭い一撃で跳ね飛ばされた少女の右手首が赤黒い血液の曲線を描きながら得物を持ったままの状態で泥濘の上に落ちた。
「彼ら世界各国の代理勢力たる学園に所属させ、アルカという永久戦争地帯でそれぞれの母国の代わりに戦わせるシステムなのです」
ヴァルキリーは悲鳴を上げる女子生徒が自分は右手首から先を失ったのだという事実を理解する前に左一回転、右手に携えた鉈で今度は彼女の胴体を両断した。
「今や民族対立や資源の利権争いといった国家間の問題は何の例外もなくアルカにおける代理戦争で全て処理されています」
上半身は鮮血と黄褐色の糞便を勢い良く噴射しながら錐揉み回転して宙を舞い、湿った音を立てて地面に倒れた下半身の断面からは薄桃色の腸が湯気と共に広がる。
「つまり戦いは人類にとって永遠に過去のものとなったのです!」
グレン&グレンダ社というメッキ光輝く支配者の無責任かつ傲慢なラジオ放送を無音と認識している少女は残りの雑魚共をプロトタイプの仲間達に任せ、灰色の後退翼が左右に伸びるヴァルキリー専用の背部飛行ユニットからマナ・エネルギーの粒子を噴射して幾千幾百もの光芒瞬くヴォルクグラード人民学園本校舎へと向かった。
「取り付いた!」
七分十二秒後、外壁を爆破してヴォルクグラード人民学園の校内に一番乗りで侵入したヴァルキリーは廊下を滑走、一路生徒会長室へと急ぐ。
「ディミトリ・カローニン!」
ロングコート然とした濃緑色の戦闘服を纏う戦乙女の口から権力の座に就くなり学園を私物化し大勢の反対者を処刑もしくは投獄した、自分達の最大の敵の名前が響いた。
「奴さえ殺れば!」
ヴァルキリーは割れた外壁から外気が入り込んでいることに起因する肌寒い向かい風を顔に浴びつつ、ある日突然人民生徒会の秘密警察に連行され、翌日見せしめとして校庭の木にロープで吊るされた隣席の少女の死体を思い浮かべる。
「奴さえ――ッ!」
級友はただ人民生徒会への些細な不満を口にしただけだった。単にそれだけなのだ。
「ディミトリ・カローニンは絶対に屈しない」
ラジオで嫌という程聞いてきたヴォルクグラード人民学園現生徒会長の声が聞こえた時、怒りによって突き動かされるクーデター軍の尖兵は視界に異形を捉えた。
「ディミトリ・カローニンの命があるうちは」
彼女の往く手を遮るかのように通路奥に鎮座した黒い影が変形を始める。
「なっ……」
驚愕に大きく目を見開いて思わず着地してしまったヴァルキリーの前で蟹の甲羅に似た胴体の――恐らくは機械、だが明らかにこの時代のものではない――側面から八本の足が地面に伸びて開き、既存の兵器体系から大きく逸脱した機体を持ち上げた。
「絶対に政権交代はない」
次に二つに割れたその上面から人間の上半身じみたフォルムがゆっくりと起き上がり、先端にあるトカゲのような頭部で双眸が赤い光を放つ。
「わ、私の頭は……」
たちまち両足を恐怖で震わせるようになったヴァルキリーは首を左右に振って咆哮し、廊下に面した全ての窓ガラスを一瞬にして粉砕させた機動兵器の前で絶句する。
「私の頭は……」
各部から青いマナ・エネルギーの粒子を放出する異形こと変形式機動兵器スヴァログは誰一人としてその姿を見たことがない生徒会長自身の操縦で金属音を鳴らしながら眼前の光景が全く理解できずに顔を大きく引き攣らせて立ち尽くす少女に接近した。
「おかしくなったの……?」
まるでギリシャ神話に登場するケンタウロスがそのままサイボーグ化されたかのような機動兵器からの攻撃でヴァルキリーが血の霧になって吹き飛んだのは、その直後である。