第三章1
一九四七年十月七日。
弾痕だらけの校舎外壁が焼け焦げ、砲爆撃であちこち崩れたトランシルヴァニア学園の校庭に捕虜となったSACS兵達が集められている。
前日にパンツァーファウスト44(注1)の一撃で破壊されたM24軽戦車の傍らにはうつ伏せになった死体が三つ、尻を丸出しにして横たわり、炭化した顔面と裂けた唇から覗く歯の白さが強い生理的嫌悪感をコントラストとして作り出していた。
「跪け!」
「頼む! 殺さないでくれ!」
「じゃあ死ね!」
憎悪という厚いレンズで現実から身を守っているMACT隊員達は、自分達は被害者で正当な復讐を行っているのだという考えに基づいて痣だらけの顔をしたSACS兵の顔を殴り付けると彼の膝をFAL自動小銃で撃ち抜き、足を本来曲がらない方向に角度付けて悶絶したプロトタイプの腹と頭に立て続けの七・六二ミリ弾を撃ち込んで殺害する。
「雨が降ってもシマウマの縞は消えない」
趣旨をよく理解していないマサイ族の諺を口ずさんだ別のMACT隊員は仲間達と共にMP44自動小銃を構え、全裸に引ん剥かれて目隠しもされた状態で背中向きに壁の前に立たせられたSACS兵を撃つ。一人は何度も乾いた血で汚れた体を着弾直後に微震させ、膝立ちで体を横に傾けたまま息絶えた。またある者は前のめりに撃ち抜かれた顔面と胸で壁をゆっくり撫でながら絶命、死の瀬戸際に赤い跡を残した。
「この辺りの筈だ」
一方、捕虜の即時処刑命令を出したエーリヒ・シュヴァンクマイエルは部下数名と共にSACS兵が最後まで守っていた場所に向かっていた。
「そろそろだとは思うんだけど……」
トランシルヴァニア学園本校を出て二十五分が経過した頃、エーリヒはまだ連続射撃で熱くなった銃身から煙を立ち昇らせているMG42軽機関銃が設置された陣地を見つけた。
片方だけ転がる靴や切れたサスペンダーと共に散らばる蝋人形のように硬直した死体が歪に焦げた黒い両手両足を曲げ広げている左横を通り過ぎるとコンクリート・トーチカをそのまま大きくしたかのような建造物が目に入った。
「あれだ」
MACT隊員達を連れたエーリヒは重い足取りで建造物へ近付く。
分厚いドアの前に立ったタスクフォース609の指揮官は胸のポケットから折り畳んだキャロライン直筆の手紙を取り出し、コードを入口脇の機器に入力した。
「みんなはここで待っていて。僕だけで行く」
危険ですよと渋る部下達を説得したエーリヒはライトで周囲を照らしながら重いドアの向こう側に広がる暗闇に足を踏み入れる。
「これは僕の戦争だ」
リノリウムが剥がれてコンクリートが丸出しになり、ひび割れた壁に乾いた血液の痕がこびり付く湿っぽい狭い通路には黴臭さが充満していた。
「もう嫌だ。帰りたい」
少し歩いてから長い階段を降りたエーリヒは、分娩室のような部屋に置かれた赤ん坊を入れる保育ケースや積み木が無造作に置かれた託児所にも似ているスペース、更には埃を被った医療機器を目の当たりにしてここで何が行われていたのかを察し弱音を漏らす。
「みんな……どいつもこいつもみんな……死ねば良いんだ……」
電源を入れて地下室内に明かりが灯った瞬間、部屋の全周を覆う水槽内で大量の死体が浮かんでいるのを見た彼はその場に崩れ落ちてこの世界全てに対する呪詛を吐き出した。
「どうしてそんな酷いことを……酷いことを平気でやれるんだよォッ!」
紺色の長髪、琥珀色の瞳、長身の肢体、端正な横顔。
「どうかしてる……狂ってる……死んでしまえ! 死んでしまえ!」
濁った培養液の中に浮かんでいるのは紛れもなくアルカ最後にして最大の英雄と呼ばれ、エーリヒにとっての大切な思い出と一生消えないであろう忌まわしい悪夢の象徴だった。
「やっぱり感付いたわね。勘の良い子供って嫌いだわ」
水槽上の暗闇から静かに現れたヴォズロジデニヤ計画――ロシア語で再生の意味――の総責任者であるシュテファニアは絶望に打ちひしがれる少年に拳銃を向けて口元を緩める。
「何故こんなことを……」
「腐り切った今のアルカを救うにはマリア・パステルナークが必要なの」
目尻に涙を溜めるMACTのリーダーを見てハンガリー人教員は誇らしげに言い放つ。
「五年前、教師としてヴォルクグラード人民学園に出向している時、私は彼女に大いなる希望と可能性を見た。マリアこそアルカという地獄に差した一筋の光だったの」
シュテファニアは「それなのに貴方は彼女を殺した!」と怒声を上げた。
「ラミアーズの台頭を見て私は強く確信したわ。アルカにマリアを復活させることこそ、神がこのシュテファニア・グローフに与えた崇高な使命なのだと」
軽やかに両手を広げたトランシルヴァニア学園軍の総司令官代理はSACSの創設者とクライアントは他でもない自分であり、今回の戦争の目的は自作自演で窮地に追い込んだトランシルヴァニア学園をアルマ・ドラゴリーナに救わせて再びマリアを作り出す以外の何物でもないのだと明言する。
「私の予想通りアルマはユーリ・パステルナークにあたるクリスのために戦ってくれたわ。まぁ、貴方がこの件に気付くという予想外はあったけどね」
裏切り者がエーリヒに渡した手紙に書かれていた通りの内容を話したシュテファニアは肩を竦めてからMACT最高指揮官に向けた拳銃のトリガーを引こうとした。
「先生」
「何かしら?」
「安全装置が外れていませんよ」
シュテファニアが驚愕に目を大きく見開いて拳銃の本体左側面に視線を動かした直後、エーリヒがホルスターから引き抜いたM1917リボルバーから放たれた四十五口径弾で彼女の左膝が吹き飛ぶ。スーツ姿の女性教員は大きくバランスを崩して柵から転げ落ちた。
「ひっ……」
表情を憎悪一色に変えて迫るエーリヒを見たシュテファニアは慌てて自分のこめかみを撃ち抜こうとしたが、彼が放った二発目の弾丸で右手首ごと拳銃を四散させられる。
「僕は昔、誓いました。例え辛酸極まろうと、どれだけ汚辱に塗れようと、僕の中にある彼女の思い出だけは誰にも奪わせないと」
エーリヒは骨が飛び出た赤黒い上腕部の断面から血管や腱をぶら下げる女の顔面を硬い軍用ブーツの爪先で蹴り上げる。鼻骨が折れて大量の血が両鼻腔から溢れ出た。
「だから先生、僕はもう自分に嘘は付きません」
エーリヒは次に右手首を失った女性教員の腹を蹴り、嘔吐物を撒き散らしつつ悶絶した彼女の下半分が血塗れになった顔面に銃口を向けて躊躇なく発砲した。
「僕がヒエラルキーの最上位に立たない限り、似たような問題はこれから何度でも起きてその度に僕の心は踏み躙られ、彼女の思い出も奪われ続けます」
弾丸は衝撃と共に彼女の眼孔から鼻の付け根を通って右から左へと貫通する。
「もうグレン&グレンダ社には任せておけません」
二つの白い目玉が分厚いレンズを割って眼窩から飛び出し、血と骨片が飛び散る有様を見てもエーリヒの怒りで歪んだ顔には何一つ変化がなかった。
「え、エーリヒ君……取引しましょう。私は貴方が高みに上るための……」
「黙れ」
エーリヒは非常に荒々しい仕草でM1917リボルバーに新たなる弾丸を装填しながら冷たい口調で右手首に続いて視力までも永遠に失ったシュテファニアに吐き捨てる。
「僕は慈善事業でやってるんじゃないんだ」
そしてアルカに君臨するプロトタイプの王となることを今まさに決意した少年は彼女の額に銃口を押し付け、下顎から上を綺麗に吹き飛ばした。
注1 ドイツ製の携帯式ロケット弾発射機。