第二章4
侵攻開始から数時間でSACSに制圧されてしまったトランシルヴァニア学園の中では逃げ遅れた全ての一般生徒達が逃げられないようにピンを外したソ連製手榴弾のレバーを握らされた状態で正面ホールに集められていた。
「バックアッププランはないと聞いてたが、まぁ何とかなったな」
「俺達みたいな負け犬はこういう仕事しか選べないんだ。全く嫌になるよ……」
今回も正規軍相手に勝利を収めたSACS兵達は紫煙を燻らせながら黒いパラコードで天井に吊るされたトランシルヴァニア学園軍ヴァルキリーの死体を見上げる。
「クライアントにとっちゃ俺達なんて使い捨て以下だからな」
「一体こっからどうするんだ? ハンガリー人の学校を急いで制圧しろとは言われたが、そこから先を聞いても『追って指示する』の一点張りだったじゃないか」
「中隊長がクライアントに問い合わせてるんだが何の返答もない」
「そもそも俺達のクライアントって誰だよ?」
流暢なフランス語でやりとりする米国製空挺服に身を包んだドイツ製プロトタイプ達の視線の先には目元と口元が黒ずみ、埃だらけの顔に光を失った虚ろな瞳から涙跡を幾筋も残した戦乙女や、複数名から代わる代わる強姦されたせいでマナ・ローブの両太腿内側に赤黒い染みを作っているその仲間が物言わぬ姿となって紐先で微震する姿があった。
「よーし、犬だ! 犬の真似をしろ!」
そんな中、学生寮から避難シェルターに向かう途中で捕えられたクリスは四階の部屋に連行されるなり中にいたヴァルキリーからとてつもない無理難題を押し付けられる。
「えっ……何を言っているんですか……」
酒の空き瓶や煙草の吸殻が散らばっている室内にはヴァルキリーが四人いたが誰からも返答はなく、代わりにここまでクリスを連行してきた和州学園出身の痩せたSACS兵がさっさとしろと言わんばかりに木製ストックの重い一撃を彼女の華奢な腰に加える。
悶絶し声にならない声を喉から漏らして床に四つん這いになったツインテールの少女は自分の背中側からFAL自動小銃の安全装置が外れる金属音を聞いた。
「ほら犬ならワンって言え!」
「お前は犬なんだよ、犬!」
捕虜を取り囲んだ少女達は酷く蔑んだ瞳でクリスを見下し口々に侮蔑の言葉を浴びせた。
「また……同じだよ……」
何時ぞやの食堂での経験と全く同じだった。ヒエラルキーの下位にいる者は上位者から何もかも否定され、全てを当然のように土足で踏み躙られる。
「犬なのにワンって言えないのか? じゃあお前は犬以下か?」
俯いて唇を噛み締めるクリスの前に「ほれ」と何かが置かれる。顔を上げるとそこには容器に入れられたドッグフードがあり、その現実が絶望の黒い刃で彼女の心を深く抉った。
「腹が空いて鳴けないんでしょ。ごめんね」
恥辱の余り声を上げて涙を流し始めた捕虜の前でたった今容器を置いたヴァルキリーが腹を抱えて大笑いした。直後、SACS兵がクリスの後頭部に硬い銃口を押し付ける。
「私は……」
涙と鼻水で顔を汚したクリスは声を震わせてなおも笑い続ける戦乙女を見た。
「私は最低です。今を変えることもできないのに、馬鹿にされると被害者ぶる都合の良い人生を送ってきました。成功した人を憎み、努力した人を妬んで過ごしてきました。でも、それでも、だとしても、私は自らの意思によって生きてきました」
クリスを取り囲んだヴァルキリー達が揃って失笑を漏らす。
「はいはいご立派ご立派。偉いでちゅねー。もういいや、死ね」
「貴様が死ね」
正面のヴァルキリーがクリスの後頭部を踏み付けてドッグフードに生意気な少女の顔を押し込もうとした瞬間、室内にいた戦乙女全員の脳に直接低い女の声が響いた。
「貴様が死ね!」
鼓膜を突き破らんばかりの凄まじい怒声と共に窓ガラスを破壊して部屋に突入してきたアルマ・ドラゴリーナは、黒いグローブで覆った右手を驚愕の表情を浮かべて振り向いたヴァルキリーの喉に突き入れ頸動脈を掴むなりすぐに腕を後退させ思い切り引き千切った。
「品性下劣な戦争犬共が……!」
咄嗟の出来事を前に両手で頭を庇ってその場に丸くなったクリスと、彼女の足の辺りで引っ繰り返っている容器とドッグフードを目にしたアルマの怒りの炎に更に高オクタンのガソリンが何十リットルも注ぎ込まれていく。
「戦争は一時的にせよ日常の頭痛の種や些細な雑事を忘れさせる」
アルマは喉から夥しい血飛沫を上げてのた打ち回る敵の右足を掴んで逆さまの盾にし、
「敵に対してスクラムを組むことで孤立感や疎外感という日頃の鬱憤を忘れさせ」
味方からの猛烈な銃撃で蜂の巣になったそいつの背部飛行ユニットを蹴り飛ばす。
「隣近所や共同体」
MACTの反撃に先立ち単身トランシルヴァニア学園本校に殴り込みを敢行した大尉は叩き付けられた仲間の射殺体を悪態付きながら押し退けた別のヴァルキリーに迫って腹を正拳で貫き、そのまま強引に腸を体外へと引き摺り出した。
「更には国家との思いがけず温かい絆を深めた気にさせる」
天井まで湯気が立ち昇り猛烈な悪臭が部屋に充満した。
「倦怠感に包まれ絶望感に陥っている時」
アルマは薄桃色の腸を鞭のようにしならせて三人目のヴァルキリーの首に巻き付けると一回転しつつ引き絞って首と胴体を切り離す。
「戦争はまさに気晴らしとして有効である」
両手をバタつかせる肉体が噴水のような血飛沫を舞い上げ、天井からの滴りがアルマの紺髪を濡らし赤黒いコーティングを施す。
「こういった規模の犯罪は目撃者が誰一人声を上げようとしないことに問題がある」
アルマは滑った鈍光を放つ床を蹴ってまだ生き残っているヴァルキリー及び敵兵からの銃弾の射線から軽やかに身を逸らして重い左ミドルキックと右後ろ回し蹴りを放つ。
「その場合、声を上げない理由が何なのかは問題ではない」
どちらも足一本で持ち上げられた体が壁に激突して二体同時に弾け飛んだ。
「も、も、申し訳ございません!」
共に金のため戦っているからお互い邪魔はしないだけの仲間が木っ端微塵になる有様を見せられて戦意を失い、最後のヴァルキリーは腰砕けになって土下座した。
「ほ、本心じゃないんです……命令されたからやっただけで……」
「そうか。お前を殺すのはやめる。素直に謝った褒美に――」
「馬鹿が!」
戦乙女は立ち上がって背を向けたアルマに拾い上げたDP28軽機関銃を向ける。
「お前を挽肉にしてやろう」
振り向いたアルマは予想通りとばかりにヴァルキリーに向けて肩腰のスラスターを噴射、高熱で若人の髪が縮れて顔の皮膚も焼け焦げ、目玉も破裂して白い破片が飛び散る。
「お前達が私をどう思おうが所詮同じだ。私という存在はいつだってこの世にある」
アルマは高速回転する排気口のファンに悶え苦しむ少女を焼け爛れた頭から突っ込む。
「何故なら、アルカは私が現れる前から私を待っていたからだ」
湿った肉片と血が飛び散り、重い音を立てて手や臓物が落ちた。
「つまり最高の生業が最高の担い手を待っていた訳だ」
更にファンにヴァルキリーを押し込むと断面から骨の白と臓物の薄桃色を覗かせている下半身が神経を刺激されて両足を痙攣させ、股間では黄色い滴が弾けた。
「喜べクリス! みんな殺してやったぞ!」
痙攣する胴体を窓外に投げ捨てたアルマは頬を染めながら振り向いて人間性の全否定と大殺戮劇の両方を短時間の内に体験して半ば虚脱状態になっているクリスに微笑みを送る。
「……ってなんだ、あまり嬉しそうじゃないな」
クリスが反応しなかったのでアルマは不満げに頬を膨らませる。
「むー! この世間知らず!」
アルマは自分をマリアの劣化コピーであると考えていたが、強い好意を寄せる相手との絶望的な距離感の取れなさという点では彼女はオリジナルと大差なかった。