第二章3
一九四五年に作り出された黙示録の具現化とも形容できるホテル・ブラボーの各所には生皮を剥がれたヴァルキリーの腐乱死体が何体もワイヤーで折れ曲がった街頭に吊るされ、蠅が集る黒い眼窩の窪みから丸々と太った白い蛆虫が這い出ては地面に落ちる。
「オディ! オディ! オディ! オディ! オディ! オディ!」
そのすぐ近くではラミアーズ兵が数人、それぞれ黄色いレインコートの間から露出した腰を激しく前後させて首のないプロトタイプの死体の肛門を犯していた。
「我が親愛なる同志諸君、世界の終わりが近付いている」
地獄の中枢神経とも言えるウォッチタワー――まだアルカが山形県と呼ばれていた頃の県庁跡――の中で右口端に醜い傷を走らせる魔境の王が声を上げる。
「次のレベルへ! 次のレベルへ! 次のレベルへ!」
「次のレベルへ! 次のレベルへ! 次のレベルへ!」
「次のレベルへ! 次のレベルへ! 次のレベルへ!」
中庭でレインコートを着たテロリスト達が大歓声を上げる英国近世復興様式の建物内は外以上に恐るべき狂気に満ち溢れた空間だった。
「私達が進む道には悪意や苦難が数多く待ち受けている」
中央階段のロビーには夥しい量の人骨が積み重ねられている。
「だが、それは私達が天の王国に向かうための試練なのだ」
議場ホール内には捕虜から生きたまま引き剥がされた皮膚を素材に使った胴衣や乳首を無理矢理広げて組み合わせたベルトが特に意味もなく散らばっていた。
「苦難を乗り越えることで、私達は初めて人間以上のレベルに到達できる」
更に錆や糞がこびり付くトイレの全てには喉元から陰部にかけて切り裂かれ内臓を全て取り除かれた死体が空っぽの体内を露にした状態で逆さ吊り刑に処されている。
「天の王国民は私達の全ての罪や苦しみを洗い流し、汚れた魂を清めてくれる」
常人なら僅か数秒で発狂し二度と正気に戻れないであろう空間の議場ホール壇上に立つアビー・カートライトの前に捕虜となった第三十二大隊の戦乙女達が連行されてきた。
「差別、侮蔑、自己正当化が崇拝されているこの世界は罪と邪悪に満ち溢れている」
頭に黒いビニール袋を被せられ、股間に染みを作った数名のヴァルキリーは魔境の王の特に意味のない命令を受けて二名を残し全員がテロリストに即時射殺された。
「弱者を笑い、強者を妬む」
力なく横たわって痙攣する戦乙女の頭部を覆う黒に開いた小さい穴から流れ出る血液を見てアビーは満足げに目元を細め、唇を舌で舐める。
「成功者の陰口を絶対に見えない場所で叩き続ける」
切り取った耳を鎖で繋いだネックレスを投げ捨ててから壇から降りたマナ・ローブ姿の狂鬼は恐怖に震えるドイツ製ヴァルキリーの一人を指差す。
「今や本国はソドムとゴモラの世界! 殺せ! 殺せ!」
命乞いも空しく薄汚い迷彩服を着たヴァルキリーがラミアーズ兵に取り囲まれて牛刀を思い切り傷付いた全身目掛けて振り下ろされる。
「ソドムとゴモラ! ソドムとゴモラ! ソドムとゴモラ!」
「ソドムとゴモラ! ソドムとゴモラ! ソドムとゴモラ!」
「ソドムとゴモラ! ソドムとゴモラ! ソドムとゴモラ!」
軍手で覆われたテロリストの人差し指と親指で目蓋を開きっ放しにさせられた戦乙女は悲痛な叫びを上げてのたうち回る戦友がゆっくり時間をかけて肉、皮、内臓、骨の四つに分別される悪夢のような光景を網膜に焼き付けられた。
「だが神の生まれ変わりである私がお前達を救済する」
黄色いレインコートを返り血で真っ赤に染めたラミアーズ兵達はアビーの指示を受けて肉を数センチ四方に切断し、次に骨をハンマーで徹底的に打ち砕いた。
「私は神だ」
アビーは四つん這いになって激しく嘔吐する捕虜を見下して失笑する。
「つまり――」
血で濡れた肉がこびり付いている大腿骨を弄ぶ傷顔のヴァルキリーは黒い軍用ブーツの爪先を捕虜の脇腹にめり込ませた。
「私を信じれば救われる」
そして骨を捨てるなり襟首を掴んで強引に立ち上がらせると自分の額を涙や汗、鼻水で汚れた蒼白になっている相手のそれに押し付ける。
「私を信じるか?」
薄桃色をしたアビーの舌が唇右側の傷から滴る唾液を舐め取り口内で水音を立てる。
「信じるか?」
湿った無臭の息を吐いてラミアーズの指導者は続けた。
「信じるか?」
目蓋の開き具合が加速度的に大きくなっていく。
「そうか……信じないのか」
返答の代わりにアビーはヴァルキリーの右胸に拳を突き入れる。ひぐぅという声と共に戦乙女の両手両足が微震する。
「こいつは次のレベルに行けない! 私を信じなかった!」
捕虜は白目を剥いて痙攣し始めた。
「アビー様! 攻撃部隊が……」
「天の王国からはまだ迎えが来てないぞ?」
血塗れになった右手を振るってリノリウムの破片が散らばる床に赤を配色したアビーは間を置かず捕虜の死体を捨てて振り向き、たった今自分に報告した部下の頭を拳銃で撃つ。
「私の前に来る時は柑橘類のジュースを飲んでからにしろ」
ただアビーの話を遮っただけという理由で殺される異常かつ理不尽な死が議場ホールに現出したが、手の甲で唾液を拭う指導者の行動を気に留める者は誰もいない。
黄のレインコートに身を包んだテロリスト達は黙々と特に目的のない死体の解体作業を進める。彼らはアビー同様に狂っていたし、こんな光景はホテル・ブラボーの日常なのだ。