第一章2
「やれ」
無線越しの声と共にタカハタベルク――アルカ南東部の学園都市――郊外に血華が咲く。
「吐きませんでした」
「次」
ヴォルクグラード人民学園より二時間遅れてラミアーズに襲撃され、一時間早く彼らを全滅させたドイツ連邦共和国の代理勢力に身を置くボーイッシュな乙女然とした少年は、人のシルエットが双眼鏡のレンズ越しに地面に叩き付けられる無残な光景を視認しつつ、淡々とそれなりに付き合いの長い副官にそう返した。
「アビー・カートライトはどこにいるんだ! 答えろ!」
二年前にサカタグラードで喪失した左目を眼帯で覆うタスクフォース609指揮官から追加の命令を与えられたドイツ製プロトタイプはゴムホースで百回近く全身を殴打されたラミアーズ構成員をFa223ドラッヘのキャビンに立たせる。
「嫌だ……嫌だ……答えたら……次のレベルに行けなくなる……」
無茶を言う側がしっかりと命綱を付けている一方、泣き叫ぶ全裸の無茶を言われる側は機外に放り投げられればすぐに重力に引かれて先程の仲間と同じ姿になる状態だった。
「私を殺したら、お前だって次のレベルに行けなくなるんだぞ……」
「良い旅を!」
結局その捕虜もヘリから突き落とされた。
「ヘリを戻して」
合計六名の捕虜を地面に叩き付けて殺したアルカ有数の不正規戦のエキスパートは別の情報獲得手段を取るためにジープを走らせ、潜水艦乗組員用の黒い革ジャケットを羽織り、下半身をリザードパターンの迷彩ズボンで覆った姿で排水が流れ込む小川に移動した。
「どうかな」
「駄目ですね」
FAL自動小銃を携えガスマスクで顔を覆う姿で水牢を見張る部下の一人にベレー帽を被ったエーリヒは歩み寄って問い掛けるが、答えは決して良いものではなかった。
「お前達はルシファーの手先だ。神の王国から転落した者共に味方する愚か者め!」
「天の王国からの真理を聞き入れぬ狂人! お前達は気でも違っているのか!?」
数名の捕虜は立ちっぱなしにさせて肉体的な苦痛を与えるため腰まで張られた水からの酷い悪臭に苦しみながらも強い眼光で竹の檻越しにエーリヒを睨み付けている。
「出ろ!」
エーリヒの頷きを受けたタスクフォース609の隊員達は水牢の木蓋を開け、髪の毛を掴んで中から引き摺り出した数名の腋下に手を入れて川沿いのテントへと連行した。
「座れ」
彼女らは薄暗い空間の中央に置かれた机に向かい合っての着席を強要され、木の椅子に腰を落とすなりベルギー製自動小銃の硬い先端が後頭部に押し付けられた。
「遅い。自分の立場を弁えろ」
最初に座ったラミアーズの戦乙女は言い終える前にエーリヒから後頭部を押されて机に顔面を強打した。折れた鼻から血が噴き出して木面や少女自身の膝と太腿を汚す。
「――ッ」
恐るべき光景を目にして反対側に座るヴァルキリーの顔が恐怖で引き攣った。
「アビー・カートライトはどこにいる?」
エーリヒは背後からたった今鼻骨を粉砕させられたヴァルキリーの長い後ろ髪を乱暴に掴んで後方に引き倒す。黒々とした鼻腔から鉄臭い赤が流れて口周りや顎先が汚れる。
「わ、わがっひゃ……ひうがら……」
エーリヒは耳元を捕虜の口に近付ける。だが鼓膜を叩いたのは侮蔑の言葉だけだった。
「持ってるよね?」
隻眼の少年はヴォルクグラード人民学園からシュネーヴァルト学園に複雑怪奇な事情で移籍した一言では説明し難い過去を持つ副官を横目で見る。
「お礼は現金でお願いしますよ」
禁煙主義者の少佐は気まずそうに自分に差し出されたラッキーストライクを受け取ると慣れない動作で咥えて着火し紫煙を燻らせたが、自分を侮辱した戦乙女の後ろ髪を掴み、先端部が赤熱化した煙草を思い切りその右目に押し込む動作は非常に手慣れたものだった。
「ひぎぃ!」
上擦った悲鳴が薄暗く湿ったテント内に響き渡り、永遠とも思える一分後……ようやくラッキーストライクを放されたヴァルキリーは右眼窩を黒穴に変えられた無残極まる姿でぐったりと頭を垂れる。既に右側の視界は完全に失われていた。
「確率は六分の一」
地面に叩き付けた米国製の煙草をブーツの靴底で踏み消したエーリヒはホルスターからM1917リボルバーを取り出して四十五口径の弾丸を一発だけ装填し回転させる。
「やれ」
拳銃を机に叩き付けたエーリヒはヴァルキリー二人の顔を相次いで睨み付けた。
「やれ! 殺すぞ!」
机から離れたエーリヒが腕を組むのと同時に南アフリカ共和国製のヌートリア戦闘服を纏ったタスクフォース609の隊員がFAL自動小銃で戦乙女の汚れた後頭部を小突き、人権を無視した恐るべきロシアンルーレットへの参加を促す。
「ルシファーの手先め……!」
捕虜は残った左目から涙を流しつつ机上のM1917リボルバーに震える手を伸ばした。
「呪われろ……!」
右頬に眼窩からの鮮血を伝わらせるヴァルキリーは呪詛の言葉と共に拳銃のトリガーを人差し指で引いた。こめかみに密着した銃口から撃ち出された弾丸はすぐ頭に入り込んで内部を徹底的に破壊し、彼女の下顎から上を木っ端微塵に消し飛ばす。脳漿や砕け散った眼球がテントの内側を著しく汚した。
「狂人共め! 自ら命を絶てば次のレベルに行けないんだぞ! 狂人共め……」
大粒の涙を血走った眼から流し激昂するもう一人の捕虜を無視してエーリヒは痙攣する死体から拳銃を引き剥がすと四十五口径弾をまた込める。
「やれ」
そして再びシリンダーを回転させ、それが終わるや否やもう一度机に叩き付けた。
「やれ」
「自ら命を絶てば次のレベルに……次のレベルに……」
「やれ」
「次の……レベルに……」
ラミアーズ構成員の唇の震えが強さを増し机の足を異臭放つ黄色い液体が伝う。
「やれ!」
またFAL自動小銃の硬い銃口がヴァルキリーの後頭部を一押しすると彼女はとうとう観念し切った様子で眼前の米国製大型拳銃を手に取ってこめかみに押し付けようとするが、死への恐怖に駆られて顔を背け、振り払うかの如く机に置いた。
「次は僕の番だね」
淡々と言い放ったタスクフォース609の指揮官はM1917リボルバーを手に取ると流麗な動作で自分のこめかみに銃口を向けトリガーを引いた。
「えっ……」
唖然とするヴァルキリーの前で小さい金属音が響く。
「僕は済ませた。次は君だ」
エーリヒは顔色一つ変えずに大きく丸い銃口を大粒の汗が滲んだ捕虜の額に向ける。
「わ、私は天の王国から魂の萌芽を受け取り……受け取り……ほ、ホテル・ブラボーよ!」
隻眼の少年がトリガーに乗せた人差し指に力を入れた瞬間、心を完全に折られた少女は自分達の指導者がどこにいるのかを遂に口にした。
「アビーはホテル・ブラボーにいるわ! だから助け――」
そして銃声と共にヴァルキリーの頭が吹き飛ぶ。
「君はアルカという社会システムからドロップアウトしたんだ」
ビンゴを引き当てたエーリヒは木机に突っ伏した少女の頭から赤が広がっていく光景を自分に残された唯一の視覚器官である右目に映しながら呟く。
「一度でもレールを外れた者にはチャンスなんて与えられない」
エーリヒはプロトタイプでもヴァルキリーでもない、この地獄では珍しい人間だった。
「それが現実なんだよ」
だが彼が持つ残酷性と冷酷さは――その双方を遥かに上回っていた。