第三章6
ひっくり返った砲塔を黒焦げの車体に乗せた戦車の残骸や大量の空薬莢が周囲に転がったまま放置された対戦車砲が点在するサカタグラードの中央広場に第三十二大隊とロイヤリストの合同野戦指揮所はあった。将校が詰めるテントの周囲には土嚢が積み重なり、加えてチェコのハリネズミと呼ばれる鉄道レールを三本組み合わせた障害物や竜の顎というコンクリート製の対戦車防壁が指揮所の守りをより堅牢なものにしていた。
「畜生め。こんな戦争のやり方ってあるものか」
「あいつらは野獣だ。人間じゃない、悪魔だ」
土埃で汚れ、全身からコルダイト火薬の悪臭を漂わせる第三十二大隊とロイヤリストの兵士達は揃って悪態を口にした。血生臭さを極める戦いを強いられた彼らの顔には皺が見え隠れし、頬はこけてとても十代の少年少女には見えなかった。
誇張でも冗談でもなくマリア派は『七秒に一人が死亡』と揶揄される程急速に数を減らしているが、第三十二大隊とロイヤリスト側もただでは済んでいない。優勢な砲兵火力と近接航空支援があるとはいえ、そもそも市街戦でそれらは威力を半減させられる。どんなに強力な砲火を浴びせても、どんなに精密な爆撃を行っても、死臭が充満した建物の中や地下道をゴキブリのように這い回るマリア派兵士を完全殲滅することはできなかった。
「いっそ街ごと綺麗に消し飛ばしてもらえないかな」
マリア派をヴォルクグラード人民学園の本校校舎周辺に追い込みはしたが、第三十二大隊とロイヤリストの両方がこの鼠の戦争に辟易し始めていた。建物の中で一部屋一部屋を奪い合う戦いは市街戦が持つ過酷さの極致にあるものだからだ。
「第五次本校突入班からの通信が途絶しました。全滅した模様です」
増員としてつい最近第三十二大隊に配属されたヴァルキリー、ソノカ・リントベルクが淡々とした口調で腕を組む少年と暇そうな金髪の少女に報告する。
「駄目だったか……」
眉間に皺を寄せる第三十二大隊とロイヤリスト双方の指揮官であるエーリヒ・シュヴァンクマイエルは窮鼠猫を噛むという諺を思い出さずにはいられなかった。今のマリア派はまさに追い込まれた鼠だった。実に五度、彼らは本校校舎への突入を阻止している。
「駄目みたいですね」
他人事のようにしてソノカは無線機から離れ、折り畳み椅子に腰を降ろしてデイリー・テレグラフ(注1)のクロスワードを解き始めた。目下彼女にとっての問題はヴォルクグラードの本校をどう陥落させるかではなく自分が英語の形容詞を彼女曰く『Fで始まるアレ』しか知らないことにあるようだった。
「こらソノカ。任務中だよ」
「あ、すみません。でも私には金曜の晩、ポケットに四十ポンドを入れていないような連中が任務を遂行できるとは思えないのです」
米国系ガーランド・ハイスクールの特殊部隊が用いるタイガーストライプパターンの迷彩を自分のマナ・ローブにしていたソノカは大して悪びれる様子もなく言う。
「それはどういう意味なんだ?」
「一日に八ポンドを稼げない男は信用するなと空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の教本に書いてありました。八十九ページのはみ出しの欄です」
正直ソノカが何を言っているのかエーリヒにはさっぱりわからなかったが、彼女をスカウトした本人のノエル・フォルテンマイヤーは実に満足げだった。
「ソノカはあの中にエレナがいると思う?」
ノエルは自動小銃のスリングをパラシュートコードに交換しながら話す。このコードは軽便だが極めて高い強度を持っていた。
「いるでしょうね。この国にはウォルマート(注2)のチェーン店がありませんし」
「ソノカ、いい加減にするんだ」
二人の少女の会話にエーリヒの表情が険しくなる。
「あっはい。すみません」
これ以上なく感情のこもっていない謝罪の言葉を発するソノカに背を向け、エーリヒはかつて彼女達がグリャーズヌイ特別区の旧人民生徒会派にそうしたように足首と手首を縛られ、芝生に腹ばいに転がされたマリア派のヴァルキリーがいる場所に歩いていく。
「ソノカー、おいでおいで」
銃をローレディと呼ばれる、安全管理のため銃を高い胸の位置で保持し銃口を下に向ける形で持ったソノカにノエルは声をかける。彼女はここに来てからずっと合同野戦指揮所の片隅でトカゲと談笑――正確には一方的に話しかけていただけだが――していた。
「なんです?」
「面白いのが始まるよ」
ノエルが指差した先でエーリヒが捕虜になったヴァルキリーに質問を始めていた。彼女はただのヴァルキリーではなくタスクフォースを任せられる指揮官クラスである。
「そろそろマリア・パステルナークがどこにいるかを教えてもらいたい」
「知らない。知っていたとしても話す気はない。拷問もしたければすればいい」
「君を拷問するつもりはない。だけど君の部下を拷問させてもらう」
両脇を第三十二大隊とロイヤリストの屈強な兵士に抱え上げられ、動けない指揮官の前に彼女の部下達が連行されてくる。
「おい……何を……」
指揮官の顔が軍人の表情から少女のそれへと戻り急激に青白くなっていく。
エーリヒは無表情を崩さず拘束されたヴァルキリーのズボンをナイフで裂く。すると太腿に皮が剥け、膿んで赤くなった傷口があるのがわかった。
「どうぞ」
絶妙なタイミングで一人の兵士が真っ赤に熱せられたスプーンをエーリヒに渡す。
何の躊躇もなくエーリヒはヴァルキリーの傷口を焼けたスプーンでなぞった。一気に少女の汗と血に濡れた純白の肌が紅潮し、金切り声にも似た悲鳴が喉から漏れ出す。皮膚の焼ける悪臭が周囲に立ち込め、それを嗅いだ別のヴァルキリーが激しく嘔吐した。
「やめろ! やめてくれ!」
指揮官の懇願を完全に無視して、エーリヒは腹を蹴り飛ばされた子犬のような声を出すヴァルキリーの傷口を焼けたスプーンでなぞり続ける。最初は十字、次に小さな丸といった具合に傷口をじっくりと焼いていく。強引に押し付けるとヴァルキリーは裏返った声を発して激しく飛び上がり、今度はロイヤリスト兵が二人掛かりで慌てて抑えた。
「やめろと言うからにはマリアの居場所を話す気になったのかな」
即答がなかったのでエーリヒは斧を手に取った。今から起きることを察したかのようにヴァルキリーを押さえつけていた兵士達が離れる。
「おい! やめろ! やめ……」
指揮官の制止も虚しく重い斧が振り下ろされて切断された少女の足首が宙を舞った。
「解放してやる。さっさと消えろ」
エーリヒに促されたヴァルキリーは喧しく泣き喚きながら立とうとするが叶わず倒れ込んでしまう。そして指揮官のところまで這い寄ると、目に涙と憎悪を浮かべて睨んだ。
「なん……」
言い終える前にヴァルキリーはエーリヒがホルスターから抜いた拳銃、M1917リボルバーで頭を吹き飛ばされた。砕けた頭蓋骨の破片と桃色の脳が飛び散る。
「君が答えてくれないと僕はより酷いことを君の部下にしなくてはならない。そして、それは僕のせいではなく君のせいだ。君が話してくれないからこうなる」
「鬼畜が……!」
指揮官は凄まじい眼光でエーリヒを睨みつけるが彼の無表情は変わらない。
「次だ」
新たにもう一人のヴァルキリーがエーリヒの前に運ばれてくる。顔全体がどす黒い赤に染まり、髪は焼けて縮れていた。頭の横には無残な切り傷が走り、そこから光沢のある肉が覗いている。マナ・ローブは惨めにも血と泥と糞にまみれていた。
一人が地面に突き倒されると、第三十二大隊の兵士とロイヤリスト兵は揃って自動小銃のストックで彼女を殴る。肉の砕ける鈍い音が響き、木製のストックが振り上げられるたびに裂けた皮膚との接触で付着した血液が飛散し地面を汚した。
「同志! 止めさせて下さい! 部下を見殺しにするんですか!?」
「私達を見捨てたクソ女の居場所なんて吐いてしまえばいいでしょう!」
「くそっ……ッ」
取り押さえられ、目の前で仲間を痛めつけられる別の部下からそう訴えられても、指揮官は頑なに口を割ろうとしなかった。
「まだ話したくないんだね。次」
エーリヒの命令で兵士達は地面に倒れた血まみれのヴァルキリーの手足を引っ張り地面に――今日だけで何百何千リットルという血を吸った――大の字にさせた。すぐに二名のロイヤリスト兵が彼女の肩と腹の上に座る。第三十二大隊の兵士は両足を押さえた。
エーリヒはマナ・ローブを捲ってヴァルキリーの腹部を露出させると、ナイフの切っ先をその肌に突き立てた。裂けた腹腔から瞬く間に内臓が溢れ出し、激痛によって白目を剥いたヴァルキリーの口端から桃色の泡が漏れる。
凄まじい悪臭が立ち込め、流石のノエルも「わあ」と声を上げた。一方のソノカは暇そうに死体の首で煙草を揉み消していた。
「こんなの嘘だ……現実じゃない……こんなの嘘だ……こんなの嘘だ……」
眼前の地獄絵図が脳の処理能力を超えてしまった指揮官は両肩を震わせながら、壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返し始めた。
「話す気になった?」
「あ……あ……」
指揮官がまだマリアの居場所を答えなかったので、エーリヒは殆ど虫の息になっているヴァルキリーの目蓋を親指と人差し指で押し開き、一気にナイフの先端を白い眼球に突き刺した。血と涙でぐっしょりと濡れた肉片が飛び散る。無表情を変えずにエーリヒは親指と人差し指、中指をヴァルキリーの眼窩に突っ込んで激しく損傷した眼球を抉り出す。
「ほら」
ぶちぶちと音を立てて視神経を引き千切られた眼球が、吐瀉物で口の周囲を汚した指揮官の頬に投げつけられた。彼女はもう、この十分間で完全におかしくなっていた。生気のない瞳を宙に泳がせ、だらしなく開かれた口から血液混じりの涎を垂らしている。
「ま、り、あ、の、い、ば、しょ、は?」
精神が崩壊した指揮官にもわかりやすいようエーリヒは言ってやる。
「マリア……ショー……イ・エア……ス……そこ……ぼうめ……」
旧名を庄内空港と言い今はアルカ各校が共同管理している空港の名前を聞き出したエーリヒは心神喪失状態となった指揮官にペンを渡す。
「これにサインを。貴方が無事であることと、それを貴方を大切に思っている人に伝えるためのサインが必要です。赤十字にも貴方が生きていることを証明できます」
今までとは打って変わって優しく礼節のこもった口調でエーリヒは言う。
「貴方のサインが書かれた書類が赤十字に届けば、私は貴方を殺すことはできません」
「あ……あ……」
言われるがまま力なく紙にペンを走らせた指揮官は弛緩した股間から生暖かい液体を垂れ流しつつ、不快感を露にしたロイヤリスト兵によって担架で運ばれていった。
「ねぇエリー、その紙なーに?」
地獄絵図を楽しんでいる様子さえあるノエルは目を輝かせてエーリヒに問う。
「僕が戦場で一切の残虐行為を行っていないという供述書だよ。万が一彼女が軍事法廷に訴えても、本人のサインがあるからどうしようもない」
淡々としたエーリヒの言葉に「随分と下衆なことをしますね」と鼻筋に傷のあるソノカは皮肉交じりにコメントするが、
「私は貴方のような『人間』が大好きですよ」
その口調は好意的で敬意すら込められていた。
「そ、そう……」
ソノカから含みのある笑みを送られて胃の痛みを覚えつつエーリヒはノエルの方を向く。
「僕はこれからマリアの問題を片付けてくる。残りは任せるよ。気を付けてね」
「大丈夫。私も化け物だから」
ノエルはウィンクし、手榴弾やポーチといった装備がきちんと固定されていることを確かめるため兎のように飛び跳ねた。上下運動するたびにマナ・ローブの上からでもわかる彼女の豊満な胸が揺れたので、エーリヒは半分咽たような咳払いの後、顔を真っ赤にして「こ、これを付けていきなさい」とチェストリグを渡す。
「これ付けると胸がきついんだよ」
「いいから付けるんだ」
「ぶー」
ノエルが渋々と南アフリカ共和国製のチェストリグを大きな胸の膨らみの上に付けている間にエーリヒはそそくさと立ち去ってしまった。
「エリーったら私のときはルーズなのに……嫉妬しちゃうなぁ」
ノエルは腰に手を当ててヴォルクグラード人民学園の校舎を見た。
「野砲の直接照準射撃を浴びせつつ、空と地上からヴォルクグラードの校舎に突入する」
ノエルの指示を受け、ラッチュ・バムと呼ばれるソ連製ZiS‐3野砲の砲列が一斉に火を噴いた。建物ごと全壊させかねない激しさの猛砲撃が校舎を襲う。
「総員に告ぐ! これより六回目のヴォルクグラード本校突入を開始する!」
砲撃が終わるとノエルはインカムを繋いだ無線機越しに部下達に呼び掛けた。第三十二大隊もロイヤリストも関係ない。彼女は双方を自分の大切な仲間達だと考えている。
「さあ皆殺しの雄叫びを上げ、戦いの犬を解いて放とう!」
声高々に叫んだノエルはソノカを伴って空からヴォルクグラード人民学園に迫る。その下を数両の戦車や自走砲と共に兵士達が疾走した。
まず第三十二大隊とロイヤリストは校舎正面に進撃した。校舎内に立てこもるマリア派はそれに対抗するべく陣地を出たが、校舎から離れて正面の部隊と交戦状態に入るや否や、別働隊が左右と後方から攻撃を仕掛けてきたことを知る。
「同志中尉! 左右と後方からも敵が……」
今や野戦司令部となった生徒会室の中で一人の兵士が部屋の奥に声を発する。
「最優先で正面の部隊を呼び戻せ。使えるものは全て使って側面と背後の敵を足止めしろ」
「了解……」
澱んだ目でマチェットを研ぎ続けるエレナからの無謀かつ理不尽な命令をまだ生き残り、既に退路を完全に断たれているマリア派の残存部隊は忠実に実行した。
側面と後方からヴォルクグラード人民学園本校に迫る第三十二大隊の兵士達を見つけたマリア派兵士は「死ね!」と叫んでフガス地雷の起爆スイッチを押す。斜めに掘られた穴の中で爆薬が炸裂し、上に乗った瓦礫が猛烈な勢いで彼らの敵を押し潰した。
地面は間断なく揺れ続けて呻き続けた。大地そのものが宣戦布告したのか、はたまた巨人が足を踏み鳴らして近付いてくるのか、とにかく凄まじいものだった。
「うわっ!」
仲間が対人地雷で吹き飛んだことが第三十二大隊の兵士達が持つ暴力衝動に火を着けた。
「畜生め!」
彼らの多くはプロトタイプ特有の戦闘衝動が人一倍強かったり、熱烈な愛国心故に戦場で残虐な行為を働いたが故に正規軍を放逐され非公式部隊送りになった兵士だった。
「殺せ!」
「イワンをぶち殺せ!」
マリア派兵士達は死に物狂いで戦い膨大な損害を第三十二大隊に与えたものの、銃剣を煌かせ、スコップを振り回して突き進む彼らの勢いを止めることはできなかった。辛うじて維持できていた戦線が崩壊した瞬間、マリア派は一気に校舎内部にまで追い詰められた。
「同志中尉、敵が戦線を突破しつつあります」
「すぐに叩き出せ。複数の突破口を校舎に作られたら阻止できなくなるぞ」
「お言葉ですが……既にやる気のある兵士はおりません」
そう報告する、たった今地獄の最前線から戻ってきたマリア派兵士の体は無残な切り傷と打ち身だらけだった。両手と膝と肘に白兵戦で負った深い裂傷があり、股と腋の下にはべとつく汗臭い大きな染みがある。
彼の言う通り生き残ったマリア派の中でまだ戦おうとしているのは全体の一割にも満たず一部の狂信的なマリア信者――エレナのような――がサカタグラードの各地で分断されながらも絶望的な抗戦を続けているに過ぎなかった。
生徒会室の中には壁際に座って両手で顔を覆っている者、夢遊病患者のように天井に定まらない視線を向けている者、黄疸になって後方送りになろうとニペアクリームの容器に指を突っ込んでひたすら食べるという無駄な努力を続けている者がいた。
「そうか。では死ね」
マチェットで自分に弱音を吐いた兵士の首を跳ね飛ばすと、エレナは正面ホールを見下ろすバルコニーへと向かった。
エレナが切断された人体の一部や肉片でいっぱいになったバケツを抱え、死んだ魚宜しく光を失った目をした女子の衛生兵とすれ違って扉を開けた途端、コルダイト火薬と死肉の焼ける悪臭が鼻をつき、黒い煙が視界を遮った。塵埃、硝煙、粉々になった壁材が空気中に漂っているせいで今にも窒息してしまいそうだった。
外に繋がっているホールの入り口には黒板や机のバリケードが築かれ、兵士達がそれを盾にして必死で撃ちまくっていた。彼らの足下には空薬莢や撃ち過ぎて使い物にならなくなった銃の他に血まみれの人体の一部が散乱している。
「我々は戦い続けなればならない! ヴォルクグラードのために死ね!」
校内放送のスピーカーは事前に録音されていたマリアの演説を繰り返し流している。
「我が学園に夜明けが訪れ、全ての敵が倒されるまで戦い続けよ! それこそが、我ら狼に課せられた誇り高き試練なのだ! 我らが鋼鉄の意志によって遂行している大祖国戦争を勝利の女神が見捨てるはずがない! 仲間達が死んでいるのは我々の甘えを目覚めさせるためだ! 戦え! ヴォルクグラードを守るか! それとも死ぬかだ!」
だが英雄の演説に耳を傾ける者は誰一人としてこの場所にはいなかった。
「ゲルマンスキーめ!」
木の棒にスープ缶を刺したような手榴弾をマリア派兵士達は投擲するが、信じられないことに目の前で仲間が爆死しても敵は構わず突き進んできた。ワイヤーが取り付けられたトラップに引っ掛かり、頭上から降り注いできた迫撃砲弾ですぐ隣にいた仲間が吹き飛ばされようがお構いなしだった。まるで死兵だった。
「畜生! 戦車が来た! バズーカを持って来い!」
直後、正面ゲートから長い炎が噴き出した。腹にこたえる破裂音が響き、バルコニーから叩き落されたエレナの顔に熱い爆風が押し寄せる。
ぼやける視界の中で戦車の前方車載機銃が壁材を削り取り、血と臓物の混合物を腹から垂れ流して瓦礫の上を這い回るマリア派兵士達を撃ち殺した。
「突入しろ!」
ロイヤリスト兵が銃を構えながら進むと、エレナの右手が突然横から伸びて銃身を掴み、熱した飴細工のように曲げる。直後、エレナがマチェットを振るって兵士の首を刎ねた。
「ゴキブリ共が……!」
エレナは別の兵士の銃撃を至近距離で避け、ローブの燕尾を広げて回り込み脇腹にマチェットを突き立てる。きつく歯を食い縛り、彼女は鮮血が噴き出す傷口に突き立った刃を今度は押した。皮膚の裂け目から溢れ出す血肉。瞬く間に足下の瓦礫が赤一色に染まった。兵士は絶命したがマチェットが脂肪と肉に引っ掛かってしまい、強引に引き抜くと裂けた皮膚の間から鮮血と黄褐色の糞便が勢い良く噴き出して薄桃色の腸が地面に広がった。
「同志中尉! 危ない!」
マリア派兵士の叫びと共にまたエレナは戦車の砲撃で吹き飛ばされた。
マリ・ネレトヴァの国籍マークが土嚢の積まれた砲塔に描かれ、その上に米国製のM2重機関銃を装備した第三十二大隊のT‐34/85中戦車が正面ゲートから校内に侵入してきた。主砲の先から眩しい焔が噴き出し、一気に数名のマリア派兵士が湿った肉塊へと変えられる。所々に赤錆びの付いた戦車のキャタピラが、前方車載機銃で撃たれ、不幸にも絶命できなかったマリア派兵士達を呑み込んでいく。圧迫された枯木の折れるような音にも似た骨の粉砕音が戦慄の調律をホールに響かせる。
セメントの雨を浴びたエレナの口内は土埃と火薬の味しかしなかった。耳鳴りが聴覚を覆い潰している。彼女のすぐ横では両手で裂けた腹から飛び出して戻らなくなった内臓を抱え、虚ろな目を天井に向けている味方のヴァルキリーがいた。
「ああ……」
エレナは半開きになった唇から涎を垂れ流し、焦点の定まらない瞳で足下を見回した。
「あああ……」
そして冷や汗でべとべとに濡れた手を瓦礫の上に転がる棒状のものに伸ばす。手足に刺さった破片で焼けるように痛む体を起こし、血に汚れて眼前に転がっていたパンツァーファウスト――ドイツ製の携帯式対戦車無反動砲――を持ち上げる。
荒い吐息を立てるエレナはその照準機を起こしてその発射筒を脇腹に抱えた。
続いてぼやける視界の中で照準機を迫り来る戦車に合わせる。
「パンにはパンを。血には――」
歯を食い縛り、渾身の力を振り絞り、人差し指から小指まで全て使ってエレナはその発射筒上面にあるスイッチを押し込んだ。
「血を!」
白煙と共に弾頭が撃ち出され、すぐに彼女の視界は白一色に染まった。
注1 英国の新聞。
注2 米国のスーパーマーケットチェーン。