MOONLIGHT 2
七時間十二分後。
二十二時を回ったアルカ北西部のツルオカスタンは夜の静寂に包まれていた。
「あと何日……あと何か月、見ないで済むのか……」
その一角――カモ自治区内のキブツにある学生寮の一室でレアは寝返りを打つ。
そして黒いタンクトップと白いパンツだけを纏い、窓外から差し込む月明かりに照らされた彼女が天井を見上げたとき、静かな音を立てて部屋のドアが開いた。
「失礼します」
縞々のパジャマを身に纏い、白い鳥のぬいぐるみを抱いた少女がレアの隣に横たわる。
「サブ……S中佐、何してるのよ」
レアの問いに答えることなくシャローム学園最強のヴァルキリー、サブラ・グリンゴールド……と姉妹同然の付き合いがあるルームメイトは話し始めた。
「今までは社会的暴力の中でも最悪の類に位置する戦場という領域においてさえ、プロとして戦うリスクを自ら選んだ人々と戦場の外にいる人々は明確に区別されていました」
「人の話を」
「戦争も同様です。かつての戦争では確立された国家の軍隊同士が戦略上の明確な目的をもって交戦していましたが、現在においては必ずしもそうではありません」
「だから」
「そのような曖昧な線引きが成されている環境の中にあっては、プロトタイプやヴァルキリーという強化された存在であっても大きな精神的負担を強いられます。そして心に痛手を受けるような体験をした際、それを誰にも話さないでいるとより深く傷付きます」
「ねぇ」
「人に話すことは自分の体験を客観的に眺めるのに役立ちます。しかし内に秘めたままにしておくと生きながらにして内側から食い荒らされてしまう。だからこそ心の腫物を切除することで訪れるカタルシスには大きな治療効果があるのです」
「つまり?」
「レアさんが何かに悩んでいるように見える……とサブラ中佐から連絡がありました」
サブラ・グリンゴールドと声も姿も瓜二つ、腹筋の割れ方さえも同じであたかも本人のようにさえ見えるヴァルキリーはそう言う。
「そこで私はレアさんからお話を聞いて、その心理的負担を軽減しようと考えたのです。よく言うでしょう――『丸い穴に四角い杭を打ち込もうとするのは時間と才能の無駄遣いだ』と。一九四三年のマリア・パステルナークのように自分勝手すぎるのも考え物ですが、だからといって四角い自分を無理に丸い世界に合わせようとすれば一九四九年のクリスティーナ・ラスコワと同じ道を辿ります。というわけで私に悩みをお聞かせください」
「悩み潰れるぐらいなら今頃ジョブニク(注2)になってるわよ。でもありがとう。じゃあ聞いてもらえる?」
「はい」
S中佐から了承を受けたレアは一呼吸置いて言い始める。
「私が知ってる『その子』はね、とっても強いの。多分、今のアルカで彼女以上に強いヴァルキリーなんていないと思う」
レアは三週間前、キブツに攻撃を仕掛けてきたDRFLAのヴァルキリー達を容易く一掃した『その子』の鮮やかな戦い振りを思い浮かべる。
「どうして『その子』が強いのか……私はそれを知ってる。彼女はね、今日まで何百回何千回と死んでいるのよ。テウルギストを再び作り出すことは叶わない。仮にマリア・パステルナークのような個体が現れても、権力に溺れ独裁者になる可能性がある。だからイスラエルはこう考えた――最強のヴァルキリーを作るのではなく、最終的に最強となるヴァルキリーを作り出す――と」
次にレアの脳裏に過ぎったのはアルカの地下深くに鎮座する三体のモノリスだった。
「記憶のバックアップ機能を持ったヴァルキリーが何度も死んだ。その度に彼女は経験を積み、肉体を消耗品として強くなっていった。彼女が『死んでいく中で全てを諦めて自分を歯車と思うようになった』のか、最初から『自分は歯車だ』としか思っていなかったのかはわからない。だけど私はね、『その子』が何百回何千回と死ぬところをこの目で見てきた。だって私の任務は『その子』のマナ・クリスタルを持ち帰るか、それが不可能なら破壊するのが任務だったんだもの……瀕死になった『その子』からクリスタルを外し、銃で頭を撃ち抜き、喉を切り裂いた。私の心の重荷だった」
手に残る、裂ける肌や切れる肉の感触。
頬に飛び散った血の温かさ。
死が目前に迫っているにも関わらず、何の感情も有してはいない瞳。
「何もかも他人事なのは、自分が死んだらどうなっているかわかっているから」
レアは小指を折る。
「自分の命にさえ興味がないのは、死が終わりではないと思っているから」
レアは薬指を折る。
「私はユダヤ人の憎悪や希望を自分の意思とは無関係に全て背負いこんで、歯車という形でしか生きられなくなった彼女の幸せがどこにあるのかってよく思うの」
ヴァルキリー特有の指の折り方を見せたレアの声と拳が震え始める。
「確かに彼女はイスラエルという道徳的にも社会的にも正当化されたユダヤ人国家のために戦い続けている。でも、もし戦う必要がなくなったとき、アンタはどうするのって」
苦しく、何とか捻り出しているような声をレアは発し続ける。
「空虚な歯車として傷つき、戦い続ける。でも必要とされなくなったその時、誰も傍にいてくれない。それってどうしようもなく悲しいんじゃないかって。だから私は――」
目尻に涙を溜めたレアが居ても立っても居られなくなって振り向くと、
「アイスクリーム……もう食べられません……」
夢の中にいるサブラは幸せそうな寝言を漏らしていた。
「全く……自分から聞いておきながら……」
苦笑しつつも、レアは安堵の表情を浮かべてタオルケットをそっとS中佐の肩にかける。
一九五〇年八月四日の朝、サブラが自分にそうしてくれたのと同じく。
注2 兵役期間中ずっと事務仕事をしている兵士を意味する。
終劇