MOONLIGHT 1
一九五〇年八月三十一日。
イスラエル――正確にはアルカにおける同国の代理勢力シャローム学園――と、世界を事実上支配しつつも今やその自信と権威を失いつつある巨大多国籍企業グレン&グレンダ社はこの日、公式に停戦を発効し何ら生産性のない小規模武力衝突に終止符を打った。
「人間は何故暴力に対処できないのか?」
後にクリスティーナ・ラスコワがスレッジハンマーブックスから出版した著書の中で八月戦争と名付けることになる小競り合いの勝者となったシャローム学園の兵士がBFに停まっているマガフ戦車(注1)の砲塔上から拡声器越しに叫ぶ。
「それは暴力に真正面から向き合うのを避けているからだ!」
シナイグレーに塗られた戦車の前では捕虜となったDRFLAの兵士達が列を作り進んでいる。そんな彼らを羊宜しく追い立てるシャローム兵達の姿はさながら勢子であった。
「暴力を非難するばかりで、真正面から見据えて理解し制御しようとしない!」
ヘブライ語で叫び続けるシャローム兵の視線の先には自分達は常に優勢な敵に囲まれているというマサダ・コンプレックスを抱えたアルカ有数の精鋭に撃破されたT‐34/85中戦車やSU‐100自走砲が大量に遺棄されている。その光景は停戦という形で終結したこの戦争の勝者が誰なのかを如実に表していた。
「しかし停戦とは煮え切らない終わり方ね」
「レアさん、これは始まりの終わりに過ぎません」
「なるほど」
主砲を強力なものに換装したM4シャーマン中戦車の車上に腰を下ろしているシャローム学園のヴァルキリー、レア・アンシェルは切れ長の目を細めて納得の声を上げた。
「イスラエルはグレン&グレンダ社から侮られず、それでいて彼らが窮鼠と化さない程度の脅威として存在しつつも当面は共存していかなくてはなりません」
そして彼女のすぐ隣に立つ、同じくシャローム学園に身を置くヴァルキリーであるサブラ・グリンゴールドはいつも通りの涼しい顔で鹵獲したソ連製AK47自動小銃のチャージングハンドルを引き、よく手入れされたその内部を覗き込んでいる。
「差し当たり我々は敵の侵攻意図と破壊能力の粉砕に成功しその脅威を無力化しました」
「少しやりすぎって気もするけど」
二人の眼前には鉈で体と切り離され、砂や泥、血に塗れたヴァルキリーの頭部が山積みにされている。揃って目を瞑った生首が積み上げられた地獄のような光景は、まるでタタール人の首長ティムールが虐殺した数千人のペルシャ兵の首を模った高く聳える死のオベリスク――悪名高い頭蓋骨のピラミッドを作った故事を思わせた。
「うーん、やっぱりスッキリしないわね。グレン&グレンダ社の連中、間違いなく後からまたちょっかい出してくるわよ。今のうちに叩けるだけ叩いた方が良いんじゃないの?」
「焦る必要はありません。今の我々は戦争しか選択肢がない状態から、特定の理由によって選択された戦争を行える状態に移行しつつあります。何も我々まで五十年で世界を支配してしまい、その対価を現在進行形で支払っているグレン&グレンダ社と同じ轍を踏むことはありません。時間をかけてゆっくりと彼らを我が国の影響下に置けば良いのです」
「だとしても、その時間の間にアンタは……」
サブラはレアが今にも泣き出しそうな様子で地面を見つめていることに気付いた。
「ん? どうしました?」
「あ、あれ? 私なんか変なこと言った?」
「はい?」
「ううん、何でもないわ。何でも!」
「あの、レアさん」
「何でもない、何でもないったら!」
「あの」
サブラと噛み合わないやりとりを交わしたレアは赤面してM4シャーマン中戦車から降り、慌てて立ち去ろうとするが弾薬が詰まった木箱に引っ掛かって盛大に転んでしまう。
「これは……」
それを見たサブラは狐につままれたような表情になり、
「これは問題ですね」
とりあえず素早い動作で眼鏡を直した。
注1 米国製M48戦車のシャローム学園における呼称。