第三章2
サカタグラードの郊外にあるヴォルクグラード学園軍の前線基地は四方を強化コンクリートの壁で覆われ、四面楚歌のマリア派にとって数少ない安心できる場所だった。
「増援は来ないのか!?」
「どのタスクフォースとも連絡が取れない。だが和州学園の通信を傍受してみたところ、どうやら我が軍のタスクフォースとBFで交戦中らしい」
「そんな……本校は見捨てられたというのか?」
マリア派兵士達が今なお事態を飲み込めていない一方、彼らの最高指揮官であるはずのマリア・パステルナークは基地の一角にある電話ボックスの中にいた。
「はい。ではショー&ナイ・エアベースですね。わかりました」
受話器を置くなりマリアはクククと笑って肩を揺らし始める。
「やったァ!」
自分だけはこの地獄から脱出してのうのうと生きていける手筈が整ったからだ。
迎えはトランシルヴァニア学園から来る――マリアは意気揚々と一人勝ちへの茶番劇を始めるためヘリの発着場に急いだ。
「同志大佐、特別機の準備は完了しております」
「うむ」
発着場には一機のヘリがメインローターを回転させて待機していた。
「いつでも出発できます」
エレナが敬礼してマリアに報告する。マリアにとってエレナは優秀なイエスマンで自分の意志では何もできない女だが、とりあえず最後の仕事は首尾良くやり遂げたようだ。
「さあ、ユーリ君……」
木箱に腰掛けていたユーリをエレナが立たせる。
「大丈夫です」
そっとエレナの手を退けてユーリは自分の足で立ち上がり、姉へと歩み寄った。
「ユーリ、お前が脱出する特別機は私達が命に代えても守ってみせる」
悲壮感を込めた言葉を発する姉に対し弟は首を横に振る。
「僕は逃げない。僕も戦う」
「おいおい、何を……」
マリアの顔に明らかな困惑が浮かんだ。
「この間誘拐されて、姉さん達に助けてもらって、僕なりに考えたんだ。僕は今までずっと守られてきた。それでいいと思ってた。だけどそれは間違いだって気付いたんだ。僕も行動しなきゃいけない。戦いたいんだ。大切なものを守るために。大切なものを守ることを生き甲斐にしている姉さんのような軍人になりたいんだ」
「それは違うぞ」
琥珀色の瞳から伸びるマリアの鋭い視線がユーリに突き刺さる。
「軍人の生き甲斐は大切なものを守るために戦うことじゃない。軍人は単に戦いたい衝動を満たしたいから戦うんだ。少なくともこのアルカという場所で戦う軍人はな」
同じ遺伝子配列を持った弟に姉は包み隠さず真実をぶちまけた。
「ユーリ、お前が尊敬しているマリア・パステルナークという人間は、お前が思っているより遙かに下劣で悪辣な人間だ。人を殺し、利用し、食い潰して利益を得る最低の人間だ。教えてくれユーリ……お前はそんな人間になりたいのか?」
ユーリは言葉に詰まって黙り込んでしまう。
「それ見たことか。何かを守りたいと口で言う奴なんて結局はその程度のものだ。そういう奴らが守りたいものは守りたいものを守っているつもりの自分自身でしかない。ナルシスティックな自己愛に酔い、幼稚な自分可愛さでやっているだけだ」
反論できない弟に向けられた姉の口調はどんどん強くなっていく。
「お前が守りたいものはなんだか当ててやる。世界の大半は学校で、平均レベルの外見と大した特徴もないのにクラスの女子という女子から好かれる世界を守りたいと考えている。誰もお前を嫌わず、危害を加えない世界だ。周囲はみんなイエスマンで、困ったら私達のような強い女の子が助けてくれる。それも無償で」
「違うよ。僕はそんなこと思っていない」
「いいや思っている。パンを前から食べるか後ろから食べるかを延々と話し続けるクソのような毎日。お前にとって都合の悪い人間が一人もいない学校生活。自分の力で手に入れたわけでもないくせに、それを『守りたい』か。随分と笑えるジョークだな。今まで一度たりとも『自らの意思』で行動せず、自分の力で戦ったことのないお前が」
一通りマリアが言い終えたとき、ユーリはただ震えて唇を噛み締めていた。
ああ、終わってしまった――。
マリアの心の中に諦観めいた感情が生まれる。誰も止めてくれないまま、とうとう行き着くところまで来てしまったのだ。誰一人止めてくれなかった。
「ユーリ、さっさとヘリに乗れ。急に用事を思い出した。私は一緒に行けない」
「大佐……」
エレナの困惑の声を受け流し、マリアは震えるユーリの肩を掴んでヘリに乗せた。
もう何度目かもわからない言葉がマリアの脳内に響く。
何故こうなってしまったんだろう……。