プロローグ
夏の朝。
晴れ渡り、澄み切った空の下に広がる地面のあちこちから蒸気のようなものが噴き出していた。
武装した兵士達によってロシア語で『水色』を意味するガルボーイという名の少女――整った目鼻立ち、フリルで縁取られた襟や袖から華奢な手足を覗かせている――は、軍用車両の後部座席へと投げ込まれた。
折れた鼻から流れる血で顔の下半分を赤黒く汚したガルボーイは黒い安物のビニールシートの上で身を起こし、「私が一体何をしたっていうんだ!?」と車外の兵士達に訴える。だが返答はなく、ただ自動小銃の木製ストックが顔面にめり込んだだけだった。
「ヴァルハラ行きの最終便だ。楽しめ」
サーマルゴーグルやナイトビジョン用のマウントベースが付いたヘルメットの下にある顔を漆黒のバラクラバ(目出し帽)で覆い、オリーブドラブの戦闘服の上に防弾ベストやプロテクターを装備した兵士が車体を何度も叩くと、砂埃を上げて軍用車両は走り出した。
「前世紀の終わり……巨大隕石の落下とそれをきっかけにして巻き起こった世界規模の戦争が人類に未曾有の被害をもたらしました。これが、世に言う『アポカリプス・ナウ』です」
車に備え付けられた安物のラジオから、雑音混じりの声が漏れる。
「う……」
鼻をグシャグシャに打ち砕かれて口でしか息が出来なくなったガルボーイは痛む体を起こし、水色の髪を揺らして外の光景を覗く。
地獄絵図が広がっていた。
殴られ続けたせいで顔面が変形したセーラー服姿の少女達が壁の前に立たされ、兵士達の持つAK47……今やソ連の『鎌と槌』よりも強力に世界の人々の脳裏に刻まれた、弧を描くマガジンの自動小銃の銃口を向けられていた。
八つしか取り外し可能な部分がなく、二時間の基礎的な訓練を受けただけで毎分六百発の銃弾を放つことができる『世界最小の大量破壊兵器』が火を噴く。
血と湿った肉の破片で背中側の壁を汚し、少女達は糸を切られた人形にように力無く倒れた。
「世界の混乱はグレン&グレンダ社によって収められました。そして同社は今後一切、人々が争わずに済む世界を作ろうと考えました。それが『プロトタイプ』を教育し、世界各国の代理勢力である『学園』に所属させ、ここ『アルカ』という永久戦争地帯でそれぞれの母国の代わりに戦わせるシステムなのです」
外で虫の息になった少女達の頭に拳銃弾を撃ち込む兵士も、車を運転する兵士も、今軍用車両の後部座席で口内に広がる鉄の味に苦しむガルボーイも、全員が母親の子宮から生まれた『人間』ではない。ラジオが言ったように国家間の代理戦争に用いられる『学園』という擬似国家の国民、『プロトタイプ』だ。
ガルボーイを乗せた軍用車両はまた、新たな地獄とすれ違う。
「とっとと降りろ!」
トラックの荷台から、煤と凝固した血で顔を汚した少女が尻を兵士に蹴飛ばされ、地面へと叩き落される。
少女が地面に転がった眼鏡を取って掛け直すなり、その小さな背中に自動小銃の木製ストックが何度も突き入れられた。逃げ場の無い衝撃が眼鏡の少女の脊髄や内臓を痛めつける。
「なんでそんなこと……そんなことをするの……」
二房の三つ編みを揺らしながら、自分の嘔吐物で顔を汚した少女は掠れた声を出し、「やめて……やめて……」と恐怖に引き攣った顔で訴える。
兵士達は何の反応も見せない。やがて双眼鏡に似たサーマルゴーグルをヘルメットのマウントベースに付けた兵士が前に進み出て、自動小銃を肩に掛けて腰の鞘からナイフを抜いた。
「――ッ」
これから何が起きるかを悟った眼鏡の少女は金切り声を上げるが、他の兵士達に両肩を掴まれて動くことができない。そして、剃刀のように研ぎ澄まされたナイフの刀身で震える少女の鼻が削ぎ落とされた。肉を切り終えた刃が空を縦に薙ぐと、勢いでその先端から血の滴が飛ぶ。
両肩を放された眼鏡の少女は地面に倒れ込み、屠殺される豚のような悲鳴を上げた。鼻の断面を押さえて左右にのた打ち回る。物凄い勢いで流れ出る血液が頬や地面を急速に汚していった。
眼鏡の少女の鼻を削ぎ落とした兵士はナイフを鞘に戻すと、針を突き刺された芋虫のようにくねる少女の背中を軍用ブーツで踏みつけ、後頭部にAK47――正確には、ユーゴスラビア製のAK47であるツァスタバM47をイラクの銃器メーカーがOEM生産したタブク自動小銃――の銃口を突き刺すほど強く押し付けた。
兵士は何の躊躇も無くトリガーを引く。
思い切り木の棒で殴られたスイカよろしく眼鏡の少女の頭が四散し、頭蓋骨の破片や脳漿、目玉の混合物が兵士達の戦闘服に付着した。
「民族対立、資源の利権……国同士の間で起きた問題は全てアルカにおける学園同士の戦いで処理されています。今や国同士のいざこざは過去のものとなり、ここアルカでの代理戦争こそが世界平和を維持する唯一にして最良の方法だと認知されています」
ラジオを聞きながら窓外の光景に恐怖し、スパッツに染みを作るガルボーイを乗せた軍用車両は校門を通過、学園のグラウンドに設営された急造の処刑場に入る。
グラウンドには観客席が設営され、そこには幼さを残しながらも即時に純粋な殺人マシーンへと変貌できる学生達がジャンクフードや炭酸飲料片手に腰掛けていた。
放送委員会のカメラは処刑場の中央をレンズの中心に捉え、悪趣味かつ残酷なショーの開演を今か今かと心待ちにしている。
「学園同士の代理戦争を行って国家間の問題を解決する場所としてだけではなく、アルカは軍事ケインズ主義の観点からも、隕石の落下によって大きく傷ついた世界の経済再生に貢献しています。アルカで用いられる兵器や民生品の発注は本国の企業への投資や労働者の雇用を生み、市民の購買力を増大させて消費を促します。そして軍需産業で開発された新技術は民生品へと生かされ、技術力や工業力を底上げするのです」
ラジオがそう言い終えるなり、軍用車両は停車してガルボーイは兵士達に車内から引きずり出された。
ガルボーイの視界の隅におぞましいものが映る。ショーの前座として残酷に殺された『仲間』達が黒焦げになった地面の上で体を炭化させていたのだ。髪の毛や眉毛は消失して悪臭を漂わせる煙を立ち昇らせ、焼け落ちた衣服の間から肌の切れ目がぞっとするような桃色を覗かせていた。唇は無くなり、自殺を試みて自分で中途半端に噛み切った舌がその口から伸びている。
ガルボーイはグラウンドの中央で無理矢理座らせられ、左右から兵士達に銃口を向けられた。
視界の隅に、ゆっくりと流れる砂の中歩いてくるスーツ姿の男が映る。
「君が水色のクローンヴァルキリー、ガルボーイか」
ボーイッシュな少女然とした隻眼の青年がガルボーイの前で歩みを止めた。
青年はリボルバー式拳銃のシリンダーに一発だけ弾丸を入れると勢い良く回転させる。
「昔はみんな信念を持っていた。守りたいものや戦う理由があった。だがお前はどうなんだ!?」
眼前に突きつけられた大きく黒々とした銃口を前にして、ガルボーイは鉄臭い唾を撒き散らして青年に問いかけた。
「守りたいものや、戦う理由が……」
言い終える前に拳銃のグリップ部がガルボーイのこめかみを殴打して皮膚を切った。血飛沫がグラウンドの乾いた砂を湿らせて黒々とした点を浮かばせる。
「組織暴力の専門家で構成された軍人という職業は独特だ。他と比べるべきものがないからね」
隻眼の青年は無表情でガルボーイの襟を掴み、お互いの息がかかる距離で言う。
「倫理規定に縛られた専門職として社会的必要を満たす軍人の仕事は、商業的業務の比較対象が存在しないという点で他の専門職とかけ離れている」
水色の可愛らしい服を着たガルボーイの襟を締め上げながら、隻眼の青年は続ける。
「世界はアルカの恩恵を受けつつ、その現実からは目を背ける。そこに僕達PMCが埋めるべき市場がある」
「いくら着飾ったところでお前達は『戦争の犬』だ! 守るべき国も守るべき人間もいない! ただ戦術的勝利を利益として追いかける『犬』だ!」
「そうだよ。だけど、それは悪いことなのかい? 人殺しの能力を専門的なスキルとして利益を得るということが、そんなに悪いことなのかい?」
「……ッ!」
ガルボーイは目の前にいる隻眼の青年の倫理観が著しく破綻していることを再確認させられた。
「僕達は『戦争の犬』じゃない。ビジネスマンだ。どこの会社とも変わりはない。普段はピン・ストライプのワイシャツに眼鏡をかけて仕事をする」
金属音を立てて、リボルバーの撃鉄が青年の女性的な指に引き起こされる。
銃声と血塗れの肉が砕け散る音がグラウンドに木霊した。