第三章7
一九四九年五月十四日。
「シドン・ツーフィンガー作戦を開始せよ」
シャローム学園校舎地下でモノリス01が命令すると同時に、奇しくもイスラエルが建国されてからちょうど一年後のこの日、タスクフォース・ハヘブレによるグリャーズヌイ特別区への攻撃が始まった。
相変わらずガーランド・ハイスクールから強奪されたままの状態にあるスカイレーダーが特別区の各地へ爆撃を行い、十三日の夜にヴォルクグラード軍の基地から移送されたカチューシャロケットが悲鳴じみた音を立てて土の壁の向こう側に火と鉄を叩き付けた。
「ハドリアヌス帝もこんな風にしてバル・コクバの乱を見たのでしょうか?」
マガフ戦車(注1)の上から双眼鏡を覗き込みつつ、タスクフォース・ハヘブレの戦車兵が砲塔によじ登った同隊所属の歩兵部隊中尉に話しかけた。バル・コクバの乱とは、一三二年にハドリアヌス帝によって出された事実上のユダヤ教解散命令に反発したユダヤ人達が起こした絶望的な反乱だ。三年後にこの反乱は鎮圧され、ユダヤ人達の長く厳しい流浪の旅が始まったのである。
「さあな。だが今は感謝しよう。今回は俺達がハドリアヌス帝の立場で、あの中にいるのがバル・コクバという幸運に」
中尉が痰を地面に吐き捨ててシナイグレーの車体から降りると、マガフ戦車とM3ハーフトラックで構成された機甲部隊はグリャーズヌイ特別区へ前進し始める。
ありとあらゆる弾種を総ざらいした凄まじき死の弾雨――シャローム学園軍の砲撃による炸裂音は今や最高潮に達し、耳を聾する激しさで猛り狂っていた。
「アタシらに喧嘩を売る奴は全て灰にしてあげる!」
やがて短くも激しい準備砲撃が終わると、グリャーズヌイ特別区のあちこちから青い粒子の光跡が反撃のため空へと舞い上がった。
直後、空中で編隊を組んだタスクフォース599のヴァルキリー達は左斜め上方から大量に降り注いだ七・六二ミリ弾で次々に頭や手足を吹き飛ばされて墜落する。
「私に続いてください」
部下のヴァルキリー三人分の「了解!」という声を耳にしたサブラは下方からの攻撃を巧みに回避しつつ急降下した。
オリーブドラブの軍服に包まれたすらりと伸びる両足を伸ばし、銃を構えながらプールの水面に飛び込むように高度を下げていく四人のヴァルキリーに撃たれ、射線上にいたタスクフォース599のヴァルキリーは次々に撃たれた傷口から脂肪と鮮血を撒き散らし、損壊した眼球を頬に垂らして絶命に追い込まれていく。
「散開!」
上下から突進したヴァルキリー同士が高速ですれ違う。
「各ヴァルキリー、自由戦闘を許可します」
またも三人分の「了解!」がサブラに返され、散開したシャローム学園のヴァルキリー達は各々の判断で敵と戦い始める。
サブラは反転して上昇し、先程交錯し、同じように反転して降下してくるタスクフォース599のヴァルキリーと正対した。
飛行ユニットから伸びる両翼に赤い星を描いたヴァルキリーは下から突き上げてくるサブラの銃撃を左手に持ったライオットシールド(注2)で防ぎ、穴だらけになって使い物にならなくなったそれを放り投げると同時に真下へと右手を突き出して携えたAK47自動小銃を発砲する。サブラは左右に回避運動を行いながら弾雨の中を突き進み、一連射でヴァルキリーの左膝から下を断裂させた。お互いの高度が同じになるとヴァルキリーは潔くAK47自動小銃を投げ捨てて武器を鉈に変え、零距離射撃を行おうとしたサブラのガリル自動小銃を真っ二つに切って落とす。
「――できる」
サブラは使い物にならなくなった得物を投げ捨ててヴァルキリーの背後に回り込もうとするが、相手は自分の正面をサブラに向けたまま旋回、逆に鉈を振り上げた。サブラがマナ・フィールドを展開して刃を防ぐと同時に激しい閃光と火花がヴァルキリーの視界を覆い尽くす。ヴァルキリーの視界が白一色から回復しない隙にサブラは二挺目のガリルを右翼のウェポンラックから切り離し、大きく息を吸い込んでから発砲する。銃弾はヴァルキリーの皮脂を貫いて引き裂き、首から上を胴体から切り離した。
ヴァルキリー同士が空で死闘を繰り広げるその下では、爆薬でアムニション・ヒルに亀裂を作ったシャローム学園軍の戦闘工兵達がその突破口にドイツ製の大型ポンプに繋いだ放水器の先を向けつつあった。
ハンダサー・クラビットとヘブライ語で呼ばれる勇猛な戦場エンジニア集団は裂け目に向け猛烈な放水を開始する。加速度的に亀裂は広がり、やがて今まで何人たりとも打ち破ることのできなかった堅固な土の壁には無残な大穴が開いた。
「空は我が社にお任せあれ!」
「すまない! 恩に着る!」
キャロラインに指揮されたダークホーム社のヴァルキリーに上空支援を受ける戦闘工兵の別働隊が木材、石材、土嚢、鉄板、レール、金網で地面を固め、暫定的だが確固たる突破口をグリャーヌズイ特別区にこじ開けていく。
散発的に反撃してきた雑多な地上部隊や、血の匂いを嗅ぎ付けてピラニアのように襲い掛かってきたタスクフォース599のヴァルキリーは次々に撃破された。これはバタフライ・キャットの『計画的な』判断ミスによるものだった。
「我々は勝利する! アルカは全てイスラエルの物だ! 何もかもイスラエルの物だ!」
グリャーヌズイ特別区の内部へと侵入したシャローム兵達は片っ端から薄汚い集落に火を放ち、プロトタイプやヴァルキリーに限らず犬を初めとした動物に至るまでその殺戮範囲を広げた。手足の欠けた元兵士の物乞いは銃のストックで頭を潰され、誰が産んだのか想像もしたくない赤ん坊は前進するマガフ戦車のキャタピラの前に放り投げられた。
「まるでジャーヒリーヤの世界ね」
滞空しながら眼下の地獄絵図を見やるキャロラインはそう呟く。彼女が忌々しげに口にしたジャーヒリーヤとはイスラム教において、預言者ムハンマドによって唯一の神アッラーによる光明がもたらされる以前の混沌と殺戮に満ちた悪夢の時代を指していた。
「しかし我々はイスラム教徒ではなくユダヤ教徒です」
いつの間にかキャロラインの隣まで飛んできたサブラがチェストリグから新しいマガジンを抜き、ガリル自動小銃に差し込んでいた。
「そしてこの地獄も、我々イスラエルの断固たる姿勢を示すためには必要なことです」
七分十二秒後、シャローム兵達は右足、左足を膝上まで達した汚水の中から交互に抜いてはまた突っ込んでいた。ダイヤモンドの横流しと引き換えにスルプスカ校舎から快く無償で譲渡された装具は今や悪臭を放つ湿りで色を変え、軍用ブーツには明らかに有害な水が一杯に溜まっている。
予想外のやり方でアムニション・ヒルを突破されたタスクフォース599はグリャーヌズイ特別区にある貯水池や汚水槽を片っ端から破壊し、今こうしてシャローム兵達に海水浴ならぬ汚水浴を強いていた。
やがてうんざりしたシャローム兵達は積み重なった瓦礫で水面に浮かぶ畦道めいた足場を見つけ、逃げ込むようにしてそこに移動する。
「まだだ……まだ撃つな」
三人目のシャローム兵が水面から出たところで、
「撃て! ユダ公を皆殺しにしろ!」
六年前にシュネーヴァルト学園の特殊部隊が掘ったトンネルを使い、先回りして待ち伏せていたタスクフォース599の外国人傭兵達が一斉に濃密な弾雨を浴びせてきた。
「隠れろ!」
シャローム兵達は慌てて銃撃とは反対側の水面に飛び込む。だがそこには大量の地雷が仕掛けてあった。次々に炸裂音が鳴り響き、赤い水柱が上がる。
「ユダヤ人が罠にかかったぞ!」
「ぶっ殺せ!」
だが直後、外国人傭兵達は目や鼻、喉や肺に猛烈な痛みを感じた。ある傭兵の瞳に突然焼け爛れたような痛みが走り、涙が止まらなくなって目を開けることすら叶わなくなった。別の傭兵は股間や脇の下に猛烈な痒みを覚え、それはやがて激痛へと変わった。
「毒ガスだ!」
イランで製造された毒ガスは空気に乗って外国人傭兵の目や鼻に侵入し、彼らに頭が捻じ曲がりそうな衝撃感を与えた。たちまち噴水のように顔を流れる涙が視界を奪い、息もできないぐらいに粘度の低い鼻水が滴り落ちる。
「ユダヤ人が毒ガスを使ったぞ!」
一度たりとも化学兵器の洗礼を受けたことのない傭兵達は瞬く間にパニック状態に陥り、対照的に両手では数えきれない程非公式の秘密任務でそれらを使ってきたガスマスク姿のシャローム兵に次々と撃ち殺された。
「ユダヤ人を殺せ!」
「ユダヤ人を殺せ!」
「ユダヤ人を殺せ!」
しかし外国人傭兵達はシュマグで顔の下半分を覆い、顔を自らの様々な粘液塗れにしてなおも戦い続けた。彼らはルーマニアだけでなくハンガリーやユーゴスラビアで作られたAK47自動小銃をフルオートで撃ちまくりながら雄叫びを上げ、薄汚い小屋の前を横切り、無残な姿になった仲間の死体を飛び越えて向かってきた。
一人の傭兵が随伴歩兵と切り離されて突出したマガフ戦車によじ登り、砲身に手榴弾を放り込む。そして女性戦車兵が主砲の閉鎖機を開けた瞬間、重さ一kgにも満たず、兵士達がレモンと呼称するそれは爆発した。砲塔内にいた女性戦車兵は全員即死し、煙が勢い良くマガフ戦車の九十ミリ砲の先から噴き出す。
「イスラエルに破滅を!」
「イスラエルに破滅を!」
「イスラエルに破滅を!」
内部で起きた火災が弾薬に引火、大爆発を起こして砲塔が空高く舞い上がると、外国人傭兵達は右手を掲げて歓喜の叫びを上げた。
「勝ったつもりか?」
だが、彼らは戦車狩りが夢中になっている間に背後に布陣したシャローム兵達から激しい銃撃を浴び、瞬く間に皆殺しにされた。
「クズ共め!」
壊れたイラン製ガスマスクから微量のガスが入り込んだせいで目を潤ませ、咳き込みながらもシャローム兵は憤怒の声を発する。
「みんなぶち殺しちまえ」
湿ったゴムと皮膚が触れることで生じるぬめりや、目に浸みる汗と口の渇きに苦しみつつ、シャローム兵達は次々に敵を殺していく。発砲の度にこめかみで血管が脈打ち、着た時はTシャツのように軽く感じていたのに今では鉄製としか思えない重さを持つスルプスカ・リザード迷彩服の裾が微震した。
「ここを奴らのマサダにしてやれ!」
外国人傭兵達が塹壕に逃げ込んだことを確認したシャローム兵は地面を震わせて前進してくる装甲ブルドーザーに向かいそう叫ぶ。
マサダとはかつて一万五千のローマ軍に包囲されたユダヤ人が悲劇的な集団自決を行った場所であり、今なお多くのユダヤ人にとって悪夢の象徴でもあった。
「塹壕に鼠がいるぞ。埋めちまえ!」
易々と銃弾を弾き返しながら日本製の装甲ブルドーザーが前進し、強引に塹壕内の外国人傭兵を土の波で覆い潰していく。
「仕上げだ。エンジンを吹かせ!」
なおも塹壕内でドイツ製の吸着地雷を手に反撃の機会を伺っていた外国人傭兵らはシャローム兵が『日本の友人達が作ってくれた最も信頼性の高い戦闘車両』と称する建設機械のマフラーから放出された排気ガスで窒息死に追い込まれ、殺虫剤を浴びたゴキブリのように這い出てきた者は例外なく射殺……あるいは銃のストックで殴り殺された。
「あの汚物をさっさと掃除しろ」
ヴォルクグラード人民学園出身のシャローム兵がそびえ立つマリア・パステルナークの銅像を指差し、ヘブライ語ではなくロシア語で叫ぶ。
「あんなものアルカに残しておくな!」
すぐにパンツァーファウスト44のロケット弾が撃ち込まれ、大歓声と共に六年前命を落とした英雄の銅像は倒壊した。他にもいるヴォルクグラード軍出身のシャローム兵達は倒れた銅像を激しく罵り、蹴り飛ばし、唾を吐きかける。
「なぁ、なんでマリアの銅像にあんなことするんだ。マリアはヴォルクグラードの英雄じゃないのか?」
銅像の台座にイスラエル国旗を掲げる仲間達にガーランド・ハイスクール出身のシャローム兵が疑念の視線を向けた頃、タスクフォース599の司令部ではバタフライ・キャットが最後の命令を下そうとしていた。
「降伏は許さんと全部隊に伝えろ。徹底抗戦だ。全員に武器を配れ」
「しかし銃火器が足りません。武器庫にはもう何も……」
「人を殺せる物なら何だって構わない。石や木の棒ならそのあたりに幾らでも転がっているだろう。動ける奴はみんな武装させろ。負傷者にはガラス片でも配れ」
お前はそんなこともわからないのか、と苛立ちを隠せない様子で部下に言いながらバタフライ・キャットは司令部の出口へと向かう。
「どちらへ?」
哀れな部下は拳銃で額を撃ち抜かれた。
注1 米国製M48戦車のシャローム学園における呼称。
注2 暴徒鎮圧用の防弾シールド。